Accident in an
offday
act.1
寝返りを打った拍子にまぶしい光を瞼に感じて一条 薫は目を開けた。微かに開いたカーテンの隙間からフローリングの床に細く光が伸びている。
「……えっ!」
慌てて飛び起き掴み取った枕元の目覚し時計の針は『10時』少し前を指していた。
(どうして? 今日に限ってなんで目覚ましが鳴らないんだ? キチンとセットした―――よな?)
確認するように時計を裏返す―――アラームボタンが“OFF”になっている。
(――入れ忘れたのか。それとも無意識に止めてしまった……か?)
いや、そんなハズはない、と一条は首を振った。
普段は目覚ましが鳴るより早く目が醒めるのだ。そういう風に身体が出来ている。特に今は未確認生命体の事が頭から離れず浅い眠りが続いているせいかもしれないけれど。
寝るヒマも落ち着くヒマもない激務が続いているからと言って音を上げるほどお粗末な体力はしていないつもりだし、疲れを溜めこんでいるという自覚もなかった。
(それとも、自分でも気付かないうちに疲れが溜まっていたのか……?)
考えを巡らせながらベッドを抜け出し台所へ向かいコーヒーメーカーをセットして洗面所で歯磨きをして顔を洗う……一連の出勤準備の手順を辿りながら、ふと思い出した。
今日が“非番”だった事を――――。
ここ2、3日、未確認生命体の活動は沈静化していた。
普段なら慌しく誰か彼かが出入りをし、席を暖めている人間などいないという対策本部に昨日はメンバー全員が集合しているという実に珍しい状況が出来上がっていた。
各自それなりに仕事はしていたのだが、どことなくのんびりムードが漂っていたのだろう、不意に松倉本部長が言い出したのだ。
「こういう状況が何時まで続くかわからない。楽観視はできないが、いい機会だ。交替で休みを取ろうじゃないか」と。
奴らは神出鬼没である。こちらの予定などお構いなしに昼夜を問わず、場所を選ばず出現してくれる。対策本部に配属されて以来まともな休みを取ることができていないメンバー達は、この提案に両手を挙げて賛成したのだった。
本来の順番から言えば、本部長か年長の杉田が最初だろうと一条は思っていた。又、彼自身休むつもりなど毛頭無かったし。が、蓋を開けてみれば「お前が一番働き者だからな」と杉田の鶴の一声で一番最初に休みを取ることになってしまっていた。
反論を試みたが誰も聞いてはくれなかったのだ。
何かあれば直ぐに連絡をくれるよう言い置いて、一条は対策本部を後にしたのだった。
顔だけ洗って台所に戻り、タイミングよく落ち切ったコーヒーを入れて新聞を広げる。
無意識に『未確認生命体』の文字を探している自分をおかしく思いながらも丹念に新聞をめくる。だが紙面上どのページにもその文字は見当たらず、一条は改めて安堵の息を吐き丁寧に新聞を折りたたむと、暖かそうに湯気をあげるカップを取上げた。
(コレで安心して休めるな……さて何をしようか?)
忙しい時はあれもしたい、これもしたい……と、やりたいと思うことは山ほどあったはずなのに。いざとなると何をしたらいいのか判らない。
(こんな時、アイツなら悩まないんだろうな……)
アイツ―――未確認生命体第4号。クウガとなって一条らと行動を共にしてくれている五代雄介を思い浮かべた。
世界中を旅して歩くのが趣味で“2000”もの特技を持つと言う五代なら、こんな時、悩んだりはしないだろう。直ぐにやりたいことを見つけて行動に移すのだろう。
そんな五代とプライベートでも深く付き合っている自分の事を“仕事人間”だと思っていなかった一条だった。
(五代は俺と一緒にいて、一体なにが楽しいんだろう?)
