つま先立ちの王子様
Part 3
でも、事件は起こってしまった。
先輩たちの話を聞いてからというもの俺は自分なりに気を配って、さり気なく玲の周りをガードした。
一週間を過ぎても先輩たちが何のアクションも起こす気配を見せなかったから気を抜いた。その隙を突いてだった。
その日は何かが違った。
それは朝の恒例行事である玲の迎えが5分ほど遅れたとか、時間に正確な母ちゃんがどうしたことか寝坊して、朝飯がご飯に味噌汁じゃなくてパンと牛乳だったとか……ホンの些細なことだったけど。
「オーイ成人。できたか?」
目の前の椅子にドッカと座って漫画を読んでいた椎名が、本から目を話さずに面倒くさそうに聞いてきた。
「……うん。できた」
机の上を片付けながら俺の意識は別のところへ飛んでいた。
煩いぐらいに纏わり付いてくる玲が居ない。
アイツは6時間目終了のチャイムが鳴ると同時に教室を出て行ったっきり戻ってこない。
「そんなに急いで何処行くんだよ?」と声を掛けた俺に玲はつまらなそうな顔を向けて「こんな物をいただいてしまって……」と真っ白い封筒を振って見せた。その声に女子達が興味津々の顔つきで集まってきた。玲の“ファンクラブ”のメンバーらしいが。俺の入り込む隙なんてありゃしない。でも俺じゃ聞けないようなこともサラリと聞いてくれるから有難いときもある。
「なんなのよ、それ。もしかしてラブレター?」
「うん、そうみたいだね」
「えーっ、誰から。ねえ西野君誰からなの?」
「それは教えられないな。プライバシーの侵害になるからね」
「それは判ってるけど。でも、西野君に告白る勇気のある女がいるのねぇ……」
あっ、それは俺も思う。
玲より綺麗な女なんて何処探しても居ないと思う。特にウチの学校の中には。
「バカネェ、それは勇気があるとは言わないのよ」
(へっ? じゃあなんて言うんだ?)
「どういうことよ?」
「それはねぇ……身の程知らずって言うの!」
けたたましい叫び声のような笑い声の中、玲の涼しげな声が割り込んだ。
「それは言いすぎだと思うけど。でも、ボクにはナルヒトが居るからね。浮気はしないよ」
またそれかよ………と俺は呆れるが、彼女たちも一緒だった。何度も聞かされているうちに免疫が出来たのかなんなのか「ハイハイ、そうだったよねー」軽く受け流してくれる。余計な突込みをされないから嬉しいといえば嬉しいんだけど。
「ホラ、待たしちゃ悪いんだろ? 早く行けよ!」
早く行かなきゃと気がせいているのに、フェミニストなせいで言い出せない玲に代わって助け舟を出してやると、
「そうだね。じゃさっさとお断りしてくるから」
とあからさまにホッとした表情を見せた。そのまま行きゃいいものを何を思ったのかドアの付近で振り返り、
「そうそう、心配しなくても大丈夫だよ、ナルヒト」
捨て台詞を吐いて出て行った。
「別に心配なんてしてねぇよ!」
後姿にアカンベをしてやると、女子達がターゲットを俺に変える。
「もぉ〜。津久見ったら愛されてるねぇ〜」
「羨ましい……」
「ねぇねぇ、王子様に愛される気分ってどんな感じ?」
言いたい放題言われて小突き回される俺……絶対おもちゃにされてるよな。
「ウッルサーイ! お前等も用事がないなら、さっさと帰りれ!」
溜まりかねて叫ぶ俺の背中を傍観者を決め込んでいた椎名が両手で抑える。
「ホラ。お前も。さっさと片付けないと部活の時間なくなるぞ!」
おっとそうだった。
俺は大人しく机に戻った。
心配しない無い訳じゃない。
玲の受け取った手紙が本当にラブレターだったらいいんだけど、もし先輩からの呼び出し状だったとしたら?
それを確かめる術は俺には無かった。もっと重大な事が俺の身の上に降りかかったからだ。
ホラ俺ってば一つのことしか考えられない一点集中型の人間だろ?
