「皆さん、おつかれさまでした。乾杯!」 (おしまい) (おしまい) (おしまい)
Everything
「カンパーイ!」
プロデューサーの声を合図に会場内のあちこちから声が上がり、グラスの触れ合う音がする。
主演ドラマの打ち上げ会場に剛はいた。
次から次へと近寄ってくる、スタッフ達に愛想よく返事を返しながら「ホンマ、長かったなぁ……」なんて思う。
いつもなら感じるちょっとした別れの寂しさも今回はない。これほどまでに最終収録が待ち遠しかった撮影は初めてだった。
大好きな犬との共演という事で、話を聞いたときは一も二もなく頷いた剛だったのだ。
脚本がつまらなかったという訳ではないし、共演者たちが嫌いだった訳でもない。スタッフも最高だったと思う。ロシナンテとの相性もバッチリで収録はかなり楽しかった。たまに「メンドイなぁ…」と感じるロケもスタジオに通うのも、今回は全然全く苦痛じゃなかったのだ。
(ならどうしてやろ?)
自問自答しても答えは出ない。けれど、撮影が終わるのを自分が心待ちにしていた事に間違いはないのだ。
(よお、わからんなぁ……)
自分で自分の気持ちがつかめないのは、これまで経験した事がなかった。だから剛は戸惑ってしまう。
「ねぇ、剛君はこのあと、どうするの?」
「えっ?」
不意に肩を叩かれて剛は我に返った。
声のする方を見れば共演者の一人、安倍なつみがクルクルとよく動く瞳で自分を見上げていた。
「どうするって、なにが?」
「うん、二次会行こうって話が出てて……」
「……特に予定はないけど?」
頭の中にスケジュールを思い描いて剛が答えると、安倍は嬉しそうな表情でこう言った。
「じゃあさ、カラオケ一緒に行こうよ」
剛は又、考える。
(カラオケかぁ……カラオケなぁ……どうしょう)
嫌いじゃないけど、はっきり言って今日はそんな気分じゃない。
「ナッチは行くのん?」
反対に聞いてみれば、コクンと安倍は頷いた。
「明日の朝早いんだけど。せっかく仲良くなったんだもん。ここで“ハイ、さようなら”じゃ勿体無いじゃない? だからちょっとだけね顔出そうかと思って……」
「それもそうやなぁ……返事、今すぐやないとダメ?」
「そんな事ないよ。お開きになったらロビーに集合ってことだから」
「そっか判った。じゃあ後でね」
剛が頷くと安倍はニッコリ笑って「来なきゃ容赦なく放ってくからね」と言い置いて、仲間のところへ戻っていった。
その後姿を見送って、チラリと腕時計に目をやった剛はこそっと会場を抜け出した。
会場を出てトイレに向かう途中の植え込みの陰で剛はお尻のポケットから携帯電話を引っ張り出す。
(確かこの時間は、空いてるはず……やったよな)
仕事中に電話を入れるのは緊急事態でない限り避けなければいけないことだ。相手だけでなく仕事に関る全ての人に迷惑をかけてしまうから。だから剛は何時になく慎重に(自分のスケジュール以上に)頭に叩き込んでいる相手のタイムテーブルを目を閉じて思い浮かべる。
何がどうしたかったという訳じゃない。カラオケに行くか行かないか――それくらいのことは自分で決められる。ただ、声が聞きたかった。ドラマが終わった事をイの一番に知らせたかった。
早く知らせたくて足早に戻った楽屋のドアを開けて剛は目を丸くした。自分の荷物が何もなかった。
荷物がなければそこに突っ込んでいた携帯電話もないわけで―――持ち主の剛より先に荷物は会場に運び込まれていたのだった。会場についてすぐパーティが始まって……現在に至るという訳なのだった。
(まだ仕事が終わってないってことやったら時間潰しにカラオケに行こう。その代わりもう直ぐ終わるって返事やったら、飯でも誘ってみようかな?)
会場から漏れてくる声はお開きが近いことを知らせるように、さっきから比べると幾分静かになったようだ。
(のんびりしてる暇ないな)
暫く携帯の画面を見つめていた剛は、コクンと唾を飲み込んで電話帳検索メニューを呼び出した。そんなまだるっこしいことをしなくても番号なんて頭の中に入っているけれど。
目的の名前を画面に呼び出してボタンを押した。弾んでしまう気持ちを押さえて携帯を耳に当てる。数回コール音が聞こえ『プツッ』と繋がる音がする。
今にも飛び出しそうな勢いで鳴りはじめた心臓を、落ちつけとばかりに服の上から押さえる。
でも聞こえてきたのは――――。
『メッセージセンターにお繋ぎします』という抑揚のない声だった。耳に馴染んだ声が聞こえるとばかり思っていた剛の心一杯に膨らんでいた風船が萎んでいく。
(カバンの中に入れとって聞こえんのかも知れへんな。もう一回、チャレンジや……)
けれど何度やり直しても同じだった。数回コールした後、メッセージセンターに繋がってしまうのだ。
「もう! 何してんねん! バイブにしてんのとちゃうやろなぁ。携帯はちゃんと音出るようにしとかんと……」
剛は物言わぬ携帯電話を見つめてため息をつく。
きっと出てくれると思っていたのだ、気がついてくれると思っていた。自分からの電話を待っていてくれると思っていたのだ。
『この音にしといたら剛からって直ぐ判るしな』
そう言って目の前で剛の大好きな笑みを浮かべて指定着信音を登録したのは“彼”なのに。
そして、
『俺のは、この音楽な。これが鳴ったら直ぐに出なアカンで、俺からやからな』
剛が頼みもしないのにさっさと電話を取上げ、オリジナルメロディを作曲してまで登録してくれたのも“彼”のほうなのだ。
(もう……出ぇへんのやったら着信音変えてる意味ないやんか)
憤懣やるかたない思いで電話を睨みつける剛に声がかかった。
「あれ、剛君?」
ビクリと身体を竦ませて剛が振り返ると―――共演者の一人で事務所の後輩・秋山 純が目を丸くして立っていた。
「ああ、秋山か……」
「どうかしたんですか……って、電話? もしかして光一君に?」
左手に握られた携帯を目ざとく見つけて秋山が聞いた。
「うん、けど……出ェへんねん、アイツ……」
小さく呟いた剛に秋山は大きな目をさらに大きく見開いた。
“目は口ほどに物を言う”とはよく言ったものだ。
秋山の目はまるで「仕事中なんじゃないですか?」と言いたげだった。
(そんなことオレにかってわかってる。そんな顔すんな! 濃い顔が益々、濃いなる!)
即座にこんなセリフが浮かんだけれど口に出すほど馬鹿じゃない。喉まででかかったセリフを飲み込んで、かなり上背のある秋山を見上げた。
(そうや、光一の代わりにつきおうてもらお)
「なにか、急ぎの用事でも?」
重ねて聞いてくる秋山に剛は無造作に携帯をお尻のポケットに押し込むと、わざとらしく手を打ち「あっ、そうや! なあ秋山はこの後、なんか用事あるん?」と聞いた。
「いいえ、別に。今日はもう帰るだけですけど……」
「そしたらカラオケ行かん?」
「カラオケ……ですか?」
唐突な誘いに瞳を見開いたまま首を傾げる秋山に、
(だぁかぁらぁ、目を剥くなって! 怖いやろ……)
そんなことを思いつつ言葉を続ける。
「うん。ナッチらに誘われてんけど。オレ一人やったらつまらんし……どうしようかなぁ…って思てるねん」
(ははぁそういう事か。なるほどね)
モゴモゴと言い訳するような口調の剛に秋山は頷いた。
(秋山。頼むわな剛の事。意外と脆いとこあるから支えたってな)
そう光一から耳打ちされたのは冬のコンサートで大阪入りした当日、振りうつしを終えて仲間と最終確認をしている最中の事だった。
聞かされた時は何のことだかさっぱり判らず、ただ頷いただけの秋山だったが、ドラマの撮影が進むにつれて光一の言いたい事が判ってきたのだった。とは言えその原因がなんなのか秋山には判らない。今だって剛が“光一が電話に出ない”ということで八つ当たり的に自分を誘っている事は判る。だから断る事は至極カンタンな事。でも断る気にはなれなかった。
「いいですよ」
あっさりと答えた秋山に剛の方が目を丸くする。
「え? ホンマに? ホントのホントにええのん?」
思わず重ねて聞き返した剛に「ええ」と秋山は頷き「帰っても寝るだけですし。それに寝るにしてもまだ時間早いですからね。付き合いますよ」と続けて笑った。
「ほんなら、行こ…かな?」
戸惑い気味に答えた剛の顔に薄い笑みが浮かぶ。
「行きましょうよ、折角のお誘いでしょ。楽しみましょうよ? 次の機会待ってたら何時になるか判らないし。僕も剛君と歌ってみたいですよ」
ね? と顔を覗き込んだ秋山に(だから、その濃い顔、近づけんとってって……)と快く誘いを受けてくれた後輩に対して又しても失礼な事を考える剛だった。
「ほら、そろそろお開きみたいですよ?」
背中を押す秋山の声に顔を上げれば、会場から宴の終了を告げる声が聞こえた。>
頷いて一歩踏み出した剛に「そうだ。光一君に用があるんだったら。メール入れといたらどうですか?」と秋山が言った。
「メール……か。そうか、その手があったな」
「そうですよ。メール送っとけば見てくれるでしょ? それで連絡くれるかもしれないし」
「そうやな……ウン。そうしよう。秋山君、エライわ。オレ、そこまで気がつかへんかった。伊達に濃い顔してへんなぁ」
思わず声に出してしまった剛に、気分を害した風もなく、「なんなんですか。それは……」と苦笑いを返し「さあ、行きましょう」と背中を押した秋山だった。
「ハァ〜疲れた……」>
自室のソファーに身体を投げ出して剛は大きく息を吐き出した。
秋山を伴って待ち合わせ場所のロビーに行くと、打ち上げに参加していた出演者の殆どが顔を揃えていた。大挙してカラオケボックスで騒いだ後、その場で解散となったのだが、『まだ飲み足りないぞ。三次会だ、三次会!』と気焔を上げる大御所・根津に『なんだなんだ、帰るのかだらしねぇなぁ。付き合えよ。行くぞホラ!』とタクシーに乗り込もうとしていた剛は捕まってしまった。先にタクシーに乗り込んでいた元・共演者達は気の毒そうな顔をしたのだが、救いの手は差し伸べてはくれなかったのだ。
結局、そのまま連れまわされる事、三軒。東の空が白々と明け始めるころ、漸く呂律が怪しくなった根津に解放されたと言う訳である。
「それにしても根津さん元気すぎ……」
根津に付き合ってかなりの量を飲んでしまったような気がする。少し頭痛がするし視点がぶれている気がする。多分、寝不足のせいだろう身体がとてつもなく重い。それなのに異様にお腹が空いていた。このままでは寝られそうにもなくて。ふらつく身体を起こしてキッチンに向かう途中で留守番電話のボタンが点滅している事に気がついた。
(………誰や?)
壁に手をついて身体を支え再生ボタンを押した。
『用件三件です』という無機質な声に続いて耳なれた声が流れてきた。
『携帯つながらへんからこっちに電話したで。メールありがとう。お疲れさまでした。けどこんな時間まで何処いってるんや? ドラマ終わったから言うて無茶したらアカンで……明日、又、電話するわ』
「大きなお世話や……無茶はしてませーん」
答えながら頬が緩むのを止められない。
光一の声を聞くだけでこんなにも元気になれる自分がいる。頭痛も何処かに吹き飛んで、霞んでいた目の前がクリアになる。
(ウッワァ〜、オレって超げんきんな奴ぅ〜)
一人で突っ込む剛を無視してテープが声を吐き出す。
『ゴメン……』と聞こえたのは光一の声だった。
「今度はなんやねん……」
クスリと笑いを洩らしながら、聞き耳を立てた剛は次の瞬間目の前が暗くなる思いがした。
光一の声はこう続いたのだった。
『一つ言い忘れた。俺なドラマ決まった。詳しい事は今度、会ったときに……』
思わずリセットボタンを押していた。
「そんな……」
壁に背中を預けたままズルズルと剛はその場にしゃがみこむ。
「そんな…やっと、オレのドラマが終わったのに……これから又、一緒にいられると思ったのに……」
呟く声が涙声になっていた。
「そや、聞き間違いやきっと。オレ、酔うてるし。もう一回聞いたら……」
のそのそと腕を伸ばし手探りで再生ボタンを押してみた。けれど、一度リセットされた声は二度と答えてはくれなかった。
単独の仕事が増え始めたのは何時の頃からだろう?
はじめはドラマも二人一緒だった。バラエティも歌番組もインタビューも……。それが光一にドラマの話がきて、次に剛に話がきて。そして全く違うバラエティ番組のレギュラーがそれぞれ決まって。一つ一つをこなす内、二人で受け持つ番組に広がりが出て来はじめたのは事実だった。
革新派の光一は単独での仕事を喜んでいたし楽しんでもいたけれど、保守的な剛は中々そう思う事は出来なかった。悩むことが多かった。
(二人で“KinKi Kids”と違うん? バラバラやったら意味ないやん)
二人の芸の巾を広げる為に必要な事だと、頭では理解していても、それぞれがいろんな分野に挑戦すれば、二人に戻った時もっと活動の範囲が広がる―――と判ってはいても。
出会ってから今までずっと一緒だった。住む場所は違っても必ず毎日、顔を合わせることが出来た。それが今は、週に何度か顔を合わせればいい方で、声を毎日聞くことすら出来ない状態だ。
最近ではインタビューも単独で受けることが多くなり……バラバラで活動を続ける二人に“解散するの?”という噂が実しやかに囁かれ始めた、その頃から剛の中の歯車が狂い始めた。
パンパン……!
