“川の交わる場所”シリーズ
| ピピピ……。 突然、ベッドサイドのコードレスホンが鳴った。 徹夜明けでついさっきベッドに潜り込んだばかりの俺、当代きっての売れっ子ミステリー作家吉野川真理(よしのがわまこと)―PN四国三郎(しこくさぶろう)―の安らかな眠りを妨げるものは原稿の催促と相場が決まっている。 ミステリー大賞受賞記念、書き下ろし三百枚。 不眠不休で書き上げたそれは、ほんの一時間程前にバイク便で出したところだ。 「そんなに急かさなくても、あと少しで着くさ」 うるさく鳴り続けるコードレスホンをベッドの下に押し込もうと手を伸ばしかけた時、急に音が止んだ。 「おっ? イヤにあっさりしているな。まあ、いいか。さて、もう一眠り……太朗君おやすみ」 枕元の愛しい人の写真にキスを送り目を閉じかけた時、今度はチャイムが鳴った。 俺の眠りを妨げるものその2はこの間、面白半分で相手をした保険のセールスの叔母ちゃんに決まっている。俺は布団を頭からかぶり居留守を決め込んだ。 居留守を使っている事にハラをたてたのか、次に叔母ちゃんは激しくドアを叩き始めた。仕事熱心で契約を取り付けたいのはよ〜く判る。判ったからそっとしておいてクレ! 俺は眠いんだ! そんな事を思ってみても、ドアの外に居る人間に分かるはずもない。その証拠にチャイムは一向に鳴り止む気配を見せない。 いい加減頭にきた! 「―――ったく。うるさいんだよ! 俺を怒らせると、ババァと言えど犯すぞ!」 頭をかきむしりながら吐き捨てて、俺は足音も荒くドアへと向かった。 しつこく鳴らし続ける相手に怒鳴り声をあげようと、息を思い切り吸い込んだ俺の耳に飛び込んできたのは、俺の最愛の奴の声。 「真理いるんだろ? 俺だよ、開けろ!」 太朗だ! 俺の救世主。 大慌てでチェーンを外しドアを開ける。 太朗は何をそんなに急いでいるのか、ドアの開く間もあらばこそ、俺の胸の中に転がり込んできた。無造作に胸ポケットに突っ込んでいた携帯電話がはずみで転がり落ちた。 さっきの電話は太朗だったのか。そうと知っていれば出てやったのに。 だが待てよ。この状況は……。 飛んで火に入る夏の虫―――って奴だ! 一心不乱に原稿を仕上げた後の俺は、本当に溜まりまくっている。 なにしろ、書き下ろし三百枚の為に、わき目もふらず、フォトスタンドに入れた太朗相手に自家発電する事もなく、四日間を過ごしたのだ。我慢はとうの昔に限界を越えている。 このチャンスを逃してなるものか! さっきまでの眠気は何処へやら。 俺は太朗を抱き上げベッドへと急ぐ。 太朗は自分の置かれている立場が分かっていないらしい。何事が起こったのかと目を丸くして俺を見上げてはいるが、おとなしく抱かれたままされるがままになっている。 そりゃそーだ。 この仕事の事はこいつには内緒にしてたんだから、俺が徹夜明けだなんて知るはずもない。故に、これから自分の身に何が起こるかなんて事も想像できないハズだ。 ベッドに太朗を寝かせた俺は、その形の良い唇に軽く口付け、手際よくGパンを下ろしシャツをたくしあげると、ほんのりピンク色に色付いている胸の突起を口に含んだ。もちろん手は太朗のブリーフの中に潜り込んでいる。 こと、こいつとのセックスに関して俺に抜かりはない。 そこでようやく太朗が気付いた。手足をバタバタと動かして俺から逃れようとする。 今更あがいても、もう手遅れなんだよ。 「やめろ……真理。俺、こんな事しに来たんじゃぁ……んっ」 そんな事を言われても一度火が付いてしまっ俺をだれもとめる事などできないのだ。俺は太朗の分身をギュッと握り締め、うるさい口は口で塞いで、それからいつもの手順とおりに首筋をなぞるように唇をずらしていく。 