ふとそんな考えが頭を過ぎり、自分が恐ろしくつまらない人間に思えてしまった。一度考え出すと思考は悪い方へ向かおうとする。それを止める為に勢いをつけて一条は立ち上がった。
非番だからとジッとしているからいけないのだ。普段どおり身体を動かせばそんな馬鹿げた事を考えなくてもすむだろう。
「うん。天気もいい事だし、掃除と……溜まってる洗濯でもするかな」
一人ごちてカーテンを思いっきり開け放った―――のだが。
長野県警から“未確認生命体合同捜査本部”へ異動になった一条が住んでいるのは警視庁が用意してくれた単身赴任者用のワンルームマンションである。機能性を重視する一条の性格を表してインテリアは至ってシンプル、しかも一条にはこの場所が生活の場であるという認識はなく、ただ単に身体を休める、束の間の休息をとる為の場所―――宿直室に毛の生えたモノぐらいにしか思っていない。それに“寝に帰る”ということも一週間のうち二日あればいいほうだ。だから汚れるはずがない。故に部屋中、隅から隅まで舐めるように掃除機をかけてもそれほど時間はかからない。洗濯だってスーツやカッターなどのワードローブは全てクリーニングに出してしまうから洗う物と言えば靴下や下着ぐらいだ。おまけに食事は全て外食で賄っているから台所の片付けも、掃除や洗濯と似たようなもので―――ほんの一時間足らずで全て片付いてしまった。
時計は11時を回ったばかり―――。
ベランダで風に吹かれながら、何をするでもなく空を見上げると浮かんできたのは又しても五代雄介の顔だった。
青空から五代の顔を思い浮かべた――までは良かったのだが、その後がいけなかった。五代の顔が浮かんだ途端、腹の虫が鳴き出したのだ。それに触発されるように浮かんできたのが、五代の下宿先である“ポレポレ”だったのである。
「そう言えば、何も食ってなかったな―――飯でも食いに行くか……」
こんな時間にポレポレを訪れたら五代はどんな顔をするだろう。そして自分がこんな風に考えたなどと話したらどういう風に返すだろう?
「なんですかその連想は……」と呆れるだろうか?
それとも「腹が空かないとオレのこと思い出しもしないなんてヒドイですよぉ、一条さん」と拗ねるだろうか?
いや、それより、「オレの顔ってそんなにオイシソウですか?」と笑ってくれるかもしれない―――。
五代を思い描くだけで心が弾む。
五代が忙しくて相手にしてもらえなかったら? という不安が無いわけではない。けれどその時はその時だ。今日の自分にはたっぷりと時間があるのだから。例え話が出来なくても、ゆっくり五代の姿を眺めていられると言うのは自分にとってこの上もなく楽しい時間には違いないだろう。
一条は部屋にとって返すとイソイソを着替えて部屋を出た。
刑事を天職だと考えている一条は事件を呼び寄せてしまうらしい―――。
ポレポレに向かう途中で一条は偶然、挙動不審の男を見つけてしまった。非番なのだから黙って通り過ぎればいいものをそうできないのが一条と言う男で……と言うより、骨の髄まで染み込んだ彼の刑事魂が黙ってはいなかったのだ。
(しまった!)と思った時には遅かった。
自分の意志に関係なく身体は犯人に向かって走り出していた。
「……だからと言って、何で俺……じゃなくて、ここにくる必要があるんだ?」
珍しく時間通りに昼食を終えて部屋に戻ってきた椿 秀一は、無人だった部屋に佇む一条の姿を見つけて驚いた。
(今日は何もなかったはずだがな……)
ここ一週間の検死予定を思い浮かべながら、一通り事情を説明させての第一声がこれだった。
「救急外来か、じゃなきゃ整形外科に行くのが普通ってもんだろう……時間外とは言え、お前なら顔パスでいけると思うが?」
「いや…そうも思ったんだが……それでは、向こうに迷惑がかかるし……」
一条の一言に椿は眉を顰める。
(そりゃ一体どういう意味だよ。俺には迷惑をかけてもいいって事なのか?)
