つま先立ちの王子様
Part 4
いくら練習試合でもやっていい事と悪いことがある。公式戦の選手宣誓では『スポーツマンシップにのっとり正々堂々と戦う事』を誓わされてるはずなのに相手チームの奴等は審判の目に見えないところで卑怯な手を使ってやがる。しかもウチのチームがファールをとられるような巧妙な手口だからキャプテンも椎名も―――ベンチにいるチームメイトも誰も気付いちゃいない。
気付いているのは二階席から見下ろしている俺と必死にカバーをしている玲だけだ。
(お前等何やってんだよ! どうしてわかんねぇんだよ! ああ、もう!)
怒鳴りつけたい衝動を目の前の手すりを握り締める事でやり過ごして俺は試合を眺めた。
前半戦終了のホイッスルが鳴り、疲れきった様子でベンチに引き上げてくる玲の身体が不自然に傾いた。そのまま糸の切れた操り人形のようにガックリと膝をついて右足を抱え込んだ。
(……玲ッ!)
俺は観覧席を飛び出して階段を駆け下りていた。
「玲!」
突然現れて怒鳴った俺を見つめて唖然とする皆を押しのけて玲の傍にしゃがみこみ、ちょっと乱暴に玲の腕を跳ね除けた。
「大丈夫か? ちょっと見せてみろ!」
不自然に引きずっていた右足の裏側、ふくらはぎからアキレス腱の辺りにかけて見事に腫れ上がっている。触っててみると少しだけ熱を持っていた。
「チックショウ! あいつ等卑怯な手使いやがって! マネージャー冷却スプレーだ。早くッ!」
剣幕に押されてオズオズと差し出されたそれをひったくって遠慮なしに玲の足に噴きかける。
「……ッ!」
ひやりとする感触に首を竦めた玲にもう一度「大丈夫か?」と声を掛けたらコクリと頷き「ありがとう……」を小さな声が返ってきた。
救急箱を抱えてオロオロしてるマネージャーに玲を任せて俺はチームメイトを振り返った。
文句を言う資格なんてないんだろうけど、どうしても一言いってやらなきゃ収まりがつきそうもなかった。
このまま後半戦を戦ったら相手のいい様にされちまう。そんなのはスポーツマンとして許せない。
「キャプテン達の目は節穴か? おかしいとか思わなかったのかよ。相手の卑怯なチェック、皆コイツが身体張ってかわしてたんだぜ? でなきゃ化け物みたいなスタミナ持ってる玲がこんなにバテるわけないだろが!」
言えば言うほど腹が立つ。
怒りの持って行き場が無くて俺は拳を床に叩きつけた。
代われるもんなら代わってやりたい。
玲の敵を討ちたい。
相手チームに一泡吹かせてやりてぇよ!
でも―――いくら調子のいい俺でも「復帰させてくれ」なんて虫のいいこと言えないし。
先輩達も椎名も皆、黙っちまって重苦しい空気がベンチ全体を包んでた。
マネージャーが応急処置を終えて立ち上がる気配に合わせて俺も立ち上がる。何時までもここにいたって仕方ない。言いたい事は言ったし、玲が無事ならそれだけでいい。
その時だった。
「ナルヒト、ボクの代わりに試合に出ろ!」
思いもかけない言葉で玲が俺を引きとめた。
「玲……お前、何を―――?」
言葉はすごく嬉しい。でも素直に頷けない。俺以外にも控えのガードはいるんだし。そいつ等を無視する訳にはいかないからな。
ホントこんな風に思うなんて俺らしくないけど。
俺は黙って首を振った。
それをどう思ったのか玲は顔を顰めつつ立ち上がった。ふらつきそうなる身体を支えてやろうと差し出した俺の腕を首を振って拒否し、試合に臨む時のような視線でキャプテン達を見据える。
「先輩いいですよね? ボクの穴を埋められるのは失礼な言い方かもしれないけれど他の人ではダメです。彼じゃないとダメなんです」
俺の力を買ってくれてるのは嬉しいけど、そんな事言ったら玲の立場が悪くなる。
俺はもういいよと言うように玲の肩に手を掛けた。その腕も玲は振り払った。そうして―――。
「例え練習試合でも負けたくありません。あんな卑怯な手しか使えない奴等に負けたくないんです! お願いします」
強い言葉で言い切られて「どうしたものか?」と顔を見合わせる先輩達に向かって玲は深々と頭を下げた。
「玲! 止めろよ。お前が頭を下げる必要なんてない!」
頭を下げるのは俺の方だ。