乾いた音がスタジオ内に響いた。続いて「皆、ちょっとストップ!」という厳しい光一の声が響き渡った。
音楽が止まり、何事かとそこに居たメンバーの視線が光一に集中する。
春に行われる香港コンサートに照準を合わせた練習の途中、壁一杯に張られた鏡の中で光一が難しい顔で腕組みをしていた。光一の視線の先には剛がいた。鏡を通して剛を睨みつけていた。
「剛、ワンテンポずれてる。どうした? そんなに難しいステップと違うやろ?」
容赦ない叱責の言葉が剛に突き刺さる。
「ちゃんと起きてるか? 時間がないんや!」
「……判ってる。そんなうるそう言われんでも判ってる……って」
続けざまに注意されて唇をへの時に曲げてこぶしを握り締める剛に光一はそっとため息を洩らす。
「……よっしゃ。ここでちょっと休憩! 十分したら練習再開。ハイ、解散!」
バックダンサーを務めるジュニアのメンバーに声を掛け、光一は剛の腕を引っ張って廊下に出た。
自販機の前のベンチに剛を座らせて、光一は小銭を乱暴に放り込む。
手にした紙コップを差し出すと、剛は無言で受け取り、一口飲んで顔を顰めた。
「……スポーツ飲料水?」
「―――嫌いやったっけ?」
「ううん。そんなことないけど。炭酸系の方が良かったな……」
(そんなん飲むから太るんや……)
内心でそんなことを思う。
会うたびに剛の顔が丸くなっている―――そう感じていた光一だった。
元々、太りやすい体質の上に甘い物が好きな剛である。ウエイトコントロールを怠ると直ぐに丸くなってしまう。テレビカメラを通すと普通より幾分太って見えるから注意しなくてはいけないはずなのだ。ついこの間も先輩の中居に「剛、太った?」と本番で聞かれていた。その時は笑って「ええ、2・5キロ程……」と答えていた。でも、その時よりも遥に丸くなっているように光一には思える。
(どうしたんや……剛は)
表面上は何事もなく過ぎている。カメラを向けられれば笑えるし如才なく返事を返しもする。
だから周りは気付かない。
でも、何かが違う。何かがおかしいのだ。
妙に“ハイ”だったり落ち込んでみたり。躁鬱病じゃないとは思うけれど、そんな気配が剛には漂っている。
このところ、自分の仕事が忙しくて剛の事を気にかけている暇がなかった。とは言え、剛も二十歳を過ぎた大人だから自分が口を出す事でもないと放っておいた。
(それがアカンかったんか?)
甘ったるいだけのスポーツ飲料を舐めながら光一はそんなことを思う。
「……なあ、光ちゃん。ドラマ楽しい?」
不意に剛が聞いた。
「えっ……ああ、楽しいで。走り回ってばっかりでしんどいけどな」
「そうか……」
今回、光一に回ってきたのは刑事ドラマだった。それも“エリート刑事”ではなくて、『食いっぱぐれのない公務員を目指して受けてみたら通ってしまった』という今時の若者、おまけに希望したわけでもないのに偶然に偶然が重なって“生活安全課”に配属された、まさに“棚からぼた餅”状態で刑事になってしまった……と言う今までにない役所だった。
だから、面白くて夢中になってしまう。脇を固める共演者も一癖も二癖もある個性派揃い……ときたら。
光一のやる気も俄然沸いてくると言う物だ。
“主演は自分”だから埋もれる訳にはいかない。その中でより輝かなくてはドラマをやってる意味がない。
やる気が出ると全てにおいて“ハリ”が出て、プラスの方向へと向かっていく。事実、今の光一は誰の目から見ても輝いている。
それに引き替え剛の方は―――。
チラリと隣を盗み見る。
(何かあったんか? どうしたんや?)
聞いてやりたいのは山々だけど、剛が何も言わない以上自分にはしてやれる事がない。
剛から口を開かなければ意味がないのだ。
二人は仲間でありライバルであり運命共同体でもある。
辛そうな時は気になるし手助けしたいとも思う。けれど最近、放っておくのも愛情だとも思えるようにもなった。
それは多分にドラマの影響だろう。
右も左も解らない世界に放り込まれ、厳しい先輩と組まされて。失敗すれば容赦なく叱責され罵倒され。誰も助けてなんかくれない、道を示してもくれない。それでも進んでいくしかない主人公。手探り状態で体当たりしていく中で成長していく、刑事としてのプライドも生まれてくる―――所詮ドラマのストーリィだ、主人公にシンクロしているだけだと言われればそれまでだけれど。
でも、それが男だと思う。
足掻いてもがいて苦しんで……どうすべきか、その中から進むべき道を自分で見つけて初めて周りから一人前と認めてもらえるのだ。模索している時は格好悪くて当たり前なのだ。でも、それだからこそ、本当の自分を見つけたときに自信と輝きを身に着けて真にカッコいい男になれるのだと光一は考える。
(そうや。俺の手がないとやって行けんような相方やったら居らんほうがマシや)
だって剛は光一の肉親じゃないのだから。
剛には常に対等な立場で、仕事の時は特に自分を脅かす存在でいてくれなければ……と光一は思う。
それぞれがしっかりとその足で立ててこそ“KinKi Kids”に戻った時、より一層輝いていけるのだ。
(プライベートではいくら甘えてくれてもええねんけどな……)
「ヨシ! ジャスト十分。休憩終わりや。行くで剛!」
カラになった紙コップをグシャリと握りつぶして光一は立ち上がった。
コチッコチッコチッ……。
時計の秒針だけが回り続け確実に時を刻んでいく。
日々は過ぎていく。でも、剛は立ち止まったまま……。
仕事も普段どおりこなしているし、暇な時はギターを抱えて作曲なんかもしてみるけれど。気分が乗らないときに作る曲は暗くて重くて覇気のないメロディばかり。これではダメだとレポート用紙を引き寄せ、鉛筆片手に思いつく言葉を並べたてると……浮かび上がるのはなんだか妙に切ないラブソング。らしいといえばらしいけれど。
詩を考える時、思い浮かべるのは何時も光一の事。
集中している時の厳しい視線、台本を読んでいる時の真剣な表情。思いを巡らせている時の目を閉じた表情も。心の底から笑った時へにゃっと溶けてなくなる目。その時小さく寄る目尻のシワ。黙っているとカッコいいのに大口を開けてガハハと笑う顔も……全て、剛の元気の素になる。
(光一の一番のファンはオレやのになぁ。会いたいなぁ……)
口に出せない思いを詩に託して言葉に綴ってみながら、ふと思いついて鏡を覗いて、驚いた。
(なんや……この顔)
写っていたのはパンパンに膨れた真ん丸い顔。どこからどう見ても自分に間違いないけれど。
(これはアカンわ。アンパンマンやんか……こんな顔で仕事してたんかオレ…考えてたんやろ)
剛は大きく息を吐いた。
これでは光一が相手をしてくれる訳がない。こんな自分を必要としてくれるとは思えなかった。
常に対等でありたい。必要とされたい――――そう思っていたのは光一だけではなかったのだ。
どうしてこんな事になってしまったのだろう?
いくら考えても判らない。
(まだ、間に合うかな? 今からでも巻き返したら光一はオレのほうを向いてくれるやろうか?)
そう考えて剛は首を振った。
考えるだけなら誰でも出来る。行動に移さなきゃ、実行しなきゃ意味はない……。
「ヨッシャ! イッチョ、やったるで!」
剛はパンッと一つ頬を叩いた。
ガチャっと鍵の外れる音がした。続いて「剛! 剛ッ!」なんだか切羽詰ったような自分を呼ぶ声がして、ドタバタと走ってくる音が聞こえた。
(あー、光ちゃんの声やぁ……何時聞いてもカッコええなぁ……)
そんなことを考えていると突然身体がガクガクと揺すられ、剛はぼんやりと目を開けた。
途端にワイド画面で目の前一杯に広がる光一の顔。
(なんで光ちゃんが、ここにおるん?)
首を傾げると「……ああ、良かった。生きとった……」と光一は呟いた。
「えっ……ホンマに光ちゃん!」
慌てて跳ね起きた途端クラリと眩暈がした。身体がななめに傾いでいくのを荷物を放り出した光一が支えて、ソファーに引きずり上げてくれた。
「有難う……」
「アホ! いきなり飛び起きる奴があるか!」
大音量で降ってきた声に、目を丸くして剛は光一を見た。
(なんで、そんなに怒ってるん?)
訳がわからずきょとんとした自分のおでこを“ペチッ”と叩いて、光一はメッとして見せた。
さっき放り出したビニール袋からココアのパックを取り出すとストローを差し込んで無言で光一は剛に押しつけた。
反射的に受け取ると「飲め!」と顎をしゃくり、素直に口に含んだのを見届けて光一は背中を向けた。ビニール袋を片手に下げてキッチンに消えていく背中を見送りながら咥えたストローで啜ってみる。甘ったるいだけだと思っていたココアは良く冷えていて喉越しがよく、剛は一気に半分を飲み干した。
ハァ…と一息ついたところに、タイミングよく湯気の上がるお皿とスプーンが差し出される。熱くないのかなぁ、と恐る恐る口に入れるとそれは丁度いい暖かさで、二口三口続けざまに飲み込んだ。静かに胃が満たされて―――剛は初めて自分のお腹が空いていたことに気がついた。
「……おいしかった。ごちそうさま」
すっかり皿をカラにしてガラスのテーブルに置き、行儀よく両手を合わせると、見ていた光一が大きく息を吐いた。
「……もお、心配させんなよ」
「そうや。なんで光ちゃんがここにおるんよ?」
当初の疑問を口にした剛に光一があきれたように片眉を上げた。
「なんでって……お前。人の携帯鳴らしまくったクセして……」
「えっ!」
剛は慌ててポケットを探る―――けれど携帯電話なんて何処にもない。テーブルの上に目を向けた剛の顔の前にズイッと目的の物が差し出されて。リダイアルボタンを押すと―――画面に現われたのは光一の携帯番号だった。でも一つだけである。光一の言うように鳴らしまくったと言う訳ではないように思う。すると光一は剛の目の前に自分の携帯を向け、着信履歴ボタンを押していった。
次から次へと現れるのは……剛の携帯番号ばかりだった。
「あれ……ホンマやぁ」
マヌケな声を出した剛の隣に光一はドサッと腰を下ろした。
「ホンマや…とちゃうの。打ち合わせの最中やって言うのに鳴り捲るし、しかもワンコ(1回だけ鳴らして切る)の連続で。誰かのイタズラやと思て電源切ったろって見たら、お前やん? お前がそんなことする訳ないしなぁ……で、マネージャーに電話してん。したら、お前、調子悪いって言うやん。そんなこと聞いたら……居ても立っても居られんようになってな、打ち合わせ早めに切り上げてきたんや」
頭を掻きながら光一は笑った。つられて剛も少し微笑む。
微笑みながら鼻の奥がツンとして……悟られないようにこっそり鼻をすする。
「笑いごっちゃないで、ホンマに」
「……うん、ゴメン」
「怒ってんのと違うんや。何も相談してくれへんのが腹立つの。俺ってそんなに頼りない?」
聞かれて剛は首をふる。
「どう言うたらエエのか判らんかった……」
剛の答えに光一は髪の毛をかきあげ「あんな、エエ詩を書く奴のセリフとは思えんなぁ……」と呟き、「エエか?」と確認するように剛の顔を覗き込み視線を合わせてきた。
コクンと剛は頷いた。
「俺は超能力者でもスーパーマンでもない普通の男や。その前に“剛に惚れとる”と形容詞が付くけど……まあ、それは置いといて。剛が何を考えてるかとか思ってる事とかは見てるだけでは判らへんのよ。そりゃ機嫌悪いなぁぐらいは判るけどな。だから、キチンと言葉に出してくれんと判らんねん」
「……光ちゃん――」
「しんどい時にはしんどい。辛い時には辛い……会いたい時には会いたい……って言うてくれんと……」
光一の言葉に「そう言えば」と剛は思う。
光一はいつもはっきりと言葉にして伝えてくれる。
“どうしたい。こうしたい。好きや。嫌いや……”
会いたい時も―――。
うやむやに誤魔化してしまう自分とは違う。
光一のくれる言葉に安心してきた。その言葉があったから頑張ってこられた。
剛だって光一を元気づける事はある。でもそれは直接言葉にした物じゃなくて、メモだったり手紙だったりした。
それでも言葉に言葉は変わりなく充分に伝わると思っていたけれど、それ以上に音を持った言葉って大切だと改めて思った。
暖かさと音を持った、心から生まれてる言葉だからこそ伝わるのだと。光一は教えてくれている。
「ほら? どうしたんや?」
光一が剛の頭を胸に抱え込んで聞いてきた。どうしても聞きたいという雰囲気は感じられなかった。髪の毛を優しく撫でながら抱き込んだ身体を揺すってくれている。
剛は胸に頭を預けたまま、光一の柔らかい手を感じていた。何かが解けていくような気がした。
「……寂しいかったんや……と思う」
スルリと言葉が滑り出た。
「何が、寂しかった?」
「バラバラの仕事が続いて。光一の顔、見ることができなくて、声も聞けなくて……解散やなんて噂までされて。これじゃアカン、ガンバラなって思うのに、思うように身体が動かへんかった……」
それで? と促すように背中に回った腕に力が込められる。
「携帯も繋がらへんし。光一から電話もないし。たまに顔合わしても仕事ばっかりで、時間に追われてゆっくりメシも食べられへんかったし……」
