素直な気持ち
Part 3
「お前が楓二中の上坂だったとはなぁ。どうして今まで黙ってたんだ?」
ため息混じりに言った部長はガシガシと短く刈り上げた頭を掻いた。
どう答えていいのか判らない僕は曖昧に笑う。
なし崩しに始まってしまったテストもどき。部長は僅かの時間で僕の力を見抜いた。で、三人三様に床に座り込んでいるわけだった。
「妙だとは思ってたんだがな。全く比べ物にならないじゃないか」
「はぁ……でも、七海も…」と続けようとする僕の言葉尻を部長は捕らえて、
「確かに上達はしてる。だがハッキリ言って頼りない。今、ウチのチームに必要なのはお前の方だ。アイツじゃインターハイには行けない」ビシッと言い切った。
「陸は思いっきり間違えてるってわけだよ」
「まあ判らないでもない。プレー中は別人だもんな、お前。それとその眼鏡だ。そんなモノかけてるからだな――」と部長は僕に目を向ける。
押さえ付けてるつもりはないけど、やっぱりどこかで無理をしているのか、集中すると自分では判らないけど結構人格が変わるみたいだ。といっても二重人格って訳じゃない。
「でも、本当に気付いてないと思う?」
「う〜ん微妙な線だな。ただどことなくおかしいとは思ってるかもしれん。しかし気が付いてたとしても――だ、アイツの事だ自分からは言い出せないだろうさ」
「それもそうだ。ひねくれてる人間だからなぁ〜」
かなりワンマンだとは思ってたけど、ひねくれてるのか。うん新しい発見だな。
難しい顔で何か考え込んでいた部長が顔を上げた。
「仕方がないな。俺達が何とかしよう」
「何とかって?」
「陸が認めようとしないんなら、認めさせるまでだ」
「でも、すんなり言うことを聞くとは思えないけど」
僕も春日先輩の意見に賛成だ。他力本願が嫌いでオレ様な神野先輩なら自分で何とかしようとするだろう。
「俺もそう思う。だから文句が出ないように七海を仕込んでるんだろう」
「……とすると?」
「でもな上坂に目を付けて、その力に惚れ込んだのはアイツだし、一番欲しがってたのもアイツだ。入部とどけを見て一番喜んでたのもアイツなんだ。認めざるを得なくしてやればいい。それにあまり無茶をさせると七海が潰れる可能性もある、お前のように……俺としてはそれだけはどうしても避けたい」
痛ましげな目を向けられた春日先輩はほんのりと頬を染めて「どうするんだ?」と先を促した。
「お前達が俺に黙ってやってたことを続けるんだよ」
「――って秘密で練習するのか?」
そうだ、と部長は大きく頷いた。
「ウチも今年はそこそこいいところまでは行くだろう。でも、回りの奴らもバカじゃない。それなりの対策を練ってくるはずだ」
部長はそこで一旦、言葉を切り、飲み残していたスポーツドリンクをグイッと空けた。
「恐らく七海は途中で息切れする。上達はしてるが如何せんスタミナが無い。上坂の話を聞く限りではそれも仕方のないことだ。経験値が少なすぎる。だがお前は違うだろ? 陸はインターハイ出場に命を掛けてる。それは俺にも智哉にも言えることだ。そして今年が俺達にとっては最後のチャンスになるって事も、判るな?」
何だか大変なことになってきたぞ――と思いながら僕はコクリと頷いた。
「智哉は勿論使えないし、控えのセッターも皆ドングリの背比べだ。そこで上坂の登場となるわけだ」
「秘密兵器ってわけだね」
春日先輩がボソリと言った。
秘密兵器って、僕が?
嬉しいけど、ちょっと買いかぶり過ぎじゃないか?
「どうだ? コレ以上劇的な登場の仕方はないだろ?」
「いい! さすが朗だ! これなら陸もぐうの音も出ないだろうねぇ」
僕をそっちのけで二人の間で話が盛り上がってる。
「勝手に決めないで下さいよ! 責任重大じゃないですか!」
「おやぁ? 何か不満でもあるのかなぁ?」
ウッ! 春日先輩が僕を睨みつけてくる。
整った容姿の先輩の一睨みって迫力がある。
僕なんかより遥かに怖いよ春日先輩。
「不満なんて……でも、自信無いです」
「だから、俺達が特訓してやろうってんだろうが。お前の持てる力を引き出してやる。陸に認めてもらいたくは無いか? アイツが文句を言えないくらいに力をつければいい」
部長は簡単に言ってくれるけど……果たしてそんなに上手く行くんだろうか?
「チャンスだよ? レギュラーの座も陸のハートも両方ゲットするってのはどう? 今回に限って俺が手助けしてあげてもいいけど、どうする?」
神野先輩の名前を出すとは卑怯な先輩方だ。
でも、やってみようか?
