つま先立ちの王子様
Part 1
堤防沿いの道を俺は時々振り返っては誰も追いかけてきていないことを確かめながら必死に走った。
目的の場所が近づいて背の高い草の間から、大好きなヒヨコ色が見え始めたところで止まって大きく息を吸い込んだ。ひざに手をついてちょっとだけ背中を丸めたら、お腹の辺がズキンと痛くて、慌ててTシャツをめくってみると赤くなって、ほんの少し腫れていたいた。
あいつ等が最後に入れてくれたケリのせいだ。
けど我慢できない痛さじゃない。コレくらいのことで泣いたら母ちゃんに笑われる。
それは絶対に嫌だ。それに俺はアイツの王子様だから、泣いたりなんかしちゃいけない。
手のひらでゆっくりとなでていると痛さはすぐに無くなった。それから自分の身体をじっくりと観察する。
(ウン。見えるところに怪我はしてないな……)
俺は一人うなづくと、堤防に尻を勢いをつけて滑り降りた。
これをやると『ズボンが傷むだろ!』って母ちゃんに叱られるけど、あんまり待たせるとアイツが心配するから、ついついやってしまう。だって歩いて下りるより早いし、面白いし、何より愉しいし。
ズザザザー。
俺がたてた派手な音に、大きく伸びたセイタカアワダチソウの間に見え隠れしていたヒヨコ色の髪の毛がびっくりしたように動いた。
クスリと笑って背高ノッポの草を掻き分けると、小さな拳を胸のところで握って怯えたような瞳がこっちを伺っていた。
「レイ! 待たせてゴメンな」
明るく言って笑ってやると、玲はホッとしたような表情を浮かべて、それからぶつかるように俺の胸の中に飛び込んできた。いきなりだったから受け止められなくて俺は玲を抱えたまま草の上に転がってしまう。振動で腹にまた痛みが走った。さっき自分で触ったのとは比べ物にならないくらいの痛さだった。でも顔を顰めるなんてできない。だって俺の顔を覗き込んだ玲が『どうだったの? ダイジョウブだった?』ってスゴク心配そうな眼をしてたから。
それに俺がちょっとでも痛そうなそぶりを見せたら玲が責任を感じて泣くから。そんなの玲のせいじゃないのにさ。そりゃ俺が喧嘩するのは玲のためだけど、玲を泣かしたいからじゃない。
玲には笑ってて欲しいからだ。
泣いた顔も可愛いけど玲に一番似合うのは笑った顔だから。
本当にカワイイ顔で笑うんだぜ?
だから玲をいじめるヤツは許せない。
玲ん家の叔母さんが日本人じゃないのがどうしていけないんだ?
瞳の色が自分たちと違うのがそんなにダメなことなのか?
日本語が上手くしゃべれないといけないのか(俺日本人だけど日本語下手だぞ)?
でも玲は当たり前かもしれないけど英語は上手だ。英会話教室通ってる奴等よりもずっと綺麗にしゃべるんだぞ―――って、それが癪に障るのかもしれないけど。でもだからっていじめていいってことにはならないと思う。
まあなそんな奴等にとっておきの玲の笑顔なんて見せてやるつもりなんてないけどな。
玲の笑顔は俺だけのもんだ。
根性で痛みをこらえて俺は「おう。アイツ等泣きながら逃げていったぜ」って笑う。
でも、これはウソだ。なんたって今日の相手は三つも年上の三年生だったから。身体の大きさも力も違うから、いくら喧嘩の強い俺だってやり込められるわけがない。
会った瞬間『負けそうだな』って思ったから、先に玲だけを逃がして自分がやられるところを見られないようにして、頃合を見て逃げ出したって言うのが正直なところだったりするんだけど。
俺の笑みを見てやっと玲がほっとしたように上からどいて真正面にペタリと座り込んだ。ふと見ると右の ホッペタがうっすらと赤くなっている。
「玲……ゴメンナ」
「どうして? どうしてナルトが謝るの?」
「だってここ……叩かれたんだろ?」
「こんなのヘーキだよ、ユダンしたんだねボク。それにナルト、ボクを逃がしてくれたじゃない? だからコレくらいですんだんだよ。それよりホントにダイジョウブ? 痛いところはナァイ?」
ホッペタに当てた手を取って玲がにっこりと笑う。
最高の笑顔で俺のこと気遣ってくれる。
その顔見てるだけで痛いのなんてどっかへ行っちゃうぜって感じだよ。
この特権は誰にも渡せない。
でもそれも今日までだけど。
玲は明日朝一番の飛行機で叔母さんの故郷へ帰ることになっていた。
理由は、なんだったかな?