俺が声を上げるのに「俺もそう思います」と言う声が被って聞こえた。
今度は椎名だった。
「成人に言われるまで気付けなかった俺にこんなこと言う資格は無いのかもしれないですけど。でも俺からもお願いします。成人を試合に出してください」
椎名までもが長身を折って頭を下げてくれている。
後半開始の準備のためか審判たちの動きが激しくなっていた。
二人の迫力に気おされたのかキャプテンは覚悟を決めたようだった。
俺とキャプテンの視線がぶつかる。
「津久見。ウォーミングアップしなくても、すぐに行けるか?」
(アッチャ〜、なんて答えりゃいいんだよ)
「はぁ、まあ。ここまで走ってきたから大丈夫……だとは思いますけど……」
頭をかきながら歯切れの悪い返事を返す俺の肩に手を掛けて、
「コイツのエンジンのかかりの早いのはキャプテンだって知ってるじゃないですか 俺も保証しますよ。コイツ着火点低いんです」
大丈夫だよな。と椎名は似合わないウインクをして見せ、ユニフォームを差し出してくれた。
「おっ、おう!」
礼が言いたいのに情けないことに胸が詰まって出てこない。照れ隠しにユニフォームをひったくってクルリと背中を向けた。
キャプテンが出す指示を耳に留めながら素早く着替える。
久しぶりの感触に身体が震えるのが判る。
「見てろよ玲。仇とって来るからな!」
軽く身体を動かしながら相手チームにチラリと視線を投げ、ベンチに座る玲に声を掛けると、
「うん。期待してるよ」
華やかに微笑んでくれた。
「行くぞ、津久見!」
「ハイ!……っと、そうだ」
先輩達に続いてコートに入りかけて俺はもう一度ベンチに戻る。
「玲、手出せ。右手!」
不思議そうに差し出された手を両手でそっと包み込む。
「……ナルヒト、これ」
「それ持っててな」
やっと返せたぜ、玲のビー玉。でもそれは拾った奴じゃなくて俺のお守り袋だったけど。俺はユニフォームのネームの辺りをポンと叩く。
「玲のはここ。俺と一緒に戦おうぜ。んじゃ行ってくる!」
ちょっとカッコつけすぎな気もしたけど、今まで情けなかったからこんな時ぐらいはいいかな? なんて思った。
だって俺は王子様だから――――。
俺がコートに入るのを待ちかねたようにホイッスルが鳴った。
「ホラどうした? 遠慮しないで入って来いよ」
部屋の入り口で立ち尽くしてる玲に声を掛けた。
試合は勿論、勝った。
あんな卑怯な手段を使う奴等に俺達が負けるわけない。
前半戦で漬けられた20ゴールの差を後半戦開始わずか5分でタイにして、その後は一気に畳み掛けた。フル出場してるわけじゃないから俺のスタミナも最後まで持ってくれたし。終わってみれば50ゴールの大差でウチの勝ち!
相手チームのファールは不問に付してやることにした。見抜けなかったウチにも非はあるし、コレだけ大差をつけられれば、俺達の怒りをイヤでも理解するだろう。だから二度とやら無いだろうと思うし、やったらそれまでのチームだったってだけの事だ。俺達の知ったことじゃない。
それにそんな事に時間を割いてる暇なんて無かった。
後半戦の間に玲の足は一段と腫れ上がってしまってて、急いで病院に連れて行かなきゃならなかった。
診断の結果は『軽い肉離れ』で全治10日ってことだった。コレくらいですんだのは玲の足が鍛え抜かれていたかららしい。
完治するまでの間の玲の面倒を母ちゃんがみることのなったのだ。
留学生で来ている玲は学校が世話をした学生寮にいる。暫くの間松葉杖が離せない生活では不自由だろうし、寮母さんにも迷惑をかけるということで養護教諭の母ちゃんが呼び出された。
一人で大丈夫だと言い張る玲に母ちゃんが一言ビシッと言った。
「軽い肉離れだと甘く見てたら酷い目に会うよ。それで選手生命絶った人だっているんだからね。バスケットを続けたいんだったら先生の言うこと聞きなさい!」ってな。
この一言、聞いた時、俺は心の中で母ちゃんに拍手した。
聞きたいこと、確認しなきゃいけないことが山ほどあった俺には願ったり叶ったりのチャンス到来って訳だ。
「オイ、玲ってば!」
何度促しても玲の奴「ウン……」と生返事を返すばかりで動こうとしない。
何時もの玲は何処に行ったんだよ?