どんな特訓がまってるのか判らないけど、それをやり遂げられたら自信がつくかもしれない。
「お言葉に甘えます」
と僕は至極真面目に頭を下げた。
「でも、春日先輩のお手を煩わせるようなことはしませんから」と付け加えることを忘れなかった。
教えてくれたのは春日先輩じゃなかったっけ?
『陸は他力本願が嫌いだ』って。
練習は一人じゃできないから先輩達に甘えよう。けれど告白するなら自分でハッキリと伝えたいと思う。
当って砕けても、ちゃんと伝えられれば納得できる。
次の日から3人での特訓が始まった。
部員達が雨の合間のロードワークに出て行く僅かな時間は筋力トレーニングをみっちりとやらされた。何もやらずにいた半年間ですっかり筋肉がなまってしまっていた。だから朝は1時間早く起きて走りこむ距離を1キロ長くした。インターハイの予選リーグが始まるまではそう時間が無い。本当に僕の出番があるのかどうかは判らないけど、できるだけの努力はしたいと思う。
皆が帰ってくると何食わぬ顔で雑用をこなしながらレギュラーの練習を観察した。
こういう時は感情が現れにくい僕の顔って得だよな。
じっくり見てると皆のアラが目に付く。
大樹はムリな態勢からアタックを打とうとする悪い癖が出てきている。あれでは腰を痛めてしまう。
七海は膝と上半身の使い方がなってない。肘がイカレてしまう恐れがある――っていうか、マジでヤバイ状態かも。今はまだ七海に潰れてもらっちゃ困るんだ。
休憩している二人にアドバイスしてるとフイに後ろから「なかなか的確な意見だな。それじゃ俺はどうだ?」と聞かれた。
聞いてきたのは神野先輩だった。
「上坂の目には俺のプレーはどう映る」
腕組みをして僕を見下ろしている。
僕は暫く考えて「力みすぎているように見えます」と答えた。
ほう? という表情で先輩が腕組みを解いた。
「えっと、もう少しバックを信頼しても良いんじゃないかと思います」
言葉が足りないのかと思って慌てて補足した。
少し生意気過ぎただろうか。
でも本当の事だ。
先輩はなにもかも自分でなんとかしようとするし、また、それでなんとかなってしまうところがスゴイところなんだろうけど、あれじゃなんの為にチームで戦うのか判らない。
バレーは個人でやるものじゃないんだから。
伺うように見た先輩は「成る程な、気をつけよう」と呟いて練習開始の号令をかけた。
自分が練習を重ねるにつれて神野先輩に対するスタンスも変わってきた。
同じ目線で先輩を見られるようになったって感じで、今みたいに多少生意気なことも言えるようになった。
先輩と七海。二人のことが気にならないといったら嘘になるけど……とにかく毎日が充実していて楽しい。
「よし!」
部室の戸締りを確認して僕は待ち合わせの場所へ急ぐ。
月・水・金曜の練習終了後、裏門近くの喫茶店でレギュラー練習に参加できない僕はフォーメーションのレクチャーを受ける。講師は勿論、部長だ。春日先輩も付き合ってくれる。一度「僕の為に済みません」と頭を下げたら「朗と居られるから、俺のことは気にするな」と真顔でノロケられた。
そんな事があった次の日「今日から俺が試合運びとゲームの読み方を講義してあげる」と春日先輩はノートを持って座っていた。
レクチャーを受けた翌日は必ず練習中に部長が実戦で見せてくれるのだ。
「朗、今更、こんなことしてどうするんだ!」と噛みつく神野先輩に「俺のやり方が気に食わないなら出て行け!」とけんもほろろに部長は言い捨てたのだった。
ワンマンな神野先輩も部長には逆らえないとみえて、何か言いたそうにしながらも大人しく従っていた。
部長達のお陰でシュミレーションはばっちりだけど、身体が動くかどうか心配だ。何せブランクが長すぎる。そのことを部長に言うと豪快に笑った。
「心配するな。ちゃんと考えてる。まあ焦る気持ちは判らないでもない。でもな練習を見てて判るだろう? ダラダラやってても時間の無駄だ。時間の長さよりも中身が問題だと思わんか? いいから俺に任せとけ」
そう言った部長が次の土曜日に連れて行ってくれたのは実業団チームの合宿所だった。
Vリーグに名を連ねるチームの二軍と言うことだったけど、二軍と言って侮るなかれ、何時、一軍からお呼びが掛かっても応えられるれる実力の持ち主ばかりだった。
