お医者様でも草津の湯でも
Part 4

 でも物事は、中々自分の思い通りにはいかないものだ。
 次の日も朝から検査だとあちこち連れまわされ、病室に戻ってきたのは昼を回った時間だった。
 順番を待つ間に電話を掛けに行ければよかったんだけど、付き添ってくれてた看護婦さんはそれを許してくれなかった。昼食をすませて「さて!」と思ったところに母親と姉と妹がきてしまい、結局行けずしまいに終わってしまったのだ。
 彼女等はこの部屋を見回して「うらやましい」なんてお気楽なことを口々に言っていたけれど、僕は気が気じゃなかった。一日過ぎるたび加算されて行く費用に頭を抱えるばかりなのだ。
 でも、今日で検査は全て終了ってことだから、善は急げだ。これから電話を掛けに行こう。
 点滴チューブを気にしながらベッドサイドに備え付けられたテーブルの引出しから財布を取り出した時、控えめなノックの音がした。
 余りのタイミングの良さに「今度は誰だよ…」軽くため息をつきつつ「どうそ」と声をかける。
「ちょっといいかな?」
 覗いたのは懐かしい大好きな顔だった。
「あっ、院長……じゃなかった会長先生。ご無沙汰してます」
 前言撤回。会長先生なら大歓迎だ。先輩にいうよりもこっちの方が確実だし早い。
 僕は慌てて手にした財布を枕の下に押し込み、スリッパに足を突っ込んだ。
「ああ、そのままでいいよ」
 ベッドを降りようとした僕を片手で制して会長先生はのんびりとした調子でやってくるとベッドサイドの椅子に腰を下ろした。
 この前お会いしたのは確か『喜寿』のお祝いの時だった。僕が医学部の2年生に進んだ時だったと記憶しているから、からかれこれ5年程前のことになる。もうとうに80歳を超えているのに矍鑠(かくしゃく)としていて、とてもお元気そうだ。
「浩之君も立派になったもんだね」
 初めて会った頃と少しも変わらない笑顔で先生はそんなことを言った。
「そんな事ないですよ。何時までたっても頼りなくて看護師達に叱られてばかりです」
 本当に久しぶりに先生に会えたって言うのにこの様じゃ――――昔と全然変わらない。
なんかチョット情けない気分だ。
「それは謙遜というものだろう。中々、頑張ってるようじゃないか。隠しても噂は色んなところから聞こえてくるんだよ」
「えっ、噂……ですか?」
 先生の口振りから察するにそれはきっと僕の噂なんだろうけど。
(そんなもの一体、何処から? 誰が?)
 余程、不思議そうな顔をしていたんだろう先生は笑いを堪えた感じで教えてくれた。
「公嗣の奴がね、家に帰ってくるたびに嬉しそうに報告してくれるんだよ」
 えっ? 先輩が……どうして?
「アレは君のことが可愛くて仕方がないらしいね」
「……僕が可愛い――――ですか? そう先輩が?」
 伺うように聞いた僕に会長先生はもっともらしく頷いた。
 でも――――。
 いくら会長先生の言葉でも素直に信じることができない。
「どうしようもないの間違いじゃなくて?」
 どうしても信じられなくて重ねて聞いたら会長先生は顔の前で手をヒラヒラとふった。
「そんな事は一言も言わんよアイツは。何をやらせても一生懸命だと褒めとるよ。もっとも、公嗣の浩之君は今に始まった事じゃないがね」
 だから……と先生は話を繋いだ。
「アイツが血相を変えて飛び込んできた時には何かあったなとは思ったよ。まさかこんな事になっているとは思わなかったがね」と。
(血相を変えて飛び込んできた――――って先輩が? 僕が気を失っている間に? まさかそんな事―――)