こいつの感じるポイントは先刻ご承知の俺だ。 やがて、太朗は諦めたのか俺に全てを委ねて密やかな喘ぎ声をあげ始めた。 「全く信じられないぜ! 何、考えてんだよ」 ブツブツつぶやきながらも太朗は俺の為にコーヒーを入れてくれている。 俺はリビングのローソファーにゆったりと座って満ち足りた気分で煙草をくゆらせている。 “ああ、いい眺めだ……” キッチンにいる太朗は、素肌に少し大きめのYシャツを羽織っているだけ。もちろん下は穿いていない。女の子にありがちなシチュエーションだがなかなか太朗も色っぽい。 「でも良かったろ?」 そう言いながらウインクしてやると、途端に真っ赤になってしまう。ホ〜ンと飽きない奴だ。 坂東太朗、二十五歳。俺のもう一つの顔、同性愛作家――吉野真理(よしのまり)――の担当編集者である彼が俺の最愛の人間だ。俺達は世間様には公に出来ない恋人同士なのだ。男同士で愛し合ってるホモカップルと言うわけだ。 「ところで太朗、何か用事だったのか? 〆切は今月じゃないハズだろう」 少し濃いめのブルーマウンテンを一口飲んで俺は聞いた。テーブルを挟んで向かい側に座ったあいつは待ってましたとばかりに身を乗り出して、こう切り出したのだ。 「真理! 温泉へ行こう」 「えっ?」 聞いてやった割に俺は別の所に意識を飛ばしていたので太朗の話が耳に入ってこなかった。身を乗り出した太朗のYシャツがうまい具合にテーブルの端に引っ掛かって、裾から覗いている奴のナニ……に目を奪われてしまっていた。 「もう……どこ見てんだよ! 真面目に聞けよ」 視線に気付きシャツの裾を引っ張りながら太朗は俺の隣に移動してきた。 ターゲットを捕捉した俺は、再び伸ばした手をこっぴどく叩かれるハメになった。 「真理、今度そんなことしたら俺、帰る!」 目をつり上げて怒りまくっている。ホントカワイイ奴だ。 そんな事を言いながらも下着を付けないんだから、太朗も同罪だと俺は思うんだが。 まあ、ここは一つ、あいつの言い分を聞いてやろうじゃないか。 「で、何なんだ?」 俺は新しい煙草に火を付けて太朗を促した。 「温泉取材の許可が下りたんだ。編集長から。しかも三泊四日で!」 「ハッ? 話が見えないんだが」 「この前、お前言ってたろ。温泉にでも浸かってゆっくりしたいって」 「ああ。それは。でも何でそれが取材になるんだ?」 「嘘も方便。次の作品に温泉を使いたいからって編集長に言ったらさ、真理先生のお陰で発行部数も増えた事だし、行ってもいいって言ってくれたんだ。それで担当編集者の俺も同行してもいいって。ホラ! チケットもあるんだぜ」 脱ぎ捨ててあったジャケットのポケットから紙切れを取り出してヒラヒラさせる。 「ホォ〜そりゃ太っ腹だな。何か妙な事でも起こらなければいいんだがな」 「そんな事あるワケないだろ。なぁ真理の予定は? 俺の方は今からでもOKだぜ」 普段の太朗は実に男らしい精悍な顔付きをしている。どちらかと言うと俺の方が女々しい顔立ちなのだが、願い事や頼み事をする時などには一気に幼い表情になる。その変化が面白くて俺は気に入っている。今もそうだ。いたずら小僧の様に瞳を輝かせて俺ににじり寄って顔を覗き込んでいる。そんな顔で迫られたら俺は何も言えなくなってしまうのだ。「今日から一週間はオフだ。明日出発しよう」 返事に顔を輝かせた太朗を俺は引き寄せ、そのまま押し倒した。 ……と言う訳で、やって来ました温泉地。 「なんだぁ、ここは!」 無人駅の改札を抜け、今にも倒れそうな古くさい駅舎を出た俺の第一声がコレ。 見渡す限り何もない。山奥の鄙びた温泉地と言えどもこれはないんじゃないか? 