X'mau Illusion
天使の誘惑番外編


 押し寄せる都市開発の波により近代的な建造物に生まれ変わった駅ビルと駅前広場。
その中央に市民の希望により今までの形状を保ったままの時計塔がある。
 駅のシンボルであり、昔から待ち合わせ場所の目印になってきたその前はいつもにも増して人々で混雑していた。
 12月25日 クリスマス――――。
 一月以上前からこの日の為に赤・緑・金という万国共通のクリスマスカラーで飾られていた街も、今夜12時を境に洋装を解かれ、来るべき新年に向けて和装へと生まれ変わる。 
 それだけに今夜はあちこちに輝くイルミネーションさえも最後の夜を彩るように尚一層の輝きを見せていた。
 すっかり暮れてしまった夜空に澄んだベルの音が鳴り響き、時計塔のカラクリ時計から天使が現れ午後7時を告げる。それと同時に駅に続くエントランスホールから着飾っ人々が吐き出されてきた。
 周囲を見渡して待ち合わせの相手を捜す者、仲良く肩を寄せ合う恋人達、声高に話をしながらネオンの煌く繁華街の方へ向かう学生の集団。何処かしら浮き足立ったその中にまぎれて板垣拓朗(いたがきたくろう)の姿があった。
 彼の通う至誠堂高校でもクリスマスパーティが開かれていた。それも今年はお嬢様学校との合同ダンスパーティだったのだ。
 その後、片付けを終えた実行委員会一同は、打ち上げと称して二次会のカラオケへと繰り出していった。拓朗も誘われたのだが気乗りしなくて断ってしまった。理由は一緒に過ごしたい相手がその中に居なかったから。彼が居たら一も二もなく参加していたはずである。
 そう『彼』なのだ。
 拓朗が高校2年のクリスマスを一緒に過ごしたかった相手は幼馴染みの至誠堂(しせいどう)高校生徒会会長 田口尚樹(たぐちなおき)だった。
 おりしも今日は尚樹の17回目の誕生日。  
 その尚樹はこの街のどこかで恋人と二人っきりの甘いクリスマスを過ごしているはずだ。
 長年の思いを実らせた愛しい藤枝正直(ふじえだまさなお)と。
 パーティの途中から時間を気にしてそわそわと落ち着かない二人の背中を押してやったのは何を隠そう拓朗自身だったのだから。
 今年の夏、尚樹に本心を打ち明けた時、拓朗の恋は終わった。
 尚樹の心には物心ついた時から正直しか居なかったのだ。
 判ってはいたけれど悔しくて思わず尚樹に殴りかかった。いや、先に手を出したのは尚樹の方だったのだけれど。
  二階の騒々しさに、何事が起こったのかと驚いて母親が飛んで来るまで、二人は取っ組み合いを続けた。
 ドアを開けた母親に「イイ年して、何やってるの……」ため息と共に呆れたような顔で言われ、余りのバツの悪さに背を向けて床に寝転んだ。
 この時点で拓朗の心はある程度スッキリとしていたのだ。
 弾んだ息を整えようと深呼吸を繰り返していた時だった不意に尚樹が言った。
「俺は謝んないよ。それだけのことをお前はマーにしたんだからな。そりゃ俺を好きになってくれるのは嬉しいさ。でもダメだ。俺にはお前をそんな風に見ることはできない。俺の隣はマーのもんなんだ」    
 拓朗が言葉を返そうとするより早くゴロリと尚樹が寝返りを打った。
「どうしたって俺の中でのお前は相棒なんだよな、それも最高の。暴走しようとする俺を止めてくれるお前がいたから俺は安心してやりたい事やってこれたんだ。マーとは違った意味でお前も大切なんだよ。こんなことで無くしたくなんかないんだ。なあ、それじゃダメなのか?」
「……勝手な言い草だな。全く俺の気持ちを無視している」
「全くだな、俺もそう思う。でもどうしようもないんだ。こればっかりはサ」
 本当に勝手な言い草だと思った。そんな風に言われてしまえば拓朗には反論の余地は無い。それに拓朗もこんな事で長年培ってきた尚樹達との関係を無にしてしまうつもりは無かった。