インターハイまでの土日僕はそこへ通った。『マネージャー修行』と言うのが部長が考えてくれた口実だった。皆がそれを信じたわけじゃないと思うけど、はっきり言って春日先輩さえいれば僕はいてもいなくても同じなのだ。だから僕は「神野先輩の顔がみれない」っていう多少の未練を残しつつシゴかれに通ったのだった。
練習の厳しさはハンパじゃなくて神野先輩なんかまだまだ甘いと僕は思った。
最初は基礎トレに付いて行くだけで息が上がり、練習が終わる頃には指一本動かすのもイヤになるくらい疲れ果てていた。でもその後にご馳走してくれるラーメンの美味いこと。最後の練習を終えた時には僕はすっかりこのチームが気に入っていた。
「しっかりやれよ。必ず応援に行くからな」と監督やメンバーの皆の言葉に送られて僕の特訓は終わった。
明日からインターハイ予選リーグが始まる。
予選Aリーグ最終日の今日、僕は部長の言いつけ通り選手登録をしてきた。
漸くここまできたけど悲しいかな今日までに僕の出番は無かった。
とりあえず順調に勝ちを重ねた我がバレー部の相手は歴史と伝統を誇る古豪『東淀(とうよど)学園』だ。 ここに負けても決勝リーグには上がれるけど、どうせなら無敗のままで行きたい。
「何時でも行けるように準備しておけよ」
今朝バスに乗り込もうとしている僕に、部長が耳打ちをした。
誰も居ないロッカールームで僕は真新しいユニフォームを取り出した。赤地に紺で『Koryo』と染め抜かれたユニフォーム、背番号は『9』。
憧れのユニフォームを頭から被ろうとした時、ロッカールームのドアが乱暴に開けられた。続いて覗いた顔に僕の手は胸の所で止まってしまう。
「何だ、まだこんな所にいたのか、探したぞ」
呆れたように言いながら入ってきたのが神野先輩だったからだ。
(どうして先輩が僕を探すんだ?)
女の子みたいに胸を隠すようにユニフォームを握り締めたまま僕は首を傾げた。でも、その謎はすぐに解けた。
ドアを後ろ手に閉めて、先輩は歩み寄りながら言ったんだ。
「七海、明日10時でOKだ。但し、試合に勝ったらだいいな?」
僕は強張らせた肩から力を抜き、そのまま背中を向けた。
いくら眼鏡をかけてないからって、七海と僕を間違えるなんて恋人失格だよ。
大人しくだまされた振りをしたほうがいいんだろうか? 二人っきりだし、先輩も七海だと信じてる。一瞬でもいい恋人の振りが出来るんだ。
「うん。判った。10時だね」
僕は七海の声を真似た。先輩からは何の返事も返らない。
トランクスを穿く振りで伺ってみると先輩は腕組みをして不思議そうな顔をしていた。
(もしかしてバレた――?)
顔を見間違えても聞きなれた声は間違えないのかな?
「なんだぁ? えらく静だな。もっと派手に喜ぶかと思ったのに」
(えっ? ここって喜ぶシーンなのか。デートの打ち合わせなんていつもの事だろうに)
「あっ――き、緊張してんだよ」咄嗟に口を突いた言い訳に先輩は思いっきり吹き出した。
「――そんなしおらしいタマか? お前」
「悪かったね! ぼ…オレだって緊張ぐらいするさ。先輩こそ、そんなに笑うこと無いだろ!」
僕は思わず振り向いて怒鳴っていた。
先輩は目を丸くして僕を見ている。
「あっ……怒鳴ってゴメン」
慌てて頭を下げた。顔が赤くなるのを見られたくない。
だって先輩の笑顔って見るの初めてで、しかも思った通り飛び切りカッコ良くて……。
でも、アレは七海に向けられたモノで僕に――じゃ無い。
そう思うと何だか悲しくて、居たたまれなくてクルリと背を向け、散らかした制服をスポーツバッグに片付けながら、
「こんな所で油売ってていいのかよ。部長達待ってんじゃねーの?」素っ気なく言い放つ。
「それもそうだ、じゃあいつものヤツ――やってもいいか?」
言うが早いか先輩は僕を背中から力一杯抱き締めた。そして首に顔を付けると小さく深呼吸をした。
直に触れた腕が熱かった。逞しい胸を感じて鼓動が早くなる。
(鎮まれ! 僕は今、七海なんだから)
僕はギュッと目を瞑った。
「……――海」
先輩が何か呟いたようだった。でも僕の耳には何も聞こえない。ただ、煩く騒ぐ心臓の音だけが僕を支配していた。
「……僕、行きます!」
ガタンと音をたてて僕は立ちあがった。
「落ち着け! 上坂」
隣りの春日先輩が袖を引っ張る。
ゆっくり座ってなんて居られない。
この試合に負けても決勝リーグには残れる。けど部員達の頑張りに傷をつけたくなんかない。なんとしても全勝で決勝リーグに上がらせてあげたい。全勝で乗り切れればそれだけで自信となり、チームに勢いがつく。