怪我のせいとは言っても昔に返ったみたいだ。
帰ってきてからの明るい玲に何となく違和感を感じてた俺はその態度が妙に懐かしく思えた。
(しゃーねぇなぁ……)
立ち上がって玲に近づく。
なんとも言えない表情で、近づいてく俺を見てる奴の肩に手を掛けて、情けないけど少しつま先だってキスをした。
「えっ……」
カタンと音を立てて松葉杖が転がった。俺の不意打ちのキスに玲が驚いて手を離したからだ。
「あっ……悪ィ」
転がった松葉杖を拾って玲に差し出した……。
「ホラ大丈夫か……ってお前、何、赤くなってんだよ!」
そんな驚くことかよ。俺だって自分の行動に驚いてんだから、んな顔されるとこっちもどういう顔していいか判らなくなるだろ。まったく! いつもなら隙あらばと狙ってる癖して、調子が狂って仕方ない。
今日の玲は……って言うか、俺と二人っきりになってからの玲は、今まで見てきた奴とは別人で、昔のいじめられっ子の玲そのまんまだ。
「……んだよ。そんなに驚くことねぇだろ? お前がいつもやろうとしてる事ジャンか!」
ホラこっち来いって! と玲の腕を引っ張った。
「だって、だって、ナルヒトの方からなんて初めてで……」
あ〜〜、もういいからって! それは!
改めて言われるとハズいんだって。
河原でして以来のキスなんだからさ。
「だぁかぁらぁ。こっち来て座れって! そのままだと足辛いだろ? 話はそれからだ」
俺は松葉杖を二本まとめて持って、玲に肩を貸してベッドへ座らせた。
玲は俯いたままで俺を見ようともしない。
これじゃ俺のほうから口を開かなきゃダメじゃないか。
こういうところは小さい頃から変わっていないよな。
人一倍負けず嫌いなところは俺と同じで、頑固なところも変わっちゃいない、昔のまんま。
「お前……俺の情報誰から仕入れてた?」
さてどう切り出すかな……メシを食いつつ色々考えてたのに口から出たのはいきなりの直球だった。
ホント、ダメだよなぁ俺ってば。でもまあ、回りくどいのは性に合わないから、この方が俺らしくていいかもな。
「母ちゃんからか?」
重ねて聞いたらピクリと玲の肩が揺れて、そっと顔を上げた。別に責めてるつもりは無いのに玲の瞳に見る見る涙が浮かび上がる。
「だって……ナルヒトショック受けるでショ? あの頃のボクから今のボクは想像できないでショウ?」
いきなり昔の口調でそう返されて言葉に詰まる。
実際、椎名の言う“ジョーダン”は言い過ぎだとしても、ここまで育ってるとは思わなかったからなぁ。
答えない俺を見る玲の瞳から大粒の涙がポロリとこぼれた。
俺は昔から玲の涙に弱い。
「あー泣くなって。別に責めてるわけじゃないんだから」
慌てて言い訳みたく俺は呟いてた。
「ナルヒト。ボクのバッグ取ってくれる?」
足元に置いてあったセカンドバッグを渡すと玲は中からなにやら取り出して俺に差し出した。
受け取った俺は目を丸くする。
それは色の褪せたエアメールの束だった。
一番上にある“ミミズがのたくったような字”には見覚えがある。俺の書いた下手くそなローマ字だ。
順番に並べられてるのは全部俺が出した手紙だった。
一番下に少し厚めの真っ白な封筒。
「見ていいのか?」
コックリと玲が頷くのを確かめて封筒を開けた。
中から出てきたのは――――。
緊張に顔を引きつらせてる小学校の入学式。
かけっこで一番にテープを切った運動会。
初めてもらったユニフォームを貰った時。
少し大きめのガクランを着た中学校の入学式……それからケーキを前にして満足そうに笑ってる誕生日。一本ずつロウソクの数が増えていくにつれて顔立ちも少しづつ大人びて―――季節ごと行事ごとに写っているのは全部俺だった。
「これ……」
首をかしげた俺に小さく頷くと玲はポツリ、ポツリと話し出した。
「最初の一年はもう無我夢中だったよ。見るもの聞くもの全てが珍しくて面白くて……ナルヒトに手紙を書くのが楽しくて仕方なかったよ」
あ、それは解る。手紙の文字が躍ってたような気がする。
「でもね3年か4年ぐらいたった頃、気がついたんだよ。自分の外見が変わってきてることに。ナルヒトは別れた時のままなのにね。ボクだけが別人みたくなっちゃって……自分でもそう思ったぐらいだから……」
「俺もそう思うだろうって?」
玲は頷いた。そんなことあるわけ無いのに……。