 基本的には正直の事だって好きなのだから。
 ただ少し羨ましかっただけの事だ。
 天井を見つめたまま返事を返さない態度に、何を思ったのか尚樹はガバッと身を起こすと真剣な表情で拓朗の顔を覗き込み、
「本当なら俺の両腕は正直を抱きしめるためだけのものだけど……今日は特別だ」
 と言うなりギュッと拓朗を抱きしめてきたのだった。突然の出来事に一瞬パニックになりかけたが、そのまま尚樹の腕に身をまかせてしまった。
「ちったぁ抵抗しろよ拓朗。やっぱ抱きしめるにはお前デカすぎ…」 
  溜息と共にボソリと呟いてパッと腕を放すと尚樹はゴロリと大の字に寝転んだ。
「で〜もスッリキした。久しぶりだよな、思いっきり暴れたの……」
「本当だな、俺もスッキリした」
 拓朗は本心からそう言うことが出来た。
「意外といいパンチしてるじゃんか。勉強ばっかりのカタブツ野郎だと思ってたのにな、サギだぞ拓朗」
 「お前こそ……」
 それから顔を見合わせ、互いの顔の惨状に二人は声を上げて笑い転げたのだった。
     
 それ以来大した問題もなく(小さな諍いなどはあったけれど)今日まで来た。        
 拓朗は今でも時々考える。
 尚樹に抱いた思いは本当に『恋』だったのかと。
 抱きしめられたとき、驚きはしたがイヤではなかった。
 しかし、もし尚樹がそれ以上の事に及ぼうとしたら自分はどうしただろうか? 
 それを考えることは出来なかった。と言うより想像できなかったのだ。
 自分が尚樹を抱いているところも、自分が尚樹に抱かれているところも……。
 と言うことは、ただの憧れに過ぎなかったと言うこと。自分にはない自由奔放さを持った尚樹になりたかったのだ。
 そう拓朗は自分の思いに結論をつけた。
 しかし、二人が仲良くしているところを見るのは、ほんの少し心が痛んだのも事実だ。
 今日だって「後のことは俺に任せろ」と胸を叩いたクセに二人がどう過ごすのかが気になって仕方がなかった。だから二次会の誘いも断ってしまった。かと言って何をしたらいいのかも判らない。このまま家に帰っても今日は一人だ。二人の兄はとうに家を出てしまっているし、両親は町内会の慰安旅行に出かけている。今頃は宴会で盛り上がっている事だろう。
 考えがまとまらないままにバス停を通り過ぎ、人波に流されるままに電車に乗り、今こうして駅前に一人で居るのだった。
 次々と電車が到着しているらしく入り口からは続々と人が吐き出されてくる。人ごみを避けて駅ビルのショーウインドウの前に移動した拓朗は、コートの内ポケットからタバコを取り出すと火を点け細く煙を吐き出した。
 あまりにも堂々とした態度に、誰も彼が未成年だとは思わない(もちろん制服姿だったら、即、補導である)。が、今日はダンスパーティと言うことで私服での登校だったのだ。
 拓朗は上の兄が残していった渋いグレーのソフトスーツに父親から譲り受けた型は古いが仕立ての良いカシミヤのコートを羽織っていた。
 どこから見ても大学生にしか見えない落ち着いた物腰と、スラリとした長身、それに何処かしら憂いを秘めたノーブルな顔立ちの拓朗はいるだけで人目を惹きつけてしまうようだ。
 時計塔の前で誰かを待っているのであろう女の子達はチラリチラリと意味ありげな視線を向けつつ小さな溜息を吐き、子供の手を引いたオバさんでさえもが、急ぐ足を止めて見入っている。
 そんな視線を気にする風もなく、拓朗は短くなったタバコをごみ箱に備え付けられた灰皿でもみ消した。
 一々、他人の視線など気にしてはいられない。見ず知らずの相手に熱く見つめられても嬉しくもなんともない。
 本当に自分を愛してくれる人間にだけ見つめてもらいたいのだ。  
 今の所、拓朗にはそんな相手はいなかった。
 (さて、どうしようか?)