ここ一週間先輩の動向に注意してたもんだから、今日が提出期限の課題をコロッと忘れてた。それが俺の天敵・高木のレポートだったりしたからマズかった。
「今日中に仕上げて持ってこなかったら、当分、部活停止な!」
なんてどこぞでもらったのと似たような通達をもらってしまったのだ。ホント先生方よく俺の性格知ってらっしゃる。
こう言われたらいかな俺でも必死になるって。
おまけにここでも椎名はお目付け役でさ。只でさえデカいのに睨みつけられてみろって、マジでおっかない。
だもんで玲のことは気になりはしたけど、せっせとレポートを片付けた。
集中力の賜物か椎名の眼力のお陰か意外に早く仕上がったレポートを高木の鼻先に突きつけて俺が戻ってきても、玲の鞄は机の上に置かれたままだった。
「あれ? まだ戻って来てないのか……」
「ああ。女に駄々捏ねられてんじゃないのか。おっとこっちも急がなきゃ一時間の遅刻だぞ」
(そうか? 断るのってそんなに時間ってかかるもんなんか?)
告白られた経験もなければ、お断りした経験も皆無な俺には判らない。
椎名の言うことにも一理あるとは思うけど、なんか釈然としない。
「何してんだよ。急げよ、成人!」
「けど、玲が……」
「んあ? ああ、んじゃ鞄だけ持ってってやればいいんじゃないか? 戻ってきてなかったら体育館来るって」
「ああ……」
椎名に鞄を持たされ、腕を引っ張られても俺の足は張り付いたように動かなかった。
(やっぱり、ヘンだ………)
そう思ったのは直感ってやつで―――。
「悪ィ、コレ頼むわ!」
俺は椎名に鞄を押し付けて教室を飛び出した。
「あっ、ちょ……ちょっと成人!」
(悪いな椎名。俺やっぱ気になる玲のこと部活よりも大事だ。アイツのことが……)
隣の教室を手始めに3階にある教室を全て覗いた。でも6時間目が終わって一時間以上経っている教室に残っている生徒は居なかった。
(なら2階も同じことだろう。だとしたら……)
俺は三階から階段を一足飛びに駆け下りて、下駄箱の前でタムろってるクラスの女子を見つけた。
私設“西野親衛隊”たちだ。
「終わったんだ。ご苦労様」
「なあ、お前たちずっとここに居た?」
声を掛けてくれた自称“隊長”を相手に捲くし立てるように聞く。俺の勢いに押されて彼女は「うん……」と頷いた。
「んじゃあさ、玲の奴見なかったか?」
「西野君? さあ……ねえ、見た?」
「ううん、見なかったけど。あっ、ちょっと待ってよ」
俺の顔つきが普通じゃなかったからか、彼女は親切にも通りかかった何人かの女生徒にも「ちょっと西野君、見なかった?」と声を掛けてくれた。
(ああ、玲が有名人でよかったぜ)
皆それぞれ顔を見合わせて首をかしげる中、一人が「あっ、あたし見たよ」と声を上げた。
「いつ、何処で? 一人だったか?」
矢継ぎ早に質問を繰り出す俺と女生徒の間に隊長が苦笑いを浮かべて割り込んできた。
「心配なのはわかるけど。そんなに一度に聞いたら答えられないじゃない」
「ああ、悪い。んで?」
「えっと、特別棟から帰ってくる時だったかな?」
「どの辺りで?」
「えーっと」と聞かれた女生徒は天を仰いで一生懸命に思い出そうとしてくれた。
「何かぁ難しそうな顔して、あっちの方へ歩いていった……と思うんだけど」
彼女が指差したのは焼却炉がある裏門の方だった。勿論、件の体育倉庫もその方向にある。
「サンキュー。助かった!」
俺は隊長たちの肩を一人一人ポン、ポンと叩いて、体育倉庫の方へ走り出した。背中から「見たのは一時間ほど前だよ」って追いかけてきた声には手を上げて答えに代えた。
助けを求める玲の声が聞こえたような気がした。
この前と違って扉は閉まっていた。
ドンドンドン………。
扉を力任せに叩いてみたけど物音一つしなかった。
(あの子の見間違いだったのか?)