文句を吐き出そうとした椿の顔つきがそれまでと一転して、厳しい物に変わる。話をしている間ずっと立ちっぱなしだった一条が、右肩を押さえて診察用の椅子に座り込んだからだった。心なしか顔色が悪くなっているようにも見えた。
「……ヒドク痛むのか?」
「ああ……」
力なく答えて痛みの元に目をやった一条に椿は秀麗な眉を潜めて近づいた。
容赦ない力で背後から抱き込んだ腕を振りほどこうとする男に引きずられバランスを崩した一条は、受身を取る間もなく路上に転がった。その時、路肩にでも打ち付けたのだろう右肩に激痛が走った。無意識に犯人を庇ってしまったらしい。これまでの経験から骨折ではないだろうとは思ったが、素人判断で明日からの仕事に支障を来たしてはと、これから過ごすはずだった楽しい時間に未練を残しつつ行き先を
“関東医大病院”に変更したのだった。
「ウッ……!」
遠慮なく肩を掴まれうめき声と共に恨めしげな目を向けた一条に「脱げ!」と椿は冷たく言い放った。
「……な、なに……」
いきなり何を言い出すんだ? と言わんばかりに目を見開き自分を見上げた一条に椿が小さくため息を吐いた。
「何を考えている。服を脱がなきゃ診察できんだろうが。いくら俺が優秀な医者でも、洋服の上からじゃ診察は出来ないんだぞ」
だから患部を見せてみろ……と言いたかったようだ。
(他にも言い方があるだろうに。紛らわしい言い方をして……)
意味を妙な風に取り違えたのは自分であると言う事を完璧に棚上げし、胸の内で毒づきながらも一条は、大人しく椿の言葉に従った。
剥き出しになった一条の右腕は肩から上腕部に掛けて見事に腫れ上がり、赤紫色に変色しかけていた。
死体の検死が専門で誰もが目を覆いたくなるような無残な死体にも顔をそむけることなく、いっそ嬉々として病理解剖してしまう椿も言葉を無くした。
「―――こりゃ見た目よりも酷そうだな……」と呟くと椿は受話器を取り上げ、レントゲン撮影の予約を入れる。
手馴れた様子で指示書を書き終えた椿は椅子ごと振り返り、上着を肩から羽織って所在なげに足元を見つめている一条を睨みつける。
「俺の愛してやまない骨を傷つけるとは……無茶をするやつだな。許せんぞ!」
「骨を……やってるか?」
「ああ、骨折まではいかないとは思うがな。ヒビ位は入ってるかも知れん」
「脅すなよ……」
「脅しかどうかは撮ってみんと判らんな」
診断の結果、椿の見立通り一条の右腕にはそれほど深くはないが、かなりの範囲で亀裂が走っている事が判った。
「ギブスで固定するのがベストだ」と言う椿の言葉を一条は「そんな格好の悪い事できるか!」と一蹴した。
そんな仰々しい格好をすれば、周りに気を遣わせ仕事に差し支えると言うのだ。
「無茶して長引いても知らんぞ」と脅しても「なら、百歩譲ってテーピングで固定だ」と譲歩策を提案しても一条は首を縦に振らない。
一条の言うことは親友としては良く解るし、その心がけは実に彼らしくて立派だとも思う。けれど今、一条と対峙している椿は親友ではなく医者なのである。立場上、一条に同意してやる事は出来ないのだ。しかし、幸いな事に二人の付き合いは高校時代からと長い。だからと言う訳ではないが、これまで似たような場面には何度も遭遇している。『自分のことよりまず仕事』な一条にどう言えば一番効果的なのかも良く心得ているのである。
形の良い長い指を組んで椿は一条を見据え大きく首を上下させた。
「……判った。そこまで言うなら仕方ない。お前の好きにすればいい。但し、今後一切、俺はお前には関らないからな!」
突き放すようなセリフを必要以上に丁寧に嫌味なくらいゆっくりと吐き出しクルリと椅子ごと背中を向ける―――全身で拒絶の態度を示してやると案の定、一条は声色を変え「テーピングなら……」と頷いたのだった。
(最初から素直に頷けばいいものを……強情なのかなんなのか……ま、そこもコイツの魅力の一つなんだがな。ホント飽きない奴だぜ)
胸の中でそう思うが、そんなことはおくびにも出さす鷹揚に頷いて椿は素早く包帯を巻いていく。
「頼りにしてくれるのはあり難いんだがな。俺だってそうそうヒマな訳じゃない。それに、何度も言うが俺の専門は法医学だ」
そこんところを忘れてくれるなよ。と、椿は念を押す。
一条が聞いていようがいまいがそんなこと椿には関係ない。一条が異動になった時から恒例行事になってしまった事に対する、言ってみれば社交辞令のようなものだ。一応は一条も謝りはするのだが、その舌の根も乾かぬうちに問題を持ち込むのが常だった。文句の一つも言いはするが、頼られれば椿も無碍に断る事は出来ず、予定を何とかやりくりして一条の望みを叶えてやるのだ。
本人に言えば顔真っ赤にして否定するだろうけれど「何とかしてやりたいな」と思わせる雰囲気を一条は持っているのだ。
(……俺もコイツには甘いよなぁ………ん?)