 額に落ちかかる前髪を掻きあげながら拓朗は思案げに夜空を見上げた。
 ホワイトクリスマスには程遠い空は冴え冴えと澄みきって、都会には珍しく沢山の星が瞬いていた。
   拓朗は眼鏡を額の方へ押し上げた。
   途端にくっきりと見えていた星々がぼやけて滲む。
   拓朗はこうして星を眺めるのが好きだ。
   自分一人を優しく包んでくれる光のシャワー、星の洪水……。
 (そうだ――――)
   何を思い出したのか、拓朗は眼鏡をかけなおすとコートの襟を立てて、人波とは反対の方向に歩き出した。
     
(確かこの辺りだったと思うんだが……)
 開発された駅前とは反対の、まだ古臭さの残る雑居ビルの前に立って拓朗は辺りを見回した。
   星空を見ていて思い出した店があった。
   4年前、中学に合格したお祝いに兄達が連れてきてくれた店だった。
   名前は確か『イリュージョン』。
   まだ英語を知らなくて、どう言う意味なのかと尋ねた拓朗に『幻想』と言う意味だと教えてくれたのは、カウンターの中にいた口鬚を蓄えた優しげなおじさんだった。
   大理石のテーブルが幾つかとカウンター。 
   落ち着いたジャズの流れる店内のそこかしこに無造作に置いてある丸いガラス製の置物。 
   全体にひんやりとしたイメージなのに何処かしら暖かな雰囲気が漂う店だったと記憶していた。
   機会がなくてあれから一度も訪ねたことはないけれど――――。
   一度来た道を忘れるほどお粗末な頭はしていないつもりだし、それほどヒドい方向音痴でもないハズだったのに。
   いくら探しても見つからない。
 そもそもあの店自体が幻想ではじめからなかったとか?
   つい、馬鹿なことを考えてしまう。
(まさか……な。そんなSF見たいなことある訳ないよな)
   不意に浮かんだ考えに思わず苦笑を漏らし、やっぱり通りを一つ間違えたのかも知れないとクルリと方向を変えた拓朗の目の前に、木の扉があった。
   様々な店の入った雑居ビルの狭間にある、細長い建物の一階。
   使い込まれて黒光りする重厚な樫の木枠に七色に光るガラスがはめ込まれたどっしりとした扉。
   扉の中央に『Illusion』と刻印したプレートが掛けてある。
「……あった」
   何度も通ったはずなのにまるで気がつかなかった。
   派手なネオンの瞬く繁華街は昼と夜とで驚くほど印象が変わる。明かりを落とした繁華街はまるでゴーストタウンのようだ。
   兄に連れられて来たのは昼間だったし、派手なネオンも何も点けていないひっそりとした店なら、周りにまぎれてうっかり見落としてしまったとしても仕方ないことだろう。
   拓朗はそっとドアを押した。
   瞬間、飛び込んできたのは満点の星。
   目を凝らして良く見れば天井いっぱいに星空が広がっている。店自体が小さなプラネタリウムのようだった。
   ゆったりとした足取りで店内に足を踏み入れ全体を見渡した。
   まだ時間が早いせいかそう混んではいない。   
   テーブル席に何組かのカップルが、仲良さそうに額を付き合わせて何事かを語り合っていた。
   それぞれのテーブルの真中に小さな丸いランプが一つずつ、カウンターにも等間隔で同じランプが置かれていた。照明の類ははそれだけだった。
   それでも店内を照らすには十分だった。
    拓朗は誰も座っていないカウンターの一番奥に腰を落ち着けた。コートを脱いだ拍子に
    置かれたランプが目に入った。
    それはガラスでできた天球儀だった。
