Accident in an offday
act.2

「ここから動いちゃダメですからね。いいですね。守ってくださいよ」
 何時になく真剣な表情で言われて椅子に固定されたまま、一条は五代の姿を目で追っている。
 その動きはきびきびしていて見ていて飽きる事がない。
 朝、何をしようかと悩んだのがウソのような穏やかな時間が流れている。
 側に居るだけでホッとする、包み込むような安心感を持った五代の笑顔。その彼は狭いキッチンの中で食事の準備をしている。鼻歌混じりに食材をあつかう姿はマジシャンのようで、目を離す事が出来なかった。
(本当に何でもできるんだな、お前って……)
 入れてくれたお茶に手をつけもせず見入ってしまっていたようだ。不意に五代が振り向いた。
「一条さん? オレの顔になんかついてます?」
「えっ……?」
「だって、さっきからジッと見てるから……恥ずかしくなるじゃないですか?」
「ああ、器用だなって、何でも出来て凄いなぁって感心してた」
「えっ、そうですか? 普通ですよ。一人暮らし長いですからねー」
 五代は包丁を手にしたままで屈託のない笑顔を見せる。当然のように言われて一条は口篭もる。五代よりも少し年長の自分もずっと一人暮らしをしている……なのに、情けないけれど何も出来ない。
 忙しかっただろうに、椿の電話で仕事を中断させて飛んで来てくれた。送り届けてくれただけでもありがたいのに、そのまま残って自分の世話をしてくれている。それはこうしたプライベートだけではない。『未確認出現』の連絡を入れると何があろうと駆けつけてくれる。 
 そして力の限りで自分達を守ってくれる。
 そんな五代に自分は何も返せない―――それが一条を居たたまれなくさせた。五代が見返りなんか期待していないだろう事は彼の人となりを見ていれば判る。だが……何かを返したいと一条は思うのだ。自分の時間を犠牲にしてくれている五代に、自分達の我がままで振り回している彼に―――フィフティ・フィフティでいたいと思うのだ。
 朝、頭を掠めた思いが甦る。
「……思ってたよりもつまらない人間だな……」
 ポロリと漏れた言葉に五代が目を丸くして振り返る。
「何がですか? 誰がつまらない人間なんです?」
 改めて聞き返されると余計惨めな気持ちになってくる。
「……俺が――だよ」
 自嘲気味に呟けば五代はさらに目を丸くする。
 本当に五代には一条が何を言い出したのか解らないのだろう。でも、その仕草が一条の心に波を立てる。
(解らないのなら解らせてやるよ。お前が好きだという俺がいかにつまらない人間かってことを―――)
 そんな気分で一条は口元を歪める。
「俺はお前のように趣味もないし、話題も豊富な方じゃない。仕事をするしか能がない。その仕事にしてもお前におんぶに抱っこ状態だ……今日だって非番なのに何をしていいか判らなくて、お前に会いたくて……なのに、こんな事になってしまって、又迷惑を掛けている。つまらない男だ。こんな俺と付き合っててお前、何が楽しいんだ……」
 言えば言うほど自分と言う人間がつまらなく思えてくる。朝のように気分を変えようにも、その術を見つけられない。止めようにも思考はどんどん悪い方へと向かい、深みに嵌っていくようだった。
 こうして改めて自分を見つめてみるとなんと小さい男だろうと感じてしまう。市民の命を守る事が自分の使命だといいながら、一般人である五代の力で自分達は守られている。
 悔しくて、情けなくて一条は俯き膝の上で拳を握り締める。
「どうしてお前は……いつも笑っていられるんだ?」
 呟くように零れた言葉は、常に一条の心にあった疑問だった。
 身体の中に爆弾を抱え、下手をすれば人格を失ってしまうかもしれない……と言う不安を抱いているのは五代に他ならないのに―――。
「……さん?」
 自分の思いに捕われていた一条は五代が近づいてきた事にも気付かなかった。ほんのりと感じる暖かさに一条は我に返る。
「……五代?」
 何を……と言葉に出すヒマもなく唇を塞がれた。一条は反射的に目を閉じる。しっとりとした感触にささくれ立っていた心が穏やかに凪いでいくのを感じた。
 久しぶりに交わすキス……それが自分を落ち着かせるために五代が仕掛けてきたことだと理解はしたが、変わらずに暖かい五代の唇に一条は暫く酔いしれた。
 二、三度啄ばむようなキスのあと、軽く下唇を噛んで五代の唇は離れていった。目を開けると曇りのない五代の瞳が「落ち着きましたか?」と微笑んでいた。
「どうして笑っていられるか……ですか? 判りませんか?」