当の一条は椿の目の前で服を着るのに四苦八苦している。それを見ていた椿の頭の中に妙案が浮かんだ。
(仕返しって訳じゃないが……うん、中々いい思いつきだよな)
椿は頬に人の悪い微笑を浮かべ満足そうに頷き、漸く服を着終えた一条に声を掛けた。
「まあ、済んだ事をとやかく言っても仕方ないが……」
思わせぶりに言葉を切って椿は一条を見つめる。「何だ?」と言いたそうな視線を向ける一条に「聞くも聞かないもお前の自由だが……コレだけは忠告しておく」と前置きして白衣のポケットからタバコを取り出し火を点けた。「早く言え」と視線で促す一条の目の前で殊更ゆっくり煙を吐きだし、口を開く。
「完治するまでに少なくとも一週間はかかるから。それまで絶対、無理はするな」
「一週間! そんなに……」
絶句した一条に「そうだ」と頷き、タバコを灰皿に押し付けるとピシッと人差し指を突きつけ、
「なんども言うように無理をすれば長引く。お前の嫌う“周囲に迷惑を掛ける”結果になるんだぞ。いいな? くれぐれも無茶はするなよ!」
命令口調で言い切った。
「俺だって子どもじゃない。そんなにしつこく言われなくても判っている!」
プッと頬を膨らませドアに向かった背中に「そう願いたいもんだ」と嘯き「おっと、そうだ……」と思い出したようにポンッと手を打った椿は受話器を取り上げ外線ボタンを押した。
「もしもし。ああ俺…椿だ。久しぶりだな。元気にしてるか?」
ノブに手を掛けて動きを止めた一条を視線の端に止めながら椿は相手に向かって話し掛ける。
「どうだ? その後、変わりはないか?」
「おい……椿?」
「ああ、そうか。それなら安心だな……」
自分の存在をすっかり無視し電話の相手ににこやかに返事を返している椿に一条がピタリと動きを止めた。
勘のいい一条のことだ間もなく相手が誰かを察するだろう。そうすれば阻止しようと戻ってくるに違いない。すでに靴先がこっちの方へ向いている。ドアから電話までの距離などたかが知れたものだ。手早く話を進めなければいけない。椿はひとつ深呼吸をした。
「ああ、別に大した事じゃないんだが……ちょっと君に頼みがあってな……実はな」
相手を誰だか判断した一条の動きは怪我をしていると言うのに素早かった。
「椿、止せ!」
予想以上の速さで受話器を奪おうと伸びてきた腕をクルリと背中を向けることで阻止し椿は早口で言葉を吐き出した。
「一条が腕を怪我してな。不自由そうなんだ。そこで完治するまでの間、面倒を頼めないかと思ってなぁ……」
「椿! 余計なお世話……」
「ほっとくとどんな無茶をするか解らんからなぁ……ああ、そうだ。君もそう思うだろう……」
「椿ッ。いい加減にしろ! こっちへ貸せ!」
『あっ、一条さん! そこに居るんですね?』
すったもんだの末に受話器を取り上げた一条の耳に聞きなれた声が流れ込んできた。
『腕怪我したって椿先生言ってますけど大丈夫ですか?』
いつも明るく元気な声に心配そうな気配が滲む。
「ああ、大した事はないんだ。椿が大袈裟に……」
「ウソだぞ、五代。かーなーりの重傷だ。利き腕の右肩を固定してあるから動かす事が出来ないんだ……」
送話口を塞ぐ間も有らばこそ椿が大声で叫ぶ。
「椿!」
振り返り柳眉を逆立てて睨み付けた一条に椿は舌を出す。
『ええっ! そりゃ大変じゃないですか。一条さん今、関東医大にいるんですよね、そこから動かないで下さいよ。オレ、直ぐに行きますから、いいですね!』
「いや…五代……」
一条が止めるより早く「おやっさん、オレちょっと出かけてきます」と言う五代の声が小さく聞こえ、そして電話は切れた。
ツーツーツー……無機質な音だけが一条の耳に響く。
「……椿ィ」
受話器を置き、恨めしげな目を向けた一条に椿は小さく肩を竦めて見せた。