    淡いブルーのホヤに星座が描かれてある。そこに明かりが灯りなんとも言えず幻想的な雰囲気をかもし出していた。
    彼は兄達が自分をここへ連れてきた理由を知った。
    拓郎は星を眺めるのが大好きな少年だった。
    十近く年の離れた兄達とは接点が少なく、兄のいない一人っきりの夜は、ベランダから星空を眺めたものだった。それに気付いていた兄達がお祝いと称してこの店に連れてきてくれたのだ。 
    しかし、昼間ではランプに明かりは入っておらず、今の今まで置かれていたガラス製の置物が天球儀だったことに気付かなかった
(そうだったのか、兄貴達には悪いことをしたな……)
   カウンターに頬杖を付いて丸い滑らかなシルエットを指でそっとなぞった。
   店内は以前と変わりなく落ち着いたジャズが流れている。
「天球儀が珍しいですか?」
 突然声を掛けられ拓朗は顔を上げた。
  あの時と同じ口髭を蓄えた優しい微笑が目の前にあった。
 マスターと思しき男はグラスを磨く手を止めて拓朗を見ていた。
「ええ、素敵ですね。俺、星って大好きなんです。それにガラス細工ってところが洒落てますよね」
「そうですか……気に入ってもらえて嬉しいですよ」
 拓朗の素直な答えにマスターは目を細めて頷いた。
「ところで、何にしましょう?」
「ええっと……」
 問われて拓朗はメニューを取り上げた。
 メニューに並んでいるのは当然の事ながら場所と時間に相応しいアルコール類ばかりだ。
 外見ばかりは大人でも年齢を考えればどれも相応しくないものばかり。
 でも……。
   今日はクリスマス。
   頭脳明晰な生徒会副会長の拓朗だって今時の高校生だ。
   タバコも吸えば酒も飲む。
   兄達が帰って来た時には両親に内緒で一緒に飲んで騒ぐこともある。
   兄に云わせればかなりイケる口だとか。
   家ではないにしろアルコールの弱いカクテルぐらいは許してもらえるだろう。
(アルコールに飲まれさえしなければ大丈夫)
   そう自分に言い聞かせて、拓朗は『クリスマス特別メユー』と囲ってある中から、店の名前と同じ「ブルー・イリュージョン」と云う名のカクテルと「茸のスパゲティ」を注文した。
   頷きながらマスターは「お客さんの星座は?」と聞いた。不思議なことを聞くものだな、と感じながら問われるままに「獅子座」と答えた。
   運ばれてきたグラスを見て拓朗はマスターの質問の意味を知った。
   目の前に置かれたフロスティグラスには獅子の絵を象ったレリーフがあった。
   中の液体は空の青とも海の青とも違う、なんと言い表していいのか判らない、不思議な深い蒼色をしていた。
「ハッピーバースデイ尚樹…アンド、メリークリスマス」
   グラスを取り上げ、この場に居ない相手に向かって小さく呟いた。
   誰もいない一人きりのクリスマス。
   こんな静かなクリスマスもたまにはいいものだと思う。
   面と向かうと気恥ずかしくて言えない言葉も素直に口に出せる。
   少しだけセンチメンタルな気分で拓朗はグラスに口をつけた。
   仄かに甘く香りも豊かなブルーの液体が、喉を通りすぎ体中に染み渡った。
      
「裕也、来てくれたんだな……」
 静かにグラスを傾けていた拓朗の背後で声がして、いきなり肩を叩かれた。
   拓朗は驚いて振り返る。
   肩に置かれた手の主は、期待に満ちた瞳の背の高い青年だった。
   自分を見る青年の瞳があからさまに落胆の色に変わるのを拓朗は不思議な思いで見ていた。
    