俺はアングリと口を開けたまま立ち尽くしてしまった。 ところが太朗の方は何の疑問も感じていないらしく、探し物でもするかのようにキョロキョロあちこちを見渡している。 「―――っかしいなぁ。迎えの車が来てるハズなんだけどなぁ。あっ! あれだ!」 叫ぶやいなや俺の腕を掴んで、はるか彼方に土煙をあげながら走ってくるライトバンに向かって走り出した。 俺は太朗に引きずられたまま『まぁ、いいか。なる様になるさ』と考えていた。 着いた所は旅館とは名ばかりの民宿に毛の生えた様な建物だった。腰の曲がったばあさんとバンを運転していた、息子と呼ぶにはかなり年期の入った奴と二人で切り盛りしているらしい。 客は俺達以外には居そうもなかったし、宿の規模から言っても、それで十分といったところだ。 案内された二階の部屋は、宿の外観からは想像出来ないほど小綺麗だった。形ばかりの床の間には、お世辞にも美しいとは言えないけれど花も生けてあった。 「風呂は谷川の側にござりますでな、ゆうるりとしてくだされや」 ばあさんは日本昔話にでも出てきそうな言葉でそう告げると、さっさと部屋を出て行った。 「ん〜、空気がウマイ! やっぱ田舎は良いよなあ真理。心が洗われる!」 荷物をドサリと下ろして、山側の窓を全開にして太朗は張り出し窓の手摺にもたれて、呑気そうに伸びをしていた。 「あれ……?」 張り出し窓に腰掛けて、辺りの風景に見とれていたはずの太朗が首をかしげて身を乗り出した。 ばあさんが入れてくれたお茶を一口飲んで俺は問い返す。 「どうした?」 「ん……誰かに見られてる様な気がしたんだけど……気のせいかな?」 「オイオイ着いた早々、ヘンな事言うのはよせよ」 太朗は、俺の返事に身を乗り出したまま辺りを探っていた様だったが、何も見当たらないのか、 「やっぱ気のせいだよな。それより、風呂だ! 風呂!」 意気揚々と叫びイソイソと浴衣に着替え始めた。 結構な時間汽車に揺られた俺は、もう少し落ち着いてから……と言いたかったのだが、太朗のあまりのはしゃぎように、仕方無く浴衣に着替え後に続いた。 「なんじゃこりゃ!」 温泉があるはずの場所に着いて、再び俺はこう叫ぶハメになった。 谷川の側の立て札には、こう書かれていた。『わき出ている湯を岩場の石で塞き止めて温泉を造りましょう』と。 溜め息をつく俺の側では、太朗は喜々として岩だの小石だのを集め始めている。 「楽しいよな真理! ホントにこんな所があるなんて思ってなかったよ」 「――――ってお前、知ってたのか? こんな温泉だって!」 「うん。あれっ? 言ってなかったかな。セルフサービスの温泉なんだぜ、ココ」 聞いた様な気もするが……。 俺は太朗と二人きりで旅行だ! 言う事に心を奪われてしまっていて、聞き逃していたんだろう。 けどまぁ、何て嬉しそうな顔をしてんだよ。 ここしばらく仕事に追われて、太朗の死にそうな顔しか見てなかった俺は“これはこれで趣があるか”なんて気にさせられてしまう。 それ程太朗の笑顔は輝いていた。 で、結局。俺達は二時間ばかりかけて、どうにかこうにか湯の漏れない、水溜まりの様な可愛らしい温泉を作り上げた。 少し熱めのお湯にゆっくりとつかると、疲労感が癒されていく。 けっこうハードな作業だった。俺は額に汗して働くなんてことに無縁の作家稼業だし、太朗にしても一日中部屋にこもってデスクワークの穴倉生活者だし。 そうだ太朗は? と目を向けると、岩場に頭を預けて目を閉じている。全く無防備なその態度に、俺の中の悪いムシがムクムクと頭をもたげ始める。 だめだ! こんな所で―――。 いけないと思いつつも、そういう気になった自分を俺は止める事が出来なかった。