“川の交わる場所”シリーズ
| 「……んっ……あぁ…はぁ……」 堪え切れずにに吐息が漏れる。 耳元で彼が切なげに喘ぐ。 飢えた狼の様に俺の体を貪る彼の手に翻弄される……。 一体、俺は何をしているんだ? こいつに抱かれる為にここに来た訳じゃないハズなのに……。 寝不足の頭では上手く思考が回らなくて、押し寄せてくる快感の波に逃げ込みたくなる。 「真……理」 彼の名を呼びながら、覆いかぶさる体を押し退けるつもりで腕を伸ばした。 細身でしなやかな彼の体はビクともしない。それどころか何を勘違いしたのか、力なく伸ばした俺の腕を引き寄せ、さらにきつく抱きる。 「真理(まこと)……真理、やめて」 うわ言の様に俺は呼び掛けた。 なのに彼のキレイな指先は、まるでワープロのキーを叩くかの様に俺の感じるポイントを確実に突いてくる……。 何がどうしてこういう事になったのか。それを説明しなければいけないかな。 俺の名前は板東太朗(ばんどうたろう)。夕張出版という出版社の第三編集部に勤める25歳。 出版社と言えば聞こえは良いが、高々社員三十人ほどの小さな会社で、コトに我らが『第三編集部』は昨今の“Boy's Love”ブームに乗って作られた俄か編集部で、働いているのは編集長以下俺を含めて五人という弱小も弱小で―――。 雨後のタケノコの様に日々創刊されているこの手の本の中で、生き残っていかなければおマンマの食い上げになる訳で、毎日毎日狭い部屋で額をくっつけ眉間に皺を寄せ合いながら、脳みそフル回転で『余所にはない斬新な企画』を考え出している……と言うコトなのだ。 まぁ就職難のこの時代に、うまく職にありつけただけでもメッケもんと言う所。 今のところ、これといって不満はない。 ただ締切り間近になると不満だらけの職場になるんだけどさ―――連日連夜、編集部に泊まり込み、二、三時間の仮眠で働かされる『鬼』の様な職場に変身するからだ。 今日も今日とて、入稿ギリギリ期限まであと三日と迫っているにも関わらず、原稿はわずか三分の二といった所。 一体どうしろって言うんだ? かく言う俺の担当している先生方も一人を除いて、やっと原稿が上がってきたばかり。これを校正して、先に貰っている挿絵を入れて割り付けをして……。 (あぁ、今夜も泊まりかぁ) (あぁ、風呂に入りたい……) そんな思いを抱いて俺は仮眠室へと向かったのだ。 俺の安らかな眠りを破ってくれたのは、先輩編集者の淀さんだった。 ゲシゲシと容赦なく俺の体にケリをくれる。 「なぁに暢気に寝てやがる。板東起きろ! 筑後川の氾濫だぜ!」 「なんなんですか淀センパイ……一体なにごとですぅ〜」 寝ぼけ眼で見上げる俺の布団を思い切りよくめくり上げ、 「何だか知らねぇが、お前呼んで来いってウルサイんだよ。えらい剣幕だったぜ。オラ早く行かねぇと大洪水になるゼ!」 とがなり立てる。なおもグズグズと布団にしがみついていると、淀先輩は大きな体を二つに折って、 「往生際の悪い奴だなぁ。グズグズしてっと犯っちまうぞ」 囁くと俺の耳元に息を吹き掛けた。 「セ……センパイ?」 背中を寒気が走り抜け、慌てて跳ね起きた俺の首根っこを掴んで床に落とす。 あぁ軽量級がウラメシイ……。 起き上がる力なんて皆無に等しい。でも何時までも床と仲良くはしていられない。編集長が呼んでいるんなら行かなきゃ……。 ノロノロと鉛のごとく重い体を引きずる様に立上がり、俺は仮眠室のドアを引き開けた。ドアを閉める時に目に入った掛け時計は九時を指していた。 (ゲッ二時間しか寝てねぇーじゃん) 俺はゲッソリと呟いた。俺を蹴落としてくれた淀センパイはスヤスヤと心地好い寝息を立て始めていた。 編集部のドアに掛けた手を俺は慌てて引っ込めた。ドアが微かに震えている。 「こりゃ相当荒れてるな、編集長……」 ハテ? 俺何か怒らせる様な事したっけか? 首を傾げながら、それでも腹に力を入れるのだけは忘れずに、勢いよくドアを開ける。 「ーっはようございます……。うわぁ」 小さく叫び声を上げて俺は壁に張り付いた。いきなり目の前を修正ペンが横切り、俺のすぐ横の壁に突き刺さったのだ。 (おっかねぇ〜) 「くぉらぁ〜板東。貴様いつまで寝ているつもりだぁ?」 地の底から絞りだす様な声。地獄のエンマ大王よりもスッゲェ〜。それにしてもここまで怒り狂った編集長を見るのも久し振りだよな。 筑紫次郎(ちくしじろう)―――ニュースキャスターの筑紫哲也氏に顔も名前もよく似た四十五歳。数々の編集畑を渡り歩いて二十年。彼の担当した本はことごとく売れ、そのスゴ腕を買われてこの本の編集長に抜擢された。 九州の清流“筑後川”と呼ばれる様に普段は温厚で滅多に感情を面に表さない人なのに……。 「あぁ? 吉野先生の原稿はどうした!」 編集長の言葉に俺はハッとして肩を竦めた。 忘れてた真理の原稿。 背筋を冷たいものが走り抜ける。 俺の担当作家『吉野 真理(よしのまり)』 ウチの『小説アルフ』の売れっ子看板作家の原稿は、まだ手元に届いていない。 確か先週、締切りを一週間延ばせって言ってたっけ……。 巻頭32ページ。それがなかったら? アワワ……。俺は瞬時に真っ青になった。ドーンと山積みされたまま売れ残っている我が社の本が目に浮かぶ―――。 そんなコト! 編集長のお怒りもご尤も。 「締切り一週間も延ばしてんだぞ! 他の所の掛け持ちなんて言い訳は金輪際聞いてやらーん! 明日だ! 明日の昼までに原稿貰ってこなけりゃ、お前なんざクビだ、クビ!」 それは困る。 あいつが俺の為に、ムリな条件飲んで入れてくれた職場だもの……クビだけは断固阻止する! わめき立てる編集長の声を背中に聞きながら、俺はコソコソと自分の机に座る。 「編集長荒れてますねぇ。私が来てからずっとあの調子ですよ。既に湯飲みが二個犠牲になってるの。板東さん、何したんですかぁ〜」 すかさず、隣の席の電話番兼事務一般のエミちゃんが興味津津の顔で声を掛けてくる。 脳天気な彼女の相手をしている暇など全くと言って良いほど無いのだ。 「エミちゃん、お喋りはそれぐらいにして。で、俺にうんと濃くてう〜んと熱いエスプレッソ、大急ぎでお願い!」 まだ何か喋りたそうな気配の彼女に用事を言い渡し、不満そうな顔でブツブツ呟きながら給湯室に向かう背中を見送ると、俺は雑然と積み上げられた原稿用紙を退け、その下に隠れていた電話を引っ張りだした。 掛け馴れた番号のプッシュボタンを押す。何度目かのコールの後聞き慣れた『ジョーズのテーマ』が流れ出す。 「あれ? 留守かな……」 首を傾げながらも、この後に流れてくるアイツの声を思い出すと我知らず頬が緩む。 甘くて優しくて、耳をくすぐる様な俺の大好きな―――と、その時、流れてきたのは……、 「イヤッホ〜吉野川でぇす。僕は今『有明書房』さんのお仕事でTホテルに缶詰でぇ〜す。御用とお急ぎでない方は掛け直すか、待てない方はTホテル1137号室まで遊びにいらしてねぇ〜ん。待ってるわ!」 