聞いたんだけどなぁ……えっと、あっ、そうだ、おばあちゃんの具合が悪いから―――とかなんとか言ってたっけ。
アメリカへ帰るって聞いて一番ショックを受けたのは俺だった。
母ちゃんと叔母ちゃんは産院からの付き合いで、俺が、母ちゃんの顔の次に覚えたのが父ちゃんじゃなくて玲だった。
玲以外に友達がいないわけじゃないけど、玲の隣にいるのは“俺だ!”って、玲を守ってやれるのは“俺だけだ!”とか思ってたんだ。
「明日、アメリカへ帰るって言うのに最後の最後で、お前の顔に傷つけちゃったな。母ちゃんに怒られるぜ俺」
真剣な顔で言ったら「なにソレ?」と笑われた。
「だって……」
「ソレおかしいよナルト。だってボク男の子だよ。キズは男のクンショウなんでしょ? そうナルトいっつもイッテルじゃない?」
それはそうなんだけど。
俺みたいな悪ガキ顔だったら少しぐらい傷がついてもいいと思うし、逆に“ハク”がつくってもんだけどさ。
でも玲は違う。
玲は叔母さんに似て色白で大きくってきれいな青い目が印象的な可愛い顔をしてるんだ。幼稚園の中でも一番可愛いっていう真愛ちゃんよりも可愛いんだ。
俺だって気に入ってるし大好きなんだ。
「なあ、玲?」
「ナァニ?」
「アメリカ行っても俺のこと忘れんなよ」
「そんなコトあるわけないでしょ?」
「ホントだな? 手紙くれよ。俺も書くし」
「ウン」
「それに……」
「それに?」
「何かあったら俺を呼べよ? どこにいてもどんなことがあっても飛んでいくからな。玲を守れるのは俺だけなんだからな! 玲の王子様は何処へ行っても俺だけだからな!」
必死に言う俺に向かって玲はこっくりと頷いた。
「じゃあ約束ネ」
俺の言葉に玲は小指を差し出した。俺は「違う」と首を振る。簡単な約束なら指きりげんまんでいいんだけど。今度いつ会えるか判らないから、もっとしっかりしたものじゃないとダメだと思った。
だから―――。
玲の肩に両手を乗せて、これ以上はできないと思うくらいの真剣な眼をして俺は玲を見つめる。
「キスしよ?」
「……キス? パパとママがやってるアレ?」
そうだと俺は頷いた。
ウチの父ちゃんと母ちゃんはそんなことしないから良く解らないけど、テレビでやってたから。
「俺は玲のことが好きだ。玲は? 玲は俺のことスキか?」
コクリとヒヨコ色の頭が上下した。
「俺は……大きくなったら玲のことお嫁さんにしたい」
「ボクがナルトのオヨメサンになるの?」
「イヤか?」と聞くともう一度、今度は大きくヒヨコ色が横に動いた。
「だから約束のキス。玲は俺のもので玲は俺のものだって約束の。いい?……」
また一つ、フワフワと髪の毛が揺れて玲はゆっくりと瞳を閉じた。
俺も玲の真似をして目を瞑って唇を押し付けた。
生まれてはじめての体験はなんだかよく判らなかった。でも……柔らかかった。んで、なんとなく気恥ずかしかった。どうしていいかわからなくてガシガシと頭をかいてると玲がポケットに手を突っ込んで何かを取り出した。
「……――?」
「コレね。さっきミツケたの。ナルトを待ってるときに河原でね。キレイでしょ?」
大事そうに両手の平に乗せられていたのはビー玉だった。
玲の瞳と同じ透明な青い色したのと深緑の少し欠けた奴。
「ホラ、コレなんてナルトの目とソックリでしょ?」
小首をかしげて玲が緑の玉を手のひらで転がした。
(俺と同じコト考えてるな……そうだ!)
