X'mau Illusion
天使の誘惑番外編


 「中学の入学式の時に一目ボレした裕也を誰にも渡したくないと思ってたよ。アイツは他人の事には聡いのに自分の事となると疎い人間だったから、俺はずっと必死だった。裕也に悪いムシがつかないように目を光らせてたなぁ」
 何処か懐かしむような響きのある声に拓朗は聞き入っていた。
「裕也の外見や頭の良さにだけ惹かれて声をかけてくる女にロクなヤツは居なかった。誰も裕也の本質なんて必要じゃなかったんだ。彼女達に必要だったのは至誠堂の生徒会長って肩書きだけだ。ちょっとしたステイタスだからな、ウチの名前は。その証拠に俺がちょっとコナかければ、すぐに靡くヤツばかりだった。あからさまに抱かれたがる女も居たよ。俺にとっての裕也は聖域で、裕也が汚されなければそれでイイと思ってたんだ最初のうちは。でも我慢にも限界がある」
 判るだろう、と伊達は拓朗を見た。
   拓朗は無言で頷く。
「それまで理性を総動員させて押さえ込んできた感情のコントロールが利きにくくなってきたんだよ。自分の手で聖域である裕也を壊しそうで怖かった。だから卒業を機会に離れたんだよ。ちょうど親父の転勤と重なって、それに付いて行く形で大学も選んだ。距離を置けば落ち着くんじゃないかと思ったんだ。それなのに……」
   そこで一旦言葉を切って、伊達は酒で喉を潤した。
「入社した会社に裕也が居た。入社式でアイツを見たときは心底驚いたよ。アイツは再会を喜んでくれた。勿論、俺も喜んださ。だがそれは俺が裕也への思いを再確認した瞬間でもあった。だけどねアイツの隣には『遠藤智美』っていう俺の知らない女が寄り添っていた」
   ああ、と拓朗は思う。
   智美は裕也が大学時代から付き合っている女性で、昨春、拓朗の義姉になった。
   物静かな兄とは違って、さばさばとして明るい聡明な女性だった。
「二人の関係はお子様の恋愛のように俺には見えた。だから、彼女にもそれまでと同じようにコナをかけてみた。でもダメだった。しっかりと裕也の本質を捉えて『誰にも裕也は渡さない』と言いきる彼女には敵わないと、さしもの俺も降参するしかなかった。だから、三ヶ月の新人研修を終えた後、それまで本社の研究室勤務希望だったのをコロラド州にある系列会社に変えた。希望が通るまで半年近く掛かったな。これでも将来を嘱望されたエリートだったからね」
   少しふざけた口調で伊達は言う。
「兄貴に告白しなかったんですか?」
「したよ。丁度、四年前の今日、日本を発つ前にね。答えは君と同じ物だったよ。親友としてしか見られないってね」
   ストレートな拓朗の質問にサラリと答えた伊達は寂しそうだった。
「一度も日本に帰らなかったんですか?」
 伊達は無言で頷いた。
「でも、どうして今になって?」
   そう聞かずにはいられなかった。
「どうしてかなぁ。俺の我慢の限界がきたってところかな。どうも四年サイクルで来るらしい。その結果がこれさ」
   自嘲気味に呟いて両手を広げ肩を竦めて見せた。おどけて見せる伊達を見ているのが辛くて拓朗は瞳を反らせた。
「そんな……兄貴はヒドイ、酷すぎる」
   思わず口を突いた拓朗の言葉に伊達は柔らかく微笑んで、
「酷くない。むしろ裕也らしい。俺を思いやってくれてるな」と続けた。
「どうして? 会いに来ないところが、どうして思いやってることになるんだ!」
 拓朗が噛み付くように聞く。
「変に期待を持たせないところがさ。会えば俺が辛いって知ってるから。だから来なかった。それに手紙は裕也の手に渡っていないのかも知れないんだろう? それなら来なくても当たり前だ。代わりに裕也に良く似た君に会えた。俺は無神論者だが、この偶然に感謝するよ」
   言い聞かせるように伊達は言う。居たたまれなくなって拓朗はカウンターに突っ伏した。
「やっぱり俺は兄貴に似てる。あなたも尚樹も優しい人だ。優しすぎるよ。恨んでもいいくらいなのに」
 ポツリと拓朗が呟いたその時だった「お話中失礼します。あなたに届いていました」とマスターが二人の会話に割り込み、伊達に小さなメッセージカードを手渡した。
  渡されたカードに目を落とした伊達の形良い唇が幸せそうに綻ぶ。俯いている拓朗には判らなかったけれど。
 伊達の手が、突っ伏したまま顔を上げようとしない拓朗の頭にそっと置かれ柔らかな栗色の髪をなでた。
