初舞台の千秋楽。光一の帰りを今か今かと首を長くして待っていた剛の耳に、玄関のチャイムが聞こえたのは深夜近く。 「あかんよ、アカン。熱かって下がってないし、咳もしてるやろ。今日は一日おとなしい寝とき」 その日の午後。剛の指示かマネージャーの差し金か、往診にやって来た顔見知りの医者は軽い問診と触診の後、呆れた口調で「間違いなくインフルエンザだな」と診断を下し、診療器具を片づけながら一週間の自宅加療を命じた。 初主演舞台『MASK』の稽古、その合間をぬっての新曲のレコーディングに冬コンのリハーサル。そしてカレンダーの撮影プラスレギュラー番組の収録。突発のインタビューなんかも入ったりして、年の暮れは殺人的スケジュールだった。それをこなす事が精一杯で、実際のところゆっくり身体を休めるヒマなんて何処にもなかった。 夕方、両手に荷物を一杯抱えて帰って来た剛は、玄関を開けるなり俄か看護婦へと変身した。誰に貰ったのか可愛らしいエプロンをつけて、手には湯気の立つ鍋を載せたトレイを持って。 剛の看病のお蔭か、自身の体力のお蔭か、光一の熱は平熱に戻ったのは倒れてから3日目のことだった。 ベッドに腰掛けて目を閉じる。 慰めでも励ましでもない、味も素っ気もない一行。でも、かえってそれが剛らしくて、嬉しかった。 剛が帰ってきたのは、番組終了後2時間ほどしてからだった。光一はキッチンのテーブルに頬杖をついてそれを迎えた。 「明日から一緒に歌おな?」 少年の瞳の奥に突き刺さった、氷の欠片を溶かしたのは、彼を信じ続ける心根のやさしい少女の涙。 (おしまい)
UNISON
イソイソと出迎えた剛の前で、光一の身体は前のめりに傾いた。慌てて支えたその身体は火傷するかと思うくらいに熱かった。
持てる知識を総動員して風邪対策を図ったけれど、光一の熱は中々下がってはくれなかった。
翌日の朝、仕事に行くといって起き上がろうとする光一を剛は睨みつけた。
(なんかこの前と反対やんな。まあ、光一の気持ちも解るけどな)
それでも甘い顔は出来ないのだ。
「『風邪は万病の元』って言うやろ。ひきはじめが肝心なんや。ココで無理して取り返しのつかんことになったらどうするん? そんなことぐらい光ちゃんにかて解ってるやろ?」
「なんで? 大丈夫やって言うてるやん。自分の身体の事は自分が一番解るんや」
「そうか。そこまで言うんやったらオレは止めへん、勝手にし。けどな、そんな状態で仕事いっても、周りに迷惑掛けるだけやで。それにしんどなってオレを頼ってもオレは知らん振りするよ? それでも行くって言うん?」
剛は冷たく言い放った。その言葉に光一は掛け布団を握り締め唇を噛んだ。
「本当はしんどいんやろ?」
口調を改めた剛に光一は小さく頷いた。
本当はこうしてベッドに起き上がっているのさえも辛いのだ。下がりきらない熱のせいで頭はクラクラするし、吐き気もする……。
「昨夜の今朝で大丈夫なわけないやんか。それに昨日まで光ちゃんは頑張ってきたやろ。ちょっとぐらい休んでもバチは当たらへんとオレは思うけどな」
「―――俺は、剛の無理聞いたったのに……」
恨み言が光一の口を突く。
剛があきれたように肩をすくませる。
「あん時とは状況がちゃうやろ? 一緒に行きたいんは山々やけど、今日はオレ一人でも大丈夫や。光ちゃんの分も頑張ってくる。そやから、早よ治してな」
「……解った」
