素直な気持ち
Part 2
「なあ大海……」
高校初の中間試験も残り一日となった土曜日の夜、余裕があるのか諦めたのか試験勉強を早々に放りだしベッドに寝転んでマンガを読んでいた七海が突然、思い出したように声を掛けてきた。
「んーとこれはこの公式を……」
最終日にもっとも厄介な数学とグラマーを持ってくるとは先生達の粋な計らいに感謝しながら数学の問題と格闘していた僕は相手をしてやる気なんかまるでなかった。
「大海って! ちょっと聞いんの?」
「煩いなぁ……もう少しで解けそうなんだ少し黙ってろよ!」
自然と声が漏れていたらしい。すかさず七海は「何だよその態度。失礼な奴だな、人の話しを聞けよ」と怒鳴った。
どっちが失礼なんだか! と、うんざりしながら首を回して見るとヤツはベッドの上で腕組みをして僕を睨んでいた。仕方なく僕がペンを置いて椅子ごと振り返り「何だよ?」と水を向けると「好きなヤツ居るのか、居ないのか?」と唇を尖らせた。
「なんだよいきなり、そんなこと今じゃなくてもいいだろう。後にしてくれ」
あまりに下らない質問にけんもほろろに言い捨てると僕は机に向き直る。
「少しぐらい休憩したら? 頭腐るよ」
何て事言うんだよこいつは!
「余計なお世話だよ。お前こそ余裕があるじゃないか」
「嫌みな事言うんじゃない。オレは休憩してるとこ。それよりオレだって困ってるんだ。可愛い弟が困ってるんだら相談にのってやれよ!」
七海の言い種に開いた口が塞がらない。
(だぁれが可愛い弟だ! なにが相談にのれよ! だ。それにそれが人にものを頼む態度かよ? )
と思ったけど、まだまだ僕は甘い。だんだんと聞いてやるつもりになってる。
問題集を閉じて僕は振り返った。
「で? 何を困ってるって?」
「なあ、お前、好きな子いる?」
僕の態度に気をよくした七海はベッドから身を乗り出して繰り返した。
「大概しつこいなお前も。それが何か関係あるのか?」
「お前のことが好きだって人がいるんだ。紹介して欲しいって」
「はぁ〜誰だよ、その物好きなヤツは」
「ウチの学校のヤツ……」
七海の返事に僕は椅子から転げ落ちそうになった。やっぱ、七海の話ってロクなことじゃないな、真面目に聞いて損した。
「ウチの学校って男子校だゾ? マジで言ってんのか? そいつ」
「マジだよ。大マジ」
頷く七海の顔は真剣で嘘を言ってるようには見えない。
そりゃ僕だって神野さんってれっきとした男の人が好きだけど、それは神野さんだからで他のヤツにはハッキリ言って興味無い。
「好きな人ぐらい居るさ……」
シマッタ! 神野先輩を思い浮かべたら口が滑った。僕の言葉に七海のヤツ、ベッドから飛び降りてすっ飛んできた。
「なぁ、誰? どんな人? オレの知ってる人。もしかしてウチの学校のヤツ?」
椅子をガタガタ揺らして僕の顔を覗きこむ。
「どうしてそうなるんだよ。大体おかしいだろ? 男同士なんて」
言いながら心が痛んだ。自分を否定してるんだから。だけど、こんなこと誰にでも言えるってもんじゃない。特にコイツには言ったら最後、何て言われるか解りゃしない。でも待てよ、コイツも神野先輩を好きなんだから――同類か。
でもやっぱり言えない。
「おかしくなんかない。今、流行ってんじゃん。ウチの学校にも結構いるよカップル」
それについては否定はしない。校舎のそこここで仲良さそうに寄り添ってる生徒を見かけたことはあったしさ。
「それに行岡先輩と春日先輩も付き合ってるって言うしさ――ああっ!」
慌てて七海は口を押さえたけれど、ポロリと零れた言葉を僕の耳はしっかり聞いてしまった。
ホラこんなに大事なことをうっかりとばらしてしまうような人間なんだ。だから口が裂けても言っちゃいけない。
