つま先立ちの王子様
Part 2
調子が悪いときはとことん調子が悪い。
大体、昨日の今日で解決するくらい悩みなら苦労はしないってんだ!
それなのに先輩たちは『オイオイ頼むぜー。海星・津久見の名が泣くぜ!』とか『山ほど食ってきた朝飯は何処へ消えたんだよ! やっぱ、どっか漏れてんじゃねぇの?』だの『燃費が良すぎるっていうのも考えもんだよな、ツクシンボ。お前、ひょっとしてアメリカ製?』だのと、思い思いのことを言ってギャハギャハ笑って下さるんだ。
んな事、言われたって調子が出ないんだから仕方ないじゃないか!
(あーあ。何とかしてくれよぉ〜)
クサリきって歩いてた俺は、いきなり立ちはだかった壁に思いっきりぶつかった。壁の正体は前を歩いていた椎名だ。
「―――ってぇ〜、お前いきなり止まるなよなぁ……」
おでこをさすりつつ見上げた椎名は一点を見つめて塗り壁状態だ。
何があるのかと俺は椎名の視線を追いかけた。
「おっ? なんだぁ、あの人だかりは?」
校長室の前に黒山の人だかりが出来ていて、人垣の間から派手なパツキン頭が見え隠れしている。
(あのパツキンには見覚えがあるような……)
そこまで考えてハタと気付く。
(もしかして昨日のヤツが文句を言いに来たとか?)
「ヤベェ……」
呟いて俺は椎名の背後に慌てて隠れた。
(学校名がバレるようなヘマはしてないよな俺。あっ、待てよ。昨日は俺ネーム入りのジャージ着てなかったか? けど、ネームは背中に入ってるから、あの状態じゃ見えないよな? バレたら超ヤバいじゃんか。部活停止ならいいけど、下手すると対外試合禁止なんてことになりかねないからなぁ……どうしよう? 先輩たちになんて言い訳しよう)
なんて事をツラツラ考えてた俺は、隠してくれてる椎名の背中がなくなった事も、ざわめきが大きくなった事にも気づかなかった。
「……うわっ! な、なんだ?」
いきなり抱きつかれ上半身の動きを封じられて、みっともなくも悲鳴をあげた。相手が昨日の奴だと思い込んでた俺は頭を抱えてしゃがみこむ。
「すみません、すみません。ゴメンなさい……邪魔するつもりなんて、コレっぽっちもなかったんです……」
慌てふためいて早口で思いつく限りの謝罪の言葉を捲くし立てる俺の周りから音が消えて。俺はそれ以上言葉を出すことができなくて――――。
俺の動きを封じている相手にキスされてるって気づくまでに暫くかかった。
気が付いたのはソイツの舌が口の中に進入してきた時だった。
(エッチ邪魔された腹いせに俺にキスしてどうすんだ! ちっちぇーけど俺は男だし、俺にキスしていいのは玲だけだ―――っ!)
「――――ウッワァ〜、何すんだよ! 放せよ! 放せってば! オイ、止めろってば!」
めちゃくちゃに暴れてそいつを突き飛ばした……つもりだった。けど結局は腕を解いてくれただけだった。
でも、それで充分だ。
「成人こっちだ!」
俺は忙しく辺りを見回し、目に入ったデカイ奴の背中に回りこんだ。
(ホント、情けねぇ……椎名に庇われる俺って……)
そっと顔だけ出して伺った相手は―――昨日の奴とは全くの別人だった。
ソイツ―――俺にベロチューをかましてくれたパツキン野郎―――は、悲しさを滲ませた青い瞳をまっすぐに俺に向けて「忘れちゃった? ナルト……」と呟いた。
「えっ……?」
一瞬、唖然となる俺。
ちょっと待て。今、コイツ、何てった?
ナルト―――って言わなかったか?