考える間もなく俺は太朗に襲いかかってしまった。 ヒドイ抵抗にあうだろうと予測した俺の期待(?)はものの見事に裏切られた。 なんと太朗は進んで体を開いてくれるじゃないか。 これはどうした事なんだ? 湯の中で全身をホンノリとピンク色に染めて、いつも以上に感じているのか唇から漏れる喘ぎ声も艶やかで色っぽい。俺の方が辺りを気にして集中出来ない有様だ。 「真理……すっごくイイよ。感じる……ああっ!」 素直にそんな事を口走るのも珍しい事だ。 「来てよ、真理。一気に……ねぇ、早く!」 俺の腰に足をからめ、潤んだ瞳で見つめる。その上こんな風にねだられたらイヤが上にも煽られる。俺も我を忘れて太朗の体に突進した。 「ゴメン、真理。俺……」 宿へ続く道を歩きながら、太朗はつぶやく様に繰り返す。さっきの太朗の乱れ方をからかったのがいけなかったらしい。うつむいたまま俺の後ろをトボトボとついてくる。おまけにあやまってばかりだ。らしくない。 太朗が立ち止まる気配に、つられて俺は振り返った。何かを思っている様子で太朗は立っている。 俺は煙草をくわえたまま見ている事しかできなかった。やがて太朗は思い切った様に口を開いた。 「俺ね、ホントは真理の事スッゴク好きだ。けど真理はそんな素振り見せてくれないし、平気で他のヤツにちょっかいかけるし。俺だけホレてるのが悔しくて、絶対、自分から言わない様にしてた。けどサ、こんな大自然の中にいたら、そんなコト考えてんのがバカらしくなったんだ」 なるほど、そういう事だったのか。全く、太朗らしいと言うのか何と言うのか―――。 俺は軽い溜め息を吐いて、煙草を捨てると太朗を引き寄せた。 「この間言ってやったばかりだろうに何聞いてたんだ、お前は! 俺の最愛の人間だと教えてやっただろ? 俺はね太朗しかいらないの。他のヤツをからかうのはお前にヤキモチを焼いてほしいから。今日のお前も勿論、新鮮で良かったけど、いつもの太朗の方がヤリがいがあるってもんさ」 その言葉がもう一度聞きたかった、と照れた笑いを浮かべて腕を回してきた。俺は太朗を抱き締める腕に力を込めた。 うん。一目を気にしなくていいって事は、随分と気持ちのイイものだな。こうして二人でイチャつきながら歩いていても、咎める奴などいやしない。鄙びた過疎の温泉地も悪くないな。編集長もなかなか粋な事をしてくれたじゃないか……考えていた時だ、太朗が急に足を止めた。 「ん? どうした」 問い掛けた俺に答える代わりに、振り返った太朗は俺達の造った温泉の方を指差した。 「あそこから誰か覗いてた様な気がしたんだけど……。さっき旅館で感じたのと同じ感じだった」 指差された方を見ても俺にはそんな気配は微塵も感じられなかった。 「気のせいだろう。湯に浸かりすぎたのかもしれないな。風も出てきたし湯冷めするといけないから早く戻ろう」 尚も背後を気にする太朗の肩を抱いて、俺は宿へ向かって歩き出した。 旅行のもう一つの楽しみである食事も十分満足のいく物だった。一流ホテルや名物旅館のように華やかなものではなかったけれど、山菜を中心とした精進料理っぽいもので、“心尽くし”と言う表現がぴったりくるものだった。 日々の食事を外食や店屋物で済ませている俺達の胃袋を優しく満たしてくれた。 食事の間も、太朗は河原でのことが気になるらしく、料理に舌鼓を打ちながらも、心ここにあらずという風で窓の外を気にしていた。 食事が終わり、ばあさんが床を延べて出て行ってからも、太朗は窓辺に腰掛けて、飽きもせず真っ黒い山や河原の辺りをを眺めているばかりだった。 俺は隣に腰かけて煙草に火を付けた。 「まだ気になるのか? 一体何がいたんだ」 俺の肩に頭をもたれさせて寄り掛かってくる。