「ホントか?」と疑いの眼を向けた僕に「嘘じゃないよ。神野先輩に聞いたんだから」と七海は開き直った。
二人の姿を思い浮かべても不思議とイヤな感じはしない、なんか納得って感じだ。
「なぁなぁ誰だよ。教えろよ! オレが取り持ってやるからさぁ」
「言わない」
「えーっ何でだよ」と不満そうな七海に「自分の事は自分でやる。誰がお前に頼むもんか」と後半は心の中で呟いて机に転がってるペンを取り上げた。
「ほんとかなぁ? お前イザとなるとテンでダメじゃん。下手すると永久に片想いだぜ」
解ったふうな口調で七海は僕を見返してきた。僕を挑発しようとしてる。そうして僕の口から好きな相手の名前が出るのを待っている。その手には乗らない……つもりだったのに、続いた七海の「入部テストの時だってさぁ――」って嘲るような台詞に「……先輩のお情けで入部できたお前に言われたくない!」ペンを握り締めて僕は小さく唸ってしまった。
「何だよその言い草! 先輩のお情けって!」
「そうじゃないか! 何の実力もないくせに。楓二中の上坂は僕だ!」
「ヘッ、オレだって楓二中の上坂だぜ……うわぁ!」
言い終わらないうちに僕は握っていたペンを投げ付けた。勢いづいたペンが七海の頬を掠めて通り過ぎそのまま壁に突き刺さる。
「なにすんだよ! っぶねーなぁ…」
頬を擦りながら文句をいいはじめた七海に僕はつかみ掛かった。
「お前なんかに何が判る! 運だけで入部できたお前なんかに――僕がどれだけ努力してきたか――お前がいなけりゃ……僕だって」
胸ぐらを掴んで七海を揺さぶりながら言葉を吐き出してた。
「……ってぇなぁ! 運も実力のうちって言うだろ! 自分の運のなさをオレのせいにすんじゃねぇよ! イザって時に力が出せなきゃダメなんだよ。いくら言っても負け犬の遠吠えだ。思いあがるのもいい加減にしろよ! 楓二中の上坂がなんだってんだよ! 悔しかったらレギュラーになってみろ!」
転がることで僕から逃げた七海が床に転がったままで喚き散らす。
その言葉が胸にグサグサと突き刺さる。
そんなこと七海に言われなくても自分が一番よく判ってる。
反論するのを止め冷めた目で見下ろす僕を押し退けて七海がゆっくりと立ちあがり乱れた衣服を直していた、その時、突然ドアが開いて「お取り込み中失礼。七、神野さんって人から電話だよ」と悠海が暢気な顔を覗かせた。
七海は自分を睨んだまま立ち尽くす僕に目もくれずイソイソと部屋を出て行く。
(チクショー)
僕は突き刺さったペンを力任せに引っこ抜き、握ったままの拳で壁を叩いた。
一言も言い返せない自分に腹が立って仕方なかった。
「七海に図星を指されたからって、モノに当たるのはヤメなよ。余計みっともないよ」
「まだ居たのかよ! 出てけ!」
「言われなくても出て行くわ」
悠海は吐き捨てるように言うと乱暴にドアを閉めた。
暫くしてスキップを踏みながら戻ってきた七海は、さっさと布団に潜り込んでしまった。対する僕は電話の内容が気になって、その夜、中々寝付けなかった。
翌日の日曜日。
「……図書館行ってくる」
適当な理由をつけて僕は家を出た。
どんな理由をつけても後ろめたさは変わらない。昨夜の電話が気になって仕方が無かった僕は、情けないけど七海の後を付けている。
後を付けてられてるなんて夢にも思わない七海は、一目散に駅を目指して駆け下りていった。
最寄の駅から快速電車に揺られること15分、改札口で待っていたのはやっぱり神野先輩だった。
階段の途中で先輩の姿を見つけた七海は改札口を駆け抜けるとその腕にしがみついた。
見た途端、胸に苦いものがこみ上げた。
引き返そう――と思うのに足は勝手に二人の後を追っていた。