「そしたら手紙が書けなくなったの。教えてあげたいことや話したいことは沢山あったのに……ううん、手紙は書いたんだよタクサン、タクサンね」
そう言って玲は着替えを入れたボストンバッグから取り出した紙袋を俺に差し出した。
中にはさっきのとは比べられないぐらいの数の封筒が入ってた。
「こんなに大きくなってしまったボクはもうナルヒトに守ってもらえないんじゃないかって。そう考えたら怖くて怖くて。それでもポストまでは行くんだよ。でもいざ出そうとすると手が震えてしまって…」
「それで手紙が途絶えたんだ?」
玲は小さうなずいた。
「でもね……ナルヒトの写真は欲しかった。欲張りだったんだよねボク。どうしたらいいか判らなくてママに相談したらオバサンに電話を掛けてくれた。で、オバサンに話をしたら内緒でナルヒトの写真を送ってくれるって……」
(母ちゃんのヤロー。そんなことしてやがったのか。定期的に玲の声を聞いてやがったなんて……なんて羨ましい……)
「ナルヒトがバスケット始めたって教えてもらったからボクも始めた。何かしらナルヒトと同じ物に関わっていたかった。いつか再会したとき話題に困らないようにね。ハイスクールにしても海星にはこういう制度があるよって教えてくれたのもオバサンだった。姉妹校も教えてくれたからそこに入って“交換留学生”に志願した。でも、選ばれるのは全校で一人だけで。ボク、ガンバったんだよ」
それで帰ってきたよナルヒト……になる訳なんだな。
そういう事だったのか。
「けど水臭いじゃないか。一言あってもバチは当たらないと思うぜ? 電話なら姿なんて見えないのに……」
つい恨み言が口をついてしまった。
「だって声を聞いたら会いたくなるもん。顔が見たくなるじゃない。ナルヒトは違うの?」
「それはそうだけど。でも、突然手紙が来なくなったら嫌われたのかと思うじゃないか」
「それはナルヒトも同じでしょ? ボクが手紙を書かなくなったらナルヒトからも来なくなったじゃない。それがスゴク寂しかったんだ。もうボクのことなんて忘れちゃったんじゃないかって……ボクよりも大切な人が出来たんじゃないかって……思って……」
「それはナイ!」
即座に否定する。
断じて無い!
だって本当に玲を忘れたことなんて無いんだから。只、始めたばっかのバスケットに夢中になっただけなんだ。
そう言うと玲も「オバサンもそう言ってた」と同意してくれた。
実際その通りなんだから仕方ない。
身長が伸びるって聞いて始めたバスケットに魅了されてしまったんだ。それに俺は一度に色んなことを考えられない単純な頭の持ち主だから。
玲のこと考えてるときは玲のことだけを。
バスケの事考えてるときはバスケの事だけしか考えられない。
「だからボクも頑張ったよ。バスケット続けてたらいつか日本へいけるんじゃないかって。だから本当に必死だったんだよ。負けるもんか、負けるもんかって……」
「なんだ、俺がいなくてもちゃんと出来たんじゃないか。けど俺だって必死だったんだぜ? そりゃ背は思うように伸びなかったけどさ」
ちょっとだけ玲を責めるような口調になってしまった。それが気に障ったのか玲は初めて大きな声を上げた。
「だって頑張る以外にボクにどんな方法があったって言うの? ボクはどうしたら良かったの! 何かあったらいじめられたら何時でも俺を呼べよってナルヒト言ってくれたけど、アメリカにはナルヒトいないじゃない。どんなに呼んでも来てくれなかったじゃない。守ってくれるナルヒトがいないんだもの、自分の身は自分で守らなきゃ仕方が無いじゃない―――そのために大きくなった訳じゃないけど……ボクだって昔のままの小さくて守ってもらえるような身体のままでいたかったよ。でも……どうしようもなかったんだ……」
溢れる涙を拭おうともせずに、しゃくりあげながら言う玲の言葉はしっかりと俺の胸を打った。
(そうだよな。呼ばれたって俺にはどうすることもできなかっただろう。日本国内ならまだしも玲がいるのはアメリカだ。今だって呼ばれても飛んで行くことなんてできやしない。純粋だったとはいえ、6歳の考え無しの言葉を真直ぐに信じて、現実との違いに玲は悩んでいたんだな。それを責める権利なんて俺には無い)
そう言えば色々苦労したって言ってなかったか?