裏にも回って焼却炉まで行ってみたけど誰も居なかった。
(行き違いになったとか………?)
拍子抜けした気分で部室の方へ足を向けたけど不安は消えない。
(ええい、もう一度体育倉庫を確かめてそれでなにもおかしな所がなかったら、そん時は部活にでよう!)
そう決めてくるりと振り返った時。
不自然に倉庫の扉が揺れた……様に見えた。いくら目を凝らしてみてもそんなことは無かったかのように、古くて重厚な鉄の扉は沈黙してたけど。
(何かある!)
とっさに扉に飛びついて渾身の力をこめて、錆付いた鉄の扉を押し開けた。
「ゲホッ! ゴホッ!」
開いたと同時に吹き込んだ風に床に積もった綿埃が舞い上がり、それを吸い込んじまって派手にむせた。
暫くして靄が収まっても天井に近いところに明かり取りの窓があるだけの倉庫はうっそうとして暗かった。
俺は一生懸命に目を凝らした。
暗闇に慣れてきた目で辺りを伺って見たけど、何も変わったところはない。
(でも、玲は絶対ここに居る!)
神がかりにでもあったような確信が俺の心の中に生まれていた。
跳び箱やらマットやら古い柔道場の畳なんかが乱雑に置かれている中を、チリ一つ見落とさないように細心の注意を払って奥に向かう。
倉庫のドン突き辺りで何かに足を取られてスッ転んだ。
「イテテテ……何なんだよもう―――!」
尻餅をついたまま自分を転ばせた犯人を手探りで探すと意外にも簡単に見つかった。ザラザラした手触りと丸い感触。
「……? これ!」
微かに明るい入り口の方に差し出して俺は息を呑んだ。
俺が肌身離さず首からかけてるお守り袋―――の色違い。巾着の口を開いて逆さまにすると転がり出てきたのは、深緑のガラス玉。
玲が持っているはずのものだ。
(玲は先輩達と一緒に居る)
俺は玲のお守り袋をケツのポケットに押し込むと小さく深呼吸を繰り返した。そして注意深く入り口の方を向いた。
細く開いた扉から秋の午後の日差しが差し込んで、ほんのりと明るい。
気配を探りながらジリジリと足を進める。
きっとアイツ等も俺の出方を伺ってるはずだ。
(焦ったらダメだ)
微かにホンの微かに鈍い音が聞こえた。聞こえた方向はやっぱり入り口近くの場所。
音を捕らえた瞬間、俺の意思に関係なく身体は動き出していた。
(もしかして先輩達に気付かれたかな? でも逃がさない! そんな卑怯なことさせるかよ!)
顔を顰めながら進む俺の耳に今度はかなり大きな音で“ドスン”と聞こえた。何かを転がしたような感じの音だ。
多分、玲が暴れるかなんかしたんだろう。
(酷い目に合わされてなきゃいいけど……)
それが見えたのは通り過ぎてきた跳び箱やマットの隙間からだった。一瞬覗いてすぐに消えたのは見慣れたプラチナブロンド。
薄暗い中でも綺麗に輝いて俺に居場所を教えてくれた。
古びた跳び箱を踏み台にして俺はその先に飛び込んだ。
物が詰まってると思い込んでたそこにはちょっとした空間があった。雑多にあれもコレもと物を詰め込んだ結果、偶然に出来ちまった空間みたいだ。
(絶好の隠れ場所だぜ!)
半ば感心しながらグルリと巡らせた視線の先に―――。
「―――玲ッ」!