普段、バスケ以外じゃめったに使わない脳みそをフル回転させて考える。
俺のことを“ナルト”と呼ぶ奴を一人しか知らない。
しかもそれは椎名も知ってる奴で―――。
外国人にとって“ヒ”とか“シ”って音は発音しにくいらしい。半分日本人の血が入っている玲も例外じゃなかった。いくら教えても“ナルイト”“チイナ”としか言えなかった。だから最後の方はあきらめて玲の呼び易いように呼ばせてた。舌足らずな感じが妙に可愛かったしさ。
それが“ナルト”であり“チナちゃん”だったのだ。
(オイ成人。あれって……?)
(やっぱ、お前もそう思うか?)
俺を見下ろした椎名を見上げて首を傾げたら、厳つい肩が上下した。
「……なあ、もしかしてお前……玲、なのか?」
恐る恐るの問いかけに、萎れたようになっていたパツキン・ベロチュー野郎が花が咲くように綺麗に笑った。
暫く尻餅をついたままで笑っていた奴は、思い出したように立ち上がりズボンについた埃を払うと、額に落ちかかる前髪をかきあげた。
(スッゲー、カッケー……)
ポカンと口をあけたまま、椎名の後ろで呆けたように見惚れる俺を引っ張っり寄せると、玲はコレでもかと言うほどの全開の笑みを見せた。
「……思い出してくれたみたいだね、ナルト。ただいま、帰ってきたよ!」
外見を裏切る流暢な日本語でソイツ――西野 玲――は言って、俺を力の限り抱きしめた。
「オイ、前見ろよ前を……高木の奴睨んでるって……」
腹が空ききった4時間目。俺の横顔に無遠慮な視線を投げつけてくる相手に、無駄だと思いつつ注意をしてみるけど、やはり何処吹く風で、ジーッと澄んだアイスブルーの視線を反らせることはない。
(そんなに熱心に凝視められるほど、俺、カッコよくないぜ?)
何度言っても「何言ってるんだか。ナルヒトは充分カッコいいじゃないか。離れてた十年分を埋めようとしてるんだから気にしないで。ナルヒトは授業に集中してていいから」と、全然聞いちゃくれない。
俺だって気にせずに授業に集中したい。でも教壇で目を吊り上げてる先生の視線が気になるんだよ……左の頬がピクピク引きつってるもんなぁ。
「コラァ、津久見。俺の授業で余所見なんていい度胸してるじゃないか! 聞きたくないんなら出て行ってもらっていいんだぞ!」
怒声とともに正確無比なコントロールで俺の額に高木の投げたチョークが見事にヒットする。
(さっすが常勝海星野球部の名監督だ―――)
なんて感心してる……場合じゃないな。
(言わんこっちゃない……)
渋々立ち上がりかけた俺を押さえて、隣の玲がスックと立ち上がる。
「I am sorry 先生。授業を聞いていなかったのはボクです。彼はそれを注意してくれていただけなのです。ナルヒトは悪くないのです……」
伏目がちに玲は言って深々と頭を下げる。そうしてそのまま教室を出て行こうとする。
(だーかーらぁ、そういうコトをするなって………)
途端に教室のあちこちで女子達の黄色い悲鳴が上がり、声高に文句を言い始める。
「先生、ひっどーい」
「余所見してるの津久見だけじゃないじゃん!」
「そうだよ。つまんない授業してる先生の方が悪いんじゃなーい」
「そうだぜ〜」と男子共も尻馬に乗ってはやしたて始めるし。そうこうしている内に「先生、許してあげてよぉ〜」なんて玲を庇う声もあがり始めた。
「わぁーかった。解ったから! 授業を続けるぞ。ホラ教科書に注目。36ページ、5行目からだ……」
クラスの半数を占める生徒たちのブーイングの嵐に閉口した高木が声を出しても、誰も聞いちゃいない。
(ああもう、どうすんだよこの騒ぎ。隣で授業してる担任が飛んでくるぞ―――俺、知らねぇ……)
俺が頭を抱えたその時。
立ち尽くしていた玲がスッと右手を上げた。只それだけの事で教室中が静まり返り、クラス中の視線が玲に集まる。40人の視線の集中砲火を浴びてもたじろぐ事無く玲は机の上から教科書を取り上げると、
「36ページの5行目からで良かったですね?」
うっとりするほどイイ声で聞いて、気おされて頷いた高木を睨むようにして古典の文章を読み始めた。
交換留学生という名目で海星にやってきた玲は、わずか一週間で全女生徒たちを魅了してしまったようだ。
噂だけど“ファンクラブ”とか“親衛隊”なんかも出来てるらしい。
それも解らなくもない。
背はスラリと高く、アメリカ人にありがちなマッチョ系でもない。どちらかというと華奢な方だ。それに天然もののプラチナブロンドに紛いもんじゃない本物のアイスブルーの瞳。
良くあるパターンの紺ブレとグレーのズボンって制服も玲が着るとブランド物みたいに見えるから不思議だ。女子高生御用達のファッション誌のグラビアページから抜け出してきたみたいで、そんじょそこらのアイドル様も真っ青になるぐらいのイイ男なんだから。騒ぐなって方が無理な話だ。
事実、一緒に登下校してると他校の生徒たちを含め道行く人たち皆が一度は振り返る。隣を歩く俺はそれが誇らしくもあり、ちょっと惨めにもなる。
だって想像してみ?