それから? 今度は髪の毛にキスをされた。
「それでやっとオレのドラマが終わったと思ったら、今度は光一にドラマの仕事が入って……オレがこんなに悩んでるのに、光ちゃん楽しそうにドラマの話ばっかりするし。コンサートの練習の空き時間に話しょうと思っても、スタッフやジュニアの相手ばかりしてるし……」
次々と吐き出される言葉を光一は「ウン、ウン」とうなづきながら聞いているばかりで口を挟んでは来なかった。¥
それが剛には少し悲しかった。
「なんで? なんで聞くばっかりで何も言うてくれへんの?」
ガバッと身体を起こして光一を睨みつけた剛に向かって、「ホンマ、我がままやなぁ剛は……」と肩を竦める。
そうしてもう一度、剛の身体は光一の胸に引き寄せられた。
「もう言う事はないんか? 全部吐き出してしまい。心の中に溜め込んでるから身体が悪くなるんやで?」
余裕のある言い方が癪に障る。それなら言いたいだけ言ってやろうという気持ちになってしまう。
「オレは……オレは」と口の中で何度か呟いて、剛は顔を上げた。大きな瞳に力を込めて光一を見つめて……。
「いつもッ! どんな時でもッ! 光ちゃんと一緒に居たい。顔の見えるところで、ちょっと手を伸ばしたら触れる距離にいてたいんや!」
一息で吐き出した。
肩で息をする剛を見ている光一の瞳がフニャっと歪み、右の唇の端が少し上がって―――剛の大好きな笑みを形作る。
「それが剛のホンネ?」
笑いを含んだ声色に腹も立つけれど言ってしまった後では違うとも言えず、剛は唇をヘの字に曲げて頷いた。
光一は何度も何度も頷いた。それはそれは満足そうに。
「よ〜判った。ほんなら今度は俺のホンネを聞いてな」
言い置いて、光一は一つ深呼吸をした。
「俺も剛とおんなじや。いつも一緒に居たい」
静かな真剣な声だった。
ゴクンと唾を飲み込んだ剛に微笑んで「でもナ……」と光一は言葉を続けた。
「それにはまだまだ力が足らんと思うんや」
「力……?」
そうやと光一が相槌をうつ。
「その力を蓄えてるところや。バラバラで仕事受けるのも、一緒に仕事をするのも。なんもかんも皆その為なんや。誰にも文句を言わさへん為には必要な事なんやと俺は考えてる。二人で一人前やったらアカンねん。一人一人が一人前でないとな」
そう思ったらラクと違う? と首を傾げられて剛は心の中で光一の言葉を反芻してみる。
(一人一人が一人前でないとアカン。それが二人揃ったら二人前……ってことは)
「二人が一緒やったら倍になるって事か……」
「そうや。倍どころか三倍にも四倍にもなると思うで?」
まあ、そんなに単純な事やないし。そうそう上手く行くとも思わんけど……と光一は笑った。
「そうか…そうなんや」
なんだか上手く丸め込まれたような気もするけれど、妙に納得している自分がおかしい。
「オレ等はまだ一人前とちゃうってことか……」
「悔しいけどそういう事やね」
「ガンバラなアカンねや……」
ため息混じりに吐き出した剛の頭を光一はポンポンと叩いた。
「どうや? 浮上した?」
覗きこまれて小さく頷く剛だった。
「そっか……なら良かった。ほんなら俺、帰るわ。レトルトのメシやけど冷蔵庫に入れたあるから。キチンと食べるんやで? 次に会った時、まだ不景気そうな顔してたら、今度はホンマに放り出すからな!」
満足そうにそう言って立ち上がった光一のシャツの裾を剛は思わず掴んでいた。
「ん? まだなんかあるんか?」
見下ろして聞かれて剛は、余りのバツの悪さにパッと掴んだ手を開いた。
ううん、なんでも……と言いかけて、光一が睨んでいる事に気が付いた。
「ホラ、又! 言いたいことはちゃんと言葉にして言えってさっき言うた!」
(そうやった)
深く深呼吸して剛は口を開く。この前の打ち上げの時、秋山に向かって言った言葉を、本来言いたかった相手に向かって―――。
「なあ、光ちゃん? この後、忙しい?」
「どやったかなぁ……」と顎に手を当てて天を仰ぎ考え込む振りをしかけた光一は次の瞬間。ズイと顔を剛の前に突き出した。
「なぁンてな! 剛の具合が悪いってマネージャーに聞いたとき。ついでに打ち合わせの延期もお願いしといた」
「……ってことは、つまり?」
そうや! と光一は大きく頷いた。
「明日の朝まではオフっちゅうことやな!」
で、どうする? どうして欲しい? と光一は視線で問い掛けてくる。
「一杯話したい事もあるし、飯も食いたいし……」
はっきり聞こえない要求に光一の額に怒りの“井”マークが浮かび上がった瞬間「ああもう! じれったいなぁ。ハッキリし! 男やろ!剛!」怒鳴りつけられた。弾かれたように剛も負けないくらいの大声で「今夜一晩一緒に居って下さい!」と怒鳴り返した。
一瞬の静寂の後、二人は一斉に吹き出した。顔を見合わせて久しぶりに声を上げて笑った。
お腹を抱えて笑っていた剛の身体が不意にフワリと持ち上げられた。
「えっ? えっ……何してんの光ちゃん?」
「我がまま姫の顔色が、まだちょっと優れんように思うので、ベッドまでお運びしようかと……」
大真面目な口調で馬鹿丁寧に言ってくる光一がおかしい。お姫様扱いされ、その上、男に抱き上げられるという、結構、いやかなりみっともない状態が剛には妙に嬉しかった。
イタズラ心が顔を出し、ジタバタと暴れてみる。
「ちょっ、暴れんなや。落とすぞ!」
本当に落としかねない素振りに慌てて首にしがみ付いた。でも口調とは裏腹に、ちっともその腕は揺るがなかった。それどころか、更にきつく抱きしめられてしまった。しがみ付いた自分を恥ずかしく思う。けれどそんなことも幸せに感じてしまう。
リビングから寝室までがもっと長ければいいのにと思ってしまう。
(ずっと、こうしてて欲しいなぁ……)
なんて、欲張りな心が顔を覗かせる。
そっと丁寧にベッドに下ろされた時、離れ難くて首に腕を巻きつけたまま「なあ、光ちゃん?」と呼びかけてみた。
「ん?」
「こんな情けないオレとユニット組んだ事、後悔してへん?」
聞かれた光一の目が真ん丸くなって、次第に優しい笑みが浮かび上がる。
「変なこと聞くんやなぁ……」
「変……かなぁ?」
「うん。変や!」
キッパリと言い切られて剛はほんの少しムッとした。でも、それはホンの一瞬の事。続いた光一の言葉に唇の両端が持ち上がる。
「俺ね、姉ちゃんズに感謝したい。ジャニーズに履歴書送ってくれて有難うって。縁結びの女神様やと思うわ」
「たまたま、二人ともがミーハーやっただけと違うん?」
「それを言ったらたらおしまいや。もっと自由な発想せんとあかんと思うで。お前、頭硬すぎ」
「光ちゃんが柔らかすぎんの」
ポソッと呟くとギロリと睨まれた。小さく肩を竦ませた剛はそれ以上口を挟まず大人しく光一の言葉に耳を傾けた。
「これはな一年早くても遅くてもアカンかったと思うねん。同時やったから、ユニット組めたんやと思う。だって考えてもみいや。全然別の場所に住んでて接点なんてない俺等の履歴書が同時…とはちょっと違うかもしれんけど、まあ、ほぼ同時に届いてんで? おまけに縁もゆかりも無いはずやのに同じ苗字で。これはもう、出会うべくして出会ったとしか思われへんやろ? ジャニーさんやのうてもユニット組まそうと思うな。俺やったらそうしてる」
「只のウケねらいやんかそんなん。偶然が重なっただけとしかオレには思われへんのやけど……」
「ウケ狙いでもなんでもええのんよ。それにな偶然が二つ重なったら、それはもう必然ってことなんや!」
「光ちゃんって……」
「なんやねん」
「意外と乙女チックな奴ゥ〜」
腕は解かずに顔を背けて剛はクックッと笑う。
「なんや知らんかったんか? お前、俺と何年付き合ってるんや。そんな冷たい奴とは思わんかった」
忍び笑いを続ける剛の腕を自分の首から引き剥がし、光一は身体を起こした。
「光ちゃん?」
行き場を無くした手を所在無く見つめながら剛が首を傾げると、光一は意地悪な笑みを浮かべていた。
「俺…帰る!」
クルッと背中を向けられて焦ったのは剛のほう。冗談なのだろうとは思っても、もし本当に怒らせたのなら謝らなければいけない。折角、作った二人だけの時間をこんな詰まらないことで終わりにはしたくない。
飛び起きて光一の腰にすがりつく。
「ゴメン。帰らんとって……俺が悪かったって。信じるから……ホントはオレもそう思ってた」
光一は何も答えてくれない。でも、剛も諦めはしない。
「思ったことは口に出せって言うたのに、一緒に居ってくれるって言うたやん。光ちゃんのウソツキィ……」
悪いと思っているのか、それとも自分を非難しているのか、判断しかねる剛の声は湿り気を含んでいて、光一は内心でため息をつく。
(ホンマ、ズルイよなぁ剛は。泣き落としなんて卑怯やん。けどなぁ俺そんな所に惚れてるんやもんなぁ……)<BR>
恋愛はより多く惚れている方が負けだといったのは誰だったのか……。
(仕方ないなぁ、惚れた弱みやモンな……俺の負けです)
自分の中であっさりと負けを見とめて、腰に回された手を取って光一は身体ごと振りかえり恭しくひざまづき「仰せのままに……お姫様」言って手の甲にキスをした。
「もしもお許し頂けるのなら、今宵一番、貴方のお側に居させてください……」
一呼吸置いて上目遣いに伺えば、丸みの少なくなった頬をほんのりと赤くして俯いた剛が小さく頷いた。
光一は静かに立ちあがると、そっと肩に手を置いた―。
「皆さん、おつかれさまでした。乾杯!」
「カンパーイ!」
プロデューサーの声を合図に会場内のあちこちから声が上がり、グラスの触れ合う音がする。
主演ドラマの打ち上げ会場に剛はいた。
次から次へと近寄ってくる、スタッフ達に愛想よく返事を返しながら「ホンマ、長かったなぁ……」なんて思う。
いつもなら感じるちょっとした別れの寂しさも今回はない。これほどまでに最終収録が待ち遠しかった撮影は初めてだった。
大好きな犬との共演という事で、話を聞いたときは一も二もなく頷いた剛だったのだ。
脚本がつまらなかったという訳ではないし、共演者たちが嫌いだった訳でもない。スタッフも最高だったと思う。ロシナンテとの相性もバッチリで収録はかなり楽しかった。たまに「メンドイなぁ…」と感じるロケもスタジオに通うのも、今回は全然全く苦痛じゃなかったのだ。
(ならどうしてやろ?)
自問自答しても答えは出ない。けれど、撮影が終わるのを自分が心待ちにしていた事に間違いはないのだ。
(よお、わからんなぁ……)
自分で自分の気持ちがつかめないのは、これまで経験した事がなかった。だから剛は戸惑ってしまう。
「ねぇ、剛君はこのあと、どうするの?」
「えっ?」
不意に肩を叩かれて剛は我に返った。
声のする方を見れば共演者の一人、安倍なつみがクルクルとよく動く瞳で自分を見上げていた。
「どうするって、なにが?」
「うん、二次会行こうって話が出てて……」
「……特に予定はないけど?」
頭の中にスケジュールを思い描いて剛が答えると、安倍は嬉しそうな表情でこう言った。
「じゃあさ、カラオケ一緒に行こうよ」
剛は又、考える。
(カラオケかぁ……カラオケなぁ……どうしょう)
嫌いじゃないけど、はっきり言って今日はそんな気分じゃない。
「ナッチは行くのん?」
反対に聞いてみれば、コクンと安倍は頷いた。
「明日の朝早いんだけど。せっかく仲良くなったんだもん。ここで“ハイ、さようなら”じゃ勿体無いじゃない? だからちょっとだけね顔出そうかと思って……」
「それもそうやなぁ……返事、今すぐやないとダメ?」
「そんな事ないよ。お開きになったらロビーに集合ってことだから」
「そっか判った。じゃあ後でね」
剛が頷くと安倍はニッコリ笑って「来なきゃ容赦なく放ってくからね」と言い置いて、仲間のところへ戻っていった。
その後姿を見送って、チラリと腕時計に目をやった剛はこそっと会場を抜け出した。
会場を出てトイレに向かう途中の植え込みの陰で剛はお尻のポケットから携帯電話を引っ張り出す。
(確かこの時間は、空いてるはず……やったよな)
仕事中に電話を入れるのは緊急事態でない限り避けなければいけないことだ。相手だけでなく仕事に関る全ての人に迷惑をかけてしまうから。だから剛は何時になく慎重に(自分のスケジュール以上に)頭に叩き込んでいる相手のタイムテーブルを目を閉じて思い浮かべる。
何がどうしたかったという訳じゃない。カラオケに行くか行かないか――それくらいのことは自分で決められる。ただ、声が聞きたかった。ドラマが終わった事をイの一番に知らせたかった。
早く知らせたくて足早に戻った楽屋のドアを開けて剛は目を丸くした。自分の荷物が何もなかった。
荷物がなければそこに突っ込んでいた携帯電話もないわけで―――持ち主の剛より先に荷物は会場に運び込まれていたのだった。会場についてすぐパーティが始まって……現在に至るという訳なのだった。
(まだ仕事が終わってないってことやったら時間潰しにカラオケに行こう。その代わりもう直ぐ終わるって返事やったら、飯でも誘ってみようかな?)