 拓朗は驚いて顔を上げた。カウンターに片肘をついて柔らかく微笑む伊達の顔がある。
 そこには最初に感じたような、射竦める光は無かった。
「恨む? どうして、俺や尚樹君とやらが君達兄弟を恨まなきゃならないんだ?」
 「だってヒドイ事をした。自分のことだけしか考えないで、あなたや尚樹の大事な人を傷つけたのに……それでもっ…」
 最後まで言うことが出来ずに拓朗は唇を噛み締める。
 自分を見つめる優しさをたたえた瞳が、髪を撫でる大きな手が心地良い。
「それはね、俺も尚樹君も二人が好きだからだよ。恋愛感情は別にして、無くしたくない程、大切な相手だからだ」
   見てごらん、と伊達はメッセージカードを差し出した。
   渡されたカードに目を落とし、拓朗は何とも言えない表情をして見せた。
   そしてもう一度カードに目を戻し、その文字を追う。
『Merry Christmas慎太郎。毎年クリスマスは二人でと決めている。行けなくてごめん。この埋め合わせは必ず。次の帰国を楽しみに待っている 裕也』
   裕也の性格そのままの、きっちりとした楷書体で書かれた文章に余計な言葉は一切ない、いっそ素っ気ないくらいだ。
   でも拓朗は『兄貴らしい』と思う。
「良かった……」
   カードを握り締めてそう呟くのが精一杯だった。
   嬉しかった。
   伊達の手紙が裕也に届いていたことが。それに裕也が答えてくれたことが。
   こんなにも嬉しい。まるで自分のことのように。
   尚樹もそうだろうか。そうだと良いのに……。
   メッセージを受け取った伊達は誇らしげに胸を張り「なっ! 俺が惚れたヤツは最高な人間だろう?」とキザったらしくウインクを返した。 
「これで判っただろう。君の兄貴はヒドイ男なんかじゃない。自分に嘘の付けない正直な男なんだよ。だからその兄貴に似ている君もヒドイ男なんかじゃない。自分の心に正直に行動しただけ。それが判ってるから、尚樹君も『最高の相棒だ』と言ったんだよ」
   もっと自分に自信を持てよ、君はそれだけの男なんだから。と伊達は拓朗の髪をクシャッと撫でた。
   何を根拠に伊達は自分のことを『それだけの男』というのだろう。
   はっきり、きっぱり振られたのに、こうして未練がましく悩んでいる、実に諦めの悪い男なのに。
「なにも無理やり諦めることは無いだろう? 違うかい。どんな形であれ、そばに居られればそれで良いじゃないか」
   それはそうだと思う。
   でもそばに居るからこそ辛い事だってある。
   幸せそうな二人を横目で眺めながら、心穏やかで居られるほど自分は大人ではない。
(貴方のように人間が出来ていないのだ)
   と拓朗は恨めしげな目を向ける。
「ヘンに期待するから傷つくんだよ」
   心の中を読んだように伊達が言う。
「期待?」
「そう。自分も同じように扱って欲しいとか、もっと自分に目を向けろとかね」
「それは自然な欲求じゃないですか。誰だって好きな相手には振り向いて欲しいもんでしょう?」
「それはそうだけどね。でも相手には別に好きな人がいる訳だ。自分の思いばかり押し付けるわけにはいかないよ」
「だから、そばに居るだけでイイって? それじゃあ只の自己満足だ」
   と拓朗は吐き捨てるように言う。
「自己満足……ね、大いに結構。好きだと思う気持ちは誰の物? 自分だけの物じゃない?」
「そうですけど……」
「俺なら自分の思いの方を大切にするけどね、拓朗は違うのかい?」
   伊達の言っていることは、一々、もっともで拓朗は反論することすら出来なかった。
「ならそれで良いじゃないか。俺なんて自分で自分を誉めることがあるよ。俺様ほどの男だ。言い寄ってくるヤツは大勢居る。それこそ女も男もね。なのに絶対振り向いてくれない、たった一人の人間をずっと思いつづけてる。こんなに一途な人間はいないってサ」
   勝手に納得して話し続ける伊達の言葉が本心からの物かどうか拓朗には判らなかった。でも、自分を思いやってくれていることだけは伝わってくる。それがどこか気持ちイイ。
「それに俺に比べれば君は遥かに恵まれてると思うんだけどなぁ」
「どうして?」
「俺はずっと離れたところに居て、声を聞くこともままならないのに。君は違うだろう? それなのにまだ何を望むんだい?」