玲の両手両足を二人が押さえ込み、主犯だと思われるヤツが玲の身体に馬乗りになってズボンを引き抜こうとしていた。
玲は気を失っているのかピクリとも動かない。
「テメェら何しやがる。玲の上からどきやがれ!」
怒鳴りつけて馬乗りになってる先輩を突き飛ばし、両手両足を押さえつけている人間を順番に殴り飛ばしてグッタリと力のない玲の身体を抱え起こした。
カッターもネクタイも引きちぎられて殆ど裸同然の無残な姿に何か着せ掛けてやりたかったけど、そんな余裕俺には無い。
とりあえずこれ以上玲に被害が及ばないように……と、力を無くして重い身体を引きずって薄汚れて中身の飛び出しかけたマットに寄りかからせた俺は先輩たちに向き直る。
不敵な笑みを浮かべるヤツ等に視線を据えたまま、指を組んでポキポキ鳴らす。
頭の中は真っ白で、それまで思ってた“部活停止”とか“相手は先輩だ”なんて気持ちなんて綺麗サッパリ俺の中から消え去っていた。
怒りはとうに怒髪天を突き抜けていた。
主犯がいて共犯が居るときは、とりあえずボスを倒す。ゲームでも何でもそれがセオリー――っていうか、それが俺のやり方。
ボスを倒せば輪が崩れる。
相手が体勢を立て直す前に俺はボスに飛び掛った。馬乗りになって力任せに殴りつける。
力の加減なんかしてやらない。
人間として最低のやり方で玲を貶めようとした奴等に情けなんかいらない。
仲間は俺の剣幕に手すら出せないようだった。
ただ、呆然と見てるだけ。
(コレは弱いものいじめじゃない。正当防衛だ!)
自分に言い聞かせながら殴り続ける俺の背中に玲の声が聞こえた。
「そんな奴等のタメに、ナルヒトの手を汚しちゃダメだ……」
ボロ雑巾のようになった先輩を放り出して俺は玲に駆け寄った。
「気が付いたのか。何処も怪我してないか? その……」
気の利かない俺の問いかけにもやっぱり玲は綺麗に笑ってくれた。
「ボクは平気だよ。コレくらいのことなんでもない」
「なんでもないころないだろ! どうして止める。こんな理不尽なことされて悔しくないのか、お前?」
自分の状況に気付いて両腕で身体を隠すようにした玲に上着を着せ掛けながら俺は聞いた。
「……悔しいさ」
玲はポツリと言った。
「ならどうして手を出さないんだ? 俺が間に合ったから良かったけど。もし間に合ってなかったら……」
最悪の自体を招いていたかもしれない。
「やられたらやり返すは喧嘩の基本かもしれないけど。暴力に暴力で対抗してたらボクたちも彼等と同じ最低な人間になってしまう。それじゃ何も解決しない」
違う? と玲が首をかしげた。
「……それはそうだけど―――」
「それにボク達が手を下さなくても周りはちゃんと見てくれる。“目には目を歯には歯を”じゃ進歩しないし成長もない。ボクにいいたい事があるなら、ボクが気に入らないなら正々堂々とバスケで勝負すればいいだけだ」
確かに玲のいう事は正しい。正論だ。
なら玲を力で暴力で助けようとした俺のやり方は間違ってるってことなのか?