「玲、コレ俺が持って帰ってもいいか?」
「イイけど……どうしたの? ホシかったらアゲルよ」
あり難い申し出には首を振って俺は二つのビー玉をポケットの中に押し込んだ。
「……クッソ〜、なんだかなぁ……」
ボソッと呟いて俺は青臭い草の上に大の字に寝転がった。
河原を渡る風はねっとりと身体に絡み付いて、じっとしていても汗が滲んでくるというのに、空はすっかり秋の空だ。
「天高く、成人すねる秋……」
風に乗って届いた聞き捨てならない言葉にグルリと首をめぐらせると、チョイと離れた場所でクソまじめに柔軟をこなしていた椎名がペロッと舌を出して肩を竦めるのが見えた。
「……んだよ。言いたい事があるんならハッキリ言えよッ!」
睨みつけたまま怒鳴ってやったら、
「なぁにをイラついてんだか。そんなの何時もの事だろ? 今更気にしたってしょうがないじゃん」とのんびりとした口調で返された。
まあ、そんなことは椎名に言われるまでもないけどさ。やけに解ったような言い方に腹が立ったんで、
「んなこと! お前に言われなくても解ってる!」
もう一度、怒鳴ってから嫌味なくらい高く澄んだ空を睨み付けた。
そもそもの始まりは放課後の保健室。
二学期早々行われた遠征試合のおかげで身体測定を受け損なった俺――津久見 成人(つくみ なるひと)――を含む海星高校バスケ部の面々はこの一週間、保健室から呼び出しをもらっていた。先輩たちは素直に従ったらしいが、俺たち一年は貴重な休み時間をつぶすのが嫌で無視しまくってた。そしたら今日ついに強制呼び出しを食らってしまったのだ。
『本日、放課後までに来室しなければ部活を停止していただきます』
なんてワープロ打ちの文書つきで。
この通達はオドシなんかじゃない。あのババァならやりかねない。だってウチの保健室のババァ、もとい養護教諭は俺の母ちゃんだったりするから。母親の性格なんざ15年も付き合ってりゃ百も承知。だから無視する事はできなかった。
で、仕方なく俺は仲間引き連れて身体測定を受けに行ったと言う訳なんだ。
「ウッソだろ〜。マジかぁ?」
渡された用紙を俺は穴があくほどシゲシゲと凝視めた。
どれほど凝視めてみてもコンピューターが打ち出した数字は変わらないんだけど。
(それにしても、これは無いんじゃねぇ?)
だって一学期と比べて1ミリグラムはおろか1ミクロンたりとも増えてないんだぜ?
そんなことってあると思うか?
(あんなに食べてんのに…だぜ?)
小学校を卒業するまでは誰に負けない身長と体重を誇っていた俺なんだ。それはもうニョキニョキと、周りの人間が呆れるほど健やかに成長してたんだ。それがどうした訳か解らないんだけど中学に入ったころから伸び率に翳りが見えはじめて中学2年の二学期の身体測定を最後にピタッと成長が止まってしまった。
それまでと変わりなく、いいや部活がハードになった分、それまで以上に食べているにも関わらず―――だ。
チームメイトや先輩たちを見下ろして優越感に浸っていたはずなのに、気が付けば見下ろされてるし、チーム一チビスケで俺の後ろに金魚のフンみたくくっ付き回ってた椎名にまで見下ろされる始末だ。
(やっぱ、妙だよな?)
俺はもう一度、首をかしげた。
「おい、そこ。紙をニラミつけてどうした。ああ? 何かおかしなところでもあるかい?」
人を小馬鹿にしたような声に振り返ると、養護教諭である母ちゃんがタバコを手にふくよかな身体を揺らしながら笑っていた。
息子の俺が伸び悩んでるっつーのに、母ちゃんときたら俺とタメ張るくらいの身長の持ち主だ。年々増えていると思える体重は比べ物にならないくらいだし。しかも一応“女”を意識してるらしく、かかとの高いサンダルなんてものを履いてくれてるから、今はホンの少しだけ視線が高いのだ。
これが一番、癪に障るところだったりする。
母ちゃんはタバコを手にしたまま俺に近づくと「女に見下ろされる気分ってどうよ?」とでも言いたそうな感じで胸を張った。
腹が立つことこの上ないけど文句は言わない。
「ちょっと聞きたいんだけど、いいかな?」
さり気なく上目遣いに首を傾げると、敵もさるもの「ハイハイ、なんだい?」と余裕のある態度で返してきた。そこで俺は「身長も体重も変化なしってどういうことだと思う、先生?」と可愛らしく聞いてみた。
「どうもこうも……数字が示す通りだと思うけどね」
なんだそんなことか、とでも言いたげな口調で母ちゃんが返したもんだから、ついここが学校だということを忘れちまった。
「フザけんなっつーの! 大体、俺がどれくらい食うのか知ってんだろ? おかしいとか変だとか思わねぇのかよ!」
大声で怒鳴ってしまった。
俺の怒鳴り声にさも煩そうに耳をほじくりながら母ちゃんは、
「なるほど……言われてみればそうだわね」
と、感心する素振りを見せた。
(やっと気付きやがったか。遅ぇんだよ!)