一分のスキもなく、なんの変哲もない制服をピシッと着こなした玲と、今後の成長を期待して作ったから袖やズボンの裾の辺りに余裕がありまくりの俺と―――まあ、見せもんとしては面白いかもしれない。
学校で玲が姿を見せるや否や何処からわいてくるんだか女子達が群がってくる。
けどコイツはそんな事にも目もくれず「ナルヒト好きだよ」「愛してる」を連発してくれる。
朝は元気に誘いにやってくるし、俺が何処にいようと目ざとく見つけては駆け寄ってきて、遠慮なしに抱きしめてくれるのだ。でもってちょっとでも隙を見せれば所かまわずキスを仕掛けてくるし……。
“ホッペにチュッ!”みたいに可愛いもんなら許しもするけど、油断してるとベロチューかまそうとするんだぜ?
(勘弁してくれよぉ〜。どこまでアメリカナイズされてんだよ玲。昔の大人しくて可愛くて泣き虫だった玲は何処行ったんだぁ〜)
口に出して言えない俺は心の中で密かに叫ぶ。
おまけにコイツ、椎名の予想した通り俺より10センチ以上デカい。一度聞いたら「178センチ」って元気な返事が返ってきて俺は頭を抱えたもんな。ウエイトのほうは恐くて聞けなかった。でもかなり差があることは一目瞭然だ。
だから抱きしめられる……っていうより、抱きすくめられて羽交い絞めされてる気分になってしまうのだ。
助ける視線を椎名に送ってみても、初日に「あー君、チナちゃんでしょ?」と子供のころの呼び名で思いっきり叫ばれ、周りの失笑を買ってからはさり気なく距離をおいているみたいだ。
(……んな薄情な奴だとは思わなかったぜ、椎名)
恨めしげな目を向けても、関係ないねとばかりに知らん顔をされる。
そりゃあ『好きだ』って言われて悪い気はしない。俺だって玲の事を思い続けてきたんだし。人目が泣けりゃ俺だって……とも思う。
けど、衆人観衆の中じゃそういう訳にもいかないだろ?