   しかし、普段からあまり表情を表に出さない拓朗である。首を傾げて相手を見る顔がいかにも不機嫌そうに見えたのだろう、青年は失望の色を隠そうともせず大きな身体を折るようにして頭を下げ、
「I am sorry……ああ、すみません。人違いでした」
   と、消え入りそうな声で呟き、拓朗とは反対の端に腰を下ろした。
   釈然としない思いで拓朗もカウンターに向き直りグラスを口に持っていこうとして、頬に突き刺すような視線を感じた。視線の出所を探るように顔を上げると、先ほどの青年が慌てて顔を背けるのが見えた。
 
 拓朗はカクテルを飲むふりで横目で相手を伺ってみた。
   マスターとは知り合いらしく、問いかけに柔らかな微笑で答えていたが、彼が去ってしまうと青年は頬杖をついて軽く頭を振った。
   カウンター上のランプが投げかける仄かに明るい光に写し出される横顔は、彫りが深く端正で、どことなく心惹かれる顔立ちだった。
   その顔に、見覚えはない。
   けれど――――。
   確かに青年はは自分に『裕也』と声を掛けた。
『裕也』というのは拓朗の一番上の兄の名前だ。 
(……と言うことは兄貴の知り合いなんだろうか?)
   だとしたら、一度くらい顔を合わせていても不思議ではない。
   拓朗はもう一度、青年を見やった。
   どこかで見たこともあるような気がしたけれど、ハッキリとは思い出せない。
    青年は辛そうな顔で琥珀色の液体を喉に流し込むと、叩きつけるようにグラスをカウンターに置いた。
     
「失礼ですけど、兄貴の知りあいの方ですか?」
   穏やかに問い掛けた拓朗の声に青年は伏せていた顔をゆっくりと上げ、睨み付けるように拓朗を見た。
 その瞳の迫力に拓朗は軽く息を呑む。
「ああ、ええっと…あなた俺に『裕也』って声を掛けたでしょう? だから…」
「…………?」
「あなたの言ってる『裕也』って板垣裕也のことかと……」
   拓朗を見る青年の切れ長の瞳が大きく見開かれ、形の良い唇が「君は?」と動く。
「弟です」
   答えた瞬間、青年の瞳が何とも言えず嬉しそうに輝いた。
「和也くん?」
   そう聞き返す声も心なしか弾んでいるように聞こえる。
「それは二番目。俺はその下の……」
「ストップ!」
   答えかけた拓朗を手で制して青年は考え込むように腕を組んだ。
   瞳を伏せてほんの少し考え込んだ後、大きく頷き、
「ああ拓朗君だね。そうだろ?」
   と、得意げに言った。
   コクリと頷いた拓朗を見ながら青年は首を傾げて呟くように「でもどうして? 君はまだ未……」と言いかけた。
   拓朗は慌てて青年の肩を掴んだ。
   こんなところで年がバレては困る拓朗である。
『未成年が酒を飲んでいる』とわざわざ通報するヤツは居ないと思うが、用心するのに越したことは無い。
   拓朗の意図を察してくれたのか青年は「ああ、久しぶりだね」と小さく笑った。
「あの、名前を教えてもらえませんか。度忘れしてしまって……」
   きまり悪そうに聞いた拓朗に男は「伊達 慎太郎(だてしんたろう)」と名乗った。
   見たことがあるような気がするはずだ。
   彼は裕也の中・高校を通じての一番の親友だった男だ。何度か家に遊びに来ているはずだったが、その頃まだ小さかった拓朗は、遊んでもらった記憶は微かにあるものの名前までは覚えていなかったのだった。
「ところで君は一人? それとも誰かと待ち合わせでも?」
   伊達は身体を拓朗の方に向けて聞いた。
「残念ながら一人です」
   伊達の瞳がほんの僅か、微かに曇った。
(また……どうして?)