普段の俺ならこれだけで、有無を言わさず太郎を押し倒すのだが、昼間散々ヤリまくった後では、さしもの俺もそんな気は起きなかった。柔らかい髪に指を絡めながら、俺は太朗の声に耳を傾けた。 「小さな男の子だった。なんだか淋しそうな目をしてサ、俺達のことニラミつけてた。気のせいなんかじゃないよ。本当にいたんだ」 そのまま口を閉ざし暗闇に目を向けた。 どれくらいの時間、そうしていたのか……。気が付くと太朗は深く眠り込んでいた。 二日目―――。 朝日とは無縁の俺達ですら、窓から射し込む太陽と清々しい空気に気分よく起こされた。 人間、食べるべき時間に食事を摂り、寝るべき時間に寝さえすれば、まっとうな時間に覚醒めるものだと、俺は改めて思った。 が、日常に戻った時、それを実行しようという気はさらさら無い―――。 今は俺にとって非日常なんだから。 早々に朝食を済ませた俺は、ばあさんに無理を言って昼飯用の弁当をこしらえて貰った。 太朗は昨日の視線をまだ気にしている。沈み込む太朗なんて願い下げだ。こっちまで気が滅入ってしまう。 降ってわいた様な休日なのだ。おまけに温泉だ。楽しまなきゃソンってもんだ。 で、おれは作って貰った弁当を手にして『森林浴をしよう』と太朗に持ち掛けた。 気力・体力共に十分休息を取った体は軽く、山歩きも苦にはならない。森を抜け河原へ降りる頃には太朗もすっかり視線の事を忘れたようだった。 俺達は童心に帰って水遊びを楽しんだ。 一体何年ぶりだろう水遊びをするなんて事。高校生でデビューしてから今まで、こんなにのんびりとした事はなかったな。 取材旅行には何度か出かけたが、日程ギリギリで観光するなんて事は皆無に等しい駆け足旅行だったし。望んで物書きになったとは言え少し寂しい気がするのも事実だった。 早めの昼食を摂って俺達は早速、温泉造りに取り掛かった。昨日の場所よりももっと良い場所を見つけたのだ。 ここはどういう原理になっているのか、そこここに湯が沸きだしている。 太朗は相変わらず、喜々として岩を積み上げている。 一度造ってコツをつかんでいた俺達はそれ程の苦労もなく、昨日より短時間で前より少し大きめの湯船を作り上げることができた。 岩にもたれて目を閉じる……。 あまりの気持ち良さに意識が遠のきかける。 「オ〜イ、真理!」 呼び掛ける声に目を開けると、全裸の腰に手ぬぐいを巻き付けた太朗の姿が目に入る。逆光になっているから表情までは読めなかったが、声の調子から何かしでかそうとしている事ぐらいは読めた。 勢い良く飛び込んでくるか、湯を派手にかけてくるか……それくらいの事しか考えてないとは思ったが、俺は先手必勝とばかりに太朗に湯を浴びせた。 「やったなぁ〜真理!」 反撃に出ようと太朗が身を屈めた時だ“うわぁ〜”の声と共にバランスを崩して足を滑らせた。 ナント! マンガの中のワンシーンの様に、太朗は俺の体にまたがる様にして乗っかっている。 棚からぼたもち―――とはこの事だ! 俺はそのまま腕を回して太朗を引き寄せ口付けをした。太朗も一瞬戸惑いはしたもののすぐさま悩ましげに腰を押しつけてきたものだから一気に火が付いてしまった。あとはもう済し崩しに昨日の続きに突入だ。 太朗は自らソコに俺自身をあてがって腰を静かに下ろす。湯が潤滑油の役割を果たしてくれるので挿入はスムーズだった。 「……あぁっ」 羞恥に身を染めて、太朗が腰を使いはじめた時だった。 「かあちゃん!」 という甲高い叫び声と共に今度は少年が降ってきた――。 俺達は飛んで離れた。 声の主である少年は“かあちゃん、かあちゃん……”と繰り返しながら、太朗にしがみついて離れようとしない。