ナント聞くもおぞましい、おネエ言葉の底抜けに明るいメッセージだった。あぁ……。 思い出した。あいつは留守番電話のメッセージを気紛れに入れ替えるのが趣味だった。 確か先週まではジゴロも真っ青のバリバリにカッコイイやつだったハズ。 何もこんな時に入れ替えなくても……。 寝不足のパー状態の頭では、この変化に付いていく事はできない。 ガックリと机に突っ伏しながらも、傍らのメモ用紙に“Tホテル1137号室”とペンを走らせる。 気を取り直してTホテルのフロントに電話を入れ、チェックアウトしていない事を確認する。そこへエミちゃんが俺のカップを手に戻ってきた。 エミちゃんの入れてくれたエスプレッソは吐きたくなるぐらいドロドロで、そりゃ濃い目とは言ったけど、これじゃタール飲んでんのと変わらない。おまけに熱くとも言ったけど……。精神と同じでデリケートな俺の舌は見事に味覚を失った。でも心優しい俺はニッコリと微笑んで一応お礼の声を掛けた。 エミちゃんのエスプレッソ攻撃にも眠気は去ってくれないけど、グズグズしてるといつ又編集長の罵声が飛んで来るかわからない。 ふらつく頭を軽く振りつつ、編集部を出ようとした俺の背中に、 「原稿貰うまでは、帰って来るな!」 鬼編集長の言葉が付き刺さった。 久し振りに仰ぐ太陽は脳天気に輝いている。“サンサン”って擬音まで聞こえてきそうだ。歩くのもかったるいし、ここは奮発してタクシーを飛ばすことにした。 タクシーに揺られている間も、ウトウトと仮眠を取り体力の温存をはかる。編集者として身に付いてしまった悲しい習慣だ。 Tホテルのロビーで『月刊ミステリーワールド』のネーム入り封筒を大事そうに抱えたやけに可愛い顔をした男を見掛けた。 (有明書房はあんなのに真理の担当を任せてんのか) そいつがニコニコしながら俺に近付いて来て、親しげに声を掛けた。 「こんにちは。あなたも四国先生の所ですか?」 誰だっけ? 見た事あるんだけどなぁ? 首を傾げる俺に、 「先月の記念パーティでお会いしましたよね、清水 千曲(しみずちくま)です」 やはり微笑んで答える。 思い出した。真理のナントカ賞の受賞パーティで会ったのか。あそこの編集長にくっついてた奴だ。 「僕の所はたった今、頂きましたから、頑張ってくださいね。じゃぁ、急ぎますので失礼します」 ペコリとお辞儀をすると表通りへ駆け出していった。 あ〜あ、可愛いねぇホホ染めちゃって……。 「!」 駆け去る背中を見つめてハタと気付く。あいつ……真理の奇癖。 『締切りが明けると誰彼構わず押し倒したくなるんだ』って言ってたっけ……。 「さてはあのヤロ〜。俺というものがありながら……許せん!」 寝不足の疲れも何のその。俺は足音も荒くロビーを突っ切ってエレベーターへ走った。 一心不乱に原稿を上げた締切り明けの溜まりに溜まったあいつに可憐な千曲。 条件揃いスギ! もし万が一、千曲がノンケだったとしてもだ、真理のモデル並みの容姿と肉体で迫られたら惑わされないわけが無い! しかもそれが天下の四国先生だ! 雰囲気に流されて……。 「じょ〜だんじゃナイ!」 既に脳ミソ沸騰状態。自分のお仕事の件は頭からキレイさっぱり抜け落ち、事実を確かめる事だけが俺の脳を支配していた。 ドンドンドン! チャイムがあるにもかかわらず、俺は乱暴にドアを叩いた。 やや間があってドアが開き、真理が顔を覗かせた。 シャワーを浴びていたのか、濡れた髪にタオルを巻き付け、ホテルお仕着せのバスローブを羽織っている。