入梅間近の少しくすんだ空が広がる5月半ばの日曜日、センター街は人で一杯だった。
気付かれないように距離を置き、頭一つ飛び出す先輩の後姿を見失わないように僕は歩いた。前だけを見つめて足下への注意が疎かになっていた僕は何かに足を取られて躓いてしまった。どうにか転ぶことだけは免れたけど、目を上げたときには既に先輩の姿は消えていた。諦め切れずに視線を巡らせたその先に仲良さそうに笑い合う姿が飛び込んできた。通りを挟んだ向かいのファーストフード店の前で二人はアイスクリームを舐めていた。しかも一つを二人でだ。時折、目を見合わせて楽しそうに笑い合ったりナンカして。
「来るんじゃなかった――」
どっぷりと後悔の念に浸かりこんだ僕は、植え込みの柵に腰を下ろし小さくため息を付いた。そのまま膝に頬杖を付いて、ぼんやりと道行く人を眺めていた僕の目の前が仄かに暗くなる。
(あっ、この靴見たことがある)
どうでもいい事を考えながら足下からたどっていく――やっぱり大樹だった。
「ホラ! 大海だ。お前何やってんの、こんなとこで」
「ホントだ、さすが大樹君」
大樹の言葉に感心したように続けたのは悠海だった。どうして悠海が? って疑問は即座に解けた。目に映る二人が手を繋いでいたからだ。伺うように見上げた僕の前で二人は慌てて繋いだ手を離した。
「試験の真っ最中だってのに余裕だな……」
知らずに言葉が零れてた。
「何よ、その言い方。自分一人が取り残されたからって僻んでんじゃないわよ!」
昨夜の僕達のやり取りで何かを察したのかやけに的を得た表現にカチンときた。言い返そうと息を吸い込んだ時、大樹がとりなすように悠海の肩に手を置いた。
僕は黙って立ちあがると二人に背を向けた。止めようとする大樹の手を振り切って、一目散に駆け出した。
悠海の言う通り、取り残された気分だった。
なんのかんの言ったって大樹も七海もそれなりに幸せじゃないか。
情けなくて、悔しくて――涙が自然と浮いてくる。
誰も追いかけてこないと判って僕は立ち止まる。
(ホラ見ろ! 追いかけてもこないじゃないか)
目尻に溜まった涙をグイッと拳で拭った。
泣いたってどうにもなりゃしないんだから。
仲良さそうな七海達を見ていても諦める気持ちにはなれないんだから仕方がない。
「片想い歴2年を嘗めんなよ! けど今更だけど片思いって結構辛いよ……」
深く沈み込みそうになる気持ちを切り替えようと僕が頭を一振りしたのは品揃えが一番だと噂の本屋の前だった。
「気分転換に本屋でも覗いてこう…」
忙しさと試験で『月刊バレーボール』を買い忘れてた。
確か今月号は “インターハイ 注目選手達”って特集を組んでいる。きっと神野先輩も載ってるはず。写真でも見れば少しは気分も晴れるだろう。
整然と並んだ本棚の間をすり抜けながらやっとのことで僕はスポーツコーナーを探し当てた。
(あった! ラッキー最後の一冊だ!)
見つけた本が一瞬の差で隣に並んだヤツに取り上げられた。
ほんの少しのリーチの差。
(誰だよ邪魔すんのは!)
「……え?」
舌打ちをして僕は隣を見上げ、そのまま硬直してしまう。
「……お前、上坂?」
僕から本を奪ったのは、信じられないことに神野先輩だったのだ。
(どうして? なんで居るの?)
さっきの場所からここまで僕は走ってきたんだ。コンパスの差を差し引いても先輩が居るってことが不思議だった。素早く視線を走らせても七海の姿はなかった。
(チャンスだ。邪魔者は誰も居ない、二人きりだ)
――そう思うのに金縛り状態で先輩を凝視めることしかできなかった。
「そんなに睨むなよ」
先輩は見下ろして苦笑いを浮かべる。
僕ががっくりと肩を落とす。
(睨んでる訳じゃないんだって!)