俺達は訳が分からず顔を見合わせるばかりだった。 『―――太朗? 誰だ、こいつは』 目で問い掛ける俺に、 『さぁ?』 少年をしがみ付かせたままフルフルと首を振る。 「坊主。お前、誰だ?」 困り果てた顔で太朗が少年に聞いた。 少年はようやく腕を放して、俺達二人をマジマジと見る。こぼれ落ちそうな黒い瞳が印象的な小柄な少年だった。 「オイラはヨウタ」 ヨウタは大きな瞳をクルクルと動かして太朗を見上げている。 「なぁヨウタ、俺はお前のかあちゃんじゃないぜ。俺は太朗、こっちは真理。それに俺達、男だよ?」 ホレ、と湯船から立上がり自分自身を指差した。 誰も見てないとは言え大胆すぎる! 行為を中断されてしまった俺は目のやり場に困ってしまう。なのにヨウタはそれをシゲシゲと眺め、 「オイラのかあちゃんにもついてるもん」 と、事もなげに言うではないか。 再び、俺達は顔を見合わせるハメとなった。 「コイツの親って男同士? しかもホモなの……か?」 と。 「太朗、かあちゃんに似てる……」 ポツリとヨウタはつぶやいた。 「昨日、俺達を見てたのお前だったのか」 ヨウタはコクリとうなづいた。 太朗は視線の元が分かってホッとしたようだった。 ヨウタには母親が居ないらしい。出かけたまま帰ってこないのだそうだ。今は山の奥に人間嫌いの父親と二人で暮らしている。時折、母親が帰ってくるのではないかと里に降りて来るのだと言う。よく見るとヨウタはガリガリに痩せていた。余程、腹を空かせていたのか太朗が差し出した昼飯の残りを美味そうにペロリと平らげた。 どれくらい話をしていたのか、気が付くと陽はそろそろと山の端に隠れ始め辺りを薄闇が覆い始めていた。太朗は宿へヨウタを誘った、だが、ヨウタは首を振り、 「あすこのばあちゃんにオイラは嫌われてるからな。いつもイタズラ子……小僧って、石投げるんだ。オイラあのばあちゃんキライ!」 キッパリと言い切った。 『どうして……』とヨウタの顔を覗き込んだ太朗の方が、今にも泣き出しそうな顔をしている。ヨウタも沈んだ瞳をしている。 ああ、もう! 又、暗くなってくるじゃないか。 太朗にそんな顔は似合わない。どんな時でも笑っていてほしい。どんなに疲れていても俺の前では笑顔を絶やさない太朗が好きなんだから。ここは一肌脱いでやろうじゃないか。 「なあヨウタ。俺達明日も居るから、山を案内してくれるかい?」 どんな男でもイチコロの特上の微笑みを浮かべて俺がそう声をかけると、ヨウタは途端に顔を輝かせ、 「うん。オイラ、さっきの場所でまってるからな! 約束! 指きりな!」 強引に太朗に指切りさせると、クルリと背を向けピョンピョンと跳ねるように木立ちの中へ消えて行った。 「真理……さっきはありがとう」 その夜、布団の中で太朗は俺に抱き付いてそう告げたのだ。 旅先では何が起こるか判らない。だからこそ旅行は楽しいんだが、今回の太朗には本当に驚かされてばかりだ。しおらしく礼の言葉が出る事なんて滅多にない事だ。編集長の粋な計らいに俺はもう一度感謝した。 その夜も俺達は当然のごとく燃えた。燃えて燃え尽きて眠りについた。 次の日。 ヨウタは昨日会った場所でキチンと待っていた。俺達が見つけるより先に、太朗の姿を認めた彼は転がるように駆け寄ってきた。 「こっち。こっち!」 太朗の側を片時も離れず、彼の手をしっかりと握り締めて、山の中をあっちこっちと引っ張り回してくれる。ヨウタに案内されるがままに山を歩き回って、比較的歩きやすい山だと言う事が分かった。緑も豊富だった。今まで目にした事のない高山植物があちこちに咲き乱れ、その間には図鑑や動物園でしかお目にかかった事のない動物が見え隠れしていた。