部室での台詞を思い出した。
努力が実を結んで、あのプレーに繋がってるんだよな。
デカクなりたいと願いつづけた俺は思ったよりも身長が伸びなくて、小さいままでいたいと願った玲の身長が伸びすぎて……ホント、世の中上手くいかないよなぁ。
でも、もう大丈夫だよな?
お互い隠してる事はコレでもうないし。
やっぱ隠し事って良くないよな。
「なあ玲? この話はコレで終わりにしようぜ。なっ?」
明るく言い放つと玲が目を丸くした。
「そんなにカンタンに終わらせていいの?」
「だって全てはお互いの思い違いから始まったんだろ? 俺も玲も、どっちもが言葉が足りなかっただけの事だ。でも今ちゃんと話しただろ? キチンとお互いの考えてることが解ったんだから問題は解決したと思うんだ。だから小さい頃から引きずってきた問題はコレで終わり。今から始めようぜ。俺は今、目の前にいる玲のことが好きだからな」
「……ナルヒト……」
玲のアイスブルー瞳から次々に涙がこぼれる。
(チクショウ。やっぱりコイツ可愛い……)
「ああホラ! デカイなりして泣くんじゃねぇって。ホント、入れ物変わっても中身はそのまんまじゃねぇか……」
俺は両手の親指で涙を拭って、そのまま顔を挟み込んだ。
濡れたブルーの瞳がまっすぐに俺を見てた。
(デカクなっても変わってないな、すがり付くような瞳だけは……)
そっと身体を屈めて、ふっくらとした唇に自分の唇を重ねた……けど、自分からって言うのはメチャクチャ照れる!
「俺がキスするのは玲にだけなんだぜ。有難く受け取れよ!」
「ウソ!」
即座に否定するとはどういうことだよ。信じてないってことか?
ちょっと恥ずかしいけど玲のためだ、仕方ない。
「ウソなもんか。誰がなんと言おうと俺は玲だけにしかキスはしない。だって俺は玲だけの王子様だからな!」
言いながら頬っぺたが赤くなるのが判る。
(あ〜俺って、チョー情けねぇ……)
「ナルヒト……もう一度、キスして? お願い」
玲がうっすらと涙の残る瞳で俺を見上げてねだるように言って目を閉じた。
澄んだ瞳が長い睫に覆い隠されて、さっきの幼い感じからグッと大人びた感じの顔になる。
(ホント、整った顔してるよな。目を開けているときも綺麗だけどこうして目を閉じても……)
んな事を考えたのがいけなかったのか。股間が覚えのある悲鳴をあげた。
(ちょ……これってヤバくない? 余りにも即物的過ぎないかぁ?)
でも、仕方ないことなのかも。自然の摂理だよな。
だって夢に出てくる玲そのまんまなんだから。成長しても性格は昔のままの……抑えるなんて無理だ。
そうだ一旦、悲鳴を上げたヤツを静める方法を俺は一つしか知らない。
椎名が言った言葉が今、初めて解った。
『催しちゃえば場所なんて選んでられないだろ』って、俺が青カンしてるところに踏み込んじまった時の言葉。
下の部屋じゃ母ちゃんが寝てるって言うのになぁ……。
それにヤバそうなのは俺だけじゃないらしい。
俺のキスを待ってる玲も両足の間に腕を挟んでモジモジしてる。
「なぁ玲? ひょっとしてお前も感じてる?」
我ながら意地悪な質問だよな……と思いつつ聞いたら、案の定、玲は閉じていた瞳を見開いて「知らない!」と頬をうっすらと赤くしてそっぽを向いた。
「怒るなよ。俺だってそうなんだから……」
弾かれたようにこっちを向いたブルーの瞳ごと抱きしめて。俺と玲はベッドの上に転がった。
(母ちゃん、目覚ますなよ!)
玲の舌はねっとりと絡みつくようで、今まで感じたことの無い快感が背筋を駆け抜けていく。
今、自分がどんな状態にあるのかとか、このままいくと体型から言って俺のほうが……その、だ、抱かれる側に回るのかとか……色んな事を考えてたはずなのに、そんなことはどうでも良くなってしまう。
何がなんだか判らなくなって、頭の中が真っ白になった時がフィニッシュだった。
「フフフ……」
俺の放ったものを飲み下して玲が小さく笑った。
解放した後の心地よい気だるさを感じつつ、俺は両肘を支えにして上半身を起こした。
俺の股間を玲が物珍しそうに眺めている。
濡れて光る唇を見てると急に恥ずかしさが込み上げた。
(ウッワァ〜。俺、あの唇でイカされちゃったんだ?)