半分アメリカの血が入ってて、しかも10年余り向こうで過ごした玲には人前で“キスする”なんて日常的なことだろう。でもココは日本で俺は生粋の日本人で。気心の知れた椎名の前では「玲を嫁さんにするんだ」と言い切れても世間様に対して開き直れるほどの勇気はまだ持ち合わせてはいない。
世間体を気にするなんて俺らしくないかもしれないし、情熱のままに突っ走るのが若さなのかも……とも思うんだけど。
とにかく、再会した玲が俺の想像をはるかに越えていたって事が今のところ心にストップを掛けているのかもしれない。
「ナルヒト、ボクもバスケット部に入りたいんだけど……」
玲がそんなことを言い出したのは再会してから2週間余りが過ぎた放課後のことだった。
「何? お前バスケの経験あんの?」
俺と一緒に居たくて言い出したのかと思って聞いてみれば「向こうでやってた」って返事が返ってきた。
「ウチ結構レベル高いんだぜ? ついてこれんのか?」
「ああ! ダイジョウブだと思うよ」
胡散臭げに聞いた俺に玲はやけに自信たっぷりな感じで頷いた。で、手にしていたやたらデカイ袋を目の高さに掲げて見せた。
(コイツ……)
目の前にある背中を見つめて俺はため息をついた。
キャプテンが見当たらなかったからマネージャーに話を通して、俺たちは今、狭っくるしい部室で着替えてるところだ。
制服の上からじゃ結構華奢に見えたのに、中々どうして―――ほどよく焼けた肌に無駄な肉なんかない背中と驚くほど高い位置にある腰、それに続く引き締まった長い足。リーチの長い腕。そのどの部分にも綺麗にバランスよく筋肉が張り付いている。
コイツの力が想像できるガタイをしてる。
(なんて理想的な身体してんだよ……)
目を離そうとするけれど、ものの見事に目はそれを無視してくれて仕方なく俺は自分の身体と見比べる―――。
「ボクの背中になんかついてる?」
急に声が降ってきて俺は慌てた。
(コイツ、背中に目でもついてんのかよ! けど、まさか見惚れてたなんて言えないし……)
「あ…えっと……そのぉ……なんだよ……」
(クッソ、なんて言えばいいんだよ!)
「あっそうだ。お前ポジション何処よ?」
焦りまくって思いついた言葉を並べた俺に「ガード」と至極あっさり答えが返ってきた。
「えっ、ウソ! マジで?」
「そうだよ。それがどうかした?」
隣に腰掛けてシューズの紐を結びながら玲が不思議そうに首をかしげた。
「もう一度聞くけど、お前、その身長で本当にガード?」
重ねて聞いたら「そうだって言ってるだろ? 何度も言わせるなよ」と玲は笑った。おまけに「ボクがガードだと何か都合の悪いことでもある?」なんて聞きやがる。
(別に悪かないけど。マジで同じかよ……参ったな、こりゃ)
玲の実力がどんな物かは判らない。でも、対戦したら負けるんじゃないかって、漠然とした不安が胸の中に広がった。
さっき見せてくれたデカイ袋の中にはコレまで使ってきたらしいユニフォームが入っていた。
背番号は“10”。その下にバーがついてるってことはキャプテンってことだ。それに今紐を結んでるシューズも相当使い込まれている。
日本だと玲ぐらいの身長があればどこのポジションでもできると思う。そうじゃなくてもPGは小さくて小回りのきく奴向きだと思ってた。自分がそうだからという訳じゃないけど。それにチームにとってもPGは切り込み隊長っていうか特攻隊長って言うのか、思いっきりが良くて向こう見ずな奴に向いてると俺は思うのだ。
(けど、そんなのコイツにできるのか?)
昔っから、ハーフってだけでいじめられて、言いたいことの半分も口に出せずに俺の後ろで震えてた、究極の引っ込み思案だった玲に?
「何をそんな不思議な顔をしてる?」
「いや、だってお前ぐらい身長があったらガードじゃなくても……って思ってさ」
「そうかな? 向こうじゃコレでも低いぐらいだよ?」
「へぇ、そうなのか……」
「これでも色々苦労してるんだよ。さあ出来た!」
立ち上がってシューズのはき具合を確かめてた玲を見てると、
「でも、俺もお前ぐらい身長が欲しかったな……」
思わず本音がポロリとこぼれた。瞬間、玲は唇をかみ締めて悲しげな表情で俯いた。
「……玲、どうかしたか――――?」
表情の意味を図りかねて声を掛けたけど、玲は「なんでもないよ」と首を振り、顔を上げたときには何時もの玲に戻っていた。
「そんなことより早く行こう。キャプテンに挨拶がしたいから……」
癖のないブロンドの髪を汗止めのバンドで留めて玲は俺の腕を引っ張った。
(なんなんだ、なんなんだよ。この展開は!)