「素直に思っている事を口に出せない天邪鬼なお前に代わって、考えていることを代弁してやったまでの事だ。なぁに、礼には及ばんぞ」
「なっ!」
一条が顔を真っ赤にした、その時―――。
“法医学教室の椿先生。椿先生。至急、救急外来までお越しください”
と言う声が頭上のスピーカーから流れてきた。
「おっと呼び出しだ……人気者は辛いな……」
ふざけた口調で呟く椿の顔は、すでに優秀な医者のそれで。一条が一瞬気を抜いたその隙に、
「じゃ、そういう事で。後はよろしくしてもらえ!」
くれぐれも無茶はするなよ〜と、歌うように言いながら白衣の裾を翻し椿は部屋を出て行ってしまった。
静かにドアが閉まった途端、脱力した一条はこめかみを押さえ机に凭れかかった。<
付き合いの長さはだてじゃない。椿は本当に自分のことを良く理解していると思う。こっちの都合で検死を突っ込んだ時も文句を言いつつ優先してくれる。五代との関係を打ち明けた時も嫌悪する素振りも見せず受け入れてくれた。
素直に思いを口に出来ない自分の気持ちを推し量ってくれるのもあり難いと思う。思うがしかし。今日の事は“小さな親切 大きなお世話”以外の何ものでもない。一条だって子どもではないのだ。自分の面倒くらい自分で見ることができるし、最近はキチンと言いたい事も口にできるようになってきているのだから。
それが判らない椿でもあるまいに。
(アイツ……アイツ、絶対、面白がってる!)
身体を起こし、拳を握りしめ「死んでも礼など言う物か!」と小さく吐き捨てて足音も荒く一条も部屋を後にした。
「もう、本当に一条さんってば無茶するんだから。オレ聞いたとき寿命が五年ほど縮んだんですからね」
文句を言いつつ五代は狭い室内を歩き回る。
部屋に入った瞬間から、何をそんなにやる事があるのかと一条が首を傾げるほど、五代はこま鼠のように動き回っていた。
一条が待合室に現われるタイミングを見計らったように姿を見せた五代は、無言で一条の肩を抱くと待たせていたタクシーに押し込んだ。タクシーの中でも行き先を告げただけで終始黙ったままだった。奥になる右側を庇うように腕を回し、膝の上に揃えられた一条の両手にしっかりと左手を重ねて。真剣な眼差しで瞬きもせずに前方だけを睨みつけていた。それはまるで未確認生命体を前にした時のように……。
プライベートでこんな表情を見たことがなく、口数の少ない五代と言うのも初めてで、マンションにつくまで一条は落ち着くことが出来なかった。
その理由が判ったのは自室に入って直ぐだった。
玄関のドアを後ろ手に閉めた五代は、心底ホッとしたようにドアに凭れかかると盛大に息を吐いたのだ。
「どうした?」と聞いた一条に、五代は今日はじめて見せる全開の笑顔で「何事もなくて良かったです」と答えた。「どういう意味だ?」と重ねて問えば「だってこんな時に未確認でも出てこられたら大変じゃないですか。 オレ、アイツ等の相手するだけで精一杯だから一条さんの事庇いきれませんもん」と笑う。
「自分の身ぐらい自分で守れる」と返そうとした一条の気配を察したのだろう五代が両手を目の前にかざして「解ってます」と頷いた。
「勿論、一条さんは自分で自分の事守れるとは思ってますよ。でもね、オレを頼って任せてくれた椿先生に申し訳がないじゃないですか。無責任なことするな! って叱られるのオレ嫌ですからね。だから必死だったんです“未確認出てくるな……”って心の中で唱えてましたよオレは!」
言いながら五代は一条の手を取り奥の部屋へと連れて行った。繋がれた左手の温もりにタクシーの中で肩を抱く彼の腕を重ね、図らずも椿の大きなお世話に感謝などしてしまう一条だった。
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