いつもならポーッと頬を染めて見つめてしまう顔も、今の俺には裏切り者のそれにしか映らない。 「オヤ太朗、血相変えてどうした?」 お気楽そうな声が降ってくる。俺は答えず真理の身体を押し退けズカズカと中に踏み込んだ。 グルリと部屋中を見回す。 ベッドは綺麗にメイクされたままだ。 「ここで……じゃないな。なら、どこでやったんだ?」 ボソッと一人ごちて、次にバスルームを覗いた。 ここは……今の今まで真理が使っていたんだから、シャワーに流されて痕跡は跡形もなく消え去ってしまっている。 チッ! 知能犯め。伊達にミステリーを書いてないよな、証拠は残さないってか! けど、あいつ……清水千曲の上気した顔が何よりの証拠じゃないか。 俺は、訳が分からず入り口の所で立ち尽くしている真理の前に歩み寄り、一気に捲し立てた。 「お前は……お前って奴は、どこまでスケベな奴なんだ! そんなに見境のナイ奴だとは思わなかったよ」 剣幕に圧倒されたのか惚けた様に俺を見下ろす真理の胸倉を掴み言い続けた。 「そりゃミステリーの方に力を入れたがってるのは分かってたサ。けど、優しい吉野川君は就職先が決まらない俺を哀れんでくれたんだろ? 書きたくもない三文小説を書くって条件まで呑んで、あそこ紹介してくれたのには感謝してるさ。抱いてくれた時には天まで昇る気持ちだった、長年の思いが通じたって。バカだよな俺も、ウソと本気の区別すらつかないんて。お前は誰でもよかったんだよな? 別に俺じゃなくてもさ。徹夜明けの体を解放してくれる奴だったらさ。なのに俺は電話があると仕事ほっぽり出してまで駆け付けて体投げ出してやったのに……」 俺何言ってんだろう。もうメチャクチャのグチャグチャ……。 言ってること支離滅裂。おまけに涙まで出てきた。でも口は止まらない。 「これでお前の望みどおりだよ。俺はね明日のヒルまでにお前の原稿と挿絵持って帰らなかったらクビなのよクビ! 判るか? 職を失うんだよ。良かったな、これでミステリーに専念できるじゃないか。回りくどい方法取らなくても良かったのに……俺だけこんなにお前に惚れてるなんて……」 最後は言葉にならなかった。 睨みつけてるんだ真理が。綺麗な顔を歪めて。 柳眉を逆立てるっていうの? 怒ってるんだ。 当たり前だよな。千曲との余韻に浸ってるのに俺が乗り込んで来たんだから。 もう終わりだな。 俺はスルリと真理の脇を抜けてドアへ向かおうとした。ガシッと腕が掴まれる。 「待てよ、太朗」 低い唸るような声にビクッと体が竦む。急上昇した体温が一気に降下する。それでも精一杯虚勢を張って、俺は真理を振り返る。負けずに睨み返そうと……。 振り向いた俺の目に映ったのは悲しげな色を湛えた真理の瞳。 「何か誤解してるよ、お前。俺、お前んとこの原稿書きたくないなんて思ったことないぜ」 「そりゃ、イヤなもんでも書けば金になるからだろ!」 真理の瞳を見ても俺の口は止められない。 寝不足の頭では考えをまとめることも、まして冷静な判断なんてムリだったのだ。 「清水を自分に抱き込めばお前は……」 フイに口を塞がれた。俺を威竦めるような真理の瞳。俺より僅かに上背はあるものの全体にスリムな印象を与える真理の力は意外に強い。俺は抱き締められたまま真理にキスされている――――。 そのまま俺を懐に抱き込む。 「お前はクビにはさせない。原稿も挿絵も揃えて、明日の昼に間に合わせてやる……」 「またそんな出任せを……」 「ウソじゃない、ぜったい間に合わせてやる! だから……一発やらせろ」 耳元で囁かれてギョッとなる。 