誤解を解きたくて何とか口を開こうとするけど上手くいかなくて僕は首を振る。
「お前もコレ買うんだったのか?」
「……あっ」
やっとのことで言葉を絞り出そうとした時、「陸せんぱぁ〜い、お待たせ」の声と共に七海が先輩の背中に飛びついてきた。先輩は服を引っ張られて振り返り「ああ七海。もういいのか?」と聞く。七海の方はコクリと頷き、僕の存在に気付いて「あっれぇ大海、どうしたの?」と先輩の肩越しに声を掛けてきた。
「なんでも無いよ。もう帰るとこ。お先に失礼します」
どうにか言葉を絞り出し、僕は逃げるように背を向けた。
「本はいいのか?」
背中に届いた先輩の声もなんだかおざなりに聞こえて、余計に惨めさが増しただけだった。
あんなに勉強したにもかかわらず数学とグラマーの出来は最低だった。
入部テストの時といい今回といい、本当に精神面は弱いよな。
「上坂、帰らねぇの?」
ホームルームが終わっても机に頬杖を付いたままの外を眺めている僕に前の席の池端(いけはた)が声をかけてきた。
「……うん、これからクラブ」
「ちょっとイイ? 聞きたい事あんだけど」
「少しだけならいいけど」
時計を眺めて答えると池端は椅子に跨って僕に顔を近づけた。辺りを窺いながら小声で囁く。
「小耳に挟んだんだけどさ。D組の上坂と神野先輩ってデキてんの?」
いきなりのカウンターパンチにマジマジと池端を見つめる僕に「そんな顔すんなって。お前のデケェ目で凝視められるとチョー怖ぇーよ」と呟いて「なあ、ホントのとこどうなんだよ」と聞いた。
唐突に池端が新聞部だったことに気付いて、相手になったことを後悔した。コイツが嗅ぎ付けたってことは、他の部員が気付くの時間の問題ってことじゃないか。
冗談じゃない! 幾ら面白くないと言っても弟をネタにするつもりはない。いい晒し者になるだけだ。七海はともかく先輩を好奇の目に晒すようなこと僕にできるわけがない。
「どうして僕に聞くんだよ」
「だってお前ら双子だろ?」
「だからってプライベートなことまでは知らないよ。直接本人に当たれば?」
僕は眼鏡を少し押し上げて素っ気無く答えた。取りあえず知らぬ存ぜぬで押し通すことに決めた。
「それが出来たば苦労しないって。意外とガード固いんだよあの二人、中々しっぽを出さないんだよ。だからお前に聞いてんじゃん!」
さも当然とばかりに言った池端は更に声を潜めて「ここだけの話しだけどさ、春日、行岡に次ぐ大物カップルじゃん。絶対、特ダネ間違い無いって! だから頼むよ教えてお願い!」と手を合わせた。
いくら拝まれてもダメなもにはダメだ。
公認カップルなんてモノになるなんて冗談じゃない!
そんなことは絶対に許さない。
「ノーコメント! 大体ね双子だからなんでも話してると思ってるんなら、それは間違いだ。僕達みんなが思ってるほど仲良くないし」と池端から顔を背け、答える意思の無いことを示してやった。
「そこをナントか、頼む!」負けじと池端も食い下がる。
「知らない」「教えてくれ」の押し問答にいい加減、疲れてきた頃。
「待たせたな大海!」
タイミングを計ったように大樹の声がした。
「そんなに知りたきゃ、本人に聞けばイイだろ! とにかく、僕は何も知らないから!」
入り口を塞ぐように立っている大樹の出現を天の助けとばかりに言い捨てて、引きとめようとする池端の手を払って廊下へ出た。
「助かったよ大樹」
大樹の肩をポンと叩いて学食へ向かった。
Aランチを食べる僕の前で大樹は黙々と弁当を片付けている。何か言いたそうな素振りを見せても結局は黙り込んでしまう。大きな身体を小さくして弁当を食べている姿は全く大樹らしくなくて、仕方なく僕は出がらしのお茶を飲みながら「……で? 何時から?」と話題を振ってやった。大樹は可愛そうなくらい狼狽えてハンバーグを飲み込み損ねて思いっきりむせ返った。差し出してやったお茶を一気に飲み干した大樹は涙目で「――春休み」と呟き「スマン! 隠すつもりなかったんだけど、きっかけが掴めなくて」と続けた。