前半戦が終了しベンチに引き上げた俺は、流れ落ちる汗をぬぐいながら胸の中で呟いた。
遠征が終わってからこっち基礎トレ終了後(俺は例の別メニューのあとな)近々行われる予定の練習試合を想定して試合形式での練習がメインになっていた。
つまり、レギュラーVS二軍で―――と言うことだ。
成績いかんによっちゃ選手の入れ替えもある訳でレギュラーといえど安心はできない。おまけに海星バスケ部の実力は皆ドングリの背比べときている。レギュラーだからといって突出した実力を持っている訳じゃない。俺にしたって他のメンバーに比べてスピードとゲームを読む力が少しだけ優れてるって程度だし。
だってスタミナは致命的だしな。
まあそれはおいといて。
だからこの時とばかりに二軍の連中は張り切るしレギュラーも必死になる。それが何処をとっても攻守のバランスがいいっていう海星の持ち味になってるんだけど。
二軍のガードにキャプテンは玲を持ってきた。入部させる前にお手並み拝見―――ってところだったんだろう。
勿論、レギュラーのガードは俺。
意外に早く玲の実力を見せ付けられることになった。
なんたって玲の奴、目の色が違う。
教室で見せている雰囲気はまるでない。
獲物を狙うハンターの目だ!―――と感じた。
おまけに上手い!
派手な外見に反してプレー自体は地味だ。でも正確且つ確実。そして冷静だった。
それに何だ? 30分フルに走り回って息一つ乱してないじゃないか!
俺なんて情けないけど肩で息してるつっていうのに!
「なあ、成人。知ってたか? 奴がナショナルチームから誘いうけてるって話」
流出した水分の補給のために隣でポカリのボトルを抱えてた椎名がいつになく厳しい顔つきで顎をしゃくった。
何処から仕入れた情報かは知らないけど、対戦相手のデータ収集を得意としている椎名の言うことだ信じてもいいだろう。実際に対戦して玲の実力を目の当たりにした俺は素直に納得できた。
同じポジションだと聞いたときに感じた不安はコレだったんだ。
悔しいけどスピードもゲームメイクのセンスもスタミナも……俺よりはるかに上を行く。
さすがバスケの本場仕込だ。
玲がナショナルチームから誘いを受けてるってのも解る気がする。
同じような経験が俺にもあるからだ。
これはごく親しい人間しか知らないことだけど。
実は中学2年のとき、県内で唯一の全日本ジュニアメンバーに選ばれた。
でも思い出したくもない苦い思い出しかない。
意気揚々と参加した合宿で物の見事に打ちのめされて、全国レベルに付いていけなくて一週間と経たずにケツを割って逃げ出したのだ。
今にしてみれば“井の中の蛙”だったんだと思う。自分の力を過信しすぎてた。情けないけどそれで潰れた。
玲のプレーは嫌でもあのときの情けない自分を思い出させてくれる。
世界には上がいるって思い知らされる。
でも、俺だってあのときのままじゃない。もう一度、全日本に選んでもらうタメに頑張ってきたつもりだ。少しずつではあるけど成長してるって信じたい。そりゃカメの歩みのように鈍いかもしれないけど。
『千里の道も一歩から』『ローマは一日にしてならず』っていう諺もあるじゃないか。
(あっさり引き下がってたまるかよ!)
後半が始まって、俺は玲と対峙しながらヤツの死角を探る。
でも何処にも死角は見当たらない。隙が無い。
自分でも言っていたように178センチなんてアメリカ人の中じゃ小さい方だろうし、ウチの中でもそうデカイ方じゃない。現に椎名のほうが4センチほど背が高い。
背が低い俺は下から抜いていく、けれど俺より10センチ以上上背があるくせして玲は上からも下からも自在に抜けていく。派手ではないけど確実なプレーに二軍メンバーの動きが普段とは断然違う。
いつも見にきてくれるギャラリーの視線も玲の動きに集中しているし。それに負け時とメンバーの調子も尻上がりに良くなる―――相乗効果っていう奴だ。それに引き換えレギュラーメンバーはリズムを狂わされ椎名のパスもキャプテンからのパスも通らない。
「しっかりしろよ!」と怒鳴ってみるけど、しっかりしなきゃダメなのは俺だった。
(……ったく、やりにくいったらナイ。けど負けるわけにはいかない。しっかりしろよ俺!)