やはり東淀学園は強い。さすがに古豪と呼ばれるだけのことはある。第1セットは驚くほどあっさりと物にしたのに、続く第2セットは苦戦を強いられている。第1セットは様子を見ただけだと言いたげな多彩な攻撃に甲陵は振り回されていた。あれほど練習をしたにも関わらず攻撃が全然噛み合っていない。これではこのセットを落とすのは目に見えている。そうなれば第3セットは勢いで押されてしまうだろう。このセットに勝負を賭けなければウチの全勝はない。試合慣れしている神野先輩や部長、それに大樹は別としても恐らく他のレギュラーの体力が持たない――と思う。
特に七海はもう限界だ。弱点だと見抜いた東淀メンバーに集中攻撃を浴びて肩で息をしているのがベンチからでも判るのだから。
「春日先輩! タイムを――お願いします」
僕は必死の思いで先輩に頭を下げた。
どうしても勝ちたい。
僕に代わったからと言って勝つとは限らない。それでもやってみたい。部長や春日先輩との日々を無駄になんかしたくない。
「判ったよ。先生、お願いします」
形ばかりの顧問が審判に声を掛けた。
ベンチに引き上げてきた部長にスポーツドリンクを差し出していた春日先輩が目配せをした。
「七海、交代だ」
頷いた部長が厳しい声で言った。
「なっ、何、バカなこと言ってんだ朗! 七海を下げたら誰がセッターを――」
流れる汗を拭おうともせずに神野先輩が目を向いた。
僕は静かにジャージを脱いで神野先輩の前に進み出た。
「僕を使ってください」
皆の視線が僕に集まる。神野先輩が一番驚いた表情をしていた。
「……お前が?」言いかけた先輩を僕は見上げた。
ガンバレ、僕! ここでやらなきゃ、何の為に特訓に耐えたのか判らない。
からだの両脇で拳を握り目を閉じる。
「必ず応援に行くからな」といってくれた監督さん達の笑顔が脳裏に浮かんだ。
(そうだ、あの人たちの好意を無にしちゃいけない!)
震える身体を落ち着けるように深呼吸を繰り返し、キツイ光りを放つ目を見つめ、そして頭を下げた。
「僕が楓二中の上坂です。選手登録も済ませています。もう一度チャンスを下さい。お願いします」
「コイツの力は俺が保証する」
「間違い無いよ、陸!」
部長と春日先輩が口を添えてくれた。
「先輩、オレからも頼むよ。情けねーけど、もう限界。腕あがんねー」
驚いたことに七海まで頭を下げてくれた。
深々と頭を下げて審判が下るの僕は待った。
本当は数分。だけど僕には永遠とも思える時間が過ぎて――半分、諦めかけた時だった。
「――――判った」
渋々といった調子の了承が神野先輩の口から漏れた。
「ありがとうございます!」
「やったな! 大海」
大樹が嬉しそうな声で僕の背中を叩く。
顧問が審判に選手交代を告げる。
僕達はベンチの前で円陣を組み皆の手を重ね合わせる。
「ここが正念場だ。一瞬たりとも気を抜くな、いいな! 死ぬ気で行くぞ。一気に勝負をかける」
少々オーバーな神野先輩の言葉にも僕達は真剣な表情で頷き「甲陵ファイト!」と声を上げた。
久々の緊張感が僕を包み込む。一瞬、足が竦むような気がした。
そんな僕の背中を神野先輩が力任せに叩いてくれる。
「緊張してる時間はない! しっかり頼むぞ!」と声を掛けてくれた。
「はい!」
僕は大きく頷くと、先輩の背中を追いかけてコートに入った。
間を置かずにホイッスルが鳴る。
コートに現れた僕を見て相手選手が戸惑っているのが判った。
そりゃそうだろう。
ついさっきまで集中攻撃を浴びて肩で息をしていたヤツと同じ顔が意気揚揚とコート内を走り回っているんだから。
尻上がりに調子を取り戻す甲陵とは反対に混乱していく東淀。冷静さを欠いて攻撃が噛み合わなくなっている。
「今がチャンスだ! 一気に叩き潰すぞ!」
思わず叫んだ僕にチームメイトが頷き返してくれた。
ここぞとばかりに部長が大樹が、そして神野先輩がこれまでのお返しとばかりにアタックの集中砲火を浴びせ掛けた。
一つに纏まった僕達に怖いものなんて無かった。
「神野先輩!」
僕はネット際に立つ背中に向かって高くトスを上げた。
目の端でボールを捕らえた先輩がタイミングを計って飛び上がった。
瞬間、僕の周りから全ての音が消えた。
先輩のしなやかな腕が弧を描いて鋭いアタックが相手コートに突き刺さった――――。
ガックリと東淀学園の選手がうな垂れるのを僕はぼんやりと見ていた。