僕が先輩に片思いしてるって知ってた大樹はコイツなりに気を遣ってくれてたんだ。
そんな事されると余計に落ち込んじゃうけどさ。まあ仕方ないよ、それが大樹の優しさなんだから。
「泣かすなよ! あんな跳ねっ返りでも大事な姉ちゃんなんだから」
僕の一言に大樹は照れくさそうに頭を掻いて「判ってるよ! じゃ俺、先に行くわ」と学食を出ていった。
大樹は部室のドアの前で立ち尽くしていた。
「何やってるんだ? 入らないのか?」
振り向いた大樹の表情に首を傾げながらその巨体を押しのけた僕は、目の前に展開されている光景に息を呑んだ。
「上坂!」
いつも通りロードワークに出て行く神野先輩の背中を呆然と見送っていた僕に声が掛かった。緩慢な動作で振り向いた鼻先をボールが掠める。アッという間もなく次々ボールが飛んでくる。投げているのは春日先輩だった。何とかかわしながら「先輩、いきなり何するんですか!」と叫んだ僕の抗議をあっさり無視して春日先輩はボールを投げつける。
「避けてばかりいないで打ち返せ!」
語気の荒さに春日先輩が怒っているとわかったけど、何が先輩を怒らせたのか解らない。
「突っ立ってないで、構えろ!」
厳しい口調で言われて訳がわからないまま腰を落としレシーブの構えを取り、闇雲に飛んでくるボールを拾う。
久しぶりの感覚に戸惑ったのは初めだけ、徐々に身体の動きが良くなるのが判った。
僕は夢中でボールに食らいついた。どれくらいそれが続いたのか「よし、ラスト!」と飛んできたボールを拾った僕は弾む息をそのままに床に転がった。
磨き上げられた体育館の床は冷たくて、ほてった身体に気持ち良かった。
「スッキリしたか?」
ひんやりとした感触と共に声が降る。顔に載せられたお絞りを取って目を開けると、フワリと笑う春日先輩の顔が見えた。勢いをつけて起き上がりグイッと汗をぬぐって「どうかしたんですか?」と聞いた僕にスポーツドリンクのボトルを差出ながら「それはこっちのセリフだよ。お前こそどうしたんだ。この世の終わりみたいな顔してたぞ」と笑われた。
どうも、と頭を下げて半分ぐらい一気に飲み干すとスッと身体が冷えていく。
「そんなにヒドイ顔、してました?」
「うん。絶望の底に沈んで行きそうな雰囲気だった。久々に見たな上坂のそんな怖い顔」
こ〜んなに目が吊り上ってた。と先輩は切れ長の瞳を引っ張った。そして、眼鏡と何時の間にか脱ぎ捨ててしまったジャージを着せ掛けてくれる。
「昨日からショックなこと続きで――なんだかなぁってちょっとブルー入ってました、でも……」
ノブに手をかけた僕の耳に聞こえた声。
『……でお前の方はどうなんだ?』
『多分、好き――だよ』
その返事に嬉しそうに笑った神野先輩は七海を引き寄せ抱き締めた。
決定打を打ちこまれてしまった。
逃げ出したのはいいけど、結局何処にも行けなくて、戻ってきたのは体育館。
やっぱり先輩が好きだ。諦め切れない。
せめて一言でいい気持ちを伝えたい。
それでキッパリ振られたら諦めもつくだろう――と思う。
今はとてもできそうに無いけど。
けど春日先輩は僕のことをよく見てるな。今日だって――。もしかして僕にホレたか……んな訳ないか。
「忘れました全部。先輩が忘れさせてくれたでしょ? コイツで」
僕は足元に転がってたボールを取り上げ、先輩に向けて差し出した。それを受け取った春日先輩は、僕の顔をジッと見た。
見つめられて僕は焦る。澄んだ綺麗な瞳をしてるんだ春日先輩は。心の中まで覗かれるような気がして僕のほうが先に目を逸らしてしまう。
「お前さ、何か隠してること無い?」
やっぱり気付かれてしまったんだろうか?