自分の大切な人を守るために自分の拳を使うことがそんなに悪いことなのか。
子供の頃のやり方じゃダメだってことなの―――か。
成長していないって……そう言われたも同じ事だ。
聞きたいことは山ほどあった。言いたいことも同じくらいある。でも、何をどう言っていいのか判らない。
「でもそれで、もっとひどい傷を負うことになったらどうする? 忘れられないような深いダメージを心に受けたら、それこそ取り返しがつかない! そんなことになったら俺は一生後悔する……」
玲がクスッと笑った。
どうして笑うんだ? ここは笑うところなんかじゃないはずだ。
「そこまでボクだって弱くないよ。あの頃とは違う。少しはボクも成長してるんだから……」
玲の言葉が癇に障った。
「だから? 俺が来なくても平気だったって? 一人で逃げ出せたって言うのか?」
「違う!」
「違わない。そういう風に聞こえた。俺が居なくても一人で切り抜けられたって言う風に……」
全て、今までやってきたことの全部を否定されたような気分だった。
「……判った。取りあえず何も無かったって事だよな。それならいい」
言い捨てて立ち上がった俺の背後で玲が息を呑んで引きつった声を上げた。
「―――ナルヒト!」
悲痛な声が気になって振り返った瞬間、俺の後頭部に鋭い痛みが走り目の前が真っ暗になった。
「なぁにやってんだかなぁ……」
ベンチに座って呟きながら手の中にあるものをポーンと放り投げた。
体育倉庫の片隅で拾った『ビー玉』は返す機会を失ったまま今も俺の手元にある。
あのまま気を失った俺は、それまでの俺の態度を不信に思った椎名と親衛隊の女子の注進のお陰で助かった。
卑劣極まりないやり方で玲を辱めようとした先輩たちはその場で取り押さえられ、有無を言わさず退部させられた。
部内での暴力沙汰は理由はどうであれ両成敗と決められている。双方に遺恨を残さないためだ。
だから俺にも玲にも処分は下された。
俺に下されたのは『一週間の部活停止』と反省文が一枚。
呼び出しの手紙を受け取りながら自分ひとりで対処しようとした玲に下された処分は、彼の受けた精神的ショックを考慮に入れて『三日間の部活停止』。
俺の拳は先輩たちに全治一週間から10日の怪我を負わせてしまった。だから玲より重い処分をもらったという訳だ。
でも後悔なんかはしてない。アレでよかったと思ってる。
処分が解けても俺は部活に出られないまま二週間が過ぎた。
自分の中では退部したも同然だ。
玲は何事もなかったように接してくれる。朝はキチンと迎えに来るし変わらない笑顔を向けてくれるけど………。何かが心の中で引っかかっている。ハッキリしないところがもどかしい。それが俺の態度を妙なものにしてるみたいだ。
これまでと同じように接しているつもりでも、言葉が上滑りだったり、会話が微妙に噛み合ってなかったり。
傷ついているのは玲の方なのに、態度の変わってしまった俺に気を遣ってくれる。普段なら何かと姦しい親衛隊のメンバー達も何処となく大人しい。
それがたまらない。
まったく俺らしくないけど、どうにでもなれって感じだ。
守ってやるって豪語してたのは何処のどいつだ?
(身体の成長に心も比例すんのかな……情けねぇよな、まったく)
ハァ〜とすでに癖になっているため息をつき視線を上げた。目の前にあるのはミニバスのコート。
休みを利用してどこかのチームが試合をしている。見るからにアマチュアだと丸わかりのチームは下手だけど皆、一生懸命だ。
見るともなしに見てると(俺も必死になってボールに触ってたよなぁ……)なんてシミジミ思う。
あれはバスケットを始めたばかりの頃。
少しでも上手くなりたくて時間を見つけてはここへ通った。ここへくれば誰かが居た。何処にも所属していないフリーのチームのプレイは荒っぽかったけど皆イイ奴ばかりで、負けず嫌いで向っ気の強い俺のことを面白がって相手をしてくれた。んでもって俺が全中に選ばれた時は皆して自分のことみたいに喜んでくれたっけ。逃げ出して帰ってきたときも、何も聞かずに受け入れてくれた。
皆、大人だった。純粋にバスケが好きだった。
俺一人が子供だった。
こんなに長くボールに触らなかったことってなかったよな。
(そういや試合って今日じゃなかったっけか?)
一心不乱にボールを追いかけてるやつらを見ててふと思い出した。
秋季大会を前にして、申し入れられた近所の高校との練習試合が確か今日だったはずだ。
(出たかったよなぁ……)
思っても仕方の無いことなのにな。自分から戻りにくい雰囲気を作ってしまったんだから。でも、練習試合だから、俺が出なくても玲がなんとかするだろう……って何、思い上がったこと考えてるんだ俺は!
あれだけ玲との格の違いを見せ付けられときながら、まだ、自分がレギュラーだと思ってる。
(何処まで御めでたく出来てんだよ!)