会場から漏れてくる声はお開きが近いことを知らせるように、さっきから比べると幾分静かになったようだ。
(のんびりしてる暇ないな)
暫く携帯の画面を見つめていた剛は、コクンと唾を飲み込んで電話帳検索メニューを呼び出した。そんなまだるっこしいことをしなくても番号なんて頭の中に入っているけれど。
目的の名前を画面に呼び出してボタンを押した。弾んでしまう気持ちを押さえて携帯を耳に当てる。数回コール音が聞こえ『プツッ』と繋がる音がする。
今にも飛び出しそうな勢いで鳴りはじめた心臓を、落ちつけとばかりに服の上から押さえる。
でも聞こえてきたのは――――。
『メッセージセンターにお繋ぎします』という抑揚のない声だった。耳に馴染んだ声が聞こえるとばかり思っていた剛の心一杯に膨らんでいた風船が萎んでいく。
(カバンの中に入れとって聞こえんのかも知れへんな。もう一回、チャレンジや……)
けれど何度やり直しても同じだった。数回コールした後、メッセージセンターに繋がってしまうのだ。
「もう! 何してんねん! バイブにしてんのとちゃうやろなぁ。携帯はちゃんと音出るようにしとかんと……」
剛は物言わぬ携帯電話を見つめてため息をつく。
きっと出てくれると思っていたのだ、気がついてくれると思っていた。自分からの電話を待っていてくれると思っていたのだ。
『この音にしといたら剛からって直ぐ判るしな』
そう言って目の前で剛の大好きな笑みを浮かべて指定着信音を登録したのは“彼”なのに。
そして、
『俺のは、この音楽な。これが鳴ったら直ぐに出なアカンで、俺からやからな』
剛が頼みもしないのにさっさと電話を取上げ、オリジナルメロディを作曲してまで登録してくれたのも“彼”のほうなのだ。
(もう……出ぇへんのやったら着信音変えてる意味ないやんか)
憤懣やるかたない思いで電話を睨みつける剛に声がかかった。
「あれ、剛君?」
ビクリと身体を竦ませて剛が振り返ると―――共演者の一人で事務所の後輩・秋山 純が目を丸くして立っていた。
「ああ、秋山か……」
「どうかしたんですか……って、電話? もしかして光一君に?」
左手に握られた携帯を目ざとく見つけて秋山が聞いた。
「うん、けど……出ェへんねん、アイツ……」
小さく呟いた剛に秋山は大きな目をさらに大きく見開いた。
“目は口ほどに物を言う”とはよく言ったものだ。
秋山の目はまるで「仕事中なんじゃないですか?」と言いたげだった。
(そんなことオレにかってわかってる。そんな顔すんな! 濃い顔が益々、濃いなる!)
即座にこんなセリフが浮かんだけれど口に出すほど馬鹿じゃない。喉まででかかったセリフを飲み込んで、かなり上背のある秋山を見上げた。
(そうや、光一の代わりにつきおうてもらお)
「なにか、急ぎの用事でも?」
重ねて聞いてくる秋山に剛は無造作に携帯をお尻のポケットに押し込むと、わざとらしく手を打ち「あっ、そうや! なあ秋山はこの後、なんか用事あるん?」と聞いた。
「いいえ、別に。今日はもう帰るだけですけど……」
「そしたらカラオケ行かん?」
「カラオケ……ですか?」
唐突な誘いに瞳を見開いたまま首を傾げる秋山に、
(だぁかぁらぁ、目を剥くなって! 怖いやろ……)
そんなことを思いつつ言葉を続ける。
「うん。ナッチらに誘われてんけど。オレ一人やったらつまらんし……どうしようかなぁ…って思てるねん」
(ははぁそういう事か。なるほどね)
モゴモゴと言い訳するような口調の剛に秋山は頷いた。
(秋山。頼むわな剛の事。意外と脆いとこあるから支えたってな)
そう光一から耳打ちされたのは冬のコンサートで大阪入りした当日、振りうつしを終えて仲間と最終確認をしている最中の事だった。
聞かされた時は何のことだかさっぱり判らず、ただ頷いただけの秋山だったが、ドラマの撮影が進むにつれて光一の言いたい事が判ってきたのだった。とは言えその原因がなんなのか秋山には判らない。今だって剛が“光一が電話に出ない”ということで八つ当たり的に自分を誘っている事は判る。だから断る事は至極カンタンな事。でも断る気にはなれなかった。
「いいですよ」
あっさりと答えた秋山に剛の方が目を丸くする。
「え? ホンマに? ホントのホントにええのん?」
思わず重ねて聞き返した剛に「ええ」と秋山は頷き「帰っても寝るだけですし。それに寝るにしてもまだ時間早いですからね。付き合いますよ」と続けて笑った。
「ほんなら、行こ…かな?」
戸惑い気味に答えた剛の顔に薄い笑みが浮かぶ。
「行きましょうよ、折角のお誘いでしょ。楽しみましょうよ? 次の機会待ってたら何時になるか判らないし。僕も剛君と歌ってみたいですよ」
ね? と顔を覗き込んだ秋山に(だから、その濃い顔、近づけんとってって……)と快く誘いを受けてくれた後輩に対して又しても失礼な事を考える剛だった。
「ほら、そろそろお開きみたいですよ?」
背中を押す秋山の声に顔を上げれば、会場から宴の終了を告げる声が聞こえた。>
頷いて一歩踏み出した剛に「そうだ。光一君に用があるんだったら。メール入れといたらどうですか?」と秋山が言った。
「メール……か。そうか、その手があったな」
「そうですよ。メール送っとけば見てくれるでしょ? それで連絡くれるかもしれないし」
「そうやな……ウン。そうしよう。秋山君、エライわ。オレ、そこまで気がつかへんかった。伊達に濃い顔してへんなぁ」
思わず声に出してしまった剛に、気分を害した風もなく、「なんなんですか。それは……」と苦笑いを返し「さあ、行きましょう」と背中を押した秋山だった。
「ハァ〜疲れた……」>
自室のソファーに身体を投げ出して剛は大きく息を吐き出した。
秋山を伴って待ち合わせ場所のロビーに行くと、打ち上げに参加していた出演者の殆どが顔を揃えていた。大挙してカラオケボックスで騒いだ後、その場で解散となったのだが、『まだ飲み足りないぞ。三次会だ、三次会!』と気焔を上げる大御所・根津に『なんだなんだ、帰るのかだらしねぇなぁ。付き合えよ。行くぞホラ!』とタクシーに乗り込もうとしていた剛は捕まってしまった。先にタクシーに乗り込んでいた元・共演者達は気の毒そうな顔をしたのだが、救いの手は差し伸べてはくれなかったのだ。
結局、そのまま連れまわされる事、三軒。東の空が白々と明け始めるころ、漸く呂律が怪しくなった根津に解放されたと言う訳である。
「それにしても根津さん元気すぎ……」
根津に付き合ってかなりの量を飲んでしまったような気がする。少し頭痛がするし視点がぶれている気がする。多分、寝不足のせいだろう身体がとてつもなく重い。それなのに異様にお腹が空いていた。このままでは寝られそうにもなくて。ふらつく身体を起こしてキッチンに向かう途中で留守番電話のボタンが点滅している事に気がついた。
(………誰や?)
壁に手をついて身体を支え再生ボタンを押した。
『用件三件です』という無機質な声に続いて耳なれた声が流れてきた。
『携帯つながらへんからこっちに電話したで。メールありがとう。お疲れさまでした。けどこんな時間まで何処いってるんや? ドラマ終わったから言うて無茶したらアカンで……明日、又、電話するわ』
「大きなお世話や……無茶はしてませーん」
答えながら頬が緩むのを止められない。
光一の声を聞くだけでこんなにも元気になれる自分がいる。頭痛も何処かに吹き飛んで、霞んでいた目の前がクリアになる。
(ウッワァ〜、オレって超げんきんな奴ぅ〜)
一人で突っ込む剛を無視してテープが声を吐き出す。
『ゴメン……』と聞こえたのは光一の声だった。
「今度はなんやねん……」
クスリと笑いを洩らしながら、聞き耳を立てた剛は次の瞬間目の前が暗くなる思いがした。
光一の声はこう続いたのだった。
『一つ言い忘れた。俺なドラマ決まった。詳しい事は今度、会ったときに……』
思わずリセットボタンを押していた。
「そんな……」
壁に背中を預けたままズルズルと剛はその場にしゃがみこむ。
「そんな…やっと、オレのドラマが終わったのに……これから又、一緒にいられると思ったのに……」
呟く声が涙声になっていた。
「そや、聞き間違いやきっと。オレ、酔うてるし。もう一回聞いたら……」
のそのそと腕を伸ばし手探りで再生ボタンを押してみた。けれど、一度リセットされた声は二度と答えてはくれなかった。
単独の仕事が増え始めたのは何時の頃からだろう?
はじめはドラマも二人一緒だった。バラエティも歌番組もインタビューも……。それが光一にドラマの話がきて、次に剛に話がきて。そして全く違うバラエティ番組のレギュラーがそれぞれ決まって。一つ一つをこなす内、二人で受け持つ番組に広がりが出て来はじめたのは事実だった。
革新派の光一は単独での仕事を喜んでいたし楽しんでもいたけれど、保守的な剛は中々そう思う事は出来なかった。悩むことが多かった。
(二人で“KinKi Kids”と違うん? バラバラやったら意味ないやん)
二人の芸の巾を広げる為に必要な事だと、頭では理解していても、それぞれがいろんな分野に挑戦すれば、二人に戻った時もっと活動の範囲が広がる―――と判ってはいても。
出会ってから今までずっと一緒だった。住む場所は違っても必ず毎日、顔を合わせることが出来た。それが今は、週に何度か顔を合わせればいい方で、声を毎日聞くことすら出来ない状態だ。
最近ではインタビューも単独で受けることが多くなり……バラバラで活動を続ける二人に“解散するの?”という噂が実しやかに囁かれ始めた、その頃から剛の中の歯車が狂い始めた。
パンパン……!
乾いた音がスタジオ内に響いた。続いて「皆、ちょっとストップ!」という厳しい光一の声が響き渡った。
音楽が止まり、何事かとそこに居たメンバーの視線が光一に集中する。
春に行われる香港コンサートに照準を合わせた練習の途中、壁一杯に張られた鏡の中で光一が難しい顔で腕組みをしていた。光一の視線の先には剛がいた。鏡を通して剛を睨みつけていた。
「剛、ワンテンポずれてる。どうした? そんなに難しいステップと違うやろ?」
容赦ない叱責の言葉が剛に突き刺さる。
「ちゃんと起きてるか? 時間がないんや!」
「……判ってる。そんなうるそう言われんでも判ってる……って」
続けざまに注意されて唇をへの時に曲げてこぶしを握り締める剛に光一はそっとため息を洩らす。
「……よっしゃ。ここでちょっと休憩! 十分したら練習再開。ハイ、解散!」
バックダンサーを務めるジュニアのメンバーに声を掛け、光一は剛の腕を引っ張って廊下に出た。
自販機の前のベンチに剛を座らせて、光一は小銭を乱暴に放り込む。
手にした紙コップを差し出すと、剛は無言で受け取り、一口飲んで顔を顰めた。
「……スポーツ飲料水?」
「―――嫌いやったっけ?」
「ううん。そんなことないけど。炭酸系の方が良かったな……」
(そんなん飲むから太るんや……)
内心でそんなことを思う。
会うたびに剛の顔が丸くなっている―――そう感じていた光一だった。
元々、太りやすい体質の上に甘い物が好きな剛である。ウエイトコントロールを怠ると直ぐに丸くなってしまう。テレビカメラを通すと普通より幾分太って見えるから注意しなくてはいけないはずなのだ。ついこの間も先輩の中居に「剛、太った?」と本番で聞かれていた。その時は笑って「ええ、2・5キロ程……」と答えていた。でも、その時よりも遥に丸くなっているように光一には思える。
(どうしたんや……剛は)
表面上は何事もなく過ぎている。カメラを向けられれば笑えるし如才なく返事を返しもする。
だから周りは気付かない。
でも、何かが違う。何かがおかしいのだ。
妙に“ハイ”だったり落ち込んでみたり。躁鬱病じゃないとは思うけれど、そんな気配が剛には漂っている。
このところ、自分の仕事が忙しくて剛の事を気にかけている暇がなかった。とは言え、剛も二十歳を過ぎた大人だから自分が口を出す事でもないと放っておいた。
(それがアカンかったんか?)
甘ったるいだけのスポーツ飲料を舐めながら光一はそんなことを思う。
「……なあ、光ちゃん。ドラマ楽しい?」
不意に剛が聞いた。
「えっ……ああ、楽しいで。走り回ってばっかりでしんどいけどな」
「そうか……」
今回、光一に回ってきたのは刑事ドラマだった。それも“エリート刑事”ではなくて、『食いっぱぐれのない公務員を目指して受けてみたら通ってしまった』という今時の若者、おまけに希望したわけでもないのに偶然に偶然が重なって“生活安全課”に配属された、まさに“棚からぼた餅”状態で刑事になってしまった……と言う今までにない役所だった。
だから、面白くて夢中になってしまう。脇を固める共演者も一癖も二癖もある個性派揃い……ときたら。
光一のやる気も俄然沸いてくると言う物だ。
“主演は自分”だから埋もれる訳にはいかない。その中でより輝かなくてはドラマをやってる意味がない。
やる気が出ると全てにおいて“ハリ”が出て、プラスの方向へと向かっていく。事実、今の光一は誰の目から見ても輝いている。
それに引き替え剛の方は―――。
チラリと隣を盗み見る。
(何かあったんか? どうしたんや?)
