“川の交わる場所”シリーズ

4. Midsummer   Jealousy
act 1

一週間ぶりに太朗に会える――――。
 何やらトラブルがあったらしく、約束の留守電は一本しか入ってなかった。
 それについてとやかく言うつもりはない。
 俺の方も時間に縛られて約束を守れなかったのだからお互い様と言うところだ。
 故に、顔を見るのも一週間振りなら、声を聞くもの一週間振りの事で、船でのんびりと帰ろうという編集者の有り難い申し出を断って、キャンセル待ちまでして手に入れたチケットで俺は機上の人となったのだ。
 逸る心を押さえつつ空港からアイツの勤務先へタクシーを飛ばし、編集部のある三階迄階段を一段飛ばしに駆け上がり編集室のドアを開けてみれば……あろう事か太朗はクマのような奴の腕の中にいた。
(ハハ〜ン、こいつが太朗の言ってたセンパイなる人物だな)
 俺を認めたセンパイとやらは、何を思ったのか、太朗を己の懐ふかく抱き込もうとした。
 それを見た瞬間、頭が真っ白になって俺は――――。
 気がつけばセンパイとやらを殴り飛ばし、太朗の体を肩に担ぎ上げて編集室を後にしていた。

「真理、いい加減下ろしてくれよ。皆が見てる。恥ずかしいよ」
 肩の上で太朗が抗議の声を上げた。声を無視して歩き続けていると今度はジタバタと暴れ始める。不安定な格好、しかも場所は階段。ヘタをしてバランスを崩してケガでもしたら、飛んで帰ってきたイミがない。仕方無く肩から下ろして拘束する場所を手首に変える。見掛けによらず華奢な手首を掴んだまま、一階へ向かった。
「何をそんなに怒ってるんだよ?」と伺ってきた顔を無言で睨み付け、そのまま受付を通り過ぎ、通りでタクシーを止め「乗れよ」と顎で促した。
「仕事、放り出す訳には行かないんだ。できるだけ早く終わらせて行くから、先に帰ってろよ」
 言いたい事を言ってビルの中へ戻ろうとする手を引き止め、
「いいから乗れ!」
 無理やりタクシーに押し込む。続いて乗り込んで運転手に行き先を告げた。
「なあ真理、マジで先輩一人に押しつける訳いかないんだ。わかるだろ?」
「言い訳は家に帰ってから聞く」
 尚も言い募る太朗に同じ台詞を吐いて俺は目を閉じた。何を言っても無駄だと判断した太朗は深々とシートに身を沈めると諦めにも似た小さな溜め息をついた。

 金を払ってタクシーを降りた俺に安心したのか、降りもせず『引き返してくれ』と告げる声を遮って腕をとった。訝しそうな顔を向けた初老の運転手にしたくもない愛想笑いを返しながら、渋る太朗を力ずくで引っぱり降ろす。走り去るタクシーを未練たっぷりに見送った太朗は逆らう気も失せたのか、大人しく俺に従った。

「一体、どうしたって言うんだよ。何か俺、気に触ることしたかなぁ?」
 手馴れた仕草でコーヒーを入れながら、訳が判らないといった表情で太朗が天を仰ぐ。
 俺はリビングのローソファーにドッカと座って、太朗の背中を睨み付ける。
『したかなぁ』だとぉ〜、脳天気な物言いが俺の勘に触った。
 大体、長期(俺に取っては今までの最長記録だった)の取材旅行から帰ったばかりの恋人に『お帰り』の一言が無い。俺はコイツに会いたくて、キャンセル待ちまでして戻ってきたというのにだ。
 俺の怒りが何処にあるのかなど全く気付いていない太朗は、トレイに載せたカップを俺の前に滑らせながら相変わらずの調子で「本当に仕事、忙しいんだからな。これ飲んだら俺は戻るからサ」と続けた。
「お前が、そんなに仕事好きだとは思ってもみなかったな。どうした心境の変化だ? そんなに一緒に仕事がしたかったのか、あのクマ野郎と! この一週間の間に何があったんだ?」