 振り向いた拓朗を見た時と同じ表情だ。
「君ほどのハンサム君がかい? 信じられないな」
   瞳の翳りを打ち消すように伊達は大げさに肩を竦め、からかうような口調で聞いた。
   その言葉に拓朗は少しムッとして見せた。
   人目を引く顔立ちをしている事を少なからず自覚している拓朗であったが、ブランド物であろう品のいい茶系のスーツを嫌味なく着こなし、それに見合うだけの容貌をしている伊達に言われると嫌味にしか聞こえない。
「その言葉、そっくりそのままあなたに返しますよ。伊達さんこそ、こんな夜に一人なんですか?」
   拓朗の言葉に伊達は「会いたかったヤツに振られてしまってね」と更に肩を竦めて見せた。
「俺も似たようなものです。きっと何処かで仲良くやってるんでしょうね」
   拓朗もそれに合わせた調子で言った。
「そうかも知れないね。もしイヤじゃなければ一緒にどう?」
   伊達は自分の隣を指差した。
「えっ…でも、いいんですか?」
   思いもかけない申し出に緊張する拓朗だった。
   いくら兄の親友だと言っても拓朗にとっては初対面に近いのである。これまでの接点など無いに等しい。自然、言葉遣いまで先ほどと違って丁寧なものになってくる。
「そんなに緊張しなくてもいいじゃないか、別に取って食おうと言うわけじゃ無し」
「そう言う訳じゃないです、けど……」
「これも何かの縁だろう。振られた者同士、傷を舐め合おうじゃないか。それに一人じゃ寂しいよ、こんな夜はね―――」
   何処かしんみりした響きを帯びた伊達の言葉に断わる理由を見つけられず、それ以上に伊達という男に興味を引かれたこともあって、
「そうですね。それじゃ遠慮無く」
   拓朗は頷いた。
   二人のやり取りを聞いていたのか、タイミング良くマスターが拓朗のグラスを伊達の隣に用意してくれた。言葉の代わりに頭を下げ、拓朗は腰を下ろした。
「それでは、情けない男達に乾杯!」
「メリークリスマス」
   二人は軽くグラスを合わせて、飲み始めた。
   すぐに拓朗は打ち解け、伊達の話に引き込まれた。
   虚と実を取り混ぜた彼の話は十分面白く、時折、口を挟む拓朗の質問にも伊達は丁寧に答えてくれた。
   会話の楽しさにグラスを空けるピッチも上がる。
   拓朗は心地よい酔いの中で伊達に聞いた。
「ねえ、伊達さん。どうして俺に『裕也』って声を掛けたんですか? 俺、そんなに兄貴とは似てないですよ」
「そのスーツだよ。それ、裕也のだろう」
   答えながら伊達は拓朗のスーツを指差した。
「良く判りましたね」と半ば感心しながら拓朗は頷く。
「裕也のお気に入りの一着だよ、それは。何時もそればかり着ていた、あの時も、あの時も……」
   伊達はグラスを置いてカウンターに肘をつき、考え込むように瞳を閉じた。
   離れて座っていたとき垣間見た、何処と無く心惹かれる横顔が目の前にあった。
   拓朗はその横顔に思わず見惚れてしまう。
   日本人離れした浅黒い肌にスッキリと通った鼻梁、クセっ毛らしい肩先で切りそろえた漆黒の髪。
   見下ろしていた時とは何かが違う。
   何がどう違うのかと聞かれてもハッキリ答える自信は無い。けれど間近で見ると伊達の美貌はより迫力があるように思う。
   強いて上げれば『瞳の力』だろうか。
   射竦められそうな光を放つ切れ長の瞳。
   それが今は閉じられてどこか柔らかい印象を与えている。
   尚樹とは似ていないのに、どうしてだか彼と重なった。
「伊達さんが会いたかった人って、もしかして兄貴なんですか?」