聞いてやりたいのは山々だけど、剛が何も言わない以上自分にはしてやれる事がない。
剛から口を開かなければ意味がないのだ。
二人は仲間でありライバルであり運命共同体でもある。
辛そうな時は気になるし手助けしたいとも思う。けれど最近、放っておくのも愛情だとも思えるようにもなった。
それは多分にドラマの影響だろう。
右も左も解らない世界に放り込まれ、厳しい先輩と組まされて。失敗すれば容赦なく叱責され罵倒され。誰も助けてなんかくれない、道を示してもくれない。それでも進んでいくしかない主人公。手探り状態で体当たりしていく中で成長していく、刑事としてのプライドも生まれてくる―――所詮ドラマのストーリィだ、主人公にシンクロしているだけだと言われればそれまでだけれど。
でも、それが男だと思う。
足掻いてもがいて苦しんで……どうすべきか、その中から進むべき道を自分で見つけて初めて周りから一人前と認めてもらえるのだ。模索している時は格好悪くて当たり前なのだ。でも、それだからこそ、本当の自分を見つけたときに自信と輝きを身に着けて真にカッコいい男になれるのだと光一は考える。
(そうや。俺の手がないとやって行けんような相方やったら居らんほうがマシや)
だって剛は光一の肉親じゃないのだから。
剛には常に対等な立場で、仕事の時は特に自分を脅かす存在でいてくれなければ……と光一は思う。
それぞれがしっかりとその足で立ててこそ“KinKi Kids”に戻った時、より一層輝いていけるのだ。
(プライベートではいくら甘えてくれてもええねんけどな……)
「ヨシ! ジャスト十分。休憩終わりや。行くで剛!」
カラになった紙コップをグシャリと握りつぶして光一は立ち上がった。
コチッコチッコチッ……。
時計の秒針だけが回り続け確実に時を刻んでいく。
日々は過ぎていく。でも、剛は立ち止まったまま……。
仕事も普段どおりこなしているし、暇な時はギターを抱えて作曲なんかもしてみるけれど。気分が乗らないときに作る曲は暗くて重くて覇気のないメロディばかり。これではダメだとレポート用紙を引き寄せ、鉛筆片手に思いつく言葉を並べたてると……浮かび上がるのはなんだか妙に切ないラブソング。らしいといえばらしいけれど。
詩を考える時、思い浮かべるのは何時も光一の事。
集中している時の厳しい視線、台本を読んでいる時の真剣な表情。思いを巡らせている時の目を閉じた表情も。心の底から笑った時へにゃっと溶けてなくなる目。その時小さく寄る目尻のシワ。黙っているとカッコいいのに大口を開けてガハハと笑う顔も……全て、剛の元気の素になる。
(光一の一番のファンはオレやのになぁ。会いたいなぁ……)
口に出せない思いを詩に託して言葉に綴ってみながら、ふと思いついて鏡を覗いて、驚いた。
(なんや……この顔)
写っていたのはパンパンに膨れた真ん丸い顔。どこからどう見ても自分に間違いないけれど。
(これはアカンわ。アンパンマンやんか……こんな顔で仕事してたんかオレ…考えてたんやろ)
剛は大きく息を吐いた。
これでは光一が相手をしてくれる訳がない。こんな自分を必要としてくれるとは思えなかった。
常に対等でありたい。必要とされたい――――そう思っていたのは光一だけではなかったのだ。
どうしてこんな事になってしまったのだろう?
いくら考えても判らない。
(まだ、間に合うかな? 今からでも巻き返したら光一はオレのほうを向いてくれるやろうか?)
そう考えて剛は首を振った。
考えるだけなら誰でも出来る。行動に移さなきゃ、実行しなきゃ意味はない……。
「ヨッシャ! イッチョ、やったるで!」
剛はパンッと一つ頬を叩いた。
ガチャっと鍵の外れる音がした。続いて「剛! 剛ッ!」なんだか切羽詰ったような自分を呼ぶ声がして、ドタバタと走ってくる音が聞こえた。
(あー、光ちゃんの声やぁ……何時聞いてもカッコええなぁ……)
そんなことを考えていると突然身体がガクガクと揺すられ、剛はぼんやりと目を開けた。
途端にワイド画面で目の前一杯に広がる光一の顔。
(なんで光ちゃんが、ここにおるん?)
首を傾げると「……ああ、良かった。生きとった……」と光一は呟いた。
「えっ……ホンマに光ちゃん!」
慌てて跳ね起きた途端クラリと眩暈がした。身体がななめに傾いでいくのを荷物を放り出した光一が支えて、ソファーに引きずり上げてくれた。
「有難う……」
「アホ! いきなり飛び起きる奴があるか!」
大音量で降ってきた声に、目を丸くして剛は光一を見た。
(なんで、そんなに怒ってるん?)
訳がわからずきょとんとした自分のおでこを“ペチッ”と叩いて、光一はメッとして見せた。
さっき放り出したビニール袋からココアのパックを取り出すとストローを差し込んで無言で光一は剛に押しつけた。
反射的に受け取ると「飲め!」と顎をしゃくり、素直に口に含んだのを見届けて光一は背中を向けた。ビニール袋を片手に下げてキッチンに消えていく背中を見送りながら咥えたストローで啜ってみる。甘ったるいだけだと思っていたココアは良く冷えていて喉越しがよく、剛は一気に半分を飲み干した。
ハァ…と一息ついたところに、タイミングよく湯気の上がるお皿とスプーンが差し出される。熱くないのかなぁ、と恐る恐る口に入れるとそれは丁度いい暖かさで、二口三口続けざまに飲み込んだ。静かに胃が満たされて―――剛は初めて自分のお腹が空いていたことに気がついた。
「……おいしかった。ごちそうさま」
すっかり皿をカラにしてガラスのテーブルに置き、行儀よく両手を合わせると、見ていた光一が大きく息を吐いた。
「……もお、心配させんなよ」
「そうや。なんで光ちゃんがここにおるんよ?」
当初の疑問を口にした剛に光一があきれたように片眉を上げた。
「なんでって……お前。人の携帯鳴らしまくったクセして……」
「えっ!」
剛は慌ててポケットを探る―――けれど携帯電話なんて何処にもない。テーブルの上に目を向けた剛の顔の前にズイッと目的の物が差し出されて。リダイアルボタンを押すと―――画面に現われたのは光一の携帯番号だった。でも一つだけである。光一の言うように鳴らしまくったと言う訳ではないように思う。すると光一は剛の目の前に自分の携帯を向け、着信履歴ボタンを押していった。
次から次へと現れるのは……剛の携帯番号ばかりだった。
「あれ……ホンマやぁ」
マヌケな声を出した剛の隣に光一はドサッと腰を下ろした。
「ホンマや…とちゃうの。打ち合わせの最中やって言うのに鳴り捲るし、しかもワンコ(1回だけ鳴らして切る)の連続で。誰かのイタズラやと思て電源切ったろって見たら、お前やん? お前がそんなことする訳ないしなぁ……で、マネージャーに電話してん。したら、お前、調子悪いって言うやん。そんなこと聞いたら……居ても立っても居られんようになってな、打ち合わせ早めに切り上げてきたんや」
頭を掻きながら光一は笑った。つられて剛も少し微笑む。
微笑みながら鼻の奥がツンとして……悟られないようにこっそり鼻をすする。
「笑いごっちゃないで、ホンマに」
「……うん、ゴメン」
「怒ってんのと違うんや。何も相談してくれへんのが腹立つの。俺ってそんなに頼りない?」
聞かれて剛は首をふる。
「どう言うたらエエのか判らんかった……」
剛の答えに光一は髪の毛をかきあげ「あんな、エエ詩を書く奴のセリフとは思えんなぁ……」と呟き、「エエか?」と確認するように剛の顔を覗き込み視線を合わせてきた。
コクンと剛は頷いた。
「俺は超能力者でもスーパーマンでもない普通の男や。その前に“剛に惚れとる”と形容詞が付くけど……まあ、それは置いといて。剛が何を考えてるかとか思ってる事とかは見てるだけでは判らへんのよ。そりゃ機嫌悪いなぁぐらいは判るけどな。だから、キチンと言葉に出してくれんと判らんねん」
「……光ちゃん――」
「しんどい時にはしんどい。辛い時には辛い……会いたい時には会いたい……って言うてくれんと……」
光一の言葉に「そう言えば」と剛は思う。
光一はいつもはっきりと言葉にして伝えてくれる。
“どうしたい。こうしたい。好きや。嫌いや……”
会いたい時も―――。
うやむやに誤魔化してしまう自分とは違う。
光一のくれる言葉に安心してきた。その言葉があったから頑張ってこられた。
剛だって光一を元気づける事はある。でもそれは直接言葉にした物じゃなくて、メモだったり手紙だったりした。
それでも言葉に言葉は変わりなく充分に伝わると思っていたけれど、それ以上に音を持った言葉って大切だと改めて思った。
暖かさと音を持った、心から生まれてる言葉だからこそ伝わるのだと。光一は教えてくれている。
「ほら? どうしたんや?」
光一が剛の頭を胸に抱え込んで聞いてきた。どうしても聞きたいという雰囲気は感じられなかった。髪の毛を優しく撫でながら抱き込んだ身体を揺すってくれている。
剛は胸に頭を預けたまま、光一の柔らかい手を感じていた。何かが解けていくような気がした。
「……寂しいかったんや……と思う」
スルリと言葉が滑り出た。
「何が、寂しかった?」
「バラバラの仕事が続いて。光一の顔、見ることができなくて、声も聞けなくて……解散やなんて噂までされて。これじゃアカン、ガンバラなって思うのに、思うように身体が動かへんかった……」
それで? と促すように背中に回った腕に力が込められる。
「携帯も繋がらへんし。光一から電話もないし。たまに顔合わしても仕事ばっかりで、時間に追われてゆっくりメシも食べられへんかったし……」
それから? 今度は髪の毛にキスをされた。
「それでやっとオレのドラマが終わったと思ったら、今度は光一にドラマの仕事が入って……オレがこんなに悩んでるのに、光ちゃん楽しそうにドラマの話ばっかりするし。コンサートの練習の空き時間に話しょうと思っても、スタッフやジュニアの相手ばかりしてるし……」
次々と吐き出される言葉を光一は「ウン、ウン」とうなづきながら聞いているばかりで口を挟んでは来なかった。¥
それが剛には少し悲しかった。
「なんで? なんで聞くばっかりで何も言うてくれへんの?」
ガバッと身体を起こして光一を睨みつけた剛に向かって、「ホンマ、我がままやなぁ剛は……」と肩を竦める。
そうしてもう一度、剛の身体は光一の胸に引き寄せられた。
「もう言う事はないんか? 全部吐き出してしまい。心の中に溜め込んでるから身体が悪くなるんやで?」
余裕のある言い方が癪に障る。それなら言いたいだけ言ってやろうという気持ちになってしまう。
「オレは……オレは」と口の中で何度か呟いて、剛は顔を上げた。大きな瞳に力を込めて光一を見つめて……。
「いつもッ! どんな時でもッ! 光ちゃんと一緒に居たい。顔の見えるところで、ちょっと手を伸ばしたら触れる距離にいてたいんや!」
一息で吐き出した。
肩で息をする剛を見ている光一の瞳がフニャっと歪み、右の唇の端が少し上がって―――剛の大好きな笑みを形作る。
「それが剛のホンネ?」
笑いを含んだ声色に腹も立つけれど言ってしまった後では違うとも言えず、剛は唇をヘの字に曲げて頷いた。
光一は何度も何度も頷いた。それはそれは満足そうに。
「よ〜判った。ほんなら今度は俺のホンネを聞いてな」
言い置いて、光一は一つ深呼吸をした。
「俺も剛とおんなじや。いつも一緒に居たい」
静かな真剣な声だった。
ゴクンと唾を飲み込んだ剛に微笑んで「でもナ……」と光一は言葉を続けた。
「それにはまだまだ力が足らんと思うんや」
「力……?」
そうやと光一が相槌をうつ。
「その力を蓄えてるところや。バラバラで仕事受けるのも、一緒に仕事をするのも。なんもかんも皆その為なんや。誰にも文句を言わさへん為には必要な事なんやと俺は考えてる。二人で一人前やったらアカンねん。一人一人が一人前でないとな」
そう思ったらラクと違う? と首を傾げられて剛は心の中で光一の言葉を反芻してみる。
(一人一人が一人前でないとアカン。それが二人揃ったら二人前……ってことは)
「二人が一緒やったら倍になるって事か……」
「そうや。倍どころか三倍にも四倍にもなると思うで?」
まあ、そんなに単純な事やないし。そうそう上手く行くとも思わんけど……と光一は笑った。
「そうか…そうなんや」
なんだか上手く丸め込まれたような気もするけれど、妙に納得している自分がおかしい。
「オレ等はまだ一人前とちゃうってことか……」
「悔しいけどそういう事やね」
「ガンバラなアカンねや……」
ため息混じりに吐き出した剛の頭を光一はポンポンと叩いた。
「どうや? 浮上した?」
覗きこまれて小さく頷く剛だった。
「そっか……なら良かった。ほんなら俺、帰るわ。レトルトのメシやけど冷蔵庫に入れたあるから。キチンと食べるんやで? 次に会った時、まだ不景気そうな顔してたら、今度はホンマに放り出すからな!」
満足そうにそう言って立ち上がった光一のシャツの裾を剛は思わず掴んでいた。
「ん? まだなんかあるんか?」
見下ろして聞かれて剛は、余りのバツの悪さにパッと掴んだ手を開いた。
ううん、なんでも……と言いかけて、光一が睨んでいる事に気が付いた。
「ホラ、又! 言いたいことはちゃんと言葉にして言えってさっき言うた!」
(そうやった)
深く深呼吸して剛は口を開く。この前の打ち上げの時、秋山に向かって言った言葉を、本来言いたかった相手に向かって―――。
「なあ、光ちゃん? この後、忙しい?」
「どやったかなぁ……」と顎に手を当てて天を仰ぎ考え込む振りをしかけた光一は次の瞬間。ズイと顔を剛の前に突き出した。
「なぁンてな! 剛の具合が悪いってマネージャーに聞いたとき。ついでに打ち合わせの延期もお願いしといた」
「……ってことは、つまり?」
そうや! と光一は大きく頷いた。
「明日の朝まではオフっちゅうことやな!」
で、どうする? どうして欲しい? と光一は視線で問い掛けてくる。
「一杯話したい事もあるし、飯も食いたいし……」
はっきり聞こえない要求に光一の額に怒りの“井”マークが浮かび上がった瞬間「ああもう! じれったいなぁ。ハッキリし! 男やろ!剛!」怒鳴りつけられた。弾かれたように剛も負けないくらいの大声で「今夜一晩一緒に居って下さい!」と怒鳴り返した。
一瞬の静寂の後、二人は一斉に吹き出した。顔を見合わせて久しぶりに声を上げて笑った。
お腹を抱えて笑っていた剛の身体が不意にフワリと持ち上げられた。
「えっ? えっ……何してんの光ちゃん?」
「我がまま姫の顔色が、まだちょっと優れんように思うので、ベッドまでお運びしようかと……」
大真面目な口調で馬鹿丁寧に言ってくる光一がおかしい。お姫様扱いされ、その上、男に抱き上げられるという、結構、いやかなりみっともない状態が剛には妙に嬉しかった。