 簡単な事なんですけどね。と言いながら五代は椅子を引き寄せるとストンと腰を下ろした。そして何気ない口調で「一条さん左手、出して」と言う。言われるまま左手を差し出すとすかさず五代は両手で包み込んだ。
「それはね―――一条さんがいるからです」
 極当たり前のように五代は言った。
「俺が?」と聞き返すと「そうですよ」と自信たっぷりに頷く。
「一条さんがいるからオレ、頑張れるし笑っていられるんですよ。だって一条さんはオレ以上に一生懸命頑張ってるでしょ。そしたらオレも頑張らなきゃウソじゃないですか。誰にやれって言われた訳じゃないんです。オレが自分で選んだ道なんだから。それにホラ、中途半端はしないって約束したでしょ? だからね、自分の事つまらない人間だなんて言わないで下さい。一条さんがつまらない人間なら、オレはすごく我がままで自分勝手な人間って事になっちゃうでしょ?」
「そんな、お前が自分勝手だなんてこと……」
 そんな事を言わせたかった訳じゃないと首を振る一条の手を宥めるようにポンポンと叩いて五代は「だったら一条さんも、そんな事言わないで。でないとオレ、泣いちゃうよ?」と唇を尖らせた。
「………こんな俺でいいのか? 本当に?」
 困惑気味に聞く一条に五代は、今までに見せたことのない柔らかな笑顔で頷いた。そして両手で包み込んだままの一条の左手を引き寄せて、そっと口づけた。
「オレの好きな人はね。仕事一途で何事にも一生懸命な人なんです。そりゃ口数は少ないですよ。でもねそれでいいんです。その分オレが喋りますから。でもって仕事が趣味って人ですから、他人から見たらつまらない人かもしれない。でもねそれでいいんです。その分、オレが多趣味だから。それにね、コレが一番大事なところなんですけど。その人が見せてくれる笑顔ってとっても素敵なんですよ。中々笑わない人だから誰も知らない事なんですけどね。オレだけは知ってるんです。オレにだけ見せてくれるんです。これってトクベツってことですよね」
 紡ぎだされる言葉の数々に一条は返す言葉を見つけられなかった。俯いて込み上げる涙を堪えるのが精一杯で―――。
「ねぇ、こんなにオレが夢中になってるのに何処がつまらないんですか?」
 聞かれても答えられない。
「判らない……」
 一条は俯いたままで首を振った。
 フッと吐き出されたため息と共に左手の温もりが消えた。戸惑うように顔を上げる間もなく今度は背中が暖かくなる。
「五代……?」
 振り返ろうとした一条を抱きしめて肩に顔を埋めた五代が言った。
「ホントにね、もっと素直にオレの言う事を信じて欲しいなぁ。正直言うとね、おしゃべりな一条さんっていうのも見てみたい気もするんですけどね。でも、他愛ないオレのお喋りを静かに聞いてくれる一条さんがお気に入りなんだよね、オレ。だから……ね? そのままでいて下さい。変わらないで……お願い……」
 祈るような囁きと共に、そっと身体の向きを変えられ上を向かされて……ふっくらとした五代の唇がゆっくりと迫ってくる。
(五代の言葉を信じるよ。このままの俺でいいと言ってくれるお前の言葉を―――)
 そう心の中で呟きながら目を閉じて一条はその瞬間を待つ。
 柔らかな舌先で唇をなぞられて、迎え入れるように小さく口を開くとすかさず忍び込んできた。自由自在に動き回るソレに自分から絡ませると、口付けは直ぐに深くなった。
「……ンっ――ん」
 呼吸をも奪う激しさで続く口付けに飲み込みきれなかった唾液が唇から零れ顎を伝う。
「……ダメだ―――」
「えっ?」
 小さな呟きと共に離れた唇に一条は、小さく息を呑む。
(やっぱり……ダメなのか……)
 俯き唇を噛み締めた一条の顔を五代は覗き込んだ。
「まぁた、妙な事考えてるでしょ?」
「だって……お前、今ダメだって……」
「あー、やっぱり」
 呟くと五代は額に手を当てて、大袈裟に天を仰ぐ。
「ああ言う言い方だと、一条さん誤解しちゃいますよねぇ」
「誤解?」
「そうです。ホンッとオレってどうしてこう言葉足らずなんだろうなぁ……」
 ガシガシと髪の毛を掻き毟りながら、五代はもう一度一条に視線を合わせた。
「今のはね違うんですよ……えっと……」
 珍しく言葉を捜す五代は、今にも泣き出しそうな表情を見せた一条の顔を「ああ、もう! だから違うんですって!」と両手で掴んで視線を合わせた。
「なにが違うのか。何がダメなのか――言ってくれないと解らない……」
「だからね……今日は、その――一条さん怪我してるから、我慢しなくちゃいけないって、いい聞かせてたんですよ、なのに……」
 恨めしそうな瞳で唇を噛んだ仕草で五代の言わんとしていることを察した一条の唇からクスリと密かな笑いが漏れた。途端、五代は頬を膨らませ「笑う事ないじゃないですか!」と呟いた。