ただ一か所だけ危ないところがあるにはあった。木々の緑と木漏れ日の美しさに目を奪われて迂闊に歩き回っていると、とんでもない事になってしまう。奥にある山とガケが一体化して見えるのだ。際まで行って気が付くといったように……うっかり足を踏み外せば真っ逆様に谷底だ。ヨウタはそこの事を“命知らずのガケ”と呼んでいた。今まで何人もそこで命を落とした……とも。 しかし、木の実の食べ方から茸、山菜の見つけ方まで“山の事なら何でもござれ”と言ったヨウタには俺は感心させられてしまった。 昼飯にしようと小高い丘の上に立って場所を探していた時だった。 突然、一発の銃声が轟いた。 瞬間―――。 ヨウタは金縛りにでもあったかの様に全身を強張らせガタガタと震えだした。太朗が慌てて抱き締めようと伸ばした手を振り切り、はじかれる様に“ウワァ〜”と叫び声を上げて走り出した。 咄嗟の出来事に俺達は呆然と立ち尽くす。しかしのんびりとはしていられなかった。ヨウタが走っていくその先には、さっき教えて貰ったばかりの“命知らずのガケ”がある事に思い出したからだ。俺達は慌ててヨウタの後を追った。が、あの小さな体のどこにそんな力が眠っていたのか。彼よりも遥かに大人の俺と太郎が必死に追いかけているにもかかわらず、ヨウタとの距離は縮まるどころか、どんどん離されていく。 ガケはもう目の前に迫っている。だがヨウタには見えていないらしい。必死に叫ぶ俺達の声も彼の耳には届いていない様だ。その証拠にヨウタのスピードは益々早くなっている。山の事を知り尽くして居るだけに余計始末に負えなかった。 太朗が立ち止まり隣を行く俺に目配せをし、息を思い切り吸い込んだ。何をしようとしているのかを瞬時に理解した俺は、太朗に軽くうなづきかえして、ヨウタを追いかける事に専念した。 「ヨウタ、止まれ! かあちゃんはここだ!」 やや間を置いて太朗が渾身の力を込めて叫んだ。 良く通る太朗の声はヨウタの耳に届いた。 目に見えてヨウタのスピードが緩む。> 俺はすかさずヨウタに飛び付いた。 「この山、前はたくさん生き物がいた。鳥も動物もみんなオイラの友達だった。オイラのかあちゃんみたいだった。けど、アイツラが山に出入りする様になって、銃声が山に響くたびに仲間が消えていった。オイラ、アイツラが憎い! このまんまじゃ、オイラ一人ぽっちになっちまう……」 「ヨウタ、ヨウタ……」 太郎はヨウタを抱き締めて、繰り返し繰り返し、歌う様に髪を優しくなでてやっている。 ヨウタをガケの寸前で捕まえた俺達は、先程の小高い丘に戻ってきたいた。 「あのばばぁの所にはアイツラがよく泊まってたから、初めは太朗達もアイツラの仲間だと思って見張ってた」 けど、あんまり楽しそうだったからつい、仲間に入ってしまった。そう言うと太朗に甘える様に体をすり寄せた。ヨウタの仕草が余りにも幼くて頼りなげで、俺も反対側からヨウタを抱き締めてやった。 「ヨウタ。俺は何の力も持たないちっぽけな人間だ。でも、これ以上山を荒らさない様に呼び掛ける事はできると思う。日本は自然の美しい国だから、俺もこの自然を守りたいと思う」 一言一言かみ締める様に告げる太朗の言葉に、ヨウタは首を回して太朗を見上げる。 「ホント……に?」 「ああ、本当だ。何もあんな人間ばかりじゃない。俺も太朗も都会に暮らしているから、ここに来るまでこんなに綺麗な自然が残ってるなんて思ってもみなかった。できる事ならここでずっと暮らしたいよ」 俺も太朗の意見に同意した。それは本当の事だ。今それを実行に移せるかどうかは別としても。 「本当に? 本当にそう思ってるのか? 太朗も真理も……」 俺達の顔を交互に見ながらヨウタはまだ不安そうだった。