イタズラ心が顔を出し、ジタバタと暴れてみる。
「ちょっ、暴れんなや。落とすぞ!」
本当に落としかねない素振りに慌てて首にしがみ付いた。でも口調とは裏腹に、ちっともその腕は揺るがなかった。それどころか、更にきつく抱きしめられてしまった。しがみ付いた自分を恥ずかしく思う。けれどそんなことも幸せに感じてしまう。
リビングから寝室までがもっと長ければいいのにと思ってしまう。
(ずっと、こうしてて欲しいなぁ……)
なんて、欲張りな心が顔を覗かせる。
そっと丁寧にベッドに下ろされた時、離れ難くて首に腕を巻きつけたまま「なあ、光ちゃん?」と呼びかけてみた。
「ん?」
「こんな情けないオレとユニット組んだ事、後悔してへん?」
聞かれた光一の目が真ん丸くなって、次第に優しい笑みが浮かび上がる。
「変なこと聞くんやなぁ……」
「変……かなぁ?」
「うん。変や!」
キッパリと言い切られて剛はほんの少しムッとした。でも、それはホンの一瞬の事。続いた光一の言葉に唇の両端が持ち上がる。
「俺ね、姉ちゃんズに感謝したい。ジャニーズに履歴書送ってくれて有難うって。縁結びの女神様やと思うわ」
「たまたま、二人ともがミーハーやっただけと違うん?」
「それを言ったらたらおしまいや。もっと自由な発想せんとあかんと思うで。お前、頭硬すぎ」
「光ちゃんが柔らかすぎんの」
ポソッと呟くとギロリと睨まれた。小さく肩を竦ませた剛はそれ以上口を挟まず大人しく光一の言葉に耳を傾けた。
「これはな一年早くても遅くてもアカンかったと思うねん。同時やったから、ユニット組めたんやと思う。だって考えてもみいや。全然別の場所に住んでて接点なんてない俺等の履歴書が同時…とはちょっと違うかもしれんけど、まあ、ほぼ同時に届いてんで? おまけに縁もゆかりも無いはずやのに同じ苗字で。これはもう、出会うべくして出会ったとしか思われへんやろ? ジャニーさんやのうてもユニット組まそうと思うな。俺やったらそうしてる」
「只のウケねらいやんかそんなん。偶然が重なっただけとしかオレには思われへんのやけど……」
「ウケ狙いでもなんでもええのんよ。それにな偶然が二つ重なったら、それはもう必然ってことなんや!」
「光ちゃんって……」
「なんやねん」
「意外と乙女チックな奴ゥ〜」
腕は解かずに顔を背けて剛はクックッと笑う。
「なんや知らんかったんか? お前、俺と何年付き合ってるんや。そんな冷たい奴とは思わんかった」
忍び笑いを続ける剛の腕を自分の首から引き剥がし、光一は身体を起こした。
「光ちゃん?」
行き場を無くした手を所在無く見つめながら剛が首を傾げると、光一は意地悪な笑みを浮かべていた。
「俺…帰る!」
クルッと背中を向けられて焦ったのは剛のほう。冗談なのだろうとは思っても、もし本当に怒らせたのなら謝らなければいけない。折角、作った二人だけの時間をこんな詰まらないことで終わりにはしたくない。
飛び起きて光一の腰にすがりつく。
「ゴメン。帰らんとって……俺が悪かったって。信じるから……ホントはオレもそう思ってた」
光一は何も答えてくれない。でも、剛も諦めはしない。
「思ったことは口に出せって言うたのに、一緒に居ってくれるって言うたやん。光ちゃんのウソツキィ……」
悪いと思っているのか、それとも自分を非難しているのか、判断しかねる剛の声は湿り気を含んでいて、光一は内心でため息をつく。
(ホンマ、ズルイよなぁ剛は。泣き落としなんて卑怯やん。けどなぁ俺そんな所に惚れてるんやもんなぁ……)<BR>
恋愛はより多く惚れている方が負けだといったのは誰だったのか……。
(仕方ないなぁ、惚れた弱みやモンな……俺の負けです)
自分の中であっさりと負けを見とめて、腰に回された手を取って光一は身体ごと振りかえり恭しくひざまづき「仰せのままに……お姫様」言って手の甲にキスをした。
「もしもお許し頂けるのなら、今宵一番、貴方のお側に居させてください……」
一呼吸置いて上目遣いに伺えば、丸みの少なくなった頬をほんのりと赤くして俯いた剛が小さく頷いた。
光一は静かに立ちあがると、そっと肩に手を置いた―。
「皆さん、おつかれさまでした。乾杯!」
「カンパーイ!」
プロデューサーの声を合図に会場内のあちこちから声が上がり、グラスの触れ合う音がする。
主演ドラマの打ち上げ会場に剛はいた。
次から次へと近寄ってくる、スタッフ達に愛想よく返事を返しながら「ホンマ、長かったなぁ……」なんて思う。
いつもなら感じるちょっとした別れの寂しさも今回はない。これほどまでに最終収録が待ち遠しかった撮影は初めてだった。
大好きな犬との共演という事で、話を聞いたときは一も二もなく頷いた剛だったのだ。
脚本がつまらなかったという訳ではないし、共演者たちが嫌いだった訳でもない。スタッフも最高だったと思う。ロシナンテとの相性もバッチリで収録はかなり楽しかった。たまに「メンドイなぁ…」と感じるロケもスタジオに通うのも、今回は全然全く苦痛じゃなかったのだ。
(ならどうしてやろ?)
自問自答しても答えは出ない。けれど、撮影が終わるのを自分が心待ちにしていた事に間違いはないのだ。
(よお、わからんなぁ……)
自分で自分の気持ちがつかめないのは、これまで経験した事がなかった。だから剛は戸惑ってしまう。
「ねぇ、剛君はこのあと、どうするの?」
「えっ?」
不意に肩を叩かれて剛は我に返った。
声のする方を見れば共演者の一人、安倍なつみがクルクルとよく動く瞳で自分を見上げていた。
「どうするって、なにが?」
「うん、二次会行こうって話が出てて……」
「……特に予定はないけど?」
頭の中にスケジュールを思い描いて剛が答えると、安倍は嬉しそうな表情でこう言った。
「じゃあさ、カラオケ一緒に行こうよ」
剛は又、考える。
(カラオケかぁ……カラオケなぁ……どうしょう)
嫌いじゃないけど、はっきり言って今日はそんな気分じゃない。
「ナッチは行くのん?」
反対に聞いてみれば、コクンと安倍は頷いた。
「明日の朝早いんだけど。せっかく仲良くなったんだもん。ここで“ハイ、さようなら”じゃ勿体無いじゃない? だからちょっとだけね顔出そうかと思って……」
「それもそうやなぁ……返事、今すぐやないとダメ?」
「そんな事ないよ。お開きになったらロビーに集合ってことだから」
「そっか判った。じゃあ後でね」
剛が頷くと安倍はニッコリ笑って「来なきゃ容赦なく放ってくからね」と言い置いて、仲間のところへ戻っていった。
その後姿を見送って、チラリと腕時計に目をやった剛はこそっと会場を抜け出した。
会場を出てトイレに向かう途中の植え込みの陰で剛はお尻のポケットから携帯電話を引っ張り出す。
(確かこの時間は、空いてるはず……やったよな)
仕事中に電話を入れるのは緊急事態でない限り避けなければいけないことだ。相手だけでなく仕事に関る全ての人に迷惑をかけてしまうから。だから剛は何時になく慎重に(自分のスケジュール以上に)頭に叩き込んでいる相手のタイムテーブルを目を閉じて思い浮かべる。
何がどうしたかったという訳じゃない。カラオケに行くか行かないか――それくらいのことは自分で決められる。ただ、声が聞きたかった。ドラマが終わった事をイの一番に知らせたかった。
早く知らせたくて足早に戻った楽屋のドアを開けて剛は目を丸くした。自分の荷物が何もなかった。
荷物がなければそこに突っ込んでいた携帯電話もないわけで―――持ち主の剛より先に荷物は会場に運び込まれていたのだった。会場についてすぐパーティが始まって……現在に至るという訳なのだった。
(まだ仕事が終わってないってことやったら時間潰しにカラオケに行こう。その代わりもう直ぐ終わるって返事やったら、飯でも誘ってみようかな?)
会場から漏れてくる声はお開きが近いことを知らせるように、さっきから比べると幾分静かになったようだ。
(のんびりしてる暇ないな)
暫く携帯の画面を見つめていた剛は、コクンと唾を飲み込んで電話帳検索メニューを呼び出した。そんなまだるっこしいことをしなくても番号なんて頭の中に入っているけれど。
目的の名前を画面に呼び出してボタンを押した。弾んでしまう気持ちを押さえて携帯を耳に当てる。数回コール音が聞こえ『プツッ』と繋がる音がする。
今にも飛び出しそうな勢いで鳴りはじめた心臓を、落ちつけとばかりに服の上から押さえる。
でも聞こえてきたのは――――。
『メッセージセンターにお繋ぎします』という抑揚のない声だった。耳に馴染んだ声が聞こえるとばかり思っていた剛の心一杯に膨らんでいた風船が萎んでいく。
(カバンの中に入れとって聞こえんのかも知れへんな。もう一回、チャレンジや……)
けれど何度やり直しても同じだった。数回コールした後、メッセージセンターに繋がってしまうのだ。
「もう! 何してんねん! バイブにしてんのとちゃうやろなぁ。携帯はちゃんと音出るようにしとかんと……」
剛は物言わぬ携帯電話を見つめてため息をつく。
きっと出てくれると思っていたのだ、気がついてくれると思っていた。自分からの電話を待っていてくれると思っていたのだ。
『この音にしといたら剛からって直ぐ判るしな』
そう言って目の前で剛の大好きな笑みを浮かべて指定着信音を登録したのは“彼”なのに。
そして、
『俺のは、この音楽な。これが鳴ったら直ぐに出なアカンで、俺からやからな』
剛が頼みもしないのにさっさと電話を取上げ、オリジナルメロディを作曲してまで登録してくれたのも“彼”のほうなのだ。
(もう……出ぇへんのやったら着信音変えてる意味ないやんか)
憤懣やるかたない思いで電話を睨みつける剛に声がかかった。
「あれ、剛君?」
ビクリと身体を竦ませて剛が振り返ると―――共演者の一人で事務所の後輩・秋山 純が目を丸くして立っていた。
「ああ、秋山か……」
「どうかしたんですか……って、電話? もしかして光一君に?」
左手に握られた携帯を目ざとく見つけて秋山が聞いた。
「うん、けど……出ェへんねん、アイツ……」
小さく呟いた剛に秋山は大きな目をさらに大きく見開いた。
“目は口ほどに物を言う”とはよく言ったものだ。
秋山の目はまるで「仕事中なんじゃないですか?」と言いたげだった。
(そんなことオレにかってわかってる。そんな顔すんな! 濃い顔が益々、濃いなる!)
即座にこんなセリフが浮かんだけれど口に出すほど馬鹿じゃない。喉まででかかったセリフを飲み込んで、かなり上背のある秋山を見上げた。
(そうや、光一の代わりにつきおうてもらお)
「なにか、急ぎの用事でも?」
重ねて聞いてくる秋山に剛は無造作に携帯をお尻のポケットに押し込むと、わざとらしく手を打ち「あっ、そうや! なあ秋山はこの後、なんか用事あるん?」と聞いた。
「いいえ、別に。今日はもう帰るだけですけど……」
「そしたらカラオケ行かん?」
「カラオケ……ですか?」
唐突な誘いに瞳を見開いたまま首を傾げる秋山に、
(だぁかぁらぁ、目を剥くなって! 怖いやろ……)
そんなことを思いつつ言葉を続ける。
「うん。ナッチらに誘われてんけど。オレ一人やったらつまらんし……どうしようかなぁ…って思てるねん」
(ははぁそういう事か。なるほどね)
モゴモゴと言い訳するような口調の剛に秋山は頷いた。
(秋山。頼むわな剛の事。意外と脆いとこあるから支えたってな)
そう光一から耳打ちされたのは冬のコンサートで大阪入りした当日、振りうつしを終えて仲間と最終確認をしている最中の事だった。
聞かされた時は何のことだかさっぱり判らず、ただ頷いただけの秋山だったが、ドラマの撮影が進むにつれて光一の言いたい事が判ってきたのだった。とは言えその原因がなんなのか秋山には判らない。今だって剛が“光一が電話に出ない”ということで八つ当たり的に自分を誘っている事は判る。だから断る事は至極カンタンな事。でも断る気にはなれなかった。
「いいですよ」
あっさりと答えた秋山に剛の方が目を丸くする。
「え? ホンマに? ホントのホントにええのん?」
思わず重ねて聞き返した剛に「ええ」と秋山は頷き「帰っても寝るだけですし。それに寝るにしてもまだ時間早いですからね。付き合いますよ」と続けて笑った。
「ほんなら、行こ…かな?」
戸惑い気味に答えた剛の顔に薄い笑みが浮かぶ。
「行きましょうよ、折角のお誘いでしょ。楽しみましょうよ? 次の機会待ってたら何時になるか判らないし。僕も剛君と歌ってみたいですよ」
ね? と顔を覗き込んだ秋山に(だから、その濃い顔、近づけんとってって……)と快く誘いを受けてくれた後輩に対して又しても失礼な事を考える剛だった。
「ほら、そろそろお開きみたいですよ?」
背中を押す秋山の声に顔を上げれば、会場から宴の終了を告げる声が聞こえた。>
頷いて一歩踏み出した剛に「そうだ。光一君に用があるんだったら。メール入れといたらどうですか?」と秋山が言った。
「メール……か。そうか、その手があったな」
「そうですよ。メール送っとけば見てくれるでしょ? それで連絡くれるかもしれないし」
「そうやな……ウン。そうしよう。秋山君、エライわ。オレ、そこまで気がつかへんかった。伊達に濃い顔してへんなぁ」
思わず声に出してしまった剛に、気分を害した風もなく、「なんなんですか。それは……」と苦笑いを返し「さあ、行きましょう」と背中を押した秋山だった。
「ハァ〜疲れた……」>
自室のソファーに身体を投げ出して剛は大きく息を吐き出した。
秋山を伴って待ち合わせ場所のロビーに行くと、打ち上げに参加していた出演者の殆どが顔を揃えていた。大挙してカラオケボックスで騒いだ後、その場で解散となったのだが、『まだ飲み足りないぞ。三次会だ、三次会!』と気焔を上げる大御所・根津に『なんだなんだ、帰るのかだらしねぇなぁ。付き合えよ。行くぞホラ!』とタクシーに乗り込もうとしていた剛は捕まってしまった。先にタクシーに乗り込んでいた元・共演者達は気の毒そうな顔をしたのだが、救いの手は差し伸べてはくれなかったのだ。
結局、そのまま連れまわされる事、三軒。東の空が白々と明け始めるころ、漸く呂律が怪しくなった根津に解放されたと言う訳である。
「それにしても根津さん元気すぎ……」
根津に付き合ってかなりの量を飲んでしまったような気がする。少し頭痛がするし視点がぶれている気がする。多分、寝不足のせいだろう身体がとてつもなく重い。それなのに異様にお腹が空いていた。このままでは寝られそうにもなくて。ふらつく身体を起こしてキッチンに向かう途中で留守番電話のボタンが点滅している事に気がついた。
(………誰や?)