 それには答えず、一条は五代の右手をとると自分の股間にそっと導いた。あんな告白を聞かされて正気でいられるわけ無いと、自分の方こそ五代を欲しているのだと言葉にしなくても身体が正直に伝える。
「……一条……さん……」
 驚き目を見張る五代に、頬を赤くしながら一条は言う。
「……我慢なんてしなくていい……俺は大丈夫だから」
「でも……お腹空いてますよね?」
 伺うような五代の瞳の奥にオスの匂いを嗅ぎ取った一条は、ゴクリと唾を飲み込むと「食事なんて後でいい」と呟いた。

「あ……はぁッ、ご、五代―――ヤ…イヤ……だ」
 いつもより長く濃厚な愛撫に一条は何度言ったか判らないセリフを繰り返す。それでも五代は止めてはくれない。一条の股間に顔を埋めたままだ。
(どうしたって言うんだ、五代……)
『一条さんは何もしなくていいからね。全部オレに任せて?』
 ベッドヘッドに凭れかかった一条のシャツのボタンを外し、現われる素肌にキスを落としながら呟いた五代の言葉はこういう事だったのか……怪我の事を思いやってくれての言葉だと信じていたのに。 
 こんなことなら頷かなければ良かった―――とすら思う。
 一条自身はすでに限界まで張り詰め、先端からはひっきりなしに蜜が零れているというのに、根本を戒められたままでは達する事も出来ない。逃れようにもガッチリと下半身を押さえ込まれているからそれも出来ず、一条は唇を噛み締めて突き上げてくる逃げ場のない熱を飲み込むしかなかった。
 でも、それももう限界に近い。
「ご…だい、も……いい…加………減に―――」
 してくれと言いたいのに舌がもつれて上手く言葉が紡げない。一条はともすれば飛びそうになる意識を必死に繋ぎとめ唯一、自由に動く左手でツンツンと五代の髪を引っ張った。さすがに五代も一条の思いを受け止めてくれたのだろう、根元の戒めがなくなった。    
 突き上げてくる射精感を逃がそうと息を吸いこんだ途端。
「イって……いいよ。一条さん―――」
 呟きと共に一層キツク吸い上げられた。身体が浮き上がるような錯覚とゾクリとする快感が一気に背筋を駆け抜ける。頂点まで押し上げられた後にやって来る急速な落下感に目を開けていられない。押さえ込まれて自由のきかない身体がベッドの上でピクッピクッと跳ねる。
(早く! 早くしないと……へ落ちてしまう!)
「……ああっ、五代……落ちるッ!」
 言葉に言い表せない快感に身を震わせながら、必死に身体を起こした一条は手探りで掴む物を探す。漸く探り当てた五代の肩に手を掛けた時……雷で打たれたような衝撃が全身を貫き一条は四肢を突っ張らせた。
「クッ……くぅ―――ああ……」
 目も眩むような光を瞼の裏に感じた後、ポーンと宙に投げ出される感覚に襲われる。徐々に一条の身体から力が抜け、五代の肩を掴んでいた腕がパタリとシーツに落ちた。
 ユラリ、フワリとたゆたうように弛緩した身体が落ちていく――何も考えなくていい幸せな時間。
 自身を解放した時、訪れるこの感覚が一条は好きだった。  
 一条が余韻を楽しんでいる間、五代はゆったりと抱きしめ、あやすように顔中にキスの雨を降らせてくれる。そして一条はあちこちに触れてくる悪戯な五代の手に、この時ばかりは大人しく身をゆだね、時折、悪戯をするように触れるだけのバードキスを仕掛けてみたりする―――じゃれ合うようなその行為が治まりかけていた互いの欲望に火を点けやがて次のステップに移行していく……当然、今日もそうなのだと思っていた。
 それが―――一条が呼吸を整える時間を与えず、かなりキツイ力でその身体を五代は引っ張り起こしたのだ。
「えっ……五代?」
 戸惑う一条の目の前で、身を起こした五代は一条が放ったもので濡れて光る唇をひと舐めすると、さっさとベッドに乗り上げ今まで一条がいた場所に身体を預けてしまった。そして何がなんやら訳が判らず、ぼんやりと五代を眺める一条の左腕を引っ張って自分の方へと引き寄せた。
「今日は一条さんが上で……ね」
 耳元で囁かれ、ギョッとして左腕を突っ張った一条に五代は真剣な表情で頷いて見せた。
 その体位自体初めてではないし、今の一条が五代を受け入れるとすれば、その体位しかないことも解ってはいる。勿論、五代の思いに答えてやりたいとも思うけれど。
 中々、決心はつかなかった。
 五代は急かさなかった。じっと目を閉じて一条の心の準備が整うのを待っていてくれる。五代だって辛いだろう……その証拠に彼自身は天を向いて微かに震えている。込み上げる感覚をやり過ごす辛さを身をもって体験したのは、ついさっきの事ではなかったか?