「なあ、もしかして――楓二中の上坂ってお前のことじゃないの?」
ギクリと身体を強張らせた僕を伺うように先輩の口から零れたのはそんな言葉で――。
「――そうです」
ホッとして僕はうっかりと頷いてしまった。
誤魔化した方がよかったかな? と思ったところで後の祭。それにここんとこ七海にはいい加減腹が立ってたし、アイツは神野先輩までも手に入れてしまってるんだし――まぁいいか、と思ったのだ。
だって僕が楓二中の上坂だって判った所で今更どうなる訳でもないし――。
「やっぱり……なんであの時、ハッキリ言わなかった?」
そう聞いてくる春日先輩に「言えないでしょう、あの体たらくじゃ」と肩を竦めた。すると先輩は「それもそうだな」とやけにあっさり頷いた。
「でも、辛くなかったか?」
「そりゃあ……ね。でも今更でしょう? それに意外と向いてるみたいですマネージャー。だからこれで良かったって思います」
今まで知らなかった先輩のクセや仕草。
同じコートの上で並んでいたら見つけられないだろうと思うことが外からなら見えることがある。
それをマネージャーになって初めて知った。
時々、目と目がかち合って焦ることもあったけど神野先輩ウォッチングは僕の密かな楽しみだ。
「でもさ、たまにはボールに触りたいって思うこともあるだろう?」
春日先輩の問いに僕は少し考えてから頷いた。コレまでは覚えることが多すぎて頭から抜けてたけど。確かに今日は楽しかった。身体が自然と動いたことも嬉しかったし、やっぱりバレーが好きなんだって感じたし。
「じゃあさ、秘密で練習しょうか」
「ええっ!」
春日先輩の提案に驚いてしまう。
「アイツらがロードワークに出てる間は特にやることも無いし、帰ってくる頃を見計らってコートの整備しとけばいい。な! そうしよう、運動不足の解消には丁度イイ。一石二鳥だ。決まり!」
春日先輩は自分の提案に随分満足の様子で、そしてそれは僕にとって願っても無い提案だった。でも気になることが一つだけ、春日先輩の膝の具合だ、激しい運動はできないって言ってたと思うけど。
「激しい動きがダメなんだよ。今日ぐらいのなら平気! すべてを任せときなさい」
春日先輩は僕の心配を吹き飛ばすように胸を叩いてくれた。
ホント春日先輩の優しさには救われる。
優しくて綺麗なこの人を好きになれば良かったな。でも真偽の程は定かじゃないけど部長と付き合ってるんだったら、やっぱり僕は片思いってことになるんだな。なんて救われないんだろう……。
「それにさボール追いかけてるときの上坂っていつもの難しい顔と全然違う。生き生きしててずっと素敵だと思うよ」
ほらね、さりげなく僕の気分が上向くようなセリフを言ってくれるんだ。
次の日から僕達の秘密の練習が始まった。
練習をはじめて間もなく梅雨に突入した事もあって時間は中々取れなかった。
それでも僕達は僅かな時間を見つけてボールに触った。
最初はボール遊びって感じだったのが、段々それだけでは満足できなくなって、ここ数日はネット張って、その向こうに立てた脚立の上から先輩はボールを投げてくるようになった。
実戦さながらに意地の悪いコースへ飛んでくるボールを僕も必死になって拾いに走る。
負けじと春日先輩は更に難しいところへ飛ばしてくる。拾えないと悔しくて、悔しくて――ついつい熱くなってしまう。
昨日まで振り続いた長雨が上がって部員達は久しぶりのロードワークに嬉々として出て行った。暫くは帰ってこないはずだ。僕達は早速ネットを張った。
クソッ! 僕は額から流れ落ちる汗を肩で拭うと「もう一丁、コイ!」と構えを取った。
「行くぞ!」と先輩が構えたとき、
「何してる、お前ら!」
体育館の入り口で叫ぶ声がした。その声に「あっ! 朗」と春日先輩が華やいだ声で振り返った。途端グラリと脚立が不自然に揺れ、ゆっくりとまるでスローモーションで映画を見ているように春日先輩の身体が傾いた。