   自然と言葉がこぼれた。
   閉じていた瞳がゆっくりと開かれ拓朗を見る。
「伊達さん。俺に来てくれたんだって言ったから……」
   その瞳が戸惑うように揺れるのを拓朗は肯定の意味に受け取った。
「今日、この店で待っていると手紙は出しておいたんだ」
   グラスの中の氷を長い指でつつきながら伊達は呟いた。
「手紙ってエア・メール?」
   拓朗の言葉に伊達は頷いた。
   裕也宛のエア・メールが届いていたのは知っていた。母が裕也に連絡したと思っていたけれどそうではなかったのだろうか。
「スーツの背中を見て裕也だと思った。でも違った。君が声をかけてくれたんで裕也に頼まれたんだと思ったんだが、これも違ったようだね」
「母が転送していると思ってました」
   拓朗は言い訳をするように言った。
「裕也は一緒に暮らしてないのか?」
「研究所に移ったのを機に家を出ました。もう三年になるのかな?」
   拓朗の返事に伊達は驚いたような表情をした。
「まさか…知らなかったんですか?」
   拓朗の言葉に伊達は答えず、
「そんな事になっていたとはね……結構、堪えるな」
   と呟いてグラスの酒を一気に飲み干した。
   伊達の態度に拓朗は全てを悟った。
   それと同時に同じ痛みも感じた。
(この人は俺と同類だ――――)
   心地よかったはずの酔いが急速に冷めていくようだった。
「好きだったんですね、兄貴の事」聞くともなしに呟いていた。
「拓朗君? 何を言って……」
   伊達ははじかれた様に拓朗を振り向いた。
「惚れてたんでしょう? 兄貴に」
「俺は……」
   拓朗を見つめたまま伊達は力なく首を振る。
   反対にグラスを持つ手に力がこもっている。
「隠さなくったっていいです。ごまかさなくても……。俺は偏見の目でなんか見たりしません」
   驚く瞳を真正面に捕らえて何時になく強い口調で拓朗は言った。
「判るんです。俺と同じだから。俺も幼馴染みが好きだったんです。勿論……」
   相手は男ですよと拓朗は続けた。
「マスター、もう一杯。彼にもね」
   拓朗の声音に何かを感じた伊達は底に残っていた酒を飲み干し、グラスを持ち上げて追加を促すと「どう言うことだ?」と拓朗に向き直った。
   新しく運ばれたカクテルで口を湿らせて拓朗は口を開いた。
       
   伊達という、自分と同じ痛みを抱えているだろう相手を見つけて、拓朗の思いは堰を切ったように溢れ出した。
   これまで誰にも言えずに一人で抱えてきた思い。
『最高の相棒』という位置に一度は納得し、満足もしていたはずなのに……。
   気がつけば尚樹の姿を追っていた。
   物分りのいい友人の振りをするのは苦しかった。
(叶うものなら、正直(まさなお)になりたい)
   何度もそう思った。
   話せば話すほど、自分の中での尚樹の存在の大きさに気づく。
   今でも自分はこんなにも尚樹のことが好きだ。
「……俺は、尚樹の恋人に償いきれない酷い事をした。俺は卑怯な男だ。なのにアイツは、こんな俺の事を最高の相棒だって、無くしたくないって、そういってくれるんだ」
   全てを吐き出した拓朗は俯いて両手で顔を覆った。
「拓朗君。顔を見せてごらん」
   労わるような静かな声に、恐る恐る拓朗は両手を外した。
「君が卑怯な男なら、俺なんかは一体どういう男になるんだろうね」
   力を無くした瞳が拓朗を見ていた。
「俺はね、裕也に言い寄る女を片っ端から食ってたよ」
   不思議そうに見つめる拓朗に向かって伊達は言った。
   静かな声だった。