 でも先生は嘘は言わないだろうし、僕に対して嘘をつく必要もない―――と思う。だからきっと言っている事は本当のことなんだろう。
 でも、僕にはど先輩の行動の意味が判らない。
「私が見たところ内科的問題じゃなさそうだね。何か悩みでもあるのかな? 私でよければ話してみないかい?」
 しばらく僕の顔色を見ていた会長先生は、さり気なくいった。
 会長先生には昔から隠し事ができたためしがない。この柔和な笑顔が曲者なんだと思う。
 昔と変わらない、僕の大好きな優しい笑顔で「話してみない?」なんて聞かれたら、全てを話してしまわなければ……とも思ってしまう。
 けれど、どう切り出せばいいのかが判らない。
 第一、僕の気持ちを全てぶちまけたとしても理解してもらう事はきっと無理だ。
 それより。言わなきゃならないことがある。
「あの……僕の身体のこととは違うんですけど……」
 いいですか? と僕は思い切って切り出した。
 一通り僕の話を聞いた先生は「何だそんなことか」というように何度も頷いた。
「君の言いたいことは良くわかった。そのことなら気にしなくてもいいんだよ」
 先生は言う。
 かつてバブル経済が全盛の頃には、特別室に患者がいない事はなかったと。誰もが争うようにして特別室に入りたがったと。
 でも、バブルが崩壊すると同時に手の平を返すように利用者はいなくなり、この階だけは何時も静まり返ったままなのだと。
「だからと言って、特別室をなくす事もできないしね。公嗣が話を持って来た時に開いている部屋がたまたまココだけしか無かったし、使ってやらなきゃ可哀相だからね」
 先生の話はよく判ったけど、僕が利用するにはいくら考えても無理だ。
 そういうと先生はやっぱり、ウンウンそうだろうねと頷いた。
「浩之君ならそう言うと思ったよ。だからね、ココだけの話。君だけ特別に普通個室料金で良いという事にしてあげよう」
 チョイチョイと手招きされ近づいた僕の耳元で「お身内価格って事だよ」と茶目っ気たっぷりに先生は囁いて、目を丸くした僕に向かって片目を瞑って見せた。
 もうそこまで言われたら反論する事はできなかった。
「それじゃお言葉に甘えて利用させて貰っちゃいます。後で元のお値段って言ってもダメですからね」
 僕も先生に習って明るく返して頭を下げたのだった。
 
 ゆっくりと時間が過ぎていく。
 2日後に聞かされた検査の結果は貧血と栄養失調気味だという事くらいで取り立てて心配する必要はないとのことだった。
 胃はやはりというかなんというか、会長先生のお見立てどおり神経性のモノだと診断された。
 この時も「原因に心当たりは?」と主治医の先生に聞かれたけど僕には答える事ができなかった。
 叶わぬ恋をしていますなんて事恥ずかしくて言えたモンじゃなかった。
「原因が判らないんじゃ気長に治していくしかないね」と、有無を言わさず薬の山を渡された。おまけに相当弱っていたらしく「調子が戻るまで食事は我慢ね……」と点滴につながれる毎日で――――じっとしていることがこんなに辛いものだとは思わなかった。
 それも、あと一日の辛抱だ。
 午後になって寺岡先生が元哉君を連れて見舞いに来てくれた。
「こんな豪華な部屋を用意してもらえるなんて、先生ってもしかして愛されてるんじゃないの?」
 部屋をあちこちと見て歩きながらサラリと恐ろしい事を口にした元哉君に寺岡先生も笑って「そうなんだけどね。全く気が付いてないんだよ」と返している。
(もしかして寺岡先生も知ってる――――?)