流れ落ちてくる汗を拭い肩で息をしながら、俺は両手で頬をパシッと叩き、気合を入れなおした。そうして目の前に立ちはだかる玲を睨みつけた。
息も乱していない、悔しいくらい力の違いを見せ付けてくれる。でもそれが凛々しいっていうか、カッコイイっていうか、思わず見惚れてしまいそうになってる辺り、俺もまだまだ甘いよな。
(ったく! 外見と力で俺を翻弄するなんて可愛くないったら……)
「椎名、ゴール下まで思いっきり走れ!」
やけくそ気味に叫んで俺は逆サイドにいるキャプテンにパスを出す振りで思いっきりジャンプした。
「アマイよ。ナルヒト……」
玲はニヤリと人の悪い笑みを浮かべて呟きざま、俺に合わせてジャンプしボールを掠め取った。そのままの体勢を保ったまま一気にシュート。
ボールは一直線にゴールへ吸い込まれた。
(俺の姑息なフェイクなんてお見通しって訳か。それにしてもなんて長い滞空時間なんだよ……)
鮮やかなスリーポイントシュートが決まって割れるような黄色い歓声の中で、俄仕立てのチームメイトと肩を叩き合って笑っている玲を見ているのが辛くて、体育館の隅に向かって転がっていくボールを目で追いかけていた。
玲を超えるんだ、アイツの技術を盗んでやる……そう思っていたはずだった。だから基礎トレも与えられた別メニューも走りこみも、これまで以上に必死にやった。
でも世の中そうそう上手くはいかない。
俺の努力は空回り――――キャプテンはやはり実力のある奴を選んだ。つまりは玲をレギュラーガードに据えた。
俺はあっさりとレギュラー落ちした。
それも仕方の無いことかもしれない。
玲は俺には必要不可欠の条件を持っている。
30分フル出場で走りまくっても息一つ乱さない化け物のような体力。
俺が必死で身に付けたいもの―――スタミナだ。
判っていたことなのに事実を突き付けられるとかなりショックだった。
留学生である玲は正式な部員としては扱われない。だから練習試合には出場できても公式試合には出られない。幸いなことに秋季大会には間があるから、それまでに俺がレギュラーに返り咲くだけの力を身につければいいだけの事なんだ。そう簡単なことじゃないのは判っているから、出来るだけのことはするつもりだけど………。
俺は不意と隣に座る玲に目をやった。
俺の心の中の葛藤を知ってか知らずか―――きっと知らないだろう。椎名でさえも俺がそこまで考えてるなんて思ってないはずだし。だって俺のカラーじゃない。
「ナルヒトはね、ボクの王子様だったんだ」
母ちゃんお手製の卵焼きを頬張りながら玲が笑う。
途端に、俺たちを取り囲むギャラリーの女子達から耳をつんざく黄色い悲鳴が上がる。
(何が悲しくて女に囲まれてメシを食わなきゃ成らないんだよ……勘弁してくれよ)
メシだけならまだ我慢もできるが、トイレにまでついて来ようとする女子達には正直言って閉口する。入り口で鈴なりになられてちゃ、出るもんもでねないって!
俺は牛乳パックのストローを咥えたままで玲を睨んだ。
「玲。誤解を招くようなこと言うんじゃねぇ!」
「誤解? なんで? 本当のことだろう。本当にナルヒトは仲間の中で誰よりもカッコよかったよ。喧嘩も強かったし。ねえ、椎名?」
俺の言ったことが不満らしく玲は唇を尖らせて向かいでドカ弁を食ってる椎名に同意を求める。
(そうだ、そうだ椎名。言ってやれ、言ってやれ!)
期待に満ちた目を椎名に向けた俺はヤツの答えに目を見開いた。
だって椎名の奴「あ、そうだったな」って大きく頷いたんだぜ?
「ちょ……椎名?」
「だってよ。あの頃の成人はさ、俺らの中で一番デカかったし、しっかりしてたもんなぁ」
ってそんな風にシミジミ頷かれても、今の俺を見て誰も納得なんてしやしないって!
しかも言ってるのが、俺より遥かにガタイのいい玲と椎名だぜ?