「ハァ〜」
何度目になるのか判らないため息をついた時だった。
「おやおや、火の玉小僧がしおらしい事……」
聞きなれた声と共にズイッと目の前にコーラの缶が差し出された。見上げると普段着姿の母ちゃんが居た。
「母ちゃん?」
母ちゃんはストンと隣に腰を下ろすと、何も言わずに手に持ってた缶コーヒーのプルトップを押し上げ、女らしからぬ仕草でグイッと一口煽った。
「……アンタは変わんないよねぇ。ホント、成長してないって言うかなんと言うか。何かイヤな事があると必ずここに来る」
「……るせーな! 大きなお世話だよ」
ため息混じりに吐き出された台詞に、何時もの癖で怒鳴り返したみたけど何となく嬉しい。
同じ学校に居るんだから状況は解っているはずだ。おまけに教師である自分の息子が一枚かんでるんだ。風当たりも相当なもんだと思うけど、母ちゃんは何も言わない。
全ては俺任せ。昔からそうだった。余計なことは一切言わずに見てるだけ。
『アンタの人生だから好きにすればいい。私はそれを見届けるだけだよ。まあ、横道にそれようとしたら口は出すかもしれないけどね』
そう言いながらも実際に口を出したことなんて一度も無い。なんでも俺の好きなようにさせてくれた。
悪く言えば無責任、よく言えば放任主義ってやつ。
「まっ私にしてみりゃ手当たり次第に電話したり駆けずり回る手間が省けて楽だけどさ」
こんな憎まれ口を叩かれても気分が悪くならないなんて、俺、やっぱ相当参ってるなぁ……。
なんて考えながらコーラの缶を傾ける。
黙って座ってる俺たちの間を秋色を濃くした風が吹きぬけた。
風に乱された髪を抑えながら、世間話でもする調子で母ちゃんが言った。
「そんなに玲ちゃんが好きかい?」
(うわっ、いきなり直球勝負かよ……)
コーラを噴出しそうになったけど根性で堪えて母ちゃんを見た。
何を思ってそんなことを口にしたのか、その横顔からは読み取れない。けど、俺の心は決まってる。
そう、誰がなんと言おうとな。
「ああ好きだ。あの頃から変わっちゃいいない。けど……」
「けど、なにさ?」
「……母ちゃんはどうなんだよ。やっぱイヤ? そういうのって……」
母ちゃんは缶コーヒーを口元に当てて少し考え込んだ。
(やっぱ、反対なんだろうな……)
能天気そうに見えても自分の息子が……となると複雑だろうな。親父死んじゃってるし俺一人っ子だし。どこか飄々としてる風でもやっぱ孫の顔見たいって思ってるだろうし。でも悪いけど反対されたら俺は戦う。それが例え母ちゃんでもだ。
「そりゃねぇ。世間一般の意見で言うとそうなんだろうけどさ……でもそのこと自体は今どうのこうの言う問題でもないだろう。それより……」
母ちゃんにしては珍しく歯切れの悪い物言いだ。
「あんた達の間に何があったかなんて知らないけどさ、悩んでるのはお前一人じゃないってことだ。玲ちゃんだってさ……」
あの子なりに悩んでんだよ―――ポソッと呟いた母ちゃんの一言に急に視界が開けたような感じがして、色んな事が浮かんできた。
どうして今まで気が付かなかったのか不思議に思えるほどさまざまな事が。
だって俺たちが音信不通になってどれくらい経つ?
なのにあの時、玲の奴一発で俺を見抜いたぜ?
(俺が成長してないってのはこの際、無視するとしてだ)
それに俺だって担任に聞くまで“交換留学生制度”なんてものがウチの学校に存在するなんて知らなかったし。まあ俺には縁もゆかりも無い制度ではあるけど。けどその制度を使って来たって事は玲が、俺が、ここに通ってるって事を知ってたって訳で……。
偶然? たまたま留学先に選んだ学校に俺がいたって―――そんな事はないだろう。だってアイツ「ただいま、ボク帰ってきたよ!」って言ったんだ。
それって俺の進学先を知ってたってことだよな。
何でそんなこと知ってんだよ?