時々覗く赤い舌が妙に艶かしくて、肘をついて前髪をかきあげる仕草も色っぽくて……マタマタ、妙な感覚に襲われる。
「まだまだ足りないって……元気だねナルトは……」
(このヤロォ〜愉しんでんな! あっコラ! 何てことするんだよ!)
信じられないことに玲は首をもたげ始めた分身を指で弾いた。
急に全身の力が抜ける。
バタン! と、俺は後ろに倒れた。
(もうどうなってもイイや。抱くんなら抱きやがれ!)
玲を守りたいと抱きしめていたその裏側で、守られて抱きしめられていたのは俺かもしれない。
精一杯の力で差し伸べられていた玲の腕は、いつも暖かかったから。
「…………ッ!」
玲がアレへの愛撫を再開した。
目を閉じて呼吸を整える目の前が暗くなった。そして静かに重なってくる唇―――顔中に降らされるキスの雨に酔って……イヨイヨだ!
(来るならコイ! ドンと受け止めてやる!)
力んでいた俺を襲ったのは物凄い圧迫感だった。いや、圧迫感には違いないんだけど、それを感じてる場所が問題だった。
俺の想像とはかけ離れた場所への締め付けだった。
薄目を開けると目の前に苦痛に歪んだ玲の顔―――。
「……玲―――お前……」
「黙ってて……お願い――動かない……で―――」
唇をかみ締めて俺の上に身体を沈めてくる。
「ストップ! ちょっとコレ抜いていいか?」
あっ、言い方がまずかったかな? と、思ったときには遅かった。玲の表情が泣き出しそうに歪み身体の上に跨ったままで顔を覆ってしまった。
「やるぱりナルヒトはボクのことがキライなんだね。ボクとスルのがイヤなんだ。外見は変わっても中身は同じだって言ったのにぃ〜」
ったく、腹の上で泣きじゃくるなって言いたい。しゃくりあげる度に、先っちょだけとはいえ締め付けられたらガマンが出来なくなるだろーが!
「そうじゃない。そうじゃないんだ。良く聞いて玲」
玲が顔を覆っていた手を恐る恐るはずした。
「あ〜あ、せっかくの美人が台無し」
身体を起こして頬を伝う涙を唇でなめとってやりながらそっと身を引いてベッドの上に正座する。で、玲に視線を合わせる。
“相手の目を見て”っていうのは話をする時の基本だ。特に真剣な話をするときは。
「玲とスルのがイヤなんじゃなくて。俺だけ満足するのがイヤなんだ。さっき玲がしてくれて俺はスッゴク気持ちよかった。だから玲にも気持ち良くなって貰わなくちゃ俺は嫌だ。ああ、でも。俺、経験無いから下手かもしれないけど……」
聞くなり玲がプッと頬を膨らませた。
(あれ? また何か機嫌を損ねるようなことを言ったか、俺?)
「何ソレ。それってボクのが経験値が高いって言いたいの?」
「違うって!」
(どうしてこんな格好で、弁解しなきゃならないんだよぉ〜)
俺のが泣きたい気分だ。言いたかないけどハッキリ言わなきゃ機嫌直らないんだろうなぁ……仕方ないな。
俺は覚悟を決める。
「だから、さっきも言っただろ? キスするもの玲とだけ。つまり俺は女の子とも経験が無いんだよ。正真正銘の童貞なんだよ……隠し事はもう無いって言ったけど……ごめん」
最後の方は情けないけど口の中でモゴモゴ呟いただけだった。
「なんだ、そんな事気にしてたの?」
(そんな事ってなんだよ。そんな事って!)
「それならアイコだよ」と玲はニッコリ笑い、
「ボクだって最後までサレたこと無いからね」
サラリと言った。
「へ? どういう事だ?」
今度は俺が首をかしげる番だ。
「言ったでしょ? 自分の身は自分で守らなきゃならなかったって……」
おう、ソレは覚えてる。でもそれって―――?