小さな声で呟いて、光一はおとなしくベッドに横になった。
「ほな、行ってくるわな」
掛け布団の端から僅かに覗く光一の額に軽く唇を押し当てて、剛は部屋を出て行った。
下された診断の厳しさに唇を歪める光一に、
「そんなに身体を痛めつけてたのしいのかね。私には解らんよ」
と、医者は頭を振った。
「まあ、焦りは禁物だ。この際、充分に休養を取ることだ」
穏やかに微笑んだ医者は、そういい残して帰って行った。
一人おとなしく布団にくるまり光一は目を閉じた。
軽い睡眠導入剤でも入っていたのか直ぐに眠りは訪れた。
(でも―――それが俺の仕事やもん)
好きで選んだ仕事だから中途半端なことはしたくなかった。ずっと憧れていた舞台だったし。
「錦織さんだって滝沢だって成功させたんや、俺かって――――」
そんな思いも確かにあった。
その負けず嫌いの性格が、今回に限って災いしてしまったようだった。
「光ちゃん、お粥できたけど、起きられる?」
「―――ちょっとキツイかも……」
起き上がる努力はしてみたけれど、身体がとてつもなく重くて言う事を利かない。光一は諦めて首を振った。
「そんならオレが食べさしたるわな。ハイ、あ〜んして!」
光一がそう答えることを期待していたかのように、嬉々として剛はスプーンを差し出した。勿論、光一が丁寧に断ったのは言うまでもない。
とまあ、こんな風に。毎日、何やかやと剛は世話を焼きたがった。仕事で疲れているだろうに、コマネズミのように忙しく部屋の中を行ったり来たり。
「もうええよ、剛。ちょっとはじっとしいな。お前かって疲れてるやろ?」
掠れる声で光一が訴えても、
「平気、平気。好きでやってんねんからオレのことは気にせんと、ゆっくり寝とき。それにしてもヒドイ声やな。折角の美声が台無しやん」
と笑って全く取り合わない。
(ゆっくりって言われてもなぁ―――かえって落ち着かんのやけどなぁ……)
洗濯物を抱えて洗面所へ消えていく背中を見送りながら、そっとため息を吐く光一だった。
光一の思いも知らずに、剛は今の状況を楽しんでいた。
楽しんでいる――といってしまえば光一には悪いのだけれど、普段は全て光一が取り仕切ってくれるから、こうして自分が光一の世話が焼けるのが、正直、嬉しかったりするのだ。
(なんか、オレって奥さんみたいやん)
鼻歌混じりに洗濯槽の中に汚れ物を放り込み、満足げに笑う剛だった。
その光景を光一が見ていたとしたら、大慌てで止めただろう。下着も色物も白いシャツなんかも―――ごちゃ混ぜで放り込まれていたのだから。
久しぶりにベッドに起き上がった光一は大きく伸びをした。ふと、ノドの渇きを覚えてベッドから下りようとしたが、立ち上がろうとするとまだ少し眩暈がした。足元もなんだか心許ない気もする。
(満足に食べてないもんな。しゃーない剛に頼もか。まだ出かけるには早い時間やしな)
「―――………!」
ベッドに腰を下ろして枕もとの時計で時間を確認し、剛の名前を呼ぼうと声を上げた―――つもりだった。
(なんで? 声が出ぇへん)
もう一度、声を出してみた―――けれど。ノドがヒューヒューと鳴るだけで、全く声が出ない。
愕然としてノドを押さえる。
痛みは全くなかった。
舞台稽古で声帯に炎症を起こした時も、少なからず痛みはあったのに。
熱を測ってみても体温計は平熱を示している。
(なら、なんで? どうして声が出ぇへんの?)