どうして俺がここに通ってんのを知ってんだよ?
もしかしたら全中のことも知ってんじゃないのかな?
なんかそんな気がしてきた。
でもだとしたら誰かが俺の情報を流してたとしか考えられない。
でも、一体、誰が?
俺じゃない。勿論、椎名でもない―――だとすれば?
隣で涼しい顔をしてコーヒーを飲んでる母ちゃんの横顔を見つめて聞いた。
「―――何か知ってるな?」
ホウ……ってな表情で母ちゃんはゆっくりと振り向いた。
「どうしてそう思う?」
「だってよ。そう考えた方が色々辻褄が合うじゃねぇか……」
俺の返事に母ちゃんは「よくできました」と言うように頷いて、タバコを取り出し火をつけた。
「お前のその単純な頭で考えたにしちゃイイ線いってるね。後もう一押しってところだねぇ……」
「教える気……は、なさそうだよな?」
伺うように聞いたら母ちゃんは煙を吐き出しながら「良くご存知で……」と頷いた。
「……人から教えてもらったってダメなんだよ。自分で見つけなきゃ意味なんてないし。それにお前だって教えてもらうつもりなんてないんだろ?」
横目で俺を見ながら母ちゃんはニヤリと笑った。
さすが母ちゃん。俺の性格よく知ってる。それに俺も息子だ。母ちゃんが素直に吐くわけ無いって事もわかっている。
どうしてもって泣きを入れたら教えてくれるだろうけど、条件付に決まってる。
しかもその時出される条件は絶対ロクでもないことに決まってる。
(んじゃ、どうすっかな?)
俺は考える。
やっぱ、疑問は正さなきゃな。
このままじゃ、俺も玲も前に進めない。
せっかく会えたのに。このまま平行線じゃ悲しすぎる……平行線にしてるのは俺かもしれないけど。だからこそだ。
判らないままうやむやにするのだけは避けなきゃな。
とすれば―――だ。
やっぱ本人に聞くのが一番早いか。
但し、玲の奴が素直に吐くかどうかは別にして。
(まっ、やってみる価値はあるだろう)
「ッシャ!」
かけ声と共に俺は立ち上がる。
「俺、学校行くわ。試合が終わったら玲の奴捕まえて聞いてみる」
「……そうかい。ま、しっかりやんな」
期待通りの返事に俺は肩を竦めて、持っていた空き缶をごみ箱めがけて投げる。缶がきっちりごみ箱に吸い込まれたことを見届けて一歩踏み出して振り返った。
今なら言えそうな気がした。
「ゴメンな。母ちゃん」
突然の謝罪の言葉に母ちゃんが口をポカンとあけて俺を見てる。こういうことは一気に言わないと恥ずかしさが出てきちまうから、俺は母ちゃんが呆気にとられてるのをいいことに一息で続けた。
「今度ことで迷惑かけて、肩身の狭い思いさせて、ホント、ごめん!」
殊勝に言って下げた頭の上から、大爆笑が降ってきた。
何事かと頭を上げたら、失礼なことに母ちゃんは腹を抱えて笑ってた。
「何を言い出すかと思ったら……お前が心配するようなことは何にもないよ」
ようやく笑いを収めて目じりに溜まった涙を拭きながら母ちゃんは言った。
「えっ……だって」
「いいかい成人。あの学校に20年近く勤めてるんだよ私はね。昨日今日入学したようなお前とは先生方の信頼度が違う。お前ががやらかした不始末の一つや二つで私の立場が揺らぐような事はないよ」
だから安心して自分のやりたいことをやりな。と母ちゃんの台詞は続いた。
「そっか……んじゃ、お言葉に甘えて好き勝手にやらせてもらうぜ!」
母ちゃんがそう言うならそうなんだろう。
「そうそう、さっきの答えだけどさ。どこまでも私はお前たちの味方だからね!」
背中にかかった声に後押しされるように、俺は学校へ向かって駆け出した。