 俺はイライラと煙草を取り出し、火をつけながら言葉を吐き出す。意識したつもりは無かったが地を這うような声になってしまった。
「なに…言ってんだ、真理?」
 そこでようやく普段の俺と違うと気が付いたのか、太朗は口元に運んでいたカップをソーサーに戻して首を傾げた。
「この一週間の間に何があったのか、と聞いてるんだ。俺との約束を忘れる程いいことがあったのか?」
 そうだ、俺は柄にもなく留守電を聞くのを楽しみにしていたのだった。
これまでの取材は長くても三日程だったし、それくらいならば会わなくても声が聞けなくても平気だったのだ。まあ俺の方から電話を掛けるなんて事は滅多になかったし、居ないと判っていてもコイツは留守電を入れてくれていたし、仕事でカンヅメ状態の時でも(俺の都合などお構いなしに)マメに連絡をくれていたのだ。それが今回に限ってこの有り様だ。俺の心の中を少しでも理解してくれてもよさそうなもんだ。
「それは、留守電に入れてただろ。あの通りだよ」
「あれだけでは解らんさ。もう少し解るように説明してもらいたいもんだ。俺は頭の回転が悪いもんでね」
 我ながら陰険な言い方だと思った。太朗の目が真ん丸くなる。わがままなガキの言い草みたいだとも思ったがもう遅い。自慢じゃないが俺は自分から謝ったことなどない。一旦、口にした言葉を簡単に撤回ことは出来ないのだ。
 俺はソファーにふん反り返ったままで太朗を睨んだ。
「だから、先輩の具合が悪かったから、あの日から泊まり込んで看病してたんだ」
 何度も同じことを聞き返すなと言うように同じ言葉を繰り返す。
 そんな事で俺との約束を破ったというのか?
 俺の存在ってそんなものだったのか?
 人でごった返す新幹線のホームで、人目を気にしながら『愛してる』と面と向かっては絶対、口が避けても言わないような台詞を吐いた俺の立場はどうなる?
「下の世話まで?」
様々な思いが下世話な台詞となって口を付いた。
 質問の意味を的確に理解してくれた太朗は瞬時に真っ赤になって否定する。
「そっ、そんなことする訳ないだろ! 冗談も程々にしとけよな!」
「そうか?」
「当たり前だ!」と憤慨した様子で言い「アレは真理とだけしかしないよ……」と呟くように付け足しコーヒーを啜る。
「それはまあいいとして、だ」
 短くなった煙草を灰皿に押しつけて、テーブル越しに太朗を見つめる。
「大体、付きっきりで看病しなきゃならんような病気って、一体なんなんだ? アイツのどこがそんな病気に罹ったって? 信じろってほうにムリがある。そうじゃないか?」
「それは……」と口ごもり視線をカップに落とす。
「言えないのか?」
「俺の口からは言えない。でも、先輩には誰かついててやる人間が必要だったんだ。たまたま俺が居合わせただけで……」
 俯いたままモゴモゴと喋る。太朗らしくないはっきりしない言い方がまた俺の勘に触る。
どうあっても理由を言う気はないらしい。
 こいつは俺に従順なように見えて、意外に頑固なところもある。言うまいと決めたなら口を開かせるのは難しいことだとは判っている。が、俺にも意地がある。太朗がその気ならこっちもとことん付き合うまでだ。キチンと納得できる話が聞けるまでまで引き下がるつもりはない。
「その言い方だと、別にお前じゃなくても良かったように聞こえるが……どうして断らなかった?」R>
「そんなことできる訳ないだろ? 編集長に頭下げられたんだから」
 この言葉は一応、納得できるものだった。が、どうして太朗だったんだ? と別の疑問が頭に浮かぶ。おまけにタカが一人の部下の為に編集長自ら頭を下げるなんてことがあってもいいのか?