   自分から離れたと言ったのは伊達だった。なのに伊達はそのことには触れない。
   自惚れ屋で自分勝手で自信家で―――でもそれを嫌味に思わせない……。
   やはり伊達は尚樹に似ていると拓朗は思う。
「見返りなんか期待しないで。自己満足の世界におぼれてろ、そのほうが幸せだって。それにな人間欲張りすぎるとロクな目に会わないよ。ほら、昔話にもあるじゃないか『舌きりすずめ』ってのが。拓朗は欲張り婆さんになって何もかも無くしたい?」
   聞かれて慌てて首を振った。
   そしてハッとする。
   そうなるのがイヤだった。
   だから “諦めた”ではなくて“納得”したんじゃなかったのか。
「そうだろう? ならさ、もっと胸を張れよ『俺のおかげでお前達が幸せにやれるんだよ』ってな。“辛い恋愛を経験したヤツはきっと、最高の相手に巡り合える”って言うだろ?」
   知らないの? と伊達が首を傾げて聞いた。
「知らない」
   拓朗は秀麗な眉をひそめて考える。
   いくら考えてもそんな格言めいた言葉は思い出さない。
「降参です。誰が言ったんですか?」
   まじめな顔で聞いてくる拓朗に
「……俺」
   あらぬ方向に瞳をさまよわせた伊達がポツリと呟いた。
「はぁ?」
「だから俺が考え付いたんだ。たった今!」
「なんだよソレ……でも、伊達さんは本当にそう思ってる訳ですか?」
   気抜けしたように拓朗が聞き返す。
「あったり前! だから拓朗も信じなさい、俺の言葉に間違いは無い。信じるものは救われる」
   無神論者のはずの伊達は自信ありげに頷く。
   今までの元気の無さは何処へやら、彼の表情は少年のように輝いていた。それに影響されてか拓朗もいつもの冷静さを取り戻す。
「一体、何処から来るんです? その自信」
   呆れたように呟いた。
「経験かな? 君より十年長く生きてるからね」
   対する伊達もサラリと返す。
「さっきとはぜんぜん態度が違うじゃないですか」
   軽く皮肉ってみた。
「そうか?」と伊達は嘯く。
   他愛も無い言葉のキャッチボールが妙に楽しい。
   拓朗はこれまでにない解放感を感じた。
「そうですよ。死にそうな顔してたクセに」
「そりゃお前の方だろう? 目に一杯涙溜めてさ」
「それはっ!」
   ズバリと言われて拓朗は言葉に詰まる。
   自分でも不思議だった。
   人前で泣くことなど、イヤ、涙を見せたことなど無かったのに。たとえ親の前でも。全部自分の中で処理できていたはずだったのに。 
   それが伊達の前だと素直に泣くことが出来たのだ。
「自分の胸に溜めこむのは昔から変わってないんだな。それじゃ辛いだろ? 我慢することなんかないんだぞ。泣きたいときは泣けばいい。吐き出すことも大切だよ」
   伊達の言葉を素直に信じる気になっている自分が居ることに拓朗は驚きを隠せない。
「俺で良ければ何時でも話を聞いてやるよ」
   ん? と伊達が拓朗の顔を覗き込む。
「電話代がもたないな……俺の小遣いじゃ」
   とりあえず呟いた拓朗のせりふに伊達が笑い出す。
「何も笑うコトないでしょ」
   拓朗は頬を唇を尖らせて反論する。
「ごめん、ごめん。そんなつもりは無いんだけど。ヘンなコトを心配するんだなぁ…と思ってね」
「だって本当のことでしょう? 国際電話なんか掛けたことが無いから判らないけど」
「コレクトコールって手もあるよ?」
「それじゃあ。伊達さんがソンをしてしまう」
「だから、子供はそんなこと気にしないで大人に甘えなさいって言ってるんだ」
   伊達は何気なく口にしたのだろうが『甘える』という言葉が拓朗の胸に響いた。
   突然、そんな風に言われても戸惑ってしまう。
   今まで言われたことなど無いのだから。
   それとも、皆はそう思ってくれていたのに気がつかなかっただけなのだろうか。
   小さい頃は甘えたこともあったかもしれない。けれど、物心ついた時から、誰かに甘えたという記憶は無い。構われる手を自分から振り払って、年の離れた兄達に負けたくないと、敵わなくても追いつきたいと、何でも自分一人で頑張ってきた。
   それが当たり前になっていた。
 “諦めなくてもいい”とか“甘えろ”とか、伊達の言葉は初めて聞く言葉のように新鮮な響きで拓朗の心に落ちてくる。
   本当に甘えてもイイのだろうか? 