壁に手をついて身体を支え再生ボタンを押した。
『用件三件です』という無機質な声に続いて耳なれた声が流れてきた。
『携帯つながらへんからこっちに電話したで。メールありがとう。お疲れさまでした。けどこんな時間まで何処いってるんや? ドラマ終わったから言うて無茶したらアカンで……明日、又、電話するわ』
「大きなお世話や……無茶はしてませーん」
答えながら頬が緩むのを止められない。
光一の声を聞くだけでこんなにも元気になれる自分がいる。頭痛も何処かに吹き飛んで、霞んでいた目の前がクリアになる。
(ウッワァ〜、オレって超げんきんな奴ぅ〜)
一人で突っ込む剛を無視してテープが声を吐き出す。
『ゴメン……』と聞こえたのは光一の声だった。
「今度はなんやねん……」
クスリと笑いを洩らしながら、聞き耳を立てた剛は次の瞬間目の前が暗くなる思いがした。
光一の声はこう続いたのだった。
『一つ言い忘れた。俺なドラマ決まった。詳しい事は今度、会ったときに……』
思わずリセットボタンを押していた。
「そんな……」
壁に背中を預けたままズルズルと剛はその場にしゃがみこむ。
「そんな…やっと、オレのドラマが終わったのに……これから又、一緒にいられると思ったのに……」
呟く声が涙声になっていた。
「そや、聞き間違いやきっと。オレ、酔うてるし。もう一回聞いたら……」
のそのそと腕を伸ばし手探りで再生ボタンを押してみた。けれど、一度リセットされた声は二度と答えてはくれなかった。
単独の仕事が増え始めたのは何時の頃からだろう?
はじめはドラマも二人一緒だった。バラエティも歌番組もインタビューも……。それが光一にドラマの話がきて、次に剛に話がきて。そして全く違うバラエティ番組のレギュラーがそれぞれ決まって。一つ一つをこなす内、二人で受け持つ番組に広がりが出て来はじめたのは事実だった。
革新派の光一は単独での仕事を喜んでいたし楽しんでもいたけれど、保守的な剛は中々そう思う事は出来なかった。悩むことが多かった。
(二人で“KinKi Kids”と違うん? バラバラやったら意味ないやん)
二人の芸の巾を広げる為に必要な事だと、頭では理解していても、それぞれがいろんな分野に挑戦すれば、二人に戻った時もっと活動の範囲が広がる―――と判ってはいても。
出会ってから今までずっと一緒だった。住む場所は違っても必ず毎日、顔を合わせることが出来た。それが今は、週に何度か顔を合わせればいい方で、声を毎日聞くことすら出来ない状態だ。
最近ではインタビューも単独で受けることが多くなり……バラバラで活動を続ける二人に“解散するの?”という噂が実しやかに囁かれ始めた、その頃から剛の中の歯車が狂い始めた。
パンパン……!
乾いた音がスタジオ内に響いた。続いて「皆、ちょっとストップ!」という厳しい光一の声が響き渡った。
音楽が止まり、何事かとそこに居たメンバーの視線が光一に集中する。
春に行われる香港コンサートに照準を合わせた練習の途中、壁一杯に張られた鏡の中で光一が難しい顔で腕組みをしていた。光一の視線の先には剛がいた。鏡を通して剛を睨みつけていた。
「剛、ワンテンポずれてる。どうした? そんなに難しいステップと違うやろ?」
容赦ない叱責の言葉が剛に突き刺さる。
「ちゃんと起きてるか? 時間がないんや!」
「……判ってる。そんなうるそう言われんでも判ってる……って」
続けざまに注意されて唇をへの時に曲げてこぶしを握り締める剛に光一はそっとため息を洩らす。
「……よっしゃ。ここでちょっと休憩! 十分したら練習再開。ハイ、解散!」
バックダンサーを務めるジュニアのメンバーに声を掛け、光一は剛の腕を引っ張って廊下に出た。
自販機の前のベンチに剛を座らせて、光一は小銭を乱暴に放り込む。
手にした紙コップを差し出すと、剛は無言で受け取り、一口飲んで顔を顰めた。
「……スポーツ飲料水?」
「―――嫌いやったっけ?」
「ううん。そんなことないけど。炭酸系の方が良かったな……」
(そんなん飲むから太るんや……)
内心でそんなことを思う。
会うたびに剛の顔が丸くなっている―――そう感じていた光一だった。
元々、太りやすい体質の上に甘い物が好きな剛である。ウエイトコントロールを怠ると直ぐに丸くなってしまう。テレビカメラを通すと普通より幾分太って見えるから注意しなくてはいけないはずなのだ。ついこの間も先輩の中居に「剛、太った?」と本番で聞かれていた。その時は笑って「ええ、2・5キロ程……」と答えていた。でも、その時よりも遥に丸くなっているように光一には思える。
(どうしたんや……剛は)
表面上は何事もなく過ぎている。カメラを向けられれば笑えるし如才なく返事を返しもする。
だから周りは気付かない。
でも、何かが違う。何かがおかしいのだ。
妙に“ハイ”だったり落ち込んでみたり。躁鬱病じゃないとは思うけれど、そんな気配が剛には漂っている。
このところ、自分の仕事が忙しくて剛の事を気にかけている暇がなかった。とは言え、剛も二十歳を過ぎた大人だから自分が口を出す事でもないと放っておいた。
(それがアカンかったんか?)
甘ったるいだけのスポーツ飲料を舐めながら光一はそんなことを思う。
「……なあ、光ちゃん。ドラマ楽しい?」
不意に剛が聞いた。
「えっ……ああ、楽しいで。走り回ってばっかりでしんどいけどな」
「そうか……」
今回、光一に回ってきたのは刑事ドラマだった。それも“エリート刑事”ではなくて、『食いっぱぐれのない公務員を目指して受けてみたら通ってしまった』という今時の若者、おまけに希望したわけでもないのに偶然に偶然が重なって“生活安全課”に配属された、まさに“棚からぼた餅”状態で刑事になってしまった……と言う今までにない役所だった。
だから、面白くて夢中になってしまう。脇を固める共演者も一癖も二癖もある個性派揃い……ときたら。
光一のやる気も俄然沸いてくると言う物だ。
“主演は自分”だから埋もれる訳にはいかない。その中でより輝かなくてはドラマをやってる意味がない。
やる気が出ると全てにおいて“ハリ”が出て、プラスの方向へと向かっていく。事実、今の光一は誰の目から見ても輝いている。
それに引き替え剛の方は―――。
チラリと隣を盗み見る。
(何かあったんか? どうしたんや?)
聞いてやりたいのは山々だけど、剛が何も言わない以上自分にはしてやれる事がない。
剛から口を開かなければ意味がないのだ。
二人は仲間でありライバルであり運命共同体でもある。
辛そうな時は気になるし手助けしたいとも思う。けれど最近、放っておくのも愛情だとも思えるようにもなった。
それは多分にドラマの影響だろう。
右も左も解らない世界に放り込まれ、厳しい先輩と組まされて。失敗すれば容赦なく叱責され罵倒され。誰も助けてなんかくれない、道を示してもくれない。それでも進んでいくしかない主人公。手探り状態で体当たりしていく中で成長していく、刑事としてのプライドも生まれてくる―――所詮ドラマのストーリィだ、主人公にシンクロしているだけだと言われればそれまでだけれど。
でも、それが男だと思う。
足掻いてもがいて苦しんで……どうすべきか、その中から進むべき道を自分で見つけて初めて周りから一人前と認めてもらえるのだ。模索している時は格好悪くて当たり前なのだ。でも、それだからこそ、本当の自分を見つけたときに自信と輝きを身に着けて真にカッコいい男になれるのだと光一は考える。
(そうや。俺の手がないとやって行けんような相方やったら居らんほうがマシや)
だって剛は光一の肉親じゃないのだから。
剛には常に対等な立場で、仕事の時は特に自分を脅かす存在でいてくれなければ……と光一は思う。
それぞれがしっかりとその足で立ててこそ“KinKi Kids”に戻った時、より一層輝いていけるのだ。
(プライベートではいくら甘えてくれてもええねんけどな……)
「ヨシ! ジャスト十分。休憩終わりや。行くで剛!」
カラになった紙コップをグシャリと握りつぶして光一は立ち上がった。
コチッコチッコチッ……。
時計の秒針だけが回り続け確実に時を刻んでいく。
日々は過ぎていく。でも、剛は立ち止まったまま……。
仕事も普段どおりこなしているし、暇な時はギターを抱えて作曲なんかもしてみるけれど。気分が乗らないときに作る曲は暗くて重くて覇気のないメロディばかり。これではダメだとレポート用紙を引き寄せ、鉛筆片手に思いつく言葉を並べたてると……浮かび上がるのはなんだか妙に切ないラブソング。らしいといえばらしいけれど。
詩を考える時、思い浮かべるのは何時も光一の事。
集中している時の厳しい視線、台本を読んでいる時の真剣な表情。思いを巡らせている時の目を閉じた表情も。心の底から笑った時へにゃっと溶けてなくなる目。その時小さく寄る目尻のシワ。黙っているとカッコいいのに大口を開けてガハハと笑う顔も……全て、剛の元気の素になる。
(光一の一番のファンはオレやのになぁ。会いたいなぁ……)
口に出せない思いを詩に託して言葉に綴ってみながら、ふと思いついて鏡を覗いて、驚いた。
(なんや……この顔)
写っていたのはパンパンに膨れた真ん丸い顔。どこからどう見ても自分に間違いないけれど。
(これはアカンわ。アンパンマンやんか……こんな顔で仕事してたんかオレ…考えてたんやろ)
剛は大きく息を吐いた。
これでは光一が相手をしてくれる訳がない。こんな自分を必要としてくれるとは思えなかった。
常に対等でありたい。必要とされたい――――そう思っていたのは光一だけではなかったのだ。
どうしてこんな事になってしまったのだろう?
いくら考えても判らない。
(まだ、間に合うかな? 今からでも巻き返したら光一はオレのほうを向いてくれるやろうか?)
そう考えて剛は首を振った。
考えるだけなら誰でも出来る。行動に移さなきゃ、実行しなきゃ意味はない……。
「ヨッシャ! イッチョ、やったるで!」
剛はパンッと一つ頬を叩いた。
ガチャっと鍵の外れる音がした。続いて「剛! 剛ッ!」なんだか切羽詰ったような自分を呼ぶ声がして、ドタバタと走ってくる音が聞こえた。
(あー、光ちゃんの声やぁ……何時聞いてもカッコええなぁ……)
そんなことを考えていると突然身体がガクガクと揺すられ、剛はぼんやりと目を開けた。
途端にワイド画面で目の前一杯に広がる光一の顔。
(なんで光ちゃんが、ここにおるん?)
首を傾げると「……ああ、良かった。生きとった……」と光一は呟いた。
「えっ……ホンマに光ちゃん!」
慌てて跳ね起きた途端クラリと眩暈がした。身体がななめに傾いでいくのを荷物を放り出した光一が支えて、ソファーに引きずり上げてくれた。
「有難う……」
「アホ! いきなり飛び起きる奴があるか!」
大音量で降ってきた声に、目を丸くして剛は光一を見た。
(なんで、そんなに怒ってるん?)