何度も夢に見た瞬間だった。
「ヤッタァ〜決勝リーグだ!」
ベンチから七海が、春日先輩が、控えていた選手達がコートに走りこんでくる。
「やったな、大海!」
大声を上げながら両手を上げて大樹も駆け寄ってきた。中学の時の様に二人でハイタッチし合った。
次の瞬間「上坂!」と声が聞こえた。振り向くと神野先輩が両手を広げていた。僕は無意識に駈け寄って先輩に抱きついた。
「よくやったな、上坂!」
部長に頭を滅茶苦茶にかき混ぜられる。
何が何だか判らない内に、挨拶を済ませた僕はロッカールームへ引き上げてからもチームの皆に揉みくちゃにされていた。
久々の試合で身体は疲れているはずなのに、神経が高ぶっているのか僕はなかなか寝付けなかった。
眠ろうとすればするほど目が冴えてくる。だから考えたくないのに色んな事を考えてしまうのだった。
神野先輩は僕のことを『楓二中の上坂』だと認めてくれるだろうか――とか、ドサクサに紛れて抱きついてしまったことをどう思っているんだろう――とか。
一番気になったのは、ロッカールームでなんと呟いたのか――と言うことだった。
恐らく『七海』だろうけど……まあ、それはそれでいい。コイツも今日ばかりは僕の味方をしてくれたから。
「ありがとう、七海」
僕はベッドの中で気持ちよさそうに寝息をたてている七海にそっと声を掛けた。
人波を避けながら僕は前を見つめて歩いていく。僕の視線の先には仲良さそうに肩を並べた七海と神野先輩の後姿が見え隠れしていた。
昨日試合が終わったとき、僕は自分の気持ちを告げようと決めた。
『勝負は先手必勝。恋も同じだよ』
いつかの大樹の言葉が浮かんでくる。
先手は七海に打たれてしまっているけど、今日を逃せば、もう二度とチャンスはめぐってこないような気がした。
約束の時間は10時、でも待ち合わせ場所が何処を指すのか、皆目、見当のつかない僕は情けないとは思いつつ、又こうして後を付けているのだった。
センター街のある駅を通過し更に電車に揺られること20分。七海が向かったのは、再開発で生まれ変わったと話題を振り撒いている場所『スタードーム』だった。
アトラクション・エリア、スポーツ・エリア、フェスティバル・エリアの三つから構成されている巨大なアミューズメントパークだ。
ゲートの前で満面の笑みを湛えた神野先輩が待っていた。
一体何処からやって来るのか――ドームは人、人、人の波で溢れかえっていた。
周りを気にする事も無く何か目的を持って楽しそうにじゃれ合いながら歩いていく2人に昨日の疲れは見えなかった。
急に立ち止まり先輩の前に回りこんだ七海が、ニヤニヤと笑いながら胸のあたりを軽く叩いて何か言っているようだった。
立ち止まった僕はギュッと拳を握る。
急に立ち止まった僕に、非難の声が上がるけど気になんかしてられない。
目を閉じて深呼吸を繰り返す。
ゆっくりと目を開けた僕は人の間をすり抜けるように2人に近づいた。
じゃれ付いている七海を押し退け先輩の前に立ちはだかり、その腕を掴んだ。
瞳を見つめて――告げるつもりがイザとなると勇気が出なくて――。
「僕、先輩のことが好きなんです!」
袖を掴んだまま俯いて一気に捲くし立てた。
先輩の返事は無かった。
「やっとかよ。長かったな……」
代わりに呆れたように呟いたのは七海だった。その声に僕はハッと顔を上げる――と、僕達の周りは人だかりで一杯だった。
(ウッワァ〜、穴があったら入りたい……)
恥ずかしさが込み上げて思わず顔を覆った指の間から覗いた先輩は苦笑いを浮かべてこう言った。
「面白れーヤツだなお前は――」
往来の真中で堂々と男相手に告白し、当然のコトながら周囲の注目を集めまくった僕は、先輩と七海に連れられて本来の待ち合わせ場所である『フェスティバル・エリア』内の喫茶店のオープンテラスにやって来た。
「空実(くみ)!」
七海が声を上げた。
その声に涼しげなブルーのキャミソールドレスの上に白いレースのカーディガンを羽織った女の子が嬉しそうに振り返り立ちあがった。短かめにカットした髪が風に吹かれて軽やかに揺れた。スラリとした長身は僕と同じくらいで目鼻立ちのハッキリした、どっちかって言うとキツメの顔立ちの美少女だ。
どこかで見たことあるような気がして「誰?」と聞くと「先輩の妹でオレの彼女。神野空実(こうの くみ)ちゃん」と得意げに七海が肩を抱きよせる。
「えっ?」
――ってコトは?