   どうやって甘えたらイイのかなんて判らないけど。
「判らないヤツだなぁ、ホントに。それにね、俺は高給取なんだ。見えないかもしれないけどね。電話代なんかヘでも無いよ」
   拓朗の逡巡を見透かすように軽い口調で伊達が言う。その言葉に心が軽くなる。
「叶わないなぁ、もう。そう言うなら甘えてしまいますよ俺だって」
   拓朗は照れくさそうにそう返した。
「大いに甘えてくれていいよ」
   満足そうに笑った伊達はもう何杯目だか判らないグラスを空けた。
   拓朗もそれに倣う。
   その時、二人の間の天球儀が一際、明るく輝いた。
「あれ? もうそんな時間なのか?」
   伊達は一人ごちて腕時計に目をやった。
「何が?」
「ああ。オーダーストップの時間だよ」
   言われて店内を見渡せば、帰り支度を整えレジへ向かうカップルが見えた。
   仲良く寄り添った姿は幸せそうに見える。
(彼らはこれからどうするんだろう?)
(幸せそうに肩を並べて何処へ行くんだろう?)
   でも、自分はここを出て伊達と別れれば、また一人だ。
   それまで感じていた暖かさが急になくなるような感じがした。
(一人になるのはイヤだ。ずっと、このままで居たい……)
   不意に心の中に沸いた感情に拓朗は戸惑う。
(俺……何を考えてる? 伊達さんと離れたくない? どうして?)
「さて、それじゃ俺達もそろそろ行こうか?」
   コートを手にして伊達は立ち上がり拓朗を促した。でも拓朗は立ち上がれない。
   心の中に芽生えてしまった不思議な感情に気を取られてしまっている。
「……帰りたくない」
   膝の上に置いた手を握り締めて拓朗は首を振った。
「どうした? 気分でも悪いのか?」
   ただならぬ様子にしゃがみこんで自分の顔を覗き込んできた伊達の袖を掴んで拓朗は首を振り続ける。
「イヤだ。一人になりたくない。一人になるのはイヤだ――――」
   繰り返し呟く拓朗を諭すように伊達は、
「判ったから。とにかく、ここを出よう」 
   言うと、腕を取って立ちあがらせた。
      


「どう? 落ち着いたかい?」 
   拓朗は足元に視線を落としたまま黙って頷いた。
「帰れそう?」 
   何度目になるか判らない伊達の問いかけにはハッキリと首を振る。
「じゃあ、どうするんだ?」
   の問いかけには答えず黙り込んだまま手の中の缶コーヒーを握り締めるだけ。
『イリュージョン』を出た二人は、そこから程近い小さな公園に居た。
   店の前から動こうとしない拓朗を無理やり引っ張って伊達はここに連れて来た。 
   滑り台やブランコがある児童公園とは違い、植え込みも何も無い只の丸い空き地に小さな噴水が一つ。中央にポツンと一つある電気の切れかけた街灯が頼りない明かりを投げかけていた。
   12月の冷気は、心地よく温まっていた身体も缶コーヒーの暖かさもすっかり奪い去って、足元から冷えが上ってくるようだった。
   伊達はコートの襟元をかき合わせ、身体を包むようにして拓朗の隣に腰を下ろした。
   ゆっくりとポケットから取り出したライターを点け、片手をかざした。
   頼りない温もりでも暖かく感じる。
   それほどに身体は冷え切っていたのだ。
   僅かな温もりを得た後、伊達はゆっくりとタバコを取り出した。
「どうして一緒に飲もうって誘ったんですか? 俺が裕也の弟だったから?」
   ソレまで何を聞こうと、貝のように押し黙ったままだった拓朗が口を開いた。
   伊達は点けたタバコを深く吸い込むとゆっくりと煙を吐き出した。
   風ひとつない澄んだ空気の中をたゆたいながら煙は空へと消えていく。
   暫くその行方を目で追っていた伊達は、拓朗に向き直るとタバコを差し出した。
   小さく頭を下げて受け取る拓朗に火を点けてやりながら伊達は言った。
「そうだ、とも言えるし、違うとも言える」