訳がわからずきょとんとした自分のおでこを“ペチッ”と叩いて、光一はメッとして見せた。
さっき放り出したビニール袋からココアのパックを取り出すとストローを差し込んで無言で光一は剛に押しつけた。
反射的に受け取ると「飲め!」と顎をしゃくり、素直に口に含んだのを見届けて光一は背中を向けた。ビニール袋を片手に下げてキッチンに消えていく背中を見送りながら咥えたストローで啜ってみる。甘ったるいだけだと思っていたココアは良く冷えていて喉越しがよく、剛は一気に半分を飲み干した。
ハァ…と一息ついたところに、タイミングよく湯気の上がるお皿とスプーンが差し出される。熱くないのかなぁ、と恐る恐る口に入れるとそれは丁度いい暖かさで、二口三口続けざまに飲み込んだ。静かに胃が満たされて―――剛は初めて自分のお腹が空いていたことに気がついた。
「……おいしかった。ごちそうさま」
すっかり皿をカラにしてガラスのテーブルに置き、行儀よく両手を合わせると、見ていた光一が大きく息を吐いた。
「……もお、心配させんなよ」
「そうや。なんで光ちゃんがここにおるんよ?」
当初の疑問を口にした剛に光一があきれたように片眉を上げた。
「なんでって……お前。人の携帯鳴らしまくったクセして……」
「えっ!」
剛は慌ててポケットを探る―――けれど携帯電話なんて何処にもない。テーブルの上に目を向けた剛の顔の前にズイッと目的の物が差し出されて。リダイアルボタンを押すと―――画面に現われたのは光一の携帯番号だった。でも一つだけである。光一の言うように鳴らしまくったと言う訳ではないように思う。すると光一は剛の目の前に自分の携帯を向け、着信履歴ボタンを押していった。
次から次へと現れるのは……剛の携帯番号ばかりだった。
「あれ……ホンマやぁ」
マヌケな声を出した剛の隣に光一はドサッと腰を下ろした。
「ホンマや…とちゃうの。打ち合わせの最中やって言うのに鳴り捲るし、しかもワンコ(1回だけ鳴らして切る)の連続で。誰かのイタズラやと思て電源切ったろって見たら、お前やん? お前がそんなことする訳ないしなぁ……で、マネージャーに電話してん。したら、お前、調子悪いって言うやん。そんなこと聞いたら……居ても立っても居られんようになってな、打ち合わせ早めに切り上げてきたんや」
頭を掻きながら光一は笑った。つられて剛も少し微笑む。
微笑みながら鼻の奥がツンとして……悟られないようにこっそり鼻をすする。
「笑いごっちゃないで、ホンマに」
「……うん、ゴメン」
「怒ってんのと違うんや。何も相談してくれへんのが腹立つの。俺ってそんなに頼りない?」
聞かれて剛は首をふる。
「どう言うたらエエのか判らんかった……」
剛の答えに光一は髪の毛をかきあげ「あんな、エエ詩を書く奴のセリフとは思えんなぁ……」と呟き、「エエか?」と確認するように剛の顔を覗き込み視線を合わせてきた。
コクンと剛は頷いた。
「俺は超能力者でもスーパーマンでもない普通の男や。その前に“剛に惚れとる”と形容詞が付くけど……まあ、それは置いといて。剛が何を考えてるかとか思ってる事とかは見てるだけでは判らへんのよ。そりゃ機嫌悪いなぁぐらいは判るけどな。だから、キチンと言葉に出してくれんと判らんねん」
「……光ちゃん――」
「しんどい時にはしんどい。辛い時には辛い……会いたい時には会いたい……って言うてくれんと……」
光一の言葉に「そう言えば」と剛は思う。
光一はいつもはっきりと言葉にして伝えてくれる。
“どうしたい。こうしたい。好きや。嫌いや……”
会いたい時も―――。
うやむやに誤魔化してしまう自分とは違う。
光一のくれる言葉に安心してきた。その言葉があったから頑張ってこられた。
剛だって光一を元気づける事はある。でもそれは直接言葉にした物じゃなくて、メモだったり手紙だったりした。
それでも言葉に言葉は変わりなく充分に伝わると思っていたけれど、それ以上に音を持った言葉って大切だと改めて思った。
暖かさと音を持った、心から生まれてる言葉だからこそ伝わるのだと。光一は教えてくれている。
「ほら? どうしたんや?」
光一が剛の頭を胸に抱え込んで聞いてきた。どうしても聞きたいという雰囲気は感じられなかった。髪の毛を優しく撫でながら抱き込んだ身体を揺すってくれている。
剛は胸に頭を預けたまま、光一の柔らかい手を感じていた。何かが解けていくような気がした。
「……寂しいかったんや……と思う」
スルリと言葉が滑り出た。
「何が、寂しかった?」
「バラバラの仕事が続いて。光一の顔、見ることができなくて、声も聞けなくて……解散やなんて噂までされて。これじゃアカン、ガンバラなって思うのに、思うように身体が動かへんかった……」
それで? と促すように背中に回った腕に力が込められる。
「携帯も繋がらへんし。光一から電話もないし。たまに顔合わしても仕事ばっかりで、時間に追われてゆっくりメシも食べられへんかったし……」
それから? 今度は髪の毛にキスをされた。
「それでやっとオレのドラマが終わったと思ったら、今度は光一にドラマの仕事が入って……オレがこんなに悩んでるのに、光ちゃん楽しそうにドラマの話ばっかりするし。コンサートの練習の空き時間に話しょうと思っても、スタッフやジュニアの相手ばかりしてるし……」
次々と吐き出される言葉を光一は「ウン、ウン」とうなづきながら聞いているばかりで口を挟んでは来なかった。¥
それが剛には少し悲しかった。
「なんで? なんで聞くばっかりで何も言うてくれへんの?」
ガバッと身体を起こして光一を睨みつけた剛に向かって、「ホンマ、我がままやなぁ剛は……」と肩を竦める。
そうしてもう一度、剛の身体は光一の胸に引き寄せられた。
「もう言う事はないんか? 全部吐き出してしまい。心の中に溜め込んでるから身体が悪くなるんやで?」
余裕のある言い方が癪に障る。それなら言いたいだけ言ってやろうという気持ちになってしまう。
「オレは……オレは」と口の中で何度か呟いて、剛は顔を上げた。大きな瞳に力を込めて光一を見つめて……。
「いつもッ! どんな時でもッ! 光ちゃんと一緒に居たい。顔の見えるところで、ちょっと手を伸ばしたら触れる距離にいてたいんや!」
一息で吐き出した。
肩で息をする剛を見ている光一の瞳がフニャっと歪み、右の唇の端が少し上がって―――剛の大好きな笑みを形作る。
「それが剛のホンネ?」
笑いを含んだ声色に腹も立つけれど言ってしまった後では違うとも言えず、剛は唇をヘの字に曲げて頷いた。
光一は何度も何度も頷いた。それはそれは満足そうに。
「よ〜判った。ほんなら今度は俺のホンネを聞いてな」
言い置いて、光一は一つ深呼吸をした。
「俺も剛とおんなじや。いつも一緒に居たい」
静かな真剣な声だった。
ゴクンと唾を飲み込んだ剛に微笑んで「でもナ……」と光一は言葉を続けた。
「それにはまだまだ力が足らんと思うんや」
「力……?」
そうやと光一が相槌をうつ。
「その力を蓄えてるところや。バラバラで仕事受けるのも、一緒に仕事をするのも。なんもかんも皆その為なんや。誰にも文句を言わさへん為には必要な事なんやと俺は考えてる。二人で一人前やったらアカンねん。一人一人が一人前でないとな」
そう思ったらラクと違う? と首を傾げられて剛は心の中で光一の言葉を反芻してみる。
(一人一人が一人前でないとアカン。それが二人揃ったら二人前……ってことは)
「二人が一緒やったら倍になるって事か……」
「そうや。倍どころか三倍にも四倍にもなると思うで?」
まあ、そんなに単純な事やないし。そうそう上手く行くとも思わんけど……と光一は笑った。
「そうか…そうなんや」
なんだか上手く丸め込まれたような気もするけれど、妙に納得している自分がおかしい。
「オレ等はまだ一人前とちゃうってことか……」
「悔しいけどそういう事やね」
「ガンバラなアカンねや……」
ため息混じりに吐き出した剛の頭を光一はポンポンと叩いた。
「どうや? 浮上した?」
覗きこまれて小さく頷く剛だった。
「そっか……なら良かった。ほんなら俺、帰るわ。レトルトのメシやけど冷蔵庫に入れたあるから。キチンと食べるんやで? 次に会った時、まだ不景気そうな顔してたら、今度はホンマに放り出すからな!」
満足そうにそう言って立ち上がった光一のシャツの裾を剛は思わず掴んでいた。
「ん? まだなんかあるんか?」
見下ろして聞かれて剛は、余りのバツの悪さにパッと掴んだ手を開いた。
ううん、なんでも……と言いかけて、光一が睨んでいる事に気が付いた。
「ホラ、又! 言いたいことはちゃんと言葉にして言えってさっき言うた!」
(そうやった)
深く深呼吸して剛は口を開く。この前の打ち上げの時、秋山に向かって言った言葉を、本来言いたかった相手に向かって―――。
「なあ、光ちゃん? この後、忙しい?」
「どやったかなぁ……」と顎に手を当てて天を仰ぎ考え込む振りをしかけた光一は次の瞬間。ズイと顔を剛の前に突き出した。
「なぁンてな! 剛の具合が悪いってマネージャーに聞いたとき。ついでに打ち合わせの延期もお願いしといた」
「……ってことは、つまり?」
そうや! と光一は大きく頷いた。
「明日の朝まではオフっちゅうことやな!」
で、どうする? どうして欲しい? と光一は視線で問い掛けてくる。
「一杯話したい事もあるし、飯も食いたいし……」
はっきり聞こえない要求に光一の額に怒りの“井”マークが浮かび上がった瞬間「ああもう! じれったいなぁ。ハッキリし! 男やろ!剛!」怒鳴りつけられた。弾かれたように剛も負けないくらいの大声で「今夜一晩一緒に居って下さい!」と怒鳴り返した。
一瞬の静寂の後、二人は一斉に吹き出した。顔を見合わせて久しぶりに声を上げて笑った。
お腹を抱えて笑っていた剛の身体が不意にフワリと持ち上げられた。
「えっ? えっ……何してんの光ちゃん?」
「我がまま姫の顔色が、まだちょっと優れんように思うので、ベッドまでお運びしようかと……」
大真面目な口調で馬鹿丁寧に言ってくる光一がおかしい。お姫様扱いされ、その上、男に抱き上げられるという、結構、いやかなりみっともない状態が剛には妙に嬉しかった。
イタズラ心が顔を出し、ジタバタと暴れてみる。
「ちょっ、暴れんなや。落とすぞ!」
本当に落としかねない素振りに慌てて首にしがみ付いた。でも口調とは裏腹に、ちっともその腕は揺るがなかった。それどころか、更にきつく抱きしめられてしまった。しがみ付いた自分を恥ずかしく思う。けれどそんなことも幸せに感じてしまう。
リビングから寝室までがもっと長ければいいのにと思ってしまう。
(ずっと、こうしてて欲しいなぁ……)
なんて、欲張りな心が顔を覗かせる。
そっと丁寧にベッドに下ろされた時、離れ難くて首に腕を巻きつけたまま「なあ、光ちゃん?」と呼びかけてみた。
「ん?」
「こんな情けないオレとユニット組んだ事、後悔してへん?」
聞かれた光一の目が真ん丸くなって、次第に優しい笑みが浮かび上がる。
「変なこと聞くんやなぁ……」
「変……かなぁ?」
「うん。変や!」
キッパリと言い切られて剛はほんの少しムッとした。でも、それはホンの一瞬の事。続いた光一の言葉に唇の両端が持ち上がる。
「俺ね、姉ちゃんズに感謝したい。ジャニーズに履歴書送ってくれて有難うって。縁結びの女神様やと思うわ」
「たまたま、二人ともがミーハーやっただけと違うん?」
「それを言ったらたらおしまいや。もっと自由な発想せんとあかんと思うで。お前、頭硬すぎ」
「光ちゃんが柔らかすぎんの」
ポソッと呟くとギロリと睨まれた。小さく肩を竦ませた剛はそれ以上口を挟まず大人しく光一の言葉に耳を傾けた。
「これはな一年早くても遅くてもアカンかったと思うねん。同時やったから、ユニット組めたんやと思う。だって考えてもみいや。全然別の場所に住んでて接点なんてない俺等の履歴書が同時…とはちょっと違うかもしれんけど、まあ、ほぼ同時に届いてんで? おまけに縁もゆかりも無いはずやのに同じ苗字で。これはもう、出会うべくして出会ったとしか思われへんやろ? ジャニーさんやのうてもユニット組まそうと思うな。俺やったらそうしてる」
「只のウケねらいやんかそんなん。偶然が重なっただけとしかオレには思われへんのやけど……」
「ウケ狙いでもなんでもええのんよ。それにな偶然が二つ重なったら、それはもう必然ってことなんや!」
「光ちゃんって……」
「なんやねん」
「意外と乙女チックな奴ゥ〜」
腕は解かずに顔を背けて剛はクックッと笑う。
「なんや知らんかったんか? お前、俺と何年付き合ってるんや。そんな冷たい奴とは思わんかった」
忍び笑いを続ける剛の腕を自分の首から引き剥がし、光一は身体を起こした。
「光ちゃん?」
行き場を無くした手を所在無く見つめながら剛が首を傾げると、光一は意地悪な笑みを浮かべていた。
「俺…帰る!」
クルッと背中を向けられて焦ったのは剛のほう。冗談なのだろうとは思っても、もし本当に怒らせたのなら謝らなければいけない。折角、作った二人だけの時間をこんな詰まらないことで終わりにはしたくない。
飛び起きて光一の腰にすがりつく。
「ゴメン。帰らんとって……俺が悪かったって。信じるから……ホントはオレもそう思ってた」
光一は何も答えてくれない。でも、剛も諦めはしない。
「思ったことは口に出せって言うたのに、一緒に居ってくれるって言うたやん。光ちゃんのウソツキィ……」
悪いと思っているのか、それとも自分を非難しているのか、判断しかねる剛の声は湿り気を含んでいて、光一は内心でため息をつく。
(ホンマ、ズルイよなぁ剛は。泣き落としなんて卑怯やん。けどなぁ俺そんな所に惚れてるんやもんなぁ……)<BR>
恋愛はより多く惚れている方が負けだといったのは誰だったのか……。
(仕方ないなぁ、惚れた弱みやモンな……俺の負けです)
自分の中であっさりと負けを見とめて、腰に回された手を取って光一は身体ごと振りかえり恭しくひざまづき「仰せのままに……お姫様」言って手の甲にキスをした。
「もしもお許し頂けるのなら、今宵一番、貴方のお側に居させてください……」
一呼吸置いて上目遣いに伺えば、丸みの少なくなった頬をほんのりと赤くして俯いた剛が小さく頷いた。
光一は静かに立ちあがると、そっと肩に手を置いた―。