千曲とやった事実をそんなことでごまかそうってのか。どこまで俺をコケにすればいいんだ! もう一度開き掛けた口も強引に真理に塞がれる。自分の非力が恨めしい……。ここ二、三日満足に寝てないし、食ってもいないから力が出ない。もがく俺をいとも簡単に真理はベッドに押し倒す。 「……こんなことでゴマかされないからな!」 そうは言うものの、シャツを捲られ直に触れられると自然と息が上がる……体が勝手に反応しはじめる。 「少し黙ってろよ! 俺、もうガマンできねーの」 せわしなく真理がGパンのジッパーに手を掛ける。 「俺……シャワー浴びてない」 我ながら間の抜けた返事。だって、俺の腹部に真理の硬くなったモノが当たってて……。 真理が俺の肩口に顔を埋める。柔らかい髪から漂う微かなフローラルの香りに鼻をくすぐられ、しなやかな指が体をまさぐり始める……と、ここで冒頭のシーンに戻るワケなのだ。 「なぁにが一発だ! 抜かずの三発なんかフツーやるかっての」 俺の前に千曲をともやっときながら、ホント絶倫な奴。かく言う俺もヒイ、フウ、ミイ……五発抜かせて貰ったから……あぁ、ンな事はどうでもいいんだけど……。 腕枕をして、満足そうに安らかな寝息を立てている真理の顔をしげしげと見つめる。 綺麗な顔だよなぁ。 形良く整った眉、スッキリとした鼻、キリッと引き結ばれた唇。一つずつ観賞しても溜め息が出る。これらがきちんと収まった端正な顔。 それにしても不思議な縁だよな。 真理は高校生の時にミステリー大賞を受賞して華々しくデビューを飾った。奇想天外なトリックと流れる様な文体に俺も注目してた。それに同い年だったし。 実を言うと俺も文章でメシを食いたかった。けど世の中そうそう上手くいかないもんで、何度原稿を持ち込んでもボツ食らうばかりで……。まぁそんな事は今となっちゃどうでもいい事なんだけどサ。 で、真理と出会ったのが、俺のバイト先であったホストクラブ“ローラン”。 あいつは次の作品でホストを使うつもりだったらしく、取材だと言ってたな。 二度目ボレだったよ(ヘンな言い回しだけど)。 バイトしてる俺達ホストよりずっとホストらしくて、俺その時自覚した“ゲイなんだ”って。 それまで、女にトキめいた事は皆無だったけど、ゲイだと認めるのが怖かった。でも真理を見た瞬間“コイツに抱かれたい!”って思ったもんね。自慢にゃならないけど。 同じ大学で学部も同じ文学部。俺、入学試験の日に一目ボレ。 声を掛ける事すら出来ずに、一年以上も憧れ続けた真理と偶然とはいえ知り合いになれて、おまけにすっかり意気投合してしまった。 吉野川って名前だけは知ってたけど、まさか彼があの『四国三郎』だったなんて。 四角四面のクソ真面目な人物想像してた俺だもの、もうブットビ〜って奴だった。 「吉野川は別名『四国三郎』って言うだろう?」 だからだそうだ。 俺の名前を教えた時の真理の顔も見物だった。切れ長の目を真ん丸くしてさ、 「俺が吉野川でお前が坂東太朗……利根川か。こりゃもう付き合うっきゃないな」 麗しく微笑んでくれて、その日のうちにベッドインだよ(真理が細かい事に拘らない性格だったのは俺の幸運)。 (ホント、天下太平って顔してくれちゃって……) 俺は軽く真理の額にデコピンをしてやった。 まぁ、俺も俺だけどね。抱かれて怒りは何処へやら〜ってもんだもん。やっぱホレてんだ、こいつの全部にね。 「さてっと、ついでにシャワーもお借りして、お仕事しよ!」 