<BR> 「ああ、本当だよ」と、二人してうなづいてやるとヨウタはようやく安心した様なタメ息を一つついた。 そうしてしばらく俺達三人は、目の前に広がる山をただ黙って見つめていた。 「オイラ帰るよ。とうちゃん待ってるから……」 スルリと俺達の腕を抜け出してヨウタは立ち上がった。 “じゃあ”と手を振り、昨日と同じように山の奥へと消えて行った。 「なあ、真理。俺達って一体、何なんだろう。あんな気休めしか言ってやれない俺達って……」 ポツリとヨウタの消えた山奥を見つめていた太朗が言った。俺は太朗の肩を抱き寄せて、 「それでもヨウタは嬉しかったんだと思う。気休めでも何でも、山を自然を愛しいと思った俺達の気持ちは伝わったはずだ」 そう言ってやる事しかできなかった。 次の日の昼過ぎ俺達は山を後にした。 今日、帰る事は教えておいたのにヨウタはやって来なかった。ただ、部屋の窓の所に赤い花がポツンと置かれていた。 沈み込んでいる太朗を促してライトバンに乗り込む。 駅へ向かう間中、太朗は窓から山の方を見つめていた。山が見えなくなる最後のカーブに差し掛かった時、 「止めて! ちょっと止めて。早く!」 太朗が叫んで、後部座席から運転手を引っ張った。首を締められた形になったおっさんは咄嗟にブレーキを踏んだ。 キキキィ……派手な音を立てて車が止まる。 はずみで俺は座席に頭をイヤと言うほどぶっつけた。 「――― ってなぁ。何なんだよ、太朗」 額をさすりながら俺は恨めしげな目を太朗に向けた。太朗は窓にしがみついて、一点を見つめている。 「真理! あそこ! あそこ見て!」 視線を辿ると“命知らずのガケ”の辺りに立つ少年の姿が目に入った。 「ヨウタだ!」 俺達はドアを開けバンを飛び出しガードレールに駆け寄った。 「ヨォ〜タぁ、元気でなぁ〜」 声の限り太朗が叫ぶ。この距離ではとても届くとは思えなかったが、それでも叫ばずにはいられなかった。俺も負けじと声を張り上げた。 「立派な大人になるんだぞぉ〜」 俺達はちぎれんばかりに手を振った。 ヨウタはペコリとお辞儀をしたように見えた。 そしてその姿は山へ消えた。 東京へ向かう列車の中。 「ヨウタ……立派な狐になるといいな」 窓に頬杖をついて流れる景色を見ていた太朗がポツリと漏らした。 「なんだ気がついてたのか?」 「何となく……ね。けどサ、俺のどこがアイツのかあちゃんに似てたんだろう?」 ゆっくりと視線を俺に戻し、今までとは打って変わった口調で聞いてきた。 「お前のアレがかあちゃんのシッポと重なったんじゃないの?」 「俺の…って? それなら真理にもあるだろうが。俺よりも立派なヤツが!」 俺は何気なく言ったつもりだったんだが、太朗は見事に反応してくれる。どこまでも飽きないヤツだ。 「生憎と俺のはヨウタには見られてないからな」 「?」 「常にお前の中にあったし……」 「……バカ!」 太朗は照れて顔を赤く染めて窓の外に目を逸らした。 ヨウタはヨウタらしく生きていくだろう。 自然をあるがままに受け止めて。 彼には彼の生活の場がある様に、俺達には俺達の生活が待っている。ヨウタよりも遥かに厳しい現実が。なんせ世間様におおっぴらに公表できない関係だからな俺達は。それを一生懸命生きて行くだけだ。 けど、たった三泊とは言え面白い体験をしたもんだ。これを次のネタに使わない手はないよなぁ。 旅情ミステリー? それとも……? さぁて、どのように料理しようか……。 「なぁ、太朗?」 問い掛けた相手は、俺に寄り掛かって安らかな寝息をたてていた。 辺りが夕闇に包まれる頃、車窓に流れる景色は山の緑からネオンが瞬き始めた都会へと姿を変え始めていた。 |