 二人の会話を笑顔で聞きながら、背中に冷や汗が流れるのを感じた。
 川崎さんのリハビリは至極順調のようだ。元哉君はノロケ話を聞かせるだけ聞かせて「じゃあオレ、仕事があるから」とあっさり帰っていった。
 一緒に帰ろうとした寺岡先生を僕は引きとめた。倒れる前に執刀した患者の経過と自殺の原因が気になっていたから。幾ら先輩が引き継いでくれたとしても僕にだって聞く権利ぐらいはある。
「君の言いたいことは判るけど、それよりも君には他に考える事があるだろう」
 渋る先生は食い下がる僕に根負けして最後には教えてくれた。
「本当に大丈夫なんだよ。前向きに考えてくれているようだから。あとは僕たち精神科医に任せて君は自分の身体を治すことだけを考えるんだよ」と微笑んだ先生は嘘を言っているようには見えなくて僕はホッと胸を撫で下ろした。
 結局、寺岡先生は消灯時間近くまでつき合ってくれた。なのに一番聞きたかったことを僕は口にすることが出来なかった。
 先輩は一度も顔を見せてくれない。
 シンポジウムに参加していた間に溜まった仕事を片付けているんだろうって事は寺岡先生の言葉から想像は出来たし、僕の担当患者を数人見てくれてるとも言ってたけど、本当のところを聞き損ねてしまった。
 一人で寝ていると思い浮かべるのは先輩のことばかりだ。勿論、担当している患者さんのことも気にはなるけど、気が付くと先輩のことを考えている自分がいる。
(あの時、言えてればこんなに苦労はしないのに。肝心な時にぶっ倒れるなんて……情けない)
 これが胃を痛めつける原因に他ならないのに考える事を止めることが出来ないのだ。
 点滴と薬のお陰で胃が痛むことはないんだけど、今度は胸が締め付けられるように痛んだ。
 このままでは、病院に復帰しても二の舞になるだけだ。
 モヤモヤする気持ちを抱えていても埒が明かないなら、今度こそちゃんと打ち明けてスッパリと振られてしまおう。
(来週、病院に復帰することが出来たら――)

 
 誰かが髪を撫でてくれている。
 子供の頃、寝込んでぐずる僕を安心させるように撫でてくれた母の手のように優しい感触に僕は目を開けた。
 部屋の中に灯りはなくて、窓から差し込む月明かりにぼんやりと浮かび上がる影に霞んでいた僕の意識が誰かを捕らえた。
 シルエットだけでも誰だかは直ぐに判った。
「……先輩?」
 ベッドの脇に座って髪を優しく撫でてくれていたのは考え続けていた先輩だった。
 髪を撫でていた手が止まった。それは僕の質問に対する答えで……。
「……先輩っ!」
 突然意識がクリアになり跳ね起きかけた身体を先輩は易々と押さえ込む。そんなに強い力じゃないはずなのに悔しいことに全く起き上がれない。それなら文句の一つでも言ってやろう……と口を開きかけ僕はそのまま固まった。
 陰になって良くは見えないけれど、見下ろす先輩の表情が何時になく真剣に見えたから。
 先輩はそっと立ち上がり、ゆっくりと僕に覆い被さってくる。
「なにを……っ!」
 言葉を発する暇なく唇を塞がれて僕は息を飲み込む。押しのけようとしても右腕に刺した点滴のチューブが邪魔をして上手くいかない。それをいいことに先輩は角度を変えて何度も何度もキスを繰り返す。
(一体、何のつもりで?)
 かろうじて動く顔を動かしてみるけれど直ぐ又先輩の唇が追いかけてくる。軽い酸欠状態に陥りそうになり慌てて口を開けた隙を突いて先輩の舌がスルリと忍び込んできた。歯列をなぞり、思うさま口腔を嬲られる。
(新しい苛め?)
 ふとそんな考えが頭を過ぎる。
 何度も夢に見た憧れの先輩とのキスしてるのは紛れも無い事実なのに、信じることが出来なくて戸惑ってしまう。
 でもチャンスなのかも……とも思う。
 叶わぬ恋に悩んで胃に穴まで開けてしまった僕を哀れんで恋愛の神様が気まぐれに与えてくれたチャンスかもしれない。
 霞む頭の片隅に都合のいい考えが浮かぶ。
 それならチャンスは最大に生かすべきだ。
 この機会を逃したらチャンスは二度と巡ってこないような気がした。
 無意識に自分から唇を押し付けていた。
 瞬間、先輩の動きが止まり覗き込んできた口元がニヤリと笑ったように見えた。
 次の瞬間、息苦しいまでの強さで抱き返された。
 言葉はなく―――どちらからともなく重なった口付けは直ぐに深く激しくなった。誘うように蠢く先輩の舌に恐る恐る舌を絡めてみた。根本から引き抜かれるかと思うほどきつく吸い上げられてゾクリとする感触が背筋を駆け抜けた。飲み込み損ねて唇から零れた唾液を先輩の舌が掬い取りながら口付けの合間に、どれほど困難な手術も難なくこなしてしまう器用な指がパジャマのボタンを外していく。露になった胸に啄ばむような口付けが落ちる。かすかに触れるか触れないかの髪の毛の感触がくすぐったくて気持ちいい。
「あ……あぁ―――」
 ツンと立ち上がった二つの飾りを指と舌で転がされ思わず声が漏れた。
 初めての経験にに息が上がる。
 自分の声に刺激されてかオスがゆっくりと目覚めるのを感じた。下半身に熱が集中していくのを止めることが出来なかった。
 先輩の右手は明確な意思を持って僕の脇腹を滑っていく。腹や太腿を優しくなでさすりながら上下するのに、中々そこには触れようとはしない。
(それとも触りたくないのだろうか……)
 その証拠に先輩は服を着たままだ。
(ならどうしてこんなことをするのだろう?)