真理が起きるまでは……もとい、原稿をいただくまでは帰ってこなくていいって言う、有り難い編集長のお言葉に甘えて、ここで校正も割り付けもやってしまおう。 キチンと貰えるかどうかはともかくとして。 叩き起こして『書け!』って怒鳴ってもよかったのかもしれない。でも何となくカワイソウな気がしてサ。クビがかかってる俺はもっとかわいそうなんだけど……。 俺は真理を起こさない様にそっとベッドを抜け出した。 「〜んぁ?」 突っ伏していた机の上から顔を上げ辺りを見回す。外は夕暮れが迫っているのか、部屋の中は薄暗かった。 ああそうか。俺は真理と一戦交えて、寝入ったあいつをほっといて仕事をやってたんだっけ。んで、寝不足の為にいつの間にか眠り込んでしまった……らしかった。 のっそりと身を起こしかけてギクリとそのまま固まってしまった。 窓際のソファーに腰掛けて、琥珀色の液体の入ったグラスを手にしている真理と目が合ってしまったのだ。 「原……原稿は?」> なんとまぁ、この後に及んでもお仕事熱心な俺。クビになるのも覚悟の上なのにね。 真理は俺に視線をピタリと合わせたまま、グラスをテーブルに置いた。 「少しは頭、スッキリしたか太朗」 俺はその押さえ付ける様な物言いに無言で頷いた。 「おれの話を冷静に聞けるか?」 瞳は俺から話さず続けて問い掛ける。俺は機械仕掛けの人形の様に頭を上下させる。 「俺が話し終えるまで静かに聞けると言うのなら、原稿はキチンと仕上げてやる。それが納得できないのなら、これで終わりだ」 低いけれど良く通る真理の声が静かに告げる。 一瞬わが耳を疑った。 終わり……って言ったのか? 終わりって俺達のこと? そんなのイヤだ! 原稿なくても、クビになっても、そんなことは俺にとってどうでもいい事で……。 真理と別れるなんて、そんなのガマンできない……。 うろたええて視線を落とした俺に、真理は優しく語り掛ける。 「だから落ち着けって。いいか、良く聞くんだぞ。一言も聞き漏らすなよ!」 コクリと頷いて真理の目を見た。 「まず最初に、俺と清水とは何もなかった」 コホンと一つ咳払いをして、 「確かに、いつものクセで押し倒しかけたのは認める」 クソ真面目な声で続けた。 ホラ見ろ! やっぱりじゃないか。 非難の目で睨み付けた俺を軽く否して、 「だが拒否された」 と肩を竦めて見せる。 チッ! 何をやってもサマになる奴だ。 「あいつは純粋に俺の原稿を取りに来ただけだ。三日間俺に張り付いて、食事も風呂もトイレまでも俺の事を監視してたよ。けどそれはな、清川も好きな人に頼まれた仕事だからだ。『月刊ミステリーワールド』の編集長が彼の想い人で、清水は奴に操を立てちゃってだね、俺の原稿を今日の昼までに持って帰る事が出来れば“ご褒美”が貰えるんだとか言って、俺に土下座してたよ、どうしても間に合わせてほしいって」 「……!」 そうか……それで。 今朝の清川の嬉しそうな顔が目に浮かぶ。誇らしげに顔の横に封筒を掲げて笑ってた……あの笑顔にはそんな理由があったのか。 ……とすると。あぁ、なんてこった! 全て俺の早とちり……だったの? なぁ〜んて上目遣いに伺った真理の表情は……。 「それをだな、誰かさんはだぁ……なまじ俺のコトをよ〜く知ってるが故にだなぁ……」 キレイな口にインケンな微笑みを張り付かせている。 もう、ここはすがりつくしかないな。甘えるしかない。そう思って立上がりかけた俺を、 「静かに俺の話を聞く約束だったよな!」 