「他の奴と交替でってことは考えなかったのか?」
 俺の質問は当然のことだろう。こいつにとって先輩ならば、他の奴等にも先輩にあたるか同僚ってことだろう、なのにどうして太朗だけに押しつけられなきゃならないんだ。
「そんなこと……考えなかった」
 ポツリと呟いた言葉は太朗らしいと思うし、そう思えば納得もできる。が、何となく面白くない気分になってしまう。
「俺との約束も忘れて、アイツの面倒をみてたって訳だ」
「忘れてた訳じゃない。時間がなかったんだって。でも、そこんところは留守電で説明してただろ? そりゃ言葉、足りなかったかもしれないけど―――信じてくれないのか?」
 伺うように俺を見る太朗に、たった一本きりの留守電を思い出す。イヤ、あれはその前の日のものだったか―――。
『真理……』と呼び掛けてくれた後に続いたのは、獣のような叫び声と『先輩!』と何やら切羽詰まった太朗の声。後は、微かに物音が聞こえるだけで、それがしばらく続いた。そして『真理、ゴメン』申し訳なさそうな太朗の声でテープは終わっていた。
 俺がフロントに言付けた太朗のメッセージと留守電を聞けたのは、東京に戻る前の日だった。
 留守電のことは置いとくとしても―――だ。明するというのだろう。
 口にするのも腹立たしいが、言わなければ太朗は絶対、気が付かない。
 ムカつく気持ちを押さえて俺は口を開く。
「信じろってほうがムリだろう。俺がドアを開けた時の状態を思い出してみろよ」
「あれはふざけてただけだって―――」
「そう思ってるのはお前だけだ。アイツは真剣だった。あんな奴と一週間も一緒にいて、何もなかったと思えってほうがムリだと思うがな」
「先輩はそんな人じゃないって!」
「そうやって庇うあたりが怪しいんじゃないか。何も疚しいことがないんだったら、堂々としてればいいじゃないか。そんなにアイツが大切なのか? 好きなのか? 俺よりも?」
「何…言ってるんだ? 真理。先輩のことは好きだよ。でも真理に対する好きとは違うよ。先輩は先輩、真理は真理。比べられる訳ないだろ?」
「優等生の模範回答だな。生憎、恋人の言葉を鵜呑みにする程、俺はおめでたくできてない。アイツ―――お前の好きな先輩は俺達と同じ臭いがするからな……」
「どう言ったら信じてくれるんだよ?」
「正直に何があったか言えば済むことだろう? アイツについてなきゃならなかった理由をだ……」
「だから! それは俺の口からは言えないんだって!」
 太朗は唇をかみ締めて俯いた。その仕草が俺のイライラを増長させる。
「言えないようなことを、したのか、されたのか!」
 たまらずテーブルを叩き、声をあらげてしまった。
 これではガキのケンカと変わらない。いつまで経っても堂々巡りを繰り返すだけだ。なんでアイツの事で俺達がケンカ紛いの事をしなきゃならんのだ。本来なら再会の抱擁をしているところかもしれないのに。<BR>
 俺はまた煙草を取り出し、火をつけ深く吸い込むと煙りを吐き出した。その時だった、太朗が「……判ったよ」と呟いて顔を上げた。どことなく思い詰めたように見えた。
 俺の瞳を捕らえたまま軽く深呼吸をするとおもむろに立ち上がり、
「そんなに信じられないんなら、確かめてみればいい」
 そう言い捨ててシャツのボタンを外し始める。
 まさかそんなことを言い出すとは思ってもいなかった。
俺は煙草を手にしたまま太朗の行動を眺めていた。その言葉で『太朗は嘘をついてない』と理解できた。頭では。頭で理解していても『そこまでしてアイツを庇うのか』という怒りにも似た思いが膨れ上がった俺の心に届くのには時間が掛かってしまった。