 やっぱりこれは新しい苛めなんだと思う。
 だって男は愛がなくてもセックスはできるって言うじゃないか。
 それが同性相手でも通用することなのかどうかなんてことはもう考えたくもないけど。
 辛くて切なくて涙が溢れた。
 チャンスだと思った気持ちも何処かに吹き飛んでしまって只、解放して欲しいと思うだけだった。
 腕が自由にならないのがもどかしい。
 腕さえ自由になれば先輩を跳ね除ける事ができるのに……いや、違う。跳ね除けるんじゃなくて―――。
(僕も先輩に触りたい。思いっきり抱きしめてみたい――――)
 気紛れでくれたチャンスなのだとしたら、思い存分先輩を抱き締めてみたい。
 無意識に伸ばした手の甲が引き攣れるように痛んで「あっ!」と小さく声を上げた。
「どうした?」と問いたげに先輩が視線を上げた。
 僕は小さく頭を振った。
 何を思ったのか先輩は伸び上がり包み込むようなキスをしてくれた。捕まえようとした僕の腕をスルリと交わして先輩の姿は視界から消えた。
「……うわっ……なっ!」
 触れて欲しいと思っていた場所がいきなり暖かい感触に包まれ身体がピクリと跳ねる。
「せっ! せんぱ…い……やめッ! あっ、あっ……だめ……で――」
 いきなり何てことするんだ―――って頭の中ではやけに冷静に思っていた。けれど、思考と身体が上手い具合に繋がらなくて、情けない声だけが漏れてしまう。
 自分でするのとは全然違う感覚、それをもたらしてくれているのが長年憧れつづけていた相手で―――冷静だと思っていた思考回路はあっという間にショートして快感だけを追い始める。
 先輩の舌の手の動きに意識が集まっていく。
「ああっ、あん……ううん……」
 片手を支えにして舌先が上下する、先端部分をきつく吸われて背筋を寒気にも似た快感が駆け抜ける。空いている手で双玉を弄ばれてくすぐったいような痛いような感覚に涙が込み上げる。
 悲しいんじゃない、ダメだと思っているのに絡みつく指の優しさにほんの少しでも希望を探す自分が浅ましくて―――。
 もう何も考えられない。突き上げる射精感に僕は頭を激しく振った。
「やっ、いや……はなし……てっ!」
 このままでは先輩の口の中に吐き出してしまう。できる限りの力で身を捩るけれど押さえ込まれた下半身はびくともしなかった。それどころか先輩は一層激しく僕自身を責め立てた。
「くっ……あぁぁぁ――――」
 敏感になった先端に軽く歯を立てられて目の前がスパークした瞬間、僕は堪えきれずに先輩の口の中に欲望を吐き出していた。
 情けない思いに苛まれながら深呼吸を繰り返す僕を先輩が覗き込んできた。
 暖かい手で額に張り付く前髪をかきあげ、額に小さく口付けをくれる。
「……どうして?」
 優しい色の瞳を見上げて聞くと「判らないか?」と逆に聞き返され、素直に頷くと「俺に何か言いたいことがあるんじゃないのか?」ともう一度聞かれた。
 瞬時迷う。
 何を考えて先輩がこんな言葉を口にするのか解らないけれどやっぱりこれはチャンスだ。
 先輩からきっかけを与えてくれたのだから。
 何を躊躇う事があるんだろう。
 でも、あれほど考えていた事なのに、いざとなると中々言い出しにくいものだった。
 迷う僕を見つめる先輩の瞳が意地悪く光る。
「全く、素直じゃないな、それなら……」