「?」
「最初は裕也の弟だと思ってたよ、確かにね。でもそれは最初のうちだけだ。途中からは君との会話を楽しんでたな。それに、あまりにも君が俺と同じだったから……」
「なんだ、同情――――か」
   ポツリと拓朗は煙と共に吐き出した。
「う〜ん、何か違うような気がするけどなぁ。言葉にするのは難しい」
   短くなったタバコを靴の先でもみ消した伊達は、髪の毛をクシャリとかきあげた。
「それなら、同情ついでに、今夜一晩俺に付き合ってくれませんか。素敵な聖夜に一人っきりの哀れな俺に……」
    伊達に倣ってタバコを消した拓朗が伊達の横顔に声を掛けた。
「拓朗―――?」
   訝しそうに振り向いた伊達の目の前に、情けなさそうな表情の拓朗がいた。
「このまま一人で帰れない。帰っても一人だし。それなら伊達さんと居たい」
   ダメですか? と首を傾げる。
   柔らかそうな前髪が額にフワリと落ちかかり、ソレが妙な色香を醸し出して伊達は目を奪われる。
   裕也とは違った美しさだ、と感じて瞬時、返事に詰まった。
「ねえ伊達さん。男って同時に何人もの相手と付き合えるって聞いたけど、本当だと思いますか?」
   伊達の内心の動揺など気にする風もなく、ベンチの背に身体を預けて拓朗は空を見上げた。
「あ…ああ。聞いたことがあるな」
   拓朗の視線から逃れた伊達は、気付かれないように呼吸を整え、何事も無かったように言葉を返す。
「伊達さんはどう?」
「そう言う君はどうなんだ?」
   反対に問い返された拓朗はゆっくりと視線を戻した。
「正直、判らない。ずっと尚樹だけを見てきたつもりだった……けど」
   言葉を収めて視線を伊達に向けた拓朗の瞳が戸惑うように揺れた。
「けど?」
「よく判らない。自分でも……」
   頼りない子供のように拓朗は頭を振った。
   伊達に惹かれている自分がいることを認めないわけにはいかない。ただ、それが淋しさの為なのか本心からなのか―――は判らない。
   そして、この感情を押さえる術すらも拓朗には判らなかった。
   判らないこと尽くめだったから、伊達に助けを求めてしまった。
   それで全てが解決するとは思わない。
(でも何らかの答えは出るはずだ)
   と拓朗は思ったのだった。
「俺にどうして欲しい?」
   伊達は聞く。
   意地悪でないことは口調の優しさから判った。
   あくまでも選ぶのは拓朗であると、自分で選び取れと――――。
「一人では居たくない。帰りたくない……」
   消え入りそうな声で拓朗は言葉を搾り出した。
「一緒に居るだけ? 君は俺がどう言うヤツか少しは理解してるだろう」
「判ってます。伊達さんはずっと兄貴が好きで、それは今もそうで。俺が割り込めるなんて思ってない。でも……」
   拓朗はそこで言葉を切り、暫く逡巡した後後、思い出したように口を開いた。
「さっきの答え、まだ聞いてなかったですね。聞かせて下さい、伊達さんは複数の相手を同時に愛せる人ですか?」
「……まあ、否定はしない。でも、君はそれでもいいのか? その他大勢の中の一人でも」
   抱いてはやれるが愛してはやれない――――伊達の瞳がそう語っていた。
   ソレでもいい。
   このまま放り出されて、前にも後ろにも進めないよりは、ずっといい。
   構わない、と拓朗は頷いた。
   一瞬、二人の視線が絡み合う。
   拓朗の揺るぎ無い瞳に、そうか――――と伊達は小さく頷くと立ち上がった。
「本当に、どうなっても知らないからな」
   言いながら差し出した伊達の手を取って拓朗も立ちあがった。
   掴んだ手の平の暖かさに、自分の身体が思いのほか冷えていることに改めて気付く拓朗だった。
   伊達が拓朗の肩を引き寄せるように腕を回した。
   甘えるように拓朗ももたれかかる。
   偽装の恋人同士は一層寒さが厳しくなった夜の街に消えていった。