「忙しい時間を割いて、手間マヒかけて、栄養のバランスまで考えて作ってやってる、あの、大量の食べ物がぜーんぜん身についてないってのは確かに妙だわねぇ……」
オイオイ、ツッコむのはそっちじゃねぇだろって喉まででかかったが、そこはグッと我慢する。
問題はそこじゃない。
「だろ? 身長計壊れてんじゃねぇの? ちゃんとメンテしてもらってんのか?」
俺は背後の身長計を指差して偉そうに言った。
フンフンと感心したように首を振って聞いていた母ちゃんは、ナニを思ったのか、おもむろにタバコを灰皿に押し付けて俺に向き直るとジッと見つめてきた。
(な、何なんだよ!)
思わず身構えた俺に母ちゃんはニーッコリと微笑を作ったのだ。
「イイ事言ってくれるねぇ……って有りがたがると思ったかい? でも残念でした津久見くん。よぉーくお聞きなさいよ」
表情とは裏腹に地を這うような声色の迫力に思わずコクンと頷いた。
(親相手にビビッてどうするよ俺!)
内心突っ込みを入れるけど、マジ、恐わいんだって! ニッコリ笑っているのは口元だけで目は笑ってない。
マジだよ大マジ!
「メンテナンスはね毎学期はじめって決まってるんだよ。勿論今学期だってキチンとやってもらったよ。だからね、どこにも狂いは無いはずなんだよねぇ……」
気持ちの悪い笑みを貼り付けたままご丁寧にハッキリと言ってくれた。おまけに、
「機械は正確、数字は正直。だとすると、おかしいのはお前さんの身体の方ってことだよね。どっかに穴でも開いてんじゃないのかい?」
こんな言葉まで付け加えて、勝ち誇ったように今度は本当に楽しそうにカカカ……と笑ったのだ。
(んだとぉ〜。言うに事欠いて“穴が開いてる”だとぉ。いくら親でも言っていいことと悪いことがある。 腐っても教師ならそれくらい解るだろーが!
それにそれに。俺が身長にこだわる理由を一番知ってるクセして!
とは思っても口には出せない情けない俺。だって家に帰ってからの報復が恐いもんよ。
マジでメシ作ってもらえないと困るのは俺だから。悔しいけどここは一先ず引き下がるほうが得策って判断した。一つ聞いたら十返すような母ちゃんに口で対抗しようとした俺が馬鹿だったんだ。
「あーあ、解ったよ。まあなバスケは身長でやるもんじゃないしな! それとお前等、面白そうに見てんじゃねぇよ。オラ部活行くぞ!」
悔し紛れにそう吐き捨てて、馬鹿みたいに口あけて俺たちの親子漫才を見てた椎名たちに声をかけて保健室を後にした。
気分を変えて思いっきり身体を動かせばムシャクシャした気分なんて綺麗サッパリ消えると思ったんだ。
それなのに―――。
意気揚々と臨んだ部活がこれまたサイテーだった。
基礎トレ終えて練習メニューの3on3をやってた俺たちは、遅れてやってきたキャプテンとマネージャーに呼びつけられた。
突然、遠征の反省会だって言うじゃないか。
それ聞いた瞬間、イヤな予感がした。
大体、一週間以上も過ぎてから反省会も何もないと思う。思いはしたけどキャプテンに俺達一年が逆らえる訳が無い。
俺は皆を促して体育館の端っこにでき始めた車座に大人しく加わった。
テストの山は見事に外す勘の悪い俺でも、イヤな予感だけは適中させてしまう。
やっぱりって言うか案の定というべきなのか。
話題の中心は俺だった。
イヤァ人気者はつらいよなぁ―――なんて冗談こいてる場合じゃないんだけど、さ。
俺のスタミナが最後まで持てば「インターハイ制覇も夢じゃ無い!」と今回もキャプテンは力説してくれた。