 仕方ないとため息混じりに呟いて先輩の身体が離れて行った。
 それまで感じていた暖かさが無くなって淋しいと感じる暇なく、ズボンを下着ごと引き下ろされ、素早く服を脱ぎ捨てた先輩が覆い被さってきた。
「なっ…止めて下さいっ、せんぱい!」
 必死にばたつかせた足を容赦ない力で押さえ込まれ、次に起こるだろう事に僕は恐怖を感じて目をギュッと瞑った。
「口で言えないのなら身体に聞くまでだ」
 何も見えない真っ黒な世界に逃げ込んだ僕の耳を舌で舐め上げながら先輩が囁いた。

「はっ…はぁ―――いやだ……止めて――お願い……」
 執拗に繰り返される愛撫に僕は何度目かの哀願の言葉を口にした。それでも先輩は離してくれはしない。
 両足を軽く開くように立て自分でも触れたことの無い場所に先輩の指を受け入れている。襞を押し開くように指を抜き差しされるのが不快から快感に変わっていく。
 前立腺を刺激されれば男なら誰でも勃起するものだとは解っていてもそれだけではない何かが確実に僕の中に生まれている。
 じれったいようなもどかしさ……。
 施される愛撫に僕自身は痛いくらいに張り詰めているのに解放すら許してはくれない。根本を指で戒められたまま、突き上げてくる射精感を堪えさせられて意識が白く霞んでいく。
「せ……先輩……許して―――」
「言う決心がついたか?」
 僕の中をかき回しながら先輩が聞く。
 さっきからこのフレーズを先輩は繰り返している。
 聞かれる度、僕は首を左右に振った。
 言いたい、打ち明けて楽になりたい……そう思う気持ちの裏側で、はっきりと引導を渡されるのを恐れている自分がいる。
 この期に及んで僕は決心できないでいた。
 チッと舌打ちした先輩が指を引き抜き、両下肢を抱え上げのしかかって来た。
「うっ……ああああ―――」
 突然襲った、想像を絶する痛みに僕は叫び声を上げた。
「静かにしろ! 外に聞こえるぞ!」
 暴れもがく身体を全身で押さえ込み遠慮ない力で僕の中に先輩が入ってくる。指とは全く違う質量に、内臓が押し上げられる不快感に吐き気が込み上げる。
「力を抜け、息を詰めるな……」
 間断なく漏れる声を先輩が掌で塞ぎ、くぐもった声で耳元に囁く。
 そんなこと言われてもどうしていいか分からない。
「むっ……ムリだ……先輩やめて……ひっく……」
 双玉を握りこまれ不意に力が抜けた瞬間を見逃さず先輩は腰を突き上げた。
 全てを僕の中に納めて先輩は荒く息をつき休む間もなく僕の身体をゆっくりと引き起こした。体力を根こそぎ奪われて抵抗する気力すらない僕はされるがままぐったりと先輩の胸に凭れかかった。
 先輩が静かに点滴のチューブを外してくれた。
 先輩を受け入れている場所が熱を持ったように熱い。
(僕の中に先輩がいる……)
 僕は覚悟を決めた。
「先輩……キスしてください」
 かすれた声でそう言った。
 クスリと笑って顔を寄せてくる先輩の思いの外逞しい身体に腕を回し、唇を貪った。カラカラに乾いてひりつく喉に唾液が流れ込む。
 僕は抱きしめる腕に力を込め、そして囁く―――。
「先輩が……好きでした」
「……やっと言ったな。でも、過去形か?」
 意地悪く囁かれ僕は首を振る。
「現在進行形で恋しています……」
「胃に穴が開くほど?」
 瞬間、僕は腕を突っぱねて先輩の顔をまじまじと見返した。