有無を言わさぬ鋭い口調で制した。仕方無く俺は浮かしかけた腰を下ろした。 真理の顔を見る事が出来ない。顔を上げる事が出来ないのだ。完全に怒らせてしまった。 寝不足だったとは言え、最愛の人間を疑ったんだもんな。 当然といえば当然なんだ。 そんな俺の気持ちなど無視しまくって、真理は続けた。 「原稿なら出来てる」 「えっ?」 俺は思わず顔を上げた、真理はグラスの隣に置かれた紙の束を指差した。 「一週間も前に、締切り前に上がっている。ついでに挿絵もな」 「……どうして」 「それはな。いいか、ここからは絶対一言も聞き漏らすなよ。耳の穴かっぽじって、よーく聞くんだ。吉野川真理一世一代の大告白なんだからな!」 真理は俺の前に歩み寄るとベッドの前に膝をついた。少し色素の薄い茶色の瞳が間近に迫って僕を見つめる。 「俺の目に映ってるモノが見えるか、何だか判るか?」 「うん」 情けない顔をした俺だ。 「俺の最愛の人間だよ。今、一番失いたくない、ずっと一生側に居て欲しい愛する人だ」 言いながら俺を力一杯抱き締めた。でもそれはこの上もなく優しくて、それだけで俺の胸は満たされる。 「俺の最愛の人間はね薄情な奴でサ、締切り前に原稿仕上げちまうと電話一本寄越さない。仕事熱心なのは結構なんだが、俺としては大層不満な訳だ。で『出来てない』とウソをついてみた。そしたらそいつは毎日電話をかけて来てくれた。原稿の進み具合を聞きながら、さりげなく体調も気遣ってくれた。俺は好きな奴の声が毎日毎日聞けて嬉しかったよ。たとえ一言でも、それが仕事の話もでもだ。その声で別の仕事も捗るってわけサ。You understand?」 抱き締めていた腕を解いて、俺の顔を覗き込んでくる。 「ズルイよ……真理。俺のコト責めないんだから……」 胸が痛くて涙が溢れて、最後は言葉にならなかった。俺の呟きは真理の柔らかい唇に塞がれた。 真理は唇を放すと、俺の頭を胸に抱え込む様にして髪を撫でる。余りの心地好さに頭を預けたまま俺はウットリと目を閉じた。 静かな真理の声が耳に降る。 「太朗の顔を思い浮かべながらお前んとこの原稿を書くのって楽しいよ。お前がミステリー書くのやめろ、自分のところ一本にしろって言っても俺、不足はないよ。そんなコトで太朗を失うことの方が、俺にとってはツライんだ。この原稿は体じゃなくて、俺とお前の心を繋いでくれる、愛すべき最も愛しいマス目なんだよ」 『愛すべきマス目』ヘンな例えだな……でも嬉しい。 「もうイイよ、真理。俺の方こそゴメン! ありもしないこと疑って。俺も、俺も真理か大好きだ。世界中で一番愛してる!」 今度は俺の方から口付けを贈るよ。 二度と離れないから。二度と離さないで……。 謝罪と感謝と……モロモロの全ての思いを込めて。 真理の首に腕を回して、力の限り引き寄せる。 真理もそれに答えて抱き締め返してくれながら、俺の耳元で囁いた。 「なぁ、首も繋がったことだし……もう一回やってもイイ?」<BR> ゲッ! 信じらんねー奴! 人がせっかくイイ気分に浸っていたと言うのに……。 で、俺、慌てて体に回された腕を振りほどいて電話の所まで逃げる。 そこで、呆気に取られている真理を振り返って、これ以上ないって程の笑みを浮かべ、 「まずは腹拵えが先! もうお腹ペコペコ」 ルームサービスを頼みながら、苦笑いをしている相手に軽くウインクを投げた。 (ねぇ真理?) 明日の昼まで時間はたっぷりあるんだからサ。 続きは後でゆっくり……ネ。 |