案の定、ギャラリーからはブーイングの嵐で―――。
「え〜信じらんなぁーい。津久見がカッコイイって……」
「本当だって。本当にカッコよかったんだって。颯爽と現れる白馬の騎士みたいで……」
(だから玲。何度も言わなくてイイって!)
「そりゃさぁ、私たちだってカッコ悪いとは言わないわよ。バスケしてるときの津久見クンは実際カッコイイと思うし。小さい身体が大きくたくましく見えるもん。でも……白馬の騎士や王子様って言うのは、ねぇ?」
「そうだよねぇ。王子様って言ったら西野君の方がタイプだよ」
「そうそう。津久見はね、どっちかって言うと守られるお姫様って感じかなぁ………」
「あーそれイイ。ピッタリ!」
「でも、ちょっとハネッ返りのジャジャ馬姫って感じがするけど」
なんて好き勝手なことを言われた日には、もうどう反論していいかもわからなかった。
「おう、そこまで疑うなら、今度、証拠写真持って来てやるよ!」
止めを刺すような椎名の発言に居ても立っても居られずに、俺は飲み終えた牛乳パックを握りつぶして立ち上がった。
「あっナルヒト、何処へ行くんだ? ボクも一緒に……」
続いて立ち上がりかけた玲に「一人になりたいんだよ。誰もついてくんな!」と言い捨てて俺は教室をでた。
オープンなのは良いことだと思う。人間思ってることを隠してるとロクな事がないから。それに昔と変わらず“好きだ”とか“カッコイイ”って言ってくれる事も嬉しいことに変わりはない。
けど、でも―――。
俺はまだ拘ってる。玲が別れたときの玲じゃないことに。
あの頃の玲は俺が守ってやらなきゃ! って思うほどに頼りなかった。だからこそ俺は頑張ってきたつもりだったのに。
でも、今の玲は―――?
陽気で明るくてカッコ良くって誰に対してもフェミニスト。子供の頃ハンデだったハーフって事も、今じゃヤツの魅力の一つだ。
変わりすぎだよ、想像を遥かに越えてくれてる。
俺よりアイツの方が数段カッコイイしデカいし力もある。唯一の自慢だったバスケでさえあっさりとポジションを持っていかれた。成績だって留学生に選抜されるぐらいだから、恐らく良いんだろう。おまけに女子達に“お姫様”って笑われる俺って一体……。
それでも玲は『ボクの王子様』だなんて言ってくれるけど、俺は素直に頷けない。
10年も経てばそれなりに成長するもんだって判ってても、なんか本当に俺の努力なんて空回り……。
(情けねぇの……)
けど、やっぱ俺の中で玲が一番の存在であることに違いはなくて―――嫌いになんてなれなくて……それどころか再会して以来“好き”に拍車がかかってる気がする。
毎日会って、ほとんどの時間を一緒に過ごしてるのに夢にまで登場する。それも外見は今の感じで、性格は昔の……って、すごく都合のいい設定でだ。下半身に違和感を感じて飛び起きることもしばしばだ。
お陰でこのところちょっと寝不足気味だ。
(あーあ、もう。こんな事でグジグジ悩むなんて全く俺らしくないよなぁ……)
なんて。
考え事をしながら歩いてた俺は、いつの間にか渡り廊下を突っ切って体育倉庫の辺りまで来てしまっていた。
ホント一つのことっきゃ考えられないなんて我ながら単純に出来てるなぁと思う。
喜ぶべきことなのか悲しむべきことなのか―――判断に困るところだけど、ま、集中力があるって事にしとこうか。
「……ん?」
きな臭い臭いが鼻について俺は辺りを見回して顔を顰めた。
体育倉庫の扉からなにやら煙のようなものが細く糸を引くように流れ出ていた。
(まぁた、隠れてタバコ吸ってやがるな?)