光一は頭を抱えた。その時「光ちゃん、起きてるんか? 気分はどうや?」と剛がドアをノックした。
光一は布団を頭から被り、何も答えなかった。答えられなかった。
誰もいない部屋はシンと静まり返って、不気味な感じがした。
今日も剛は一人で仕事に出かけた。
返事をしない光一に「行ってくるわな。Mステ見てや」とドア越しに声を掛けて。
気のせいかその声には元気がなかったように思えたけれど、光一にはどうする事もできなかった。
声が出ないと判ってから、二人はありとあらゆる方法を試した。レンコンや大根の絞り汁を飲むことや温湿布、仕事先で剛が聞いてきた民間療法―――ノドにいいということは全部試してみたのだが、全て無駄に終わってしまった。
勿論、医者にも見せた。
けれど結果は『異常なし』。
そんな訳ないと、しつこく食い下がっても『ストレスから来るものかもしれない』とあやふやな返事しか返らなかった。
(どうなるんかなぁ、俺。このまま声が出ぇへんかったらどうしよう。仕事辞めたない……)
元々ノドは強いほうじゃない。声自体も剛に比べれば細く、響きも弱い。自分の声を悪いと思ったことは一度もないけれど、剛の声を羨ましく思ったことはある。
でも、いくら考えても持って生まれたものの違いはどうする事も出来ない。
(俺は俺。剛を羨んでも仕方ない。俺の声が好きやって言うてくれるファンもおるんやから)
『隣の芝生は青く見える』というヤツだと今では思えるけれど。
(先週、俺、なにしてたんやろ……)
見るともなしにカレンダーに目をやる。
(そうや、舞台やってて……千秋楽から10日しか経ってへんのに、なんかごっつう昔の事みたいや……そう言えば、あん時、剛から手紙貰たんやったっけ)
声帯の炎症で声を出す事を押さえられ、満足に稽古ができなくて。このままじゃ、錦織や滝沢の時よりも最低の舞台になるんじゃないだろうかと、自信を失いかけていた時。
楽屋のテーブルの上にそっと置かれたメモの切れ端―――。
『相方様へ 自分のやりたいようにやれば良いんじゃないでしょうか』
(ホンマ、剛はよう俺のこと判ってるわ。欲しい言葉を欲しいと思った時にくれるんや……)
敵わないと思った。さり気ない優しさに勇気づけられた。
(俺、まだ何にも返してないのにこんな事になってもうて。剛になんて言ったらエエろんやろ……)
一人きりで考えていると思いは暗いほうへと流れてしまう。
アカン、と光一は頭を振った。
(気分転換しよ。そうや、Mステ見てなって言うてたな)
リビングに続くドアを開けた時、ハラリと何かが舞い落ちた。
「……?」
屈んで拾うと、それは手紙で。そこには見慣れた文字で―――。
『相方様へ もう何日も光一の笑顔を見てません。オレはごっつう淋しいです。光一には笑顔が似合うと思います。オレに元気の素を下さい』
と、書いてあった。
声の事には一言もふれてはいなかった。
光一は手紙を握りしめた。鼻の奥がツンとして涙が零れそうになるのを必死に堪える。
(アリガトウな、剛。俺……頑張るからな)
そう思うのが精一杯だった。
手紙を大事に胸に抱いて、光一はソファーに腰を下ろし、リモコンでスイッチを入れチャンネルを合わせる。
賑やかな音楽と共にタモリの声が聞こえた。カメラがスライドしながら出演者を映し出す。見知ったミュージシャンの顔も見えた。剛はタモリの隣で少し淋しげな笑顔を見せていた。
(ホントやったら俺もあそこにおったのに……)
2月24日発売予定の新曲を披露することになっていたのだ。
「それじゃ剛、スタンバイ」
タモリの声に頷いて剛はステージへ向かう。
(剛、ゴメンな。一人で歌わして)
どうか上手く歌えますように――――光一は祈るように両手を合わせて画面に見入った。
「今日、歌ってくださるのは自作の曲です。昨年発売された2枚目のアルバムに収録されているので、ファンの皆さんにはお馴染みの曲かもしれませんね。コンサートでは歌われるとのことですが、テレビでは初披露になるんだそうです。楽しみですね。あっ、準備ができたようですね。それでは堂本剛さんで『slowly』です。どうぞ」
アシスタントの言葉に光一は耳を疑った。
(なんでや?)
首を傾げる光一をよそに、イントロが流れ、それに続いて剛の良く響く声が聞こえた。
置手紙の要望どおり笑顔で迎えてやろうと思っていたのに、Mステの剛の行動が腑に落ちなくて、自分の思いに耽っていた結果、笑いかけるタイミングを逸してしまった。
「ただいまー。遅なってごめんな」
いつもと変わらぬ口調で剛は光一の向かいに腰を下ろした。
「たこ焼き買うてきてん、食べるやろ?」
Mステのことには触れずに屈託なく笑いかける剛に、自然、光一の視線が厳しくなる。
「何、怖い顔してんの?」
(Mステのこと)
光一は用意してあったメモを剛の前に滑らせた。
「見てくれたんや?」
『お前が見てって言うたんやんか』
と、視線を送りながら光一はコクリと頷き、
(なんで新曲歌わんかった?)