「そうだよ。オレが神野先輩と仲良くなりたいって言ったのは空実を紹介してもらうためだったの。全くこの早とちり野郎!」
七海は遠慮無く僕の頭を小突いた。
「って! 何すんだよ。紛らわしい言い方したお前の方が悪い!」
言いながら二人を見ると、先輩は顔を顰め、空実さんは「エヘヘ……」と笑った。
「はじめまして――なんだけど、陸から色々聞かされてるから初めてって気がしない」
「空実! 余計な事言うな!」
横から空実ちゃんを睨んだ先輩を彼女は「煩い! 陸」と軽くいなして「デカイのばかりが立ってると目立って仕方ないから座りましょ」とさっさと腰を下ろした。それに習って僕達もいすに座る。当然のように七海が空実ちゃんの隣に座ったから僕の隣に先輩が腰掛けた。
うう、緊張するよ。こんな間近に先輩がいるのって初めてだ。
「それにしても似てるよねぇ。雰囲気は随分違うけど」
物怖じしないタイプらしい彼女はテーブルに肘を付いてマジマジと僕を見る。どうしていいか判らない僕は俯くしかなくて。
「あたしと陸も双子なんだけど、二卵性だからね。あんまり似てないでしょ?」
「ええっ? 先輩も双子だったんですか?」
驚いて聞き返すと空美さんはコックリとうなづいた。
ってことは空実ちゃんは年上の彼女? 七海の奴、なかなかやるなぁ…でもそれって?
七海は先輩とつき合ってるんじゃないのか……?
「空実、ちょっとオレに譲って」と七海は話を続けたそうな空美さん黙らせて、僕に向かって「今からお前の疑問に答えてやるからな」と言う。次に先輩に目を向けて「先輩も、もういいよな?」と確認する。
先輩は渋々頷いた。
丁度、運ばれてきたアイスコーヒーを一口啜って七海が口を開く。
「はっきり言わせてもらうけど、オレはお前の身代わりなんだ」
ヘッ? どういう意味だ?
「オレは空実を紹介して貰いたかっただけなの。確かにオレも『楓二中の上坂』だから間違いじゃないけど先輩が探してた『楓二中の上坂』はお前、大海の事。でも先輩は自分の間違いを認めないし、お前も先輩の事好きなくせに自分から言わないし、だからオレはお前の身代わりをしてただけなの。オレがしたくもない練習を真面目にやってたのも『陸先輩』って呼んでたのも、言う事聞かなきゃ空実紹介しないって言われて、脅されてやらされてたの、なんもかんも、みぃ〜んなお前の代わり……お陰で、大海には殴られるし肘は壊れる一歩手前だし――」
疑問に答えるというよりも今までの不満をここぞとばかりにまくしたててくれる七海に口を挟むことすら
できない。言いたいことを吐き出して一息ついた七海はアイスコーヒーに手をのばした。
七海の言うことを鵜呑みにすれば、今までのことはすべて納得できる。
並んでアイスクリームを食べていたのは、七海と空美さん。だから本屋で先輩と僕は遭遇したんだ。2人の時間を邪魔しないように先輩は本屋で時間を潰してた。そこに僕が行き会わせた……って事だよな。
それじゃあ、昨日の先輩の行動は…一体何だったんだろう?
「じゃあ抱き締めるっていうのはなんだったんだ?」とさりげなく聞くと「知ってんのかよ……」と七海はストローをくわえたままで絶句した。
ロッカールームでの事を言ってやると「あれは精神安定剤の代わりなんだ。この人、試合前になると柄にもなく緊張するんだってよ」と種明かしをしてくれる。すると今度は「あれ、上坂だったのか?」とコーヒーを口に含んでいた先輩が危うく吹き出しそうになりながら聞いた。
コクリと頷く僕をチラリと見て続いて七海は先輩をジロリ見やる。
「見分け方教えたハズだよな先輩。眼鏡とGショックとヘソの横のホクロ。右側がオレだって」
「……眼鏡もGショックも無かった。でもちゃんと右側にホクロがあったぞ」
僕は昨日の状況を思い出す。
「先輩とは向かい合ってたと思う……けど」
と、いうことは。
僕のセリフに七海は大袈裟に天を仰いで右手で顔を覆う。
「向かいあってんなら、向かって左にホクロがあるはずだろ? オレならさ」
愕然とした表情を浮かべる先輩が何だか気の毒になってきた。
「ねえ七海、映画始まるよ」
アイスコーヒーを飲みながら僕達の話を大人しく聞いていた空美さんが時計を指差して七海のTシャツの袖を引っ張った。それに軽く頷き、二人して立ち上がると「大海、右手出せ」と顎をしゃくる。
言われるまま右手を差し出すと、その手をパン! と叩く。
「タッチ交替。オレの役目はここで終わり。先輩の面倒はお前に任せた。後はご自由にどうぞ。行こう空実」
言いたい事だけ言ってクルリと背を向けた。
僕は叩かれた手を見つめる。
(そんな事言われてもどうすればいい訳?)