かなり老朽化が進んで来年早々に取り壊しが決まっている体育倉庫は、職員室のある校舎からは死角になっていることもあってサボリ魔たちの溜まり場と化している。かく言う俺も玲が戻ってくるまでは昼寝に利用させてもらっていた。今じゃ縁遠い場所になっちまったけど。だって俺の行くとこついてきたがる玲に授業をサボらせる訳にはいかないから。
自分の事を棚上げするつもりは無いし、風紀委員でもないから知らん顔で通り過ぎればいいものを、そうできないのが俺って奴だ。
ここら辺が母ちゃんの教育の賜物か、はたまた教師の息子だからか―――見つけちまったら首を突っ込まなくっちゃ気がすまない。それでこの前、失敗してるのに俺って全く懲りてない。
俺は忍び足で倉庫に近づいた。
ピッタリと張り付くようにして、細く開いた扉の隙間から中を伺う。ボソボソと話す声が聞こえる。
(中に居るのは……3人ぐらいか? それにこの声……)
声の種類から人数の辺りをつける。3人だと俺一人でも何とかなりそうだ。
さらに体勢を低くして扉に身体を押し付けた。
「お前等、このままでいいと思うのかよ」
薄暗い中で表情までは見えなかったけれど、真中に居たやつが髪をかき上げながら言うのが聞こえた。
(やっぱり……)
俺は小さく頷く。
中に居るのはバスケ部の先輩たちだ。先輩と呼ぶにはちょっとおこがましすぎるかもしれないが。そこそこ力は持ってるみたいけど部活には真面目に出てこなから詳しくは知らない。でも『海星バスケ部』の名前をナンパの道具に使ってるって事は聞いたことがあるし、打ち上げや祝賀会なんかでは顔を見かける―――つまりバスケ以外の所で顔を売ってる、俺にとっては余り印象のよろしくない先輩達だということだ。
あの人たちならサボリやタバコを吸ってても何の不思議もないよな―――なんて妙に納得した俺は続いて吐き出された台詞に頭を殴られたような気になった。
「……俺は納得なんてできねぇな。アイツらだけでも目障りなのに、その上……」
(――――先輩)
アイツ等って言うのは恐らく俺と椎名の事で、それに続く名前はハッキリとは聞き取れなかったけど多分、玲の事だろう。
「……なんとか出来ないか?」って問いかけに、左隣のやつが煙と共に言葉を吐き出した。
「――――考えが無くもない……」
恐くてそれ以上、聞いていられなかった。音をたてないように扉から身体を起こすと俺は全力でその場から逃げ出した。
玲が入部して面白くない奴が出てくるだろうって事は考えていた。実際、部内にそんな空気が漂っているのも感じてはいる。
はっきり言って俺だってその一人だ。
でも、俺と椎名まで邪魔な存在だと思われてたとは思っても見なかった。
バスケだけじゃなく今の世の中って言うのは全てにおいて実力が物を言う世界だ。年功序列は当てはまらない。それはプロの世界に限らずアマチュアの世界でも同じ事だろう。それに玲の入部は一時的なものだ。留学期間終了と共に退部していく玲だからこそ、公式の試合に出られないからこそ士気を高めるために、キャプテンはアイツをレギュラーガードに持ってきたんだろう。
俺達に再自覚させるために―――。
俺にだって理解できたことだから、誰だって知っているから思っていても口には出さないんだ。
そんなこと先輩だって知っているはずなのに……。
全力疾走状態で昇降口まで戻ってきた俺は下駄箱に背中を預けて大きく息をついた。
(考えが無くもないって言ってたけど、一体、何をする気なんだろう?)
先輩の言った言葉が頭の中でグルグル回る。
(考えすぎだ、きっと。先輩だって本気で言った訳じゃないよな。だってそんな事したら自分たちだって無事じゃすまないんだから……)
そう思うそばから不安が込み上げる。
(どうすりゃいいんだよ……こんなこと誰にもいえるって話じゃないし。下手すりゃ向こう一年部活停止なんて事にもなりかねない。やっぱ俺が正義感出すとろくなことにならねぇなぁ……)
コレといっていい案も思いつかないまま、ため息と共に頭を抱えた時、5時間目開始5分前を告げる予鈴が鳴った。
一旦心の中に巣食った思いは中々消えてはくれなかったけど、俺は不安を打ち消すように大きく深呼吸をして教室に向かった。