「ボク外見がこんなだからね、手を出そうとするヤツ沢山いたよ。でも全部自分でやっつけた」
玲は誇らしげに胸を張る。
「―――お前、もしかしてムチャクチャ強い? んでもってこの間のことも、一人で何とかできたわけか?」
「そうだよ。なんなら試してみる?」
茶目っ気たっぷりに玲はガッツポーズをしてくれた。綺麗に張りつた上腕部の筋肉が盛り上がっている。
「エンリョしときます」
肩をすぼめて情けなく言うと玲はクスリと笑った。
「あの時、ボクが言いたかったことはね。ボクなら仮入部扱いだからどんなことをしても平気だけど。ナルヒトは違うでしょ?」
あ、そうか。だから、ああいう言い方をしたのか―――。
ちょっと考えれば判る事なのに。ソレなのに俺ってば一人勘違いして? 一人で拗ねてたって訳……なんだ。
「それにね、ああいう奴等は必ず天罰を食らうんだよ。ボク等が手を下さなくてもね」
小首をかしげてニッコリ笑う玲。
ダメダ。俺、完全にコイツに負けてる。身体の大きさだけじゃなくて、懐の深さも―――。
二人の間に流れた時間は等しく10年なのに――俺の方がてんでお子様じゃんか。
「―――と言うことは………?」
間抜けにも聞いてしまった俺に、玲は見惚れるほど綺麗に微笑んだ。
「ボクはニホンジンだからね。好きな相手としかこういうことはできないの。最初も最後もナルヒトとって決めてたから」
「お前それでいいわけ? 俺に抱かれて平気なのか?」
恐る恐る言葉にしたら「ナルヒトはボクに抱かれたいの?」と言い返された。
俺は慌てて首を振る。
「でしょ? ボクだってそんなこと考えたことも無いよ。ナルヒトには身体ごと、心ごと全部抱きしめてもらいたいんだもん。だって王子様なんでしょ? ボクだけの」
玲は俺の首に腕を巻きつけてキスしてくれた。
俺もしっかりと答える。
戯れるようなソレはいつしかディープなキスになって。それに伴って身体の方も変化していく。
名残惜しげに唇を離した玲の瞳が潤んでる。
「ねえナルヒト……そろそろ再開しようよ。ボク、ガマンできそうに無いよ……」
身体を押し付けてねだるように囁く。
大胆な誘い方をしてくるのはアメリカっぽいと思うけど、玲だと“いやらしい”とか“物欲しそうだ”とかとは思えない。
俺の方こそ、そろそろ限界かも―――。
俺は黙って玲をベッドに押し倒した。
後はもう夢中だった。
もてる知識を総動員して玲の身体を辿っていった。
夢の中と違ってぎこちない愛撫にも玲は切ない吐息をひそやかな声を漏らしてくれる。
甘い蜜を滴らせながら震えている玲自身をそっと口に含み軽く啜り上げると「……ああっ!」と玲は小さく仰け反った。
声に刺激されてオレ自身も痛いくらいに張り詰めていた。
「玲……」伸び上がって呼びかけると「……いいよ、来て」と返ってきた。
玲の両足を抱え上げてオレ自身をあてがってゆっくりと身体を進める。
苦しいんだろう玲は眉をひそめて浅い息を繰り返した。けど、気遣ってやる余裕なんて俺には無くて「玲、ゴメンな……」と繰り返しながらキスしたりするのが精一杯だった。
囁きながらキスを落として身体を撫でて―――やっとの事で全てを玲の中に収めた時には二人とも汗だくだった。
ムードなんて何も無かったけど俺も玲も満足してた。
肩で息をつく玲の、額に張り付くブロンドをかきあげながら「辛くないか?」って聞いたら「ううん、幸せ……」と笑ってポロッと一つ涙を零した。
たまらなくなって俺は玲をギュッと抱きしめる。
こんな時、気の利いた言葉でも思いつければいいんだけど、残念ながら俺はまだまだ大人じゃないって自覚したばかりだから、ありふれた言葉で俺らしく行くことにする。
力の限り抱きしめて、10年分の思いを込めて大事にとっておいた言葉を形のいい耳に囁いた。
「玲……愛してる」
「ボクもアイシテル……だから……もう離さないでね」
囁き返してくれながら玲も同じくらいの力で抱きしめ返してくれる。
それだけで充分だ。
そして深いキスを交し合ったまま俺は玲を揺すった。
夢を見ているような気分の中で。
途切れ途切れに聞こえる玲の喘ぎ声と時々、背中を引っかく痛みが現実なんだと教えてくれた。
「あっ……ああ―――ナルヒトぉ……もう……」
「―――オッ、俺も……そろそろ限界―――かな」
二人で固く抱き合い四肢を絡めたまま、同時に最後のときを迎えた。