(こんな時に言うことじゃないよ、本当、デリカシーの欠片もないんだから―――)
 でも、それが先輩という人間だし、そんなところもひっくるめて僕は先輩に恋しているのだ。
「ならしきり直しだな……」
 先輩が楽しそうに笑い顔中にキスの雨を降らせてくれる。
  もう、それだけで充分だ。返事なんていらない。
今だけ、今だけでいいから、しっかりと先輩を僕の身体に刻み付けておこう。
 
 部屋の中に音は無く、二人の荒い息遣いと僕の中をかき回す湿った音だけが聞こえている。
 クチュクチュという淫らな音が僕の感覚を妙な具合に刺激する。
「浩之、浩之……」
 突き上げながら先輩がうわ言のように懐かしい呼び方で僕を呼ぶ。
 抱きしめられ揺さぶられ、何も考えられなくなっていく。声すらも上げられない。
 痛みは無くて、経験したことの無い快感が身体中を駆け巡る。
「ちゃんと息しろよ。でないと辛いだろう?」
「だっ…て、外……聞こえる……」
 間断なく抜き差しを繰り返しながら先輩が言うのに、囁きで返して僕は力一杯抱きついた。
「あっ…あっ、んんっ……せんぱ…い」
 どうしていいか分からない……自然と腰が揺れるのを止められない。
「ん? イキたいか……」
 意地悪く囁かれてもどうすることも出来ない。そこまで解放の時が迫っていた。
 頷く代わりに腰を押し付けた。
 クスリと笑った先輩が僕の身体をベッドに押し倒し首筋に噛み付くようにキスをした。唇を追いかけてキスを返すとそれが合図のように先輩の動きが激しくなった。
 好きだ、好きだ……先輩が好きだ――。
 置いていかれたくなくて僕は必死にしがみ付いた。

 どれくらいの時間が経ったのか、真っ暗だった窓の外は仄かに明るくなりかけていた。
 全身を倦怠感が覆うベッドの中、
「……どうして、こんなことしたんですか?」
 隣に寝転がってタバコの煙を細く吐き出す横顔を見つめて聞いた。
「はあ?」
 途端に気の抜けた声が返った。
「お前……」
 目を丸くした先輩が呆れたように僕を見返す。
「同情ですか?」
「同情……ってお前、何、言ってるんだ?」
「だって……男は愛が無くてもセックスできるっていうから……」
 タバコを灰皿に押し付けて先輩は起き上がり僕の顔を覗き込んだ。
「まったく! どこでそんな間違った知識を仕入れてきたんだか……。いいか、それはあくまでも女相手の話だろ。野郎相手にそんなことができるかっ!」
 えっ…それって?
 驚いて見返す僕に先輩は髪をかきあげ、ため息を一つついた。
「ホント、何も解っちゃいないんだな、お前……」
「言ってくれなきゃ解りませんよ……」
「自分で考えろ、その頭は飾りなのか?」
 研修医時代に聞き飽きたセリフを返され僕は首を傾げた。
 愛の無いセックスは男同士には通用しない、と先輩は言った。とするなら今、僕達がしたものには愛があったって言うこと……だよな?
 僕のほうには充分すぎるほど“愛”はあるけど、先輩には……。
「雅弘がいるのに?」ポツリと零れた言葉に「ああ? どうしてそこにアイツの名前が出てくるんだ?」と不機嫌そうにように先輩が言う。
「えっ、だって先輩は雅弘の事が好きなんでしょう?」
 先輩はガックリと肩を落とし恨めしそうな目を向ける。
 えっ、違うのか? だって、あれはどう見たってそういう風に見えるぞ?