先輩も何も言わないし。
空気が重い。
僕は所在無げにグラスの中の氷をかき回していた。
「おっ、珍しい取り合わせだな」
「何だか雰囲気つくっちゃって、俺達、お邪魔かなぁ」
緊張を打ち壊すような声がした。顔を上げると、仲良く寄り添った部長と春日先輩だった。
二人ともなんだかニヤニヤ笑いを浮かべている。互いの手にはさりげなくおそろいの時計なんかしてる。私服姿は学ランに比べると数倍大人っぽく見える。しかも春日先輩はそれに綺麗……がつく。男同士でも少しもヘンじゃない。なら、僕達はどう見えるんだろう…気になるな。
「なかなか似合いだよ、陸」
春日先輩は嬉しい事言ってくれるけど、単純に喜んじゃっていいのかな?
部長たちの登場に先輩は明かに不機嫌な表情になっている。
僕は一応『好きだ』と伝えたけど、先輩から返事はまだもらっていない。
七海の話を全部信じるのなら、昨日、先輩が耳もとで呟いた名前は「大海…」だったのか。
でもそれを確かめる勇気が僕にはない。
「なあ朗、オレ達ジャマみたいだよ。上坂が怖い目で睨んでる」
僕は慌てて自分の顔に手をやった。又、神野先輩に誤解されてしまう。
「智哉、止めとけ。陸も睨んでる」
部長の言葉にそっと伺った先輩は厳しい表情だった。
「悪かったよ。でも上坂、イイ顔してるよ今日は。じゃあな陸、邪魔してゴメン」
「あっ部長……部長も一緒に――」
慌てて引きとめた手をのばした僕の隣りで、ガタン! と音を立てて先輩が立ちあがる。
「冗談でしょ上坂君。それこそ余計なお世話だよ。君達にも幸せな時間なら俺達にとっても今日の休みは貴重なんだよ。久しぶりの、二人きりのデートなんだ、ジャマすんな」
ニッコリ笑って春日先輩は部長の腕に自分の腕を巻きつけた。
それこそ大きな誤解だ。
「そんな顔するな。安心しろ勝機はこっちにあるんだから……」
突っ立ったままの神野先輩に意味ありげな視線を投げかけて、今度こそ二人は僕達に背を向けた。
背中を見送っていた先輩は唐突に僕の腕を掴むと、一言も言わずに歩き出した。
その腕を振り解く勇気は僕には無かった。
今、頭上には夏の夜空が広がっていて、満点の星が僕達を見下ろしている。
夜空の設定七夕の空。
琴座のべガとわし座のアルタイルの恋物語。
だけど僕には星を眺める余裕なんて無い。
解説している声も僕の耳を素通りして行く。
プラネタリウムの一番後ろの席。隣りには先輩が座っている。
肘掛に置いた先輩の腕が僕の腕に微かに触れる。それだけで僕の心臓は壊れるんじゃないかと思うぐらい激しく胸を叩いていた。
「智哉達には、打ち解けてんだな……」
囁くような声は僕の耳に届かない。何を言ったか知りたくて僅かに身体を寄せると先輩が思いきり僕の体を引き寄せた。肘掛を挟んで身体同士が密着する。
「ずっと大海だけが欲しかった」
耳元で囁かれ心臓が一際大きくはねる。
「マジで!?」
聞き返す声が情けないくらいに震えている。きっと今、明かりが付いたら僕、真っ赤なんだろう。頬が熱い。
「何時だったかの試合で小柄だけどやけに元気のいいセッターがいた。どんなボールにも食らいついて、正確なトスを上げる奴がお前だったんだ。見たのは後にも先にもそれ1回なのに『楓二中の上坂』はやけに印象に残った」
僕の髪を撫でながらポツリ、ポツリと言葉を選んで話す先輩の声に、嬉しくて泣きたくなる。
部長に誉められるより百万倍嬉しい。
でも欲しかったって言うのは、セッターとしての僕・上坂 大海のことだろう。
僕の欲しい答えはそんなのじゃない。
「でも欲しかったのはセッターとしての僕でしょ?」
肩に回された腕に力が込められる。
「最初はな」
正直な先輩の答え。
「いつ七海が楓二中の上坂じゃないって気がついたんです?」
いっこうに先が続かないから僕の方から質問をしてみる。
「入部して暫くしてからアイツの方から言ってきた。自分の本当の目的をな」
「それで?」
「どうにかしてお前を引っ張り出したかったんだが、自分で間違えた手前、素直に言い出すことは性格上できなかった。それに話し掛けようとするとお前は怯えたような顔して睨むしな…それも仕方ないよな。入部テストの時、こっぴどく怒鳴ったもんな」