中学最後の大会でベストメンバーのPG(ポイントガード)に選ばれた俺は、この夏のインターハイ予選でもPGベスト5に選んでもらえることができた。
初出場のしかも一年生で選ばれるって言うことはとても名誉なことだと顧問が言ってくれた。
その県下5指に入る俺の唯一の欠点―――それが“スタミナのなさ”なのだ。
前半30分、15分のインターバルを挟んで後半の30分―――それをこなす体力が俺には決定的に不足していたのだ。自分自身いやって言うほど解ってることだったから、なんとか技術力で誤魔化してきたつもりだったけど、見る人が見たら簡単に見抜けてしまうほどの誤魔化しでしかなかったということなんだろう。だからといってPGベスト5がウソだという訳じゃないらしい。今の俺の実力はメンタル部分・技術部分含めて5指でも小指なんだそうだ。それにスタミナが加われば親指にもなれるってキャプテンは言う。
保健室で母ちゃんとバトルをやらかしてきた俺の見かけによらず細かい神経はズタボロ状態。
そんな事は言われなくても解ってる。俺だってできるだけの事はやってきたつもりだ。
そりゃ空回りしてるかもしれないけど。
俺にだって言い分はある。でも、それは俺のわがままでしかないし。また、俺がそれを口にすることによってチームワークが乱れると困るから口には出さない。
それにキャプテンも仲間も俺の実力は認めてくれているし。
だからブスくれたままだったけど俺は静かにキャプテンの言い分を聞いてたさ。
なのに。
そんな態度をどうとったんだか、俺にだけロードワークって別メニューを言いつけてくれたんだ。ご丁寧に椎名ってお目付け役までつけてくれてさ。
ホント、有難すぎて涙が出るよ!
これでクサルなって言うのが無理だと思う。
まあ、グダグダ考え込んでても答えは出ないんだけどな。
「あ〜あ。止めた! 止めた!」
俺は勢いをつけて起き上がり力任せに雑草を引っこ抜いた。
あの頃は、俺たちの背を隠すほどに高いと思ってたセイタカアワダチソウも今じゃ腰ぐらいの高さしかない。
それ位には俺も成長してるって事だ。
(お前等に何の罪もないけど、今日だけカンベンな)
心の中で謝ってから力の限り投げ捨てる。
風に煽られて黄色い花が飛んで行く。花と一緒に俺のクサッた気分も吹き飛ばす。
考えても仕方ないならやるっきゃない!
ここらへんの切り替えは早いほうだと思う。
『成せば成る 成さねば成らぬ 何事も 成さぬは人の情けなりけり』が我が家の家訓だったりする。
言い出しっぺは勿論、母ちゃんだ。
教師くさいよなとは思うけど、結構支えになってるのも事実だった。
それに俺の座右の銘は“努力と根性”なんだ。
らしくないかも知れないけどさ。
そろそろ行こうかなと立ち上がった時、かすかな悲鳴ともすすり泣きとも聞き取れる声が風に乗って聞こえてきた。
「おい、何か聞こえなかったか?」
椎名に言うが早いか俺は声のする方向に向かって走り出していた。
後ろで椎名が何かわめいていたような気がしたけど振り返らない。正義の味方を気取るつもりはさらさら無いけど、弱いものいじめは見過ごしておけない俺なのだ。イジメられてるのが全部アイツに思えてしまうんだ。
でも、こんなことに出くわすのは本当に久しぶりの事だった。
方向は合っていたようで声はハッキリと耳に届いていた。
セイタカアワダチソウの隙間からかすかに見え隠れする頭色は金パツと茶パツ。それが上になったり下になったりしてた。
(二人で取っ組み合いか……なんだ楽勝ジャン!)