「解った。お前ってそういう奴だったよな、忘れてたよ、いいか、一から説明してやるから、よく聞けよ」
 ハッキリ、キッパリ前置きした先輩はタバコを取り出し火をつけた。

「ええーっ、アイツがあの時のチビだったんですかぁ?」
「そういうことだ。どうだ簡単だろーが」
 確かに。
 聞いてみればとても簡単で単純なことだった。
 先輩曰く。
 雅弘は加藤家の末っ子、つまり弟なんだそうだ。
 小学校へ上がると同時に子供のいない親戚の家へ跡取として養子に行ったらしい。
「長い間、離れていた弟なんだ可愛がって甘やかして当たり前だろう」
 そう言われれば確かにチビ助の印象は何処となく雅弘に似ていたように思う。いや、雅弘に面影があるって言うほうが正解か。
 ―――と言うことは。
 僕はもう一度、先輩に目を向けた。
「お前は雅弘とは違う。俺はじいさんにお前と引き合わされた日からお前の事しか見てなかった」
 照れ隠しなんだろうスパスパを煙を吐き出しながら、早口で言った先輩のホホが少し赤かった。
「ひょっとして僕達、相思相愛だったんですか?」
「ひょっとしなくても、そうだよ。判れよな、それくらい」
「言ってくれなきゃ判りませんよ。僕、嫌われてると思ってましたもん」
 だって僕のことが好きだったんならもう少しやり方ってもんがあったんじゃないか――と思うんだけど。
(雅弘に対するように、手取り足取り、優しく諭すように……)
 そう思って聞くと先輩は、
「俺はガキの頃からお前を少し甘やかし過ぎたからな。何時までも俺の言う事ばかり聞いていたんじゃダメになる。だから自分で考えろとな」
 なるほどね。そんな風に言われれば、なんか納得してしまうけれど。
「じゃあどうしていきなり突き放すような事をしたんですか?」
 重ねて聞いたら「本当にバカだなお前は……」とため息混じりに言われ、頬を膨らませると先輩は笑って僕の髪を撫でた。
「言葉通り“愛のムチ”だ。お前は将来、俺の片腕として働いてもらう予定にしてるからな。だから甘やかしてたまるかって。それにな指導するってのは答えを教えるモンじゃないだろーが。俺はヒントは与えてやってたハズだ」
 なんとまぁ、そんな事を考えてたなんて―――ほんと解りにくい人っていうか奥が深いって言うか―――ひと筋縄ではいかない人だと改めて思う。
 落ち着いて先輩の言葉を思い返してみる。
 自分の片腕として僕の事を考えていてくれた。
 今のままの僕ではとても勤まらないけれど、努力すれば近い将来、先輩と肩を並べて仕事ができる。
 それってスッゴイ事じゃないか。 
「それじゃ今までよりも頑張らなくちゃいけませんね」
「その通りだな。でも、一人で頑張りすぎるなよ無茶はするな。少しは俺を頼れよ」
(えっ、頼ってもいいんですか? 先輩の事)
 言ってる事が違うぞとばかりに見上げた僕を先輩は引き寄せ、ニヤリと笑う。
「病院内でじゃなくて、プライベートで……ならな」
「……はい」
 くすぐったくなるような甘い言葉を贈られて僕は頬が赤くなるのを感じながら頷く。
 先輩と一緒に歩けるっていう明るい未来があるなら、どんな努力だって惜しまない。
 なんだか悩んでたのがバカらしくなるような幕切れだ。
 ホント、当たって砕けろって言う元哉君の言葉は大正解だ。
 病院に復帰したら一番に元哉君に報告してやろう。
 きっと彼は「ほら、オレの言った通りだっただろ?」と胸を張って綺麗に笑ってくれるだろう。

「ところで、どうだ?」
 先輩が珍しく言いよどんだ。
「へっ、なにがですか?」
「その……身体の方だ。かなり無茶したからな。まあそれもお前が素直じゃ無かったからで、俺だけの責任でもないんだけどな」
 なにを言い出すかと思ったら、そんなことですか……。
 言われて僕は身体に聞いた。
 あれ? おや?
「どうした? やっぱり辛いか?」
 慌てて先輩がタバコを放り出して覗き込む。
 僕は「違うんですよ」とクスリ笑う。
 慣れない行為に身体のあちこちは痛んだけれど、一番僕を悩ませつづけてくれた胃の痛みがすっかり消えていることに気付いたからだ。
 精神的、心因性のものとは言われてたけれど、こんなに簡単に治るものだったのか。

『お医者様でも草津の湯でも恋の病は治しゃせぬ』とは昔の人もよく言った。

 隣で不思議そうに僕を見つめる先輩に腕を伸ばして引き寄せる。
「ねえ先輩、もう一度、キスしてください」
 甘えるように囁いた僕に先輩が嬉しそうに答えてくれたのは言うまでもない。
                                     (おわり)