先輩達の言う通りだね。でも真直ぐな人だ。
そう、『なんだその反抗的な目は!』って怒鳴られた。
先輩の言ったことなら昨日の事のように思い出せる。それほど誤解されたことがショックだったんだ。
「睨んでたわけじゃないですよ。そう見えるだけなんです」
「ああ今なら解る。だから、そっと見ていることにした。時期がくればなんとかなるだろうと思ってな。ほんとらしくないけど。でもな望んだことと違うマネージャーっていう仕事にも文句を言わずに一生懸命取り組んでるお前をみてるうちに…いつの間にか惹かれてたんだよ。真直ぐな心にな」
「それに関しちゃ先輩の事どうこう言えません。七海の態度一つで精神的にやられちゃったのは僕のせいなんですから」
ありがとう。と先輩は言ってくれた。そして。
「でもな自信はあったんだ。お前にも責任はあると思うぞ。アレじゃ詐欺だ。まるで別人じゃないか」
それを言われるとなんにも言えないけれど。
「この眼鏡はダテですよ。七海と区別する為だけのものです。でも部長にも言われだんですよ。意識はしてないんだけど夢中になるとよく判らなくなるみたいなんですよね、僕」
「じゃあ俺に夢中になれよ。プライベートでも試合の時みたいに笑ってみせろ。俺にだけ――笑え」
「それって…合格ってことですか? 僕、マネージャーじゃなくて部員として認めてもらえるんですか?」
規則正しくリズムを刻んでいた先輩の心臓の音が、急に早くなった。驚いて顔を上げると、息を呑むほど近くに先輩の顔があった。
(うっわぁ〜)
憧れつづけた先輩のビックリするほど真剣な表情に、目が離せなくなる、見入られてしまう。
「部員としてだけじゃない。俺のパートナーとしてもだ」
ジッと惚けたように見つめる僕の顎を先輩は大きな片手で持ち上げて「こんなもの必要無い」と眼鏡を取ってしまった。
なくても困らないけど…やっと慣れてきたところだったのに。
だから「もう七海と間違えない?」って聞いたら「好きな奴を間違える訳ないだろ」とやけにきっぱりと言い切られた。
「……どうだか」
クスリと笑って肩を竦めたら、
「昨日は間違えたフリをしただけだ」
強気な言葉と同時にほっぺたを軽く抓られた。
そんなことも嬉しい。
ああ、僕って、マゾだったのかなぁ?
「痛いよ、先輩」
今度はちょっと拗ねてみる。そしたら――。
「陸って呼べよ、大海……」
耳元で囁かれた。
先輩が僕を『大海』って呼ぶ。
目を閉じて何度も心の中で繰り返す。
次々と僕の夢が叶って行く。
こんなに幸せでイイのかな。
幸せ過ぎて閉じた目を開けられない。
(目を開けたら夢が醒めるような気がする)
知らずに呟いてたんだろうか、
「夢じゃない。目を開けても大丈夫だ」
先輩が言う。恐る恐る目を開けると見慣れた顔が見えた。
「先輩…好きだよ」心の中で呟くと、聞こえるはず無いのに「陸だ!」と訂正される。
七海に負けるわけにいかない。覚悟を決めて「陸……さん」と呼んでみた。
途端に苦しいくらい抱き締められて、
「大海、好きだ」
欲しくて仕方が無かった言葉をくれた。
(あ〜あ、もう僕、これで死んでもイイかも)
「それは困る。やっとお前を手に入れたんだ頑張って生きてくれなきゃ困る。一緒にインターハイに行こう」
「なんで、どうして僕の考えてることが判るんですか?」
びっくりしてそう聞くと、先輩は照れくさそうに鼻の頭を掻いて、
「大海の顔見てたら、何となく――な」
それって、それって――なんかスゴクない?
心が繋がってるって事でしょ
「じゃあ、今、僕が何考えてるか判ります?」
ものは試しだと問い掛けてみる。
(僕のこと好きだって言って下さい)
先輩は黙って頷くと僕をそっと引き寄せた。
「好きだ、大海。お前だけが――」
あっ……アタリ――だね。
静かに僕は目を閉じる。
言葉と共に想像してたよりずっと柔らかい唇が僕の唇に重なった。
『――牽牛と織女は天の川を挟んで年に一度の逢瀬を楽しむのです』
解説する声が遠くで聞こえる。
お願いだから明るくなるのはもう少しだけ待って。
僕、もう一度自分の言葉で言いたいから。
(陸さん、僕もずっと好きだったんだ――)
(おわり)