(悩んでいる暇なんてないだろう?)
 一条は心に問い掛ける。
 決定権はあくまでも一条にあると。選択権は常に自分に与えてくれる五代の姿に一条は意を決した。
 そっと五代の身体を跨く―――そして又、一条は途方に暮れた。
 自分から五代を導き受け入れるという事はかなりの苦痛と衝撃を伴う行為だ。その苦痛と衝撃をやり過ごす為に自分でコントロールしなければならない。つまりは身体を支えなければいけないという事だ。  
 なのに―――。
(俺はなんて馬鹿な事を……)
 一条は改めて向こう見ずな自分を悔いた。
「大丈夫ですから……」
 五代自身に手を添えたまま俯いて動きを止めた一条の腰を五代がそっと引き寄せた。
「………」
「オレ、支えてるから……ね?」
 強制でない一言が一条に勇気をくれる。
 コクリと頷くと一条は深呼吸を一つしてゆっくりと腰を下ろしていった。
「……クッ……はぁ―――はぁ……ッ!」
 狭い場所を押し開かれる感触に額から汗が噴出す。受け入れたいと思う心の裏側で身体は進入してくる異物を排除しようとする。辛いと判っているのに思わず息を詰めてしまう。噛み締めている唇から声が漏れるのを止める事が出来ない。
「これ……以上はダメだ……」
 一条は激しく首を振り、支えていた五代自身から離した手で五代の肩を掴んだ。小さく息をついた隙を見逃さず、五代がさらに強く腰を掴みベッドのスプリングを利用して自身で一条を突き上げた。
「フッ……ああ―――ッ!」
 五代の全てを飲み込んだ一条はグッタリと逞しい肩に頭を預けたまま激しく胸を喘がせる。しっかりと腰を抱いた五代が静かに背中を撫でてくれる心地よさに、乱れていた呼吸が治まっていく。
「……大丈夫ですか? 一条さん……」
 五代の声が胸に響く。
「ああ……」
 胸に手をついて顔を上げると、泣き笑いの表情で五代が微笑んでいた。
「……五代……どうした?」
 五代の見せた表情が不思議で一条が小首を傾げると「……無理させてごめんなさい」と消え入りそうな声で五代は言い、もう一度一条を胸の中に抱き込んだ。
「でも……他のこと考える余裕なかったでしょ? そのコトしか頭になかったでしょう?」
「それは……」
 口篭もる一条に五代は「それでいいんです」と笑顔で頷く。
「何も考えて欲しくなかったんです。ダメな男だとか、つまらない人間だとか……そんな事、一条さんに考えて欲しくなくって、無理言いました。無理させました」
「五代……」
「オレはいつも一条さんに癒されてます。何度も言うけど、一条さんがいるからオレ、頑張れるんです。オレ、一条さんが好きです。一条さんに夢中です。現在進行形で溺れてます。だから一条さんもそうであって欲しいんです。オレだけ見てオレだけに溺れて欲しいんです」
 うっすらと頬を赤くして言葉を吐き出す五代が愛しくて、五代の言葉が嬉しくて……一条は胸が一杯になるのだった。
(謝るのは俺の方だ)
 と一条は思う。
 いつも、どんな時も勇気をくれるのは五代で、言葉でも態度でも五代に癒してもらっている……。一条にとって五代は、自分の半身で。もう無くてはならない無くしたくない、かけがえの無い存在なのだから。
 言葉にするには、ほんの少しプライドがジャマをする。けれど、はっきり言葉に出さなければ伝わらない思いもある。
今、伝えなければと思う。与えてもらうだけではダメなのだ。一条が望む関係は、常にフィフティフィフティであること。
 一条は顔を上げると左手で五代の顔を引き寄せ、そっと唇を合わせる。
「……一条さん?」
 されるがままになりながら口を開こうとした五代の頭を胸に抱え込み、少し硬い感触の髪に顔を埋めて、
「……俺もお前に夢中だよ……好きだ……五代―――」
 そう囁けば、肩口に押し付けられている五代の唇が、
「……オレは愛してますから……」
 と、動いた。

 二人の戦いはいつ終わるのだろう。
 戦いの終息の日―――それは皆に笑顔が戻る日。
 その日が一日でも早く来る事を、一条も五代も願っている。
 それはとりもなおさず、二人がゆっくりと“愛”を語り合える日なのだから―――。

                                             (おしまい)