近づくにつれてなんとなく悲鳴―――とはちょーっと違うような気もしたけど「違ってたら笑って誤魔化しゃいいだけじゃん!」とこれまでの調子で考えて、草を掻き分けたところで―――俺は固まった。
「全く。お前って……」
ブスくれて歩く俺の隣で椎名が遠慮の無い声を上げて笑う。
「まさか! あんなところでサカってるとは思わなかったんだよ!」
腹立ち紛れに足元の石ころを蹴飛ばした。
正義の味方を気取る上での失敗は多々あったけど、アレの真っ最中に飛び込んだのはさすがの俺も初めての経験だった。
つまり、俺が悲鳴と聞き間違えたのは女のヨガリ声ってやつだったんだ。
「まあ普通はあんなところでコトの及んだりしないんだろうけど。でも、俺たちヤリたいサカリの十代だぜ。催しちゃったら場所なんか選んでられないだろ? それこそ青カンもありだと思うけどな」
椎名は解ったような口をきくけど、俺にはイマイチ解らない。
解るわけが無い!
だって俺はバスケットを始めてからバスケ一筋の健全な生活を送ってきた。なんの経験も無い俺に解れって方が無理な話だと思う。
断っとくけど、その手の知識が全く無いわけじゃないし興味が無いわけでもない。その……オナニーだって普通にするし性欲も人並みにある……んじゃ無いかなと思う。
「あーあ。ホントに! 厄日かよ、今日は!」
どうにもこうにも収まりがつかなくて、俺は忍び笑いを続ける椎名の横っ腹に肘鉄をくれてやる。
イテテ……と腹をさすりながらも椎名は笑うことを止めない。
「そうクサルなよ。けどさいじめられてる悲鳴とアノ声を聞き間違えるなんてサ、成人、まだ童貞だろ?」
ナニを思ったのか不意に椎名が身をかがめて耳打ちした。
「なっ……」
(真面目な顔して何てこと聞くんだよ! そんなこと答えられるわけないだろうが!)
二の句が次げず見上げる俺を椎名は妙に余裕のある態度で見下ろして「……オッ、その反応はもしかしてアタリか?」なんて言いやがった。
アタリもアタリ……大当たり! なんだけど。そんな事言えるはずも無くて俺は面白くない気分のまま「……そんな事お前に教える義務は無い!」と吐き捨てた。
「からかって悪かったよ」と、ぜんぜん申し訳なさそうな感じで椎名は言って「もしかしてお前、まだ西野に操立てやってんのか?」と思い出したように付け加えた。
西野って名前に俺の心臓が小さくはねた。
「大きなお世話だよ! 人のこととやかく言う前に自分の方こそどうなんだよ!」
感心したような顔つきの椎名に言葉を投げつけた俺の、普段は全然冴えてない勘が妙な具合に働いた。
(そういやコイツ。中学から付き合ってる彼女がいたんじゃなかったっけか?)
「まさか……ひと夏の経験しちゃったとか?」
カマをかけるつもりでズイと身を乗り出して言ってやったら見事、形勢逆転。それまでの余裕は何処へやら。椎名は真っ赤になって鼻の頭をかいた。
それを見て驚くやら「よくそんな暇があったなぁ……」と感心するやらだ。だってこの夏休みは、インターハイ予選やら合宿やらでバスケ漬けの毎日だったんだぜ?
それなのに……まぁ。
椎名が“脱・童貞”をしたところで、ちっとも羨ましいと思わない。負け惜しみじゃなくホントの事だ。
「お、俺のことはどうでもいいだろ。それよりお前だよお前!」
意外に素早く体勢を立て直した椎名が「成人と付き合いたいって娘たくさん居るぞ? それこそ選り取りみどりだぜ。いつまでも子供の頃の約束に縛られてせっかくのチャンス棒に振るなんて勿体ないと思うけど」と続けた。
「思わないね。それに縛られてるわけじゃないしな」
即答すると「そうかねぇ……」って返事で。
「……んだよ。何が言いたいんだよ」と見上げると「音信不通になって何年経つんだよ?」って返された。
(ウッ、そうくるか?)
それを言われると何も言えなくなる。
(確かに。手紙は来ないし。俺も書いてないよな……)
玲が渡米したはじめの頃は覚えたての下手くそな字で日記書くみたいに毎日手紙を書いてたはずだ。玲からも日にちをおかずに返事が届いてた。間隔がだんだん間遠になって―――手紙が来なくなってからどれくらいになるだろう?