立秋を過ぎても厳しい暑さが続いている8月最後の日曜日。
一年間の留学期間を終えて今日、玲はアメリカへ帰る。
10年前のあの日と同じ成田の出発ロビーで玲と向かい合っている俺の視線は、一年前と比べてちょっとだけ高くなった。
あれから奇跡のように背が伸びた―――と言っても五センチ程だけど。食べる量も運動量も変わらないのにだ。けど二年以上変化の無かった俺にとっては飛び上がるほど嬉しいことだ。
母ちゃんに言わせれば「気持ちにゆとりが出たからだろう」って事だけど、この際、理由なんてなんでもいい。
インターハイ予選を無敗でクリアした俺たち海星バスケ部は今、本選に向けて合宿の真っ最中だ。
俺だけが見送りに来ることを許された。
その訳は、俺が玲の恋人だから―――じゃ無くて、新キャプテンの椎名の計らいによるものだ。
「ナルヒト……コレ……」
玲が制服の胸ポケットから擦り切れた綿の袋を取り出した。俺も首から下げている袋をはずし、中から取り出したものをそれぞれ交換する。
「今度は俺がアメリカへ行くから、これはそのときまで預けとく。大切に持ってろよ」
俺の差し出した深緑のビー玉を受け取った玲のアイスブルーの瞳がみるみるうちに涙でいっぱいになる。
「バッカ、泣くヤツがあるかよ。永遠の別れじゃあるまいし……ホラ、泣くなって! 俺がいじめてるみたいだろ?」
慰めてる俺の鼻の奥がツンとなってくる。
(ヤバイよ、ヤバイ!)
情けねぇ〜と思うけど、ここで泣くわけにはいかないのだ、王子様としては!
俺はビー玉を大切に袋にしまって、元通り首から下げた。そして、まだ少し涙の残る瞳を見上げながら肩に手を掛けると、玲はがほんの少し前傾姿勢をとってくれる。だから俺は周りの目を気にせずに玲を抱きしめる。ハタから見れば抱きついているように見えるかもしれないけど、それでいいんだ。
これが俺たちのスタイルだから。
少しつま先立って、玲の目を見つめて精一杯の思いを込めてキスしてやる。
「ホラ、きっちり受け取れよ。今度会う時までには追いついて……ううん追い越しててやるからな」
再会と今度こそお前を守れるような身体だけじゃなくて心のデッカイ王子様になるっていう―――そういう意味をこめた約束のキスだ。
搭乗案内のアナウンスが遠く聞こえる中で、俺たちは周りを気にする事無く時間の許す限り何度も何度もキスを交し合った。
名残惜しげに玲の唇が離れて―――。
「約束だよ。メール忘れないでね」
二人っきりの時だけ玲は幼い頃の口調に戻る。
泣き笑いの顔で玲が言うのに、俺は大きく頷くことで答える。
帰国が近づいて、これからの連絡方法を話し合ったとき玲が提案してきたのが『電子メール』の交換だった。
エアメール書くより簡単だし早いし。
これならものぐさな俺でも大丈夫だろう。
お金を出し渋る母ちゃんに、コレでもかというくらい何度も頭を下げて、やっとこさ出世払いということで納得してもらってパソコンを揃えて。プロバイダーと契約してメールアドレスを取得して―――全部、玲がやってくれたんだけど。
何度か玲の叔母さんとメールの交換をしたからシュミレーションはバッチリだ。
「最初はナルヒトの方からだよ?」
「ああ。判ってるって。画像付きで送るから」
玲が家に着く頃を見計らってメールすることになっている。
「絶対だよ?」
疑わしげな表情で玲が首を傾げる。
「大丈夫!」
自信たっぷりに胸を叩いた俺に頷いて玲はエレベーターの向こうに消えた。
玲を乗せた飛行機が空の彼方に消え去るまで、俺はじっと見送った。
(帰ったら早速メールを書こう。口に出せなかった色んな事を文字にして)
………っとその前に。
「オイ、そこに隠れてるキャプテン以下海星バスケ部の諸君! みんなして覗き見なんて趣味悪いぞ!」
振り返って怒鳴った視線の先で、椎名以下レギュラーの面々が顔を真っ赤にして立ち上がった。
(……ったく。練習してるはずじゃなかったのかよ! ホント油断も隙もない奴等だ!)
俺は苦笑いを隠せない。
けど、玲の次に愛すべき奴等なんだけどさ。
二度目に送るメールは“インターハイを制して優勝旗を囲んだ海星バスケ部”の画像が添付される予定だ。
(その日を楽しみに待ってろよな、玲!)
「ホラ、キャプテンたち、ぼんやりしてると置いてくぜ!」
怒鳴って俺は駆け出した。
(おしまい)