「先輩!」
「智哉(ともや)!」
僕も声を掛けた行岡部長も同時に名前を呼びながら駆け出していた。
ガッシャーン――――。
ガランとした体育館に大音響が響いた。
僕は恐る恐る顔を上げた。
春日先輩は僕より遥かに離れたところに居たはずの行岡部長の腕にしっかりと抱えられていた。
「智哉! 智哉! しっかりしろ」
身体を抱えなおして顔色を無くした行岡部長が名前を呼びながら頬を叩くと、春日先輩は静かに目を開けた。ほっとしたような表情を浮かべた行岡部長は次の瞬間、仁王のような形相で僕を睨んだ。余りの怖さに身が竦み僕はギュッと目を瞑る。
「コイツの足が悪いこと知ってるんだろう」
確かめるように聞く部長に僕は俯いたまま首を縦に動かす。
「判っててやったのか?」
静かな声だった。それだけに行岡部長の激しい怒りが伝わって来るようで僕は顔を上げることが出来ずに「済みません」と繰り返した。
「上坂、謝ることなんて無いよ」
膝の上で拳を握っていた僕に穏やかに言ってくれた春日先輩が身を起こすのが気配でわかった。
「智哉?」
「言い出したのは俺の方なんだから、上坂を叱るのは筋が違う。ホラ上坂も顔を上げて」
その声に僕はゆっくりと顔を上げた。
心配そうに伸ばした行岡部長の腕をそっと押しやって春日先輩はその場に足を投げ出した。
「どう言うことだ?」部長が先を促す。
「俺と同じなんだよ。バレーが好きで…それと同じくらい陸が好きなんだよな」
先輩の言葉に僕は目を見開く。
やっぱり気付かれてたんだ。
でもどうして判ったんだろう? そんなヘマはしてないつもりだったのに。
行岡部長も驚いた顔をしている。
「判らないとでも思ってた? でも俺には判るんだ。だってお前の陸を見る目は俺が朗を見ていた眼と同じだったんだから」
このセリフには部長が目を見張った。
「智哉? なにを……」真っ赤になって口ごもった。
「隠すことないじゃない。本当のことなんだから。それともバレたら朗は困る?」
眉を寄せて拗ねた表情で部長を見る春日先輩と暫く見詰めたあった後、観念したように小さく息を吐き出した部長は「そうだな」と頷いた。
「陸とバレーがやりたくって入部テスト受けたのに結果がアレでさ。俺、見るに見かねてマネージャーになれって言ってた」
片思いの辛さは十分経験してるから、と春日先輩は行岡部長を見て笑った。
「あんな切ない顔、見せられたらさ、何とかしてやりたいって思うじゃないか」
「で? 一肌脱いだって訳か?」
呆れたやつだな、と部長は呟いて春日先輩の髪の毛をクシャリと撫でた。
「そう言うコト。だから上坂を責めないでやってくれよ。あんなヘンクツに惚れてくれてる貴重な人間なんだから」
神野先輩が聞いたら怒りに狂いそうなことをサラリと言ってくれた先輩に僕は言う。
「気を遣わせてすみませんでした。でも僕の完璧な片思いですから、もういいんです」
「ああ、噂のことか? 気にするな。暇な奴らの戯言だ」
戯言ならどんなにか良かったと思う。でも僕はこの目でハッキリ見てしまった、嬉しそうな顔で七海を抱き締めている先輩を――。
事実を付きつけられて気にするなってのがムリな話しだ。そこまで僕の神経は図太くない。おまけに先輩だって噂を知ってる。
「それよりも朗、お前、上坂の相手してやってくれないか? 俺がセッターやるから」
「おい、智哉?」
「さっさとしないと陸達がロードワークから帰って来てしまうだろ!」
スルッと話題を変えた春日先輩は部長が止める間も有らばこそ、さっさと立ちあがってコートにいってしまった。
僕には春日先輩が何をやろうとしてるのか判ったけど、何のことやらさっぱり判らない部長は首を傾げつつもそれに従った。
もしかして部長の方が春日先輩に惚れてるんじゃないか?