どっちから途絶えたのかも今となっては判らない。
書かなくなった理由だって思い出せない――――。
「手紙だって来ない。いつ戻ってくるかの連絡すらないんだろ?」
重ねて聞かれても頷くしかない俺。だって本当のことだから。電話も掛かってこないんだから……。
「そんなん待ってる価値あるのかよ。それに西野はあんな外形してたけど男だぞ。不毛だよ。女の子の方が絶対イイに決まってるって!」
言い切る椎名に俺は、
「不毛じゃない。男同士だって恋愛は出来るはずだ!」
まるで自分に言い聞かせるように呟いた。
(だって俺はそう信じてるんだから――――)
西野 玲(にしの れい)―――俺とは幼馴染で椎名とは幼稚園からの付き合い。
そして俺が10年来思い続けてる相手でもある。
椎名が言う通り性別は『男』。
でもそんなことは俺にとっては些細なことだ。
これまで女の子との出会いが無かったわけじゃないし付き合った事だってある。ただ玲に敵うヤツがいなかったってだけのこと。
それは容姿だけじゃなくて、性格も何もかも―――全てに於いて。
比べるなんてしたくないし比べられもしないけど。でも誰と比べても俺の中では玲が一番だ。それは連絡が無くなった今も変わらない。変わるはずが無い。
だって約束したんだから。
『今度会う時には、何があっても玲を守れるような強い男になってる。玲だけの王子様になってやる』って。
俺が身長や体重にこだわるのはこのせいだ。
思うようにはいかないけど………。
俺は胸に手をやって、指先に触れた丸くて硬い感触を確かめるように握り締める。
玲と約束のキスを交わした日。玲が河原で見つけたビー玉だ。あの日、家に帰って母ちゃんにお揃いの袋を作ってもらい、次の日、空港の出発ロビーで分け合った。
『コレ、ナルトの目みたいだからボク、こっちがイイ』
玲が選んだのは少し欠けた深緑の玉。俺の手に残ったのは玲の瞳と同じ色をしたブルーの玉の方。
あの日から肌身離さず首から下げている大事な大事な俺のお守り。母ちゃんの作った袋は振り切れてさすがに10年の月日を感じさせるけど、中身はあの時のまま綺麗に光ってる。
「大体さぁ、あのまんま成長してるとは思えないぜ? だってアイツには半分アメリカの血が入ってるんだし。成人よりデカクなってる可能性だってあると思うぜ。もしかしたらマイケル・ジョーダンみたくなってるかも……」
いきなり口調を変えて明るく言い放った椎名の胸倉を俺は思いっきり締め上げた。
「おい! 言っていい事と悪いことがあるぞ! 一体何を根拠にそんな事言うんだよ!」
「や、や……冗談―――そ、そう例えばの話だよ! やだなぁ……」
あまりの剣幕に椎名は心底引きつった笑顔を見せた。
「テメェ、今度、冗談でもそんなこと言いやがったらマジでシメるからな!」
半分本気で脅してやったら椎名がコクコクと頷いたんで、渋々手を放してやった。
「大体なぁ、あの華奢で綺麗な玲がそんな大男に成るわきゃないだろ。俺よりデカクなってるかも……ってのは考えない訳じゃない。だとしても―――だ、どんな風になっても玲は玲だ。それに変わりはない!」
今だって目を閉じれば小さい頃の玲の姿がありありと浮かぶ――――いじめられて目にいっぱい涙をためて、それでも唇をかみ締めて涙がこぼれないように我慢してた。逃げる途中で二人して転んで膝小僧を擦りむいた時も、自分が痛いのをこらえて俺を気遣ってくれた。だから守ってやりたかった。
『何かあったら俺を呼べよ? どこにいてもどんなことがあっても飛んでいくからな。玲を守れるのは俺だけなんだからな!』
この言葉はウソじゃない。
たった6歳の子どもの戯言だと笑いたきゃ笑えばいい。
でも、俺たちは小さいなりに真剣だった。
「とにかく! 誰がなんと言おうと、俺は玲を嫁さんにするって決めてんだ!」
言いきった俺を椎名が気味悪そうに眺めていた。
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