次のメモを差し出した。チラリとメモに視線を走らせた剛は、
「あれはKinKi Kidsの曲やから」
と、ポツリと呟き、席を立った。
意味を計りかねて光一は首を傾げる。
キッチンに立ち、お茶の用意をしながら剛が話しはじめた。
「オレと光一と二人でKinKi Kidsや。あれは二人の曲なんや。光一がおらな歌う意味がない」
違うか? と剛は振り返った。そのままシンクにもたれかかり後ろ手で身体を支えて言葉を繋ぐ。
「オレね、光一の声好きや。柔らかこうて優しいて、真っ直ぐで。ストンと心に落ちてくる。一緒に歌うのも好き。オレの声にお前の声が重なって、普段はちょっとキツイ、オレの声が優しい聞こえるような気がすんねん。だからな、一緒やないとアカンねん」
諭すような言い聞かせるような剛の声に、光一の胸の中が暖かくなる。胸の中に蟠っていた何かが溶け出すような感じがした。
「……―――!」
その思いを音にしようと唇を動かすけれど上手く行かず。もどかしさに拳を唇に押し当てて俯いた。光一の肩が小刻みに震える。
「一人で歌とても意味ないねん。まだまだハーモニーにはほど遠いけど、二人で歌うからええんや」
そっと身体を起こした剛は、ゆっくりと光一に近づき、震える身体を抱きしめた。
「お前の声、聞きたいなぁ。もう長いこと名前呼んでもろてへんような気がするよ? 光一はオレの名前呼びたないんかな?」
剛の腕の中で光一は力一杯首を振った。
(そんなことない。俺かって剛の名前呼びたい!)
思いが伝わったのか、剛が腕を緩めて光一の顔を覗き込む。
「剛って言うてみ? 声出さんでエエから、唇、動かしてみて?」
言われるままに光一は口を開く『つよし』と。
「……聞こえた、剛って聞こえた。もう一回呼んでみて?」
「――――」
「さっきよりもはっきり聞こえた。光一、もう一回」
「――――」
「もう一回!」
「――――っ!」
「もう一回!」
口元に耳を近づけて剛は繰り返す。だが光一には聞こえない。
(何回やっても同じや。もうイヤヤ!)
たまりかねて光一は剛の胸を拳で叩いた。
パァン!
乾いた音が静かなキッチンに響く。
ぶたれた頬に手を当てて光一は顔を上げ、目を見開く。剛が握り締めた拳を震わせて涙を流しながら自分を見ていた。
「簡単に諦めんな! そんな根性なしやったんか光一は! 自分だけが辛いんとちゃうで。見てるだけで何にもでけへんオレの方がお前の何倍も辛いんや!」
弾かれたように光一は剛を抱き寄せた。
剛にそんな辛い思いをさせえいたなんて知らなかった。自分だけの思いに捕われて解ってやろうともしなかった。
そんな余裕なんてなかった―――。
「……ゴメン、ゴメン、剛。ゴメンなぁ……」
抱き寄せた肩口に顔を埋めて光一は謝り続けた。
突然、乱暴に身体を引き剥がされる。
「――――」
呆気に取られる光一の前で、大きな瞳を更に見開いた剛の顔があった。
「―――剛?」
訳が分らず首を傾げる光一を指差して、剛は口をパクパクと動かすのみで。
「なあ、どしたんや? 剛って――――えっ?」
ガクガクと剛の身体を揺さぶってた光一は口元を押さえて息を呑んだ。
(声が――――声が出てる! 俺、喋ってる?)
目で問い掛ける光一に剛は何度も何度も首を上下させる。
「光一、もう一回『剛』って呼んで?」
上ずった声でねだるように聞く剛に、光一は頷くと、
「剛。剛。剛!」
ここぞとばかりにその名前を呼んだ。
「ああ! 光一の声や。オレの名前呼んでる!」
満足したように呟いた剛は光一をギュッと抱きしめた。
囁く剛に光一は頷き返す。
「これまでの分、歌って歌って歌いまくる」
「そんなことしたら、今度はノド潰すで?」
「大丈夫や。もうそんなことはせえへんよ」
二人は顔を見合わせて笑いあった。
その夜、二人の部屋には遅くまで歌声が響いていた。
『思いやる心』と『信じる心』があれば、どんなことがあっても乗り越えていける。
時には厳しく、時には優しく――――。
互いを思い、信頼し合えば――――。
自然と『愛』は深まっていくものなのである。