「それもいいかもしれないな」
 心に届いたのは、言葉を吐き出した後だった。
 止めてくれるだろうと思っていたのだろう太朗は瞳に戸惑いの色を浮かべ躊躇う仕草を見せたが、それは一瞬のことで、黙ったままそれ以上口を開かない俺を恨めしそうな目で見つめたまま、乱暴に着ているものを取り去ってしまった。
 俺の目の前に惜しげもなく裸体を晒して太朗は立っている。
 久し振りに見る太朗の体は相変わらず綺麗だった。
 学生時代から特別スポーツをやっていた訳でもないのに、均整の取れた引き締まった体をしている。不規則な生活が続いているにもかかわらず体型は変わらず保たれていて、肌触りは初めて抱いた時の瑞々しさを失わない。
 潔い太郎を前にしてもうこれで充分だと思うのに、口を付いたのは、
「手をついて四つん這いになれよ。俺の方にケツを向けろ」
 そんな台詞だった。自分でもぞっとするほど冷たい声だった。
 俺の命令に目を見開きながらも太朗は大人しく言葉に従い床に手をついた。引かれるように俺もひざまづく。
 俺を受け入れる器官が目の前に曝される。
 堅く閉ざされた扉のように窄まった秘所は見る限り、誰かを受け入れた形跡はない。
 初めて取らされるポーズに屈辱の為かそこはヒクヒクと小刻みに震えて、まるで誘っているように見えた。
 サンサンと真夏の太陽が差し込む程よくエアコンの効いたリビング。
 日常と違う状況が俺の神経を麻痺させる。
 沈黙に耐えきれず太朗が身を捩るよりも早く、俺の舌はそこに潜り込んでいた。
「やぁっ……真理…やめ……て」
 驚いて身を起こそうとする体を押さえ付け、腰をしっかりと引き寄せる。すかさず舌を引き抜き代わりに人差し指を突き入れた。
太朗が息を詰めたのが差し込んだ指を通して伝わってくる。かまわずに指を軽く曲げ、締め付ける壁を探るようにまわしてやる。
最も敏感な部分を強く刺激してやると抱えた太朗の腰がピクリと跳ねる。そろりと指を引き抜き、間を与えず乱暴に三本まとめて突き入れる。
「あうっ……」小さなうめき声と共に太朗の背中がしなる。そのスキに空いている方の手で前を探ると、そこはすでに堅く立ち上がり熱く熱を帯びていた。
 前と後ろを同時に責められて、両腕で体を支えきれなくなったのか太朗の上半身が床に沈んだ。その体をひっくり返し、指は抜かないまま天を向いて震える太朗自身を口に含み乱暴に吸い上げた。
すぐにソレは先端から甘い蜜を溢れさせ始めた。
「ああ……あっ! ……んっ……はぁっ」
 切なく喘ぐ息が短く、早くなり、差し込んだ指を締め付ける力が強くなる。と同時に口の中の太朗もさらに成長を遂げる。力なく投げ出されたままだった腕が俺の頭を抱き寄せようとする。<BR>
「まっ……真理……もう…」
 艶のある声が哀願の響きをもって俺に訴えかけてくる。限界が近いのだろう、口に含んだ太朗自身も先端が一際大きく膨らんだのが判った。
俺は舌で出口を塞ぎ人さし指と親指で作った輪で根元を締め付け、出口を求めて彷徨う熱をせき止めた。
「……うっ」
 逃げ場を失った熱を受け止めかねて、太朗が呻く。俺はさっさと指を引き抜き身を起こすと、信じられないと言うように見開かれた瞳を見下ろした。
「辛いだろう?」
冷めた声で問い掛けると、瞳を見開いたまま首を上下させる。
「何があったのか言う気になったか?」重ねて問い掛けると、瞳にわずかに力がこもり「俺の口からは言えない」と少し掠れた声で答えた。
 全く! どこまでも強情な奴だ。
 俺は解放を許されず熱を閉じ込めたまま震える太朗自身を根元を締め付けたまま、もう一度口中に取り込んだ。舌で嬲りながら、片手でベルトを外し、すでに充実している俺自身を引っ張り出しながら太朗の両足の間に体を割り込ませた。太朗は体の中に閉じ込められた熱に気を取られていたから、それはとても容易な事だった。それでも、自分の身に何が起こるのか雰囲気で察知したのだろう無意識に逃げを打とうとする身体を無理矢理引き寄せ、膝を抱え上げて俺自身を押し当てた。
 指で慣らしたとはいえ、何の潤いも与えられていないソコは俺の侵入を固く拒む。それに構わず思いきり体を前に倒した。
「くっ……ああ―――っ」
 無理にこじ開けられた苦痛に上げた太朗の悲鳴がリビングに響き渡る。その声すらも俺の耳には官能的に響いた。
 一度も太朗をイかせずに挿入するのは初めての事だった。最初に太朗を解放してやることで、挿入がラクになるのは勿論のことだったが、女と違ってはっきりとした受け入れ器官をもたない受け手の苦痛を少しでも和らげる為にそれは必要な行為だった。抱き締めながら、口付けながら……全身で愛していると教えてやる。心が固いままでは身体も柔らかくはならない。身も心も全てを委ねて、太朗が身も世もなく俺を求めるまで執拗に愛撫を繰り返した。それが俺の楽しみであり、そうすることで太朗にも余裕ができてセックスを楽しむことができるからだった。
「言え! 言うんだ! 何があったんだ!」
 俺は締め付けてくる肉の圧迫に耐え、深く浅く抉るように抜き差しを繰り返しながら問う。太朗は激しく頭を振りながら「俺の…口…言え……ないっ」と否定の言葉を繰り返す。
「イかせて欲しいんだろう、さっさと言ってしまえ!」
 吐き出しながら、ギリギリまで引き抜いたオレで一気に突き上げる。
 ズルリ……。
 いきなりだった。何か潤滑油を注がれたように滑りがよくなった。強引に押し入った為に付けた傷による出血だとも気付かず、それまでキツイ中での行為に限界まで張り詰めていたオレはスムーズになった動きに気を良くし、太朗の答えを待たずに己の快感だけを追い求め、解放へと自分自身を追い上げていった。<BR>
「くっ……うっ……」
 唇を噛み締めて太朗は喘ぐ声を押し殺す。狂ったように頭を振りながら全身で俺を封じこめ動きを止めさせようと締め付けてくる。
「ああ―――っ」
 堪えきれずに口を突いた叫びは、痛みの為なのか、出口を求めて体中を駆け巡る快感によるものなのか―――。
太朗は全身の力を込めて俺の背中に爪を立てる。それすらも刺激となって俺は腰を激しくグラインドさせた。
 いつもその瞬間は我を忘れる。
 諸々のしがらみから解き放たれて、俺は本能のままに快感だけに酔う。
 今も、自分が太朗に何を求めていたかなど忘れ果てていた。ただ、自分の欲望のままに、太朗を力一杯抱き締め、無我夢中で腰を動かしていた。

 あんな風に傷つけるつもりはなかった。言っても信じてもらえないかもしれないだろうが―――。<BR>
 帰り際の太朗の表情が頭から離れない。
 行き過ぎた行為の後、しばらく気を失っていた太朗は、正気を取り戻すとノロノロと身を起こし、シャワーも使わずに身支度を整え、何も言わずに出ていった。
 酷いことをした俺を詰ることも責める言葉の一つも吐かずに―――疲れた、青白い顔のままアイツは扉の向こうに消えた。
 一体、何があって太朗はここまで話すことを拒んだのだろうか。
 あのクマ野郎の秘密か何か―――?
 あれから何もする気が起きない。
 ぼんやりとソファーに体を預けて虚空を見つめる。テーブルの上の灰皿には吸い殻の山が築かれている。
 時間だけが無為に過ぎていく。
 明日には今回の取材で集めた資料が届き、次の作品に取り掛からなければならないと言うのに―――だ。
 取り返しのつかないことをしてしまった。そう思い電話に手を伸ばすが、受話器を取る勇気が出ない。
今更、なんと言い訳をしようと言うのか。
 素直に太朗の言うことを聞いてやれば良かった。『何もなかった』と言う言葉を信じてやりさえすればこんなことにはなりはしなかったのに―――。
 後悔しても遅いのだろうが。
けれど、一目だけでも会いたくて、家よりも先に覗いた編集部で、あのクマ野郎に抱かれた太朗を見た時、俺の中で何かが弾けたのだ。
 認めたくはないがあれは紛れもなく嫉妬だった。
 自分以外の人間の側に太朗がいたのが許せなかったのだ。そしてそいつを太朗が庇ったのも―――許せなかった。
 俺は今まで、自分がこんなに嫉妬深い人間だと思っていなかった。むしろ情の薄いほうだろうと思っていたのに……。

俺は今まで特定の恋人をもったことはなかった。
 束縛することもされることも嫌いだった俺は、学生時代から寝る相手には不自由したことがなかった。声を掛ければ簡単に付いてきたのだ女も男も。一度きりで別れたのもいれば、しばらく続いた奴もいた。浮気をしてもされても修羅場を演じたことはなかったのだ。
気軽に恋愛を楽しみ、飽きれば簡単にサヨナラ。それがオレのスタイルだった―――はずだ。
 何故、太朗だけが違ったのか。
日増しにあいつの存在が自分の中で膨らんでいくのが判るのだ。セックスの相性が特別良い訳ではない。それだけに限って言えば太朗はヘタなほうだったから。
 では、なんなのか。
 俺がここまで太朗に執着する理由は―――。

思考を遮るように目の前の電話が鳴った。『もしや…』と思うと伸ばしかけた手が引っ込んでしまう。
 一向に鳴り止む気配を見せない電話に覚悟を決めて手に取る。
『夜分遅くに申し訳ありません。吉野先生でしょうか?』
 耳に飛び込んできた声は聞き覚えのないものだった。しかも、俺のもう一つのペンネームで聞いてくる。この名前を知っている人間は限られている。
「そうですが?」取りあえずそう答えると、『こんな時間に失礼します。坂東の上司の淀と言います』
「あっ!」>
 相手が判ると同時に胸の奥から怒りが沸いてくる。
 コイツのせいで俺と太朗は―――。
 責任転嫁も甚だしいが、俺はこれ幸いと怒りの言葉を口にしようと息を吸い込んだ時だった、
『お話したいことがあるのですが、お時間ありませんでしょうか?』
 気配を察したように声がかかる。
「こんな時間にですか?」
 言いながらサイドボードの上の時計に目をやる。もうじき日付けが変わろうとしている時間だった。
『ええ。つい先程、仕事が片付きましたのでね。非常識かとは思ったのですが』
 丁寧な言葉遣いとは裏腹に慇懃無礼な響きを含んでいる。
「そう思うのなら、別の日にしたらどうなんですか?」
 不機嫌丸出しの声で答えた俺に、アイツ―――淀は電話の向こうで小さく笑い、
『私はそれでもいいんですが―――太朗のことですよ?』
と言った。
 俺はグッと返事に詰まる。柔らかな口調でありながら断れない強さがあった。それに太朗のことだと言われれば断ることなどできない。
「判りました、伺います。で、場所は?」
 淀が指定した場所はマンションからさほど遠くない距離にある、終夜営業のファミリーレストランだった。
 受話器を置き、軽くシャワーを浴びて、俺はマンションを出た。
